第2話 「部活後に行け。帰りは送らせろ」「がんばる」
部活を終え、部室の戸締まりを終えた颯太は、同じ一年と駐輪場に向かっていた。七時を過ぎていても、五月の空はまだ明るい。
「ナラ君」
大きなスポーツバッグを肩から担ぎ、冗談を言い合っていた颯太は動きを止めた。
特別大きくも無いのに、耳の隙間から入り込んだ声はしっかりと颯太の鼓膜に届いた。
「……え? ――あ」
(――篠先輩? なんで、こんな時間にここに?)
部室棟の陰にいた女生徒を見つけ、颯太はぽかんとした。確か名前は、間違えていないはずだ。
「少しいい?」
「あっ、はい」
骨の髄まで身についてしまった「上級生には逆らってはいけない」という教えが、疑問を抱かせる間もなく、颯太を頷かせていた。
「悪い。鍵頼んだ。先帰ってて」
横にいたチームメイトに、部室の鍵を渡す。
チームメイトは目をぎょろりとさせ、颯太を唖然と見たまま、鍵には一度も目をやらずに受け取った。
ぎょっとしていたチームメイトらは、ようやく意識を取り戻したかのように、颯太を取り囲む。
「お前なんだよ、アレ。誰だよ」
「美人すぎじゃね。何? ナラの姉ちゃんとか? そうだよな? そうだって言えよ」
「まじ可愛い。びっくりした。まじ可愛い……え? 橋木環奈レベルで可愛い」
「ふざけんなよ! ナラのくせに! 振られてしまえ!」
男なら、女生徒と話すだけでやっかまれたりもするが、その相手が篠であれば、目線一つ送られるだけで恨まれることだろう。現にチームメイト達は、颯太にわけのわからない罵詈雑言を放ち、駐輪所に向かった。
見苦しいところを見せてしまった颯太は、若干気まずさを感じながら、篠に向き合う。
「どうかしましたか?」
「ごめんね。ナラ君が、バレー部だって聞いたの」
待ち伏せのようになったことを謝っているのかもしれない。颯太は真顔で返事をした。
「いえ、問題無いです」
「体、あれからどうも無い?」
「はい」
「むちうちとかは後で来るって聞いたから」
その時、颯太は篠が紙袋を持っていたことに気付いた。篠が紙袋の中身を見せるために、颯太に近付く。
篠の小さく細い肩が、颯太の胸にぴたりとくっついた。紙袋の口を開き、指をさす。桜色の爪が、見慣れたパッケージを摘まんだ。
「普段、ナラ君の使ってるメーカーがわからないから、適当に買っちゃったんだけど、肌が弱かったりしない?」
「丈夫です」
篠が見せたのは湿布だった。
部活で酷使する体に日常的に貼っているため、これは非常に嬉しい差し入れだ。成長痛もあるので、湿布は手放せない。手に入るなら何でも嬉しかった。
「よかった。使って」
「ありがとうございます」
「部活してる子を、とんでもないこと巻き込んじゃったなって……大会とか、あるんでしょう?」
「そうすね。でも篠先輩軽かったし、本当に何も無いので」
安心させるために、颯太はゆっくりと言った。篠はほっとしたように、頬を緩める。
緊張していたのか、ほとんど真顔だった篠が、ふわわっと笑った。そのことに何故か衝撃を受けて、颯太は固まる。
「それとね、甘いのとしょっぱいの、どっちが好き?」
「え? ……どちらかと言えば、しょっぱいほうが」
「じゃあ、これは助けてくれたお礼に。甘いのは、ご家族にあげて」
紙袋の中には、湿布以外にお菓子も二種類入っていた。
近所の有名なせんべい屋で買ったのだろうおかきと、可愛らしいラッピングに包まれたクッキーが入っている。
「いえ、そこまでは……申し訳無いですし」
颯太が辞退しようとすると、篠はにこっと笑った。菜の花が咲いたような可愛らしい笑顔を浮かべ、小さな手で握っていた紙袋を突き出す。
「美味しく食べて」
「……ありがとうございます」
何故か拒否し続けることが出来ず、颯太は受け取った。にこっと笑っていた笑顔が、さらににこにこになっている。
「こちらの台詞だから。命の恩人だよ。本当に、ありがとう」
確かに、打ち所が悪ければ、そういったこともあるかもしれない高さだった。いつもはボールを落とさないように、コートで懸命になっている颯太は、あの時は篠を落とさないことに必死だった。
「じゃあ……部活帰りに、引き留めてごめんね。帰らなきゃね」
「はい」
至近距離にいたままだった篠が、そっと颯太から離れる。颯太は駐輪場の方に歩き出した。
「自転車? ナラ君、家は近いの?」
「はい。チャリで十分かからないぐらいです。……篠先輩は?」
尋ねられたから、尋ねた。
篠は道路を指さす。
「こっち。歩いて十五分くらい」
初夏の夕暮れはまだ明るいが、女生徒を一人で帰らせていいものか、颯太は迷った。
特に篠は、竜二と直史はもちろん、チームメイトも騒ぐほど可愛い容姿をしている。
「……送ります」
義務感からそう言えば、篠は自転車の鍵を開ける颯太を見て、ふわわっと笑った。
「ありがとう」
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