第7話 告白
「私の話、聞いてくれる? ただの言い訳になっちゃうけど……」
数分の後、少し落ち着いたらしい彼女はそう言った。勿論、拒む理由など無い。
「ああ。ちゃんと、話してくれ。俺は、記憶を失くす前、何があったのかちゃんと知りたいだけだから」
「うん」
彼女は俯いたまま、ぽつりぽつりと語りだした。
「私ね、君の事が好きだったの。君も、こんな事自分で言うのもなんだけど、多分私が好きで。私たちは、結構距離が近かったと、思う」
確かに、日記にはまるで恋人のような仲睦まじいやり取りも残されていた。
「でも、ね。お父さんが、私に家を継いで欲しいみたいで。結婚も、お父さんが決めた人とさせるつもりらしくて。それで私、『高校では恋愛しない』って、君に言っちゃったんだよ。だって、いつか絶対別れなきゃいけない事がわかってるのに付き合うなんて、私には出来なかった。幸せな夢を見たくなかったの。覚めるのが辛くなるだけだから」
そう言えば、彼女の家庭事情は難しいようだと、日記に書いてあったっけ。詳しい内情までは分からなかったけれど。
しかしそれならどうして、彼女はあんな嘘を。
「君が事故に遭ったって聞いて、頭が真っ白になったの。もう二度と、会えないかもしれないってすごく怖くて……それで、思ったの。もし、君が居なくなってしまうのだとして、私たちがお互いに好きだった事を、一緒に過ごした時間を、証明する物が何も無くなってしまうんじゃないかって。私は誰か他の人と結婚して、誰も、君との事を覚えてなくて……って、もしそうなったら、私たちの想いは無かったことになってしまうような気がして、怖くてたまらなくなったんだ」
みくるが、恐る恐る俺を見上げてくる。そして、へにゃりと笑った。
「君が記憶を失くしたって聞いて、魔が差しちゃったんだ。今を逃せば、もう二度と君と幸せな時間を過ごす事が出来なくなるんじゃないかって。そう、思って」
何も、言えなかった。忘却を恐れた彼女に、何もかも忘れてしまった俺が言える言葉など、ある筈もなかった。
俺たちはただ沈黙したまま立っていた。痛いくらいの沈黙が耳を劈く。
風が吹き込み、彼女の髪が揺れる。
「……あ、あのね」
先に沈黙に耐えられなくなったのは、みくるの方だった。やおら足を踏み出し、身体を俺の方に寄せる。
「私、確かに君に嘘を吐いた。でも、それでも、私がずっと君を好きだったのは、それだけは、嘘じゃない! それだけは、お願い、信じて……」
間近で見たその目は、濡れていた。消え入りそうな声で囁かれた懇願。
「みくる……」
上手い言葉を見つけることの出来ない口は、意味もなく彼女の名前だけを吐き出す。
ああ、なんて情けない。大事な時に限って、俺は何も出来ない。面倒を避けて、楽な方へと流されて生きてきた。その末路がこれだ。
今、俺に出来るのは、拙い言葉を少しずつ零すことだけ。それさえ出来ないのなら、この先彼女の隣に居る資格など無い。
「君の写真、見たよ。俺がたくさん写ってた……俺の事、いつも見ててくれたんだって、そう思った。それはきっと、俺を好きでいてくれたから、出来た事なんだろうって」
みくるが小さく息を飲む音が聞こえる。震えるその手を取り、両手でしっかりと包み込んだ。
「俺も、君が好きだ。目が覚めたら、一人ぼっちで、誰も分からなくて。それでも、みくるが傍に居てくれたから、隣で笑ってくれたから。すごく、救われたんだ」
君を、そっと抱きしめた。小さな体は、ほんの少し力を込めたら壊れてしまいそうで、不安になる。
「嘘は、良くない」
「そう、だね……ごめん」
「だから、もう終わりにしよう」
「……うん」
沈んだ声が耳元で響く。ああ、そんな絶望したような声を出さないでくれ。俺は、君の笑顔が何より好きなんだから。
「そうしたら」
君を幸せに出来るだろうか。
分からない。ただ、今伝えるべき言葉を、形にするだけだ。
「そうしたら、俺と、今度こそちゃんと、正しく『恋人』になってくれないか」
幸せにするだなんて、確約は出来ない。俺は、一度君をきれいさっぱり忘れてしまったのだから。それでも、君が隣で笑っていてくれるなら、どれだけ幸せだろうと思った。
君が、もし俺を好きでいてくれるのなら、その想いに応えたいと思った。
「いい、の……?」
怯えを孕んだ声。戸惑うように彼女が腕の中で身じろぐ。
「ああ。ちゃんと、今までの事を精算して。そしたら、二人で前に進めるような、そんな気がしたんだ。君と、一緒に生きたい」
「私で良いなら……喜んで」
おずおずと、彼女の腕が俺の背に回される。かすかな嗚咽が響く。
窓の外では、夕焼けが地平線の向こうへと去り、群青の空に一つ、一番星が輝いていた。
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