第14話 「わんこ、喜んでたね」「うん」


 ホイッスルが鳴り、試合が終わる。


 その瞬間、篠はチームメイトにつぶされていた。前と後ろから抱きつかれた篠は、更に三人目に押し倒されて、床の上に転倒している。

 もみくちゃのぐしゃぐしゃになっているというのに、勝った彼女達は嬉しそうに笑っていた。


「あははっ、待って、あははっ!」


 楽しそうな笑い声が聞こえた。篠のあんな声を聞くのは初めてだ。友達にしか見せない顔で笑う篠を、颯太は穏やかに見つめる。


「篠。あんたのわんこ来てるよ」

 ひとしきり勝利を味わった後、由貴が篠に声をかけた。


 そうだったとばかりに、篠がこちらを向く。颯太が胸の前で手のひらを見せると、篠がぱぁっと笑顔を見せた。


「ナラ君!」


 観戦していた友人からタオルを取った篠が、一目散に駆けてきた。


 走って来ながら、篠は両手を伸ばしてきた。ハイタッチかと思い手を当てると、そのままぎゅっと握り込まれる。

 勢い余ったのか、篠が倒れ込んできた。颯太は篠の両手を動かして力を逃がし、難なく受け止める。互いの両手を握り、颯太の胸に篠が飛びつくような形になった。


 周囲が一瞬ざわっとしたが、元々騒がしい体育館のため、すぐに気にならなくなった。


「見ててくれたんだね!」

「はい。見てました」


「勝てたよ!」

「おめでとうございます」


「ボールも取れた!」

「頑張ってました」


「うん! 頑張った」


 篠は真上を見上げながら、颯太は真下を見下ろして、会話を続ける。昨日のように頭を撫でたかったが、手をぎゅっと繋がれたままだったので、撫でることが出来なかった。


 篠は颯太の両手を掴んで、にこにこしたままだ。運動したばかりだからかいつもよりもずっと溌剌で、元気に報告している。


 体操服姿を初めて見たかもしれない。ところどころ、汗で髪が顔に貼り付いていた。


「森尾君と舛谷君も見てくれてありがとう。皆は何時からなの?」

「俺は卓球なんで、午後からです」

「俺とナラは次の次、このコートっすね」


「次の次……」

 篠は体をぐんと伸ばして、ステージの横にあるホワイトボードを覗き込んだ。手を離して見に行けばいいのに、見難そうな姿勢のまま、目を細めている。


 予定表を見た篠のにこにこ笑顔が、一瞬でスンッとなる。


「嘘……」


「試合、被りましたか?」

「ううん……その時間、私、委員会の仕事頼まれてて……」


 颯太の試合を観戦することが出来ないのだろう。

 これほどわかりやすく、絶望している顔を見たのは初めてだ。


「俺も頑張るんで、先輩も頑張ってくださいね」


 篠はわなわなと唇を震わせ、颯太を見た。何故か知らないが、まるで咎められているような視線に、うっと言葉が詰まる。


「――舛谷君」


 颯太の手を離した篠は、緊張した面持ちで舛谷の前に立った。これから切腹を言い渡す殿様のような顔をしている。舛谷は颯太よりも八センチ身長が低い。その分、篠とは目線が近かった。

 神妙な顔で篠は舛谷に言う。


「お願い。ナラ君の写真を、撮ってきてくれませんか」


 颯太はぎょっとする。


「オッケーです。シュートしてるところ、バシバシ撮ってきますね」


 更にぎょっとして舛谷を見た。バシバシシュートを決める予定など皆無だったからだ。


「お願いね。絶対ね!」

「任せてください」


 喜色を浮かべ、涙を流さんばかりに喜んでいる篠に、舛谷は笑いながら頷いた。


 直史は人当たりがいいため女子は話しかけやすいらしい。颯太と話す時はガチガチな女子も、直史だとすんなり会話が出来る。


 颯太は篠をじっと見つめた。颯太に見られている事に気付いたのか、篠がこちらを向く。


「――あれ、ナラ君。体育館暑かった? 汗かいてる」

 篠は首にかけていたタオルを手に取ると、颯太の頬に押し当てた。ふわっとしたタオルが、優しく颯太の汗を拭き取る。


「そのタオル使って。私もう一枚持ってるから」


 篠がタオルを颯太に押しつける。颯太は反射的にタオルを受け取ってしまった。


「え? いえ――」

「委員会の仕事があるから、もう行くね。皆頑張って。また後でね」


 小さく手をふりふりして、篠は走って行った。ネットをくぐると、篠を待っていた友人に話しかけられている。


 篠のタオルを持ったまま呆然としていると、竜二が肩を寄せてきた。


「なあ、ナラ」

「なんだよ」

「ちょとそれ貸して」

「なんで」


 いい予感はしなかったが、一応聞いてみた。


「匂い嗅ぐ」

「……は?」

「だって絶対いい匂いするだろ!? 首にかけてたもん! 最悪汗のにおいが無くても、篠先輩ん家の柔軟剤のにおいがするだろ!?」


「きもっ……」


 心で思ったことが、そのまま口をついて出た。ドン引きする颯太に、竜二が涙声で語りかける。


「何だよお前だって! 俺らがいなかったら、絶対嗅いでるだろ!?」


 颯太は竜二に呆れた目を向けたが、最後まで否定はしなかった。




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