第20話 (ひええ……手ぇえ……)


(手、小さい)


 繋いだ手を意識すると、篠は本当に小さかった。


(細い。握りつぶしそう)


 特に今日の格好が、余計に篠を小さく見せている。


(可愛いな)


 ふいに篠の足が目に入り、颯太はすっと視線を逸らした。


(いや、足……まじびびった。最初、何も履いてないかと思った)


 篠はワンピースのようにだぼっとしたTシャツに、ショートパンツを履いていた。

 ショートパンツは、Tシャツの裾すれすれに隠れている。出会い頭はバタバタとして気付かなかったが、改めてきちんと篠の格好を見た時に、目玉が飛び出るかと思うほどぎょっとした。


 シンプルなTシャツに、キャップにスニーカーにリュック。


 篠の服は見慣れた物が多くて、颯太は人知れずほっとしていた。今になって思えば、篠があまりにも女性らしい格好をしていたら、緊張して全く会話も出来なかったかもしれない。篠なら何を着ても可愛いだろうが、直視できる気はしなかった。


(いや、今も出来てねーんだけど)


 ちらりと見る度に目に入る篠のオーバーサイズのTシャツは、まるで男物の服を着ているようだ。


(ちゃんと、自分の服だよな?)


 先ほど、手を繋いで出かける相手を内緒にされたからか、誰か男に借りたのだろうかなんて邪推してしまう。


(こんな可愛いし、彼氏の一人や二人や三人いたっておかしくねえだろ。別に)


 心で思い、否定する。馬鹿なことを考えてしまった。篠は、恋人を二人も三人も作るような人じゃないと、もうわかっている。


 二人も三人も作らない。

 篠はきっと、この人と決めた一人の男を大事にするだろう。


 なんだか無性にむしゃくしゃして、無意識に篠と握る手に力をこめてしまった。颯太は慌てて手を振り払う。


「わっ! すみません」

 突然手を解かれた篠は、びっくりした顔でこちらを見る。


「手、強くしてしまって……痛くなかったですか?」


 ぽかんとしていた篠は、焦る颯太に微笑むと、颯太の手を取った。


「痛くないよ。また解けちゃうから、ちゃんとぎゅってしてて」


 ふにゃっと笑って、篠がねだる。

 なんとも言えない顔をして、颯太は篠の手をぎゅっと握った。




***




「颯太、本屋さんに行こう」

「はい」


 駅の近くのショッピングモールに入った颯太は、篠に手を引かれて本屋へ向かった。

 エスカレーターの脇にエレベーターがあったため、篠の手を引っ張って、引き留める。振り返った篠に、颯太はエレベーターを指さした。


「あっち乗りましょう」

「うん」


 もう平気かもしれないが、可能な限り階段状のものは避けてやりたかった。エレベーターを待つ時間も、全く苦にならない。


 本屋に着くと、篠はキョロキョロと本棚を見渡した。本屋は通路が狭いため、手を離したほうがいいか迷ったが、篠が掴んだままだったので、そのまま引きずられることにした。


「颯太は最近、本、何買った?」

 気になる漫画の新刊は、近頃出ていなかったはずだ。直近で勝った雑誌を思い出す。


「バレーの雑誌とかすかね」

「どこにある?」

「こっちです」

 竜二や直史と本屋に行けば当たり前のように立ち寄るが、篠には縁の無いコーナーなのだろう。


 手を引くままに、篠がついてくる。見てみたいのだろうか。バレーの本なんて見て、なにか楽しいんだろうか。表情が見たくて上から見下ろすが、キャップのせいで篠のつむじも、表情も見えなかった。


 キャップのつばに、手が伸びる。

 ひょいと篠のキャップを取り上げると、篠と目が合った。長い睫毛に縁取られた瞳は、いつもより大きい気がする。目の周りも頬も唇も、学校に来る時よりも丁寧に化粧が施されている。


「あ、すみません。見えなくて」


 違和感と、ほんの少しの淋しさを感じ、勝手にキャップを脱がせてしまった。颯太がもう一度かぶせようとしたが、篠は小さく首を横に振った。


「颯太、入れて」


 背中を向け、リュックを指さす。颯太は自分のキャップの上に篠のキャップを被ると、篠のリュックのファスナーを開けた。自分の頭からキャップを取り、リュックの中を見ないように、そっと入れる。

 篠と繋いでいる手を離せば、簡単にできることはわかっていたが、離しがたかった。


 キャップを脱いだ篠は、前髪が少しぺったりとしていた。はにかみながら自分の前髪を指で整えている。


 手を引いて、スポーツ雑誌のコーナーに連れて行く。颯太が指さして、自分が買った本を教えると、篠がすっとそれを取った。


「これ買う」

「――え!? あ、いや、読むならうちの貸します。もう読み終わったんで」


 まさか買うとは思っていなかった。篠が読んで面白いことなど、何一つ書かれてないに違いない。

 勧めた感じになっているのではと慌てる颯太に、篠はきょとんとしたが、一つ頷いた。


「じゃあ……なんか他に、貸せないような本、買った?」


(いやそりゃ、買ったけど。貸せないような本)


 まさかそういう本を見せろと言っているわけでは無いだろう。

 スポーツ雑誌の奥にある、肌色の多いコーナーから必死に目を逸らしつつ、颯太は言葉を絞り出した。


「……ええと……辞書、ですかね」

「どれ?」

「――買うんですか?」

「さすがに辞書は買わない」


 篠が笑うと、颯太はホッとして学習コーナーの方に連れて行く。肌色コーナーからも、自然と逃げられた。


 つい先日買った辞書を手に取ると、篠に差し出す。

 流石に辞書は片手ではどうにもならなかったのか、少し時間が空いた後、手がすっと解かれた。


 繋いでいた場所が湿っている。クーラーで冷やされた空気が当たると、汗ばんでいた手のひらがひんやりとした。ぬくもりが無いことを、過剰に実感させる。


「これ……見やすい」


 ショックを受けた顔で篠が言った。漫画なら、ガーンという文字を背負っている。


「使いやすい辞書探すの好きなんです」

「颯太、頭いいの?」

「普通くらいは」

「普通にできる子は、普通にできるとは、多分言わない……」


 更に大きなガーンという文字を背負った篠に、颯太は慌てる。


「……え。なんでショック受けてるんですか?」


「頭は、私の方がいいと思ってた……」

「いや、先輩のほうが上ですよ」


 篠の成績を知らないため、その場しのぎで言ったことがバレたのだろう。辞書を開いた篠が颯太を見上げ、じろりと睨み付ける。


(可愛い)


 睨まれたのは初めてだった。


(こんな顔もすんのか)


 思わず笑みがこぼれる。

 睨んでいる篠の目元に、親指を這わせた。


 顔を撫でられる犬のように、篠が目を細める。いつもの笑った顔に似ていた。颯太はたこのできた手で、篠の頬をぐにぐにと撫で回す。


「颯太?」

「もう睨んでませんか?」

「もう睨んでない」


 笑って言う篠から、手を離した。篠の言うとおり、もう怒っていないようだった。撫でている時の表情とほとんど同じ、笑った顔をしている。


「あとは何を見るんすか?」

「文庫本見たい」

「はい」


 篠が颯太の手に指を絡める。


 颯太はぎゅっと握り返した。





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