第2話 新しい日常

「柊人君、この前の作業の続きしたいんだけど、放課後空いてる?」

「空いてるよ。俺は帰宅部だし、基本暇だから」

「そっか、よかった」

 日森ひもりみくる。あの病室で、俺の恋人を自称した少女。彼女は俺と同じクラスだったらしく、学校に復帰してからも色々と世話を焼いてくれた。

 特に、クラス内の人間関係がさっぱり分からない俺に、仲のいい人や話しかけない方が良い相手なんかを教えてくれたのは助かっている。彼女が居なければどこかで誰かの地雷を踏み抜いていたかもしれない。

 目が覚めたあと、俺は医師に、逆行性健忘と診断された。自分自身や、世間一般的な常識に関する記憶は残っているものの、家族を含めた他人に関する記憶が全て抜け落ちてしまった。

 両親は無理をして思い出さなくても良いと言ってくれるし、大学生の姉も素っ気ないながら気を使ってくれている。恵まれた家庭に育ったのだと、そう感じた。

 家族やみくるのおかげで、記憶を失った割には真面に生活できていると思うのだ。


 放課後、二人きりの教室。窓から吹き込む風に、カーテンが揺れる。朱色に染まった葉が舞い込み、机に落ちる。

 どうやらアルバム委員は俺とみくるの二人だったようで、俺たちは目の前の机いっぱいに写真を広げて、アルバムに載せるものを選んでいた。

「えっと、この辺は私が撮ったので、こっちが君の。あとは業者さんが撮ってくれたやつかな」

 みくるは、写真を撮るのが上手い。彼女の撮った写真は、業者に依頼したものと比べても遜色の無い出来栄えだった。なんでも、写真部に所属していてコンクールで賞を取ったこともあるらしい。

 素人の俺が撮った写真とは大違いだ。

「やっぱり、みくるのが上手く撮れてるんじゃねえの? 俺の入れたら浮きそう」

「そうかな……他のクラスのアルバム委員には写真初心者も居るし、大丈夫だと思うけど。それに、如何にも『生徒が撮りました』って感じのも入れといたら味があっていいんじゃない?」

 暗に技術面では全然駄目だと言われてしまった。まあ、彼女のこういうはっきりした物言いは、嫌いじゃない。人の顔色を伺ってばかりの俺には無い物で、眩しい限りだ。

「それに、最近のやつはかなり良くなってたよ。ここにあるのは半年くらい前のだけだけどさ。あの時はまだ、カメラ触るの自体初めてみたいだったじゃん。これから撮る写真は、きっと素敵な物になるよ」

 みくるはそう言って、俺の撮った写真を手に取る。文化祭の写真だ。メイド服で接客する彼女の姿を、少し遠くから捉えたもの。若干ピントが合っていない、拙い写真。

「そう、だな。カメラの扱いは忘れてないし」

「うんうん。よかったねえ、勉強した事忘れてなくて」

「ああ。おかげで学校にもすぐ戻れた」

 微笑みながら俺の撮った写真ばかり眺めている彼女が、愛おしい、と思う。

「それにしても……君の撮った写真、私ばっかりじゃない。四分の一くらい私だったよ」

 からかうような口調。頬に熱が集まる。

「そんな事今の俺に言われても知らねえよ!」

「ふうん?」

 注がれるジトっとした視線に耐えきれなくなった俺は、小さく咳払いをしてから、言葉を続けた。

「……まあ、その、好きだったなら、つい目が行っちゃうとか、そう言う事もあるんじゃないのか?」

「へえ、私に見惚れてたってわけだ? 嬉しい事言ってくれるんだね」

 にやりと笑うみくる。クラスメイトには、見せない表情だ。彼女は大抵の人にふわふわと明るい微笑を向けるから。こんな悪そうな顔をするのは、俺の前だけ。

 ほんの少しだけ、優越感に浸ってみる。

「そろそろちゃんと選ばないと、日が暮れるぞ」

「はいはい」

 照れ隠しにそう言うと、みくるは大人しく写真の選定を始める。写真という物に関してあまり詳しくない俺は、彼女に頼りきりだ。流石に自分の技術が拙いのは自覚したが、細かい差異なんかはまだよく分からない。

 手持ち無沙汰になってしまった俺は、写真を見比べる彼女を眺めていることにした。

 みくるは、可愛い。恋人だからとかそういう贔屓目を抜きにしても。少なくとも、クラスの人気者になれるくらいには整った容姿を持っている。

 だから、カーテンの隙間から差す夕陽を受けて飴色に染まる髪が、きらきらと輝く瞳が、よく映えていた。

 思わずポケットからスマホを取り出して、カメラモードを起動した。グリッド線の入った画面を見て、位置を微調整する。彼女が一番綺麗に見える位置、角度、明るさに設定して、撮影ボタンを、そっとタップした。

 カシャ、と音がする。みくるがぱっとこちらを振り向く。そして、照れくさそうに笑うのだ。

「もう、何撮ってるの?」

「いや、その……綺麗だな、と思って……つい」

 その瞬間、彼女の頬にさっと朱が差した。外の燃えるような夕陽と比べても遜色ないほどだ。

「もうっ! 恥ずかしい事さらっと言わないでよ!」

 照れて怒る姿さえ愛しくて、もう一度シャッターを切ってしまう。

「撮らないでってば!」

「ごめんって」

「……帰りに駅前のカフェでなんか奢ってくれたら許す」

「それは、一緒に行きたいって事でいいのか?」

「君がそう思うならそうなんじゃない?」

 交わされる恋人らしいやり取り。事故で記憶を失くしてから、もう一ヶ月になる。その中で、俺たちは少しずつ小さな幸せを、安寧の日々を、積み重ねて行く。

「ほら、寄り道すんなら早く終わらせるぞ」

 選定作業のために一通り確認したけれど、みくるの写真だって俺を映したものが何より多いのだ。

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