第4話 「スカーフどうしたの?」「後で届く……予定」

 昼休み、颯太は二階に上っていた。


 二年の教室へ行くのは勇気が必要だ。必要も無いのに廊下をうろつけば文句を言われる。上下関係の厳しい運動部に所属する颯太は、特に避けたい道だった。


(でも、持ってるままってわけにも……)


 本当は朝一で持って行けたらよかったのだが、朝はギリギリまで朝練があっている。当然、二階に上る余裕など無く、昼休みとなってしまった。


(困ってんだろうな……)


 手に持っていたのは、女生徒のスカーフだった。


 今朝自転車の籠に鞄を入れる時に、女生徒のスカーフがちょこんと居座っていることに気付いたのだ。全く身に覚えはなかったが、昨日篠を家まで送った際に、何かのきっかけで籠に入ってしまったのだろう。


 たかがスカーフだ。


 何の戸惑いもなく渡せばいいのに、昨夜布団の中でもんもんとしてしまった手前、彼女の衣服――たかがスカーフも当然衣類に含まれる――を手にしていることに、罪悪感が刺激されてならない。


(いやさすがに、もう渡さねーと)


 二階へ上る躊躇とは別に、やましさも抱えていたために、つい昼休みまでずるずると引き延ばしてしまっていた。


(二の三って言ってたっけ……)


 廊下を歩き、一つずつ教室を確認していく。


(二の一、二の二、二の三……)


 教室の入り口の上にある室名札を見ながら歩いていた颯太は、ついに三組まで辿り着いてしまった。


 今のところ、誰にも「なんで一年が」と気にはされていないようだった。制服や上履きは全学年で共通しているし、身長のおかげでバレていないのかもしれない。

 ほっとしつつ教室を覗き込むと、篠はすぐに見つけられることが出来た。


「なあ。なんで今日スカーフしてねーの?」


 篠の前の席に座った男が、篠に話しかける。椅子の背もたれに手をついた男の話しぶりからして、親しげに見えた。


 しかし篠は男に返事をする事無く、窓際の席で肘をつき、窓の向こうを見つめている。


 その顔はひどく冷めていて、颯太は一瞬、別人かも知れないと思った。階段から落ちた時はショックに表情を凍らせていたが、昨日会ったふわふわ笑顔の篠とは、似ても似つかないように思えたからだ。


 だがもちろん、あんな天使が下界に二人と存在するわけもない。正真正銘、窓際に座っているのは篠だった。


(あんな顔もするんだな)


 颯太は教室の入り口から、少し声を張った。 


「あの、すみませ――」


「ナラ君!」


 下界の騒音など何も聞いていないかという風に、静かに外を眺めていた篠が、こちらを向いてパッと笑顔を見せた。


 がたんっと音を立てて立ち上がり、目の前で慌てる男子など目に入っていないかのような足取りで、一直線に颯太のもとに来た。


「こんにちは、どうしたの?」


 駆け寄ってきた篠の胸元には、スカーフが無かった。スカーフが一つ無いだけで、装甲が剥げたように、ひどく無防備に見える。


「すみません。これ、篠先輩のですよね。なんでか俺の籠に入ってたみたいで……」

「無くて困ってたの。届けてくれて、ありがとうね」


 先ほどの表情が嘘のように、篠はにこにこと笑っている。こちらまで釣られそうになりながら、颯太はスカーフを差し出した。


 しかし、篠は受け取らない。

 にこにこと笑ったままの篠に、颯太は首を傾げた。


「篠先輩?」


 首を傾げた颯太と同じぐらい、篠は首を傾げて言った。


「つけて?」


「へ?」


 意味が理解出来ずに、素っ頓狂な声が出る。篠はセーラー服の襟を持つと、うなじを見せるように首を倒した。


「ここ、スカーフ入れて。三角の、大きな角のところを、入れてくれたらいいから」


「え?!?」


 戸惑う颯太の前で、篠はずっと俯いて待っていた。周りの生徒達が、男子に頭を下げている篠を見て、なんだなんだとざわめき出す。


 颯太は慌てて言われたとおりに角を襟に入れた。これであっているのかわからないが、間違っていたとしても、文句を言われる筋合いは無い。


 そう思っていたはずなのに、顔を上げた篠の「へへへ」と笑った顔を見ると、文句を言われてもしょうがないと思ってしまった。


「結んで」

「……それも、俺がっすか?」

「うん」


 何でですか。そう聞けばいいのに、にこにこと笑う篠に、何故か問うことが出来なかった。


「……結んだこと無いんで、下手だと思います」

「うん。いいよ」


 何がそんなに嬉しいのか、篠はにこにこと笑っている。観念して、颯太はぶらりと垂れ下がっているスカーフの両端を摘まんだ。


「……どうやるんすか」

「普通に固結びして……」


 颯太が手を動かすと、篠が指示を出す。不慣れなことをする上に、場所が場所だ。服にも胸にも一切手を触れないように、慎重を期して手を動かす。


 手元を真剣に見ているために、顔は見えなかったが、指示はやはり、軽やかな、甘い声。


「……出来ました」


「ありがとう」


 スカーフが歪なリボンになっているというのに、篠は軽く首を傾けて、心底嬉しそうにふわふわと笑った。


 今晩も寝不足が決定してしまった颯太は、天を仰ぎたかった。




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