第5話 後悔

「こ、こんなの上手くいくんですかね……?」


「んにゃ~わかんないね~。こういうことには全く目が利かないから、私どうしたらいいかわかんないよ~。頼んだ!二条キュン!」


「おい! 散々俺に女っ気がないとかほざいてたのになんで俺に任せるんだ! 萌木会計! 頼む!」


「え、ええっ⁉ 私も『信用できる男性』を見分けるのなんて無理ですよ!――あっ、藤宮さんがこちらに合図出してます! 来ますよ!」


 校舎裏の雑草が生えた小さなスペースに藤宮は一人凛として立っていた。

 そしてその藤宮を、生徒会の三人は影で見守っているのである。ギリギリバレない程度の位置で、尚且つ会話内容が聞こえる程度の距離。半分盗み聞きではあるが。


「澪のやつ……本気かよ」


 二条は呟いた。悔しさや苦しさからではない。心底驚いて、それでもまだ信じられていないだけだった。


 二条にとって、藤宮澪との関係は公的には「許嫁」である。字面だけ見れば対等である。二条の両親は財閥でもなければ権力者でもないので、別に息子に許嫁が居ようが居まいが関係はないが、藤宮財閥の跡取りとも成り得る藤宮澪にとっては許嫁の存在は「抑止力」として大きな意味を持っていた。そういう意味では、対等ではないが。

 そして、私的に言うなればその関係は、「一方的な依存」と言うことが出来た。

 藤宮澪から、二条透への一方的な依存である。

 二人の間でだけ交わされた小さな約束。二条は、そのことを思い出していた。

 幼き日の、大切な記憶。


 高校に入ってから、めっきり関わることが無くなってしまった藤宮との関係に、二条は心が締め付けられるのを感じた。


「どした~? 二条キュン、心臓でも痛いんかい?」


「いや、気にするな。なんでもない」


「あ、あれです! 二人とも!」


 萌木が小声ながらしっかりとした声で指さす。

 凛とした藤宮に、一人の男子生徒が近づているのが見えた。ごく普通の、男子生徒だった。


 二条の胸が引き裂かれるように痛む。あの日を思い出して、切り刻まれる。顔を歪めて、それでも『依頼』に誠実にあろうと、木陰に佇む藤宮と男子生徒に、目を向ける。瞬きもせず、険しい目つきで、見据える。


(澪……本気なんだな)


『透は……私の事、嫌い?』


 浮かび上がる過去の記憶を二条は必死に掻き消した。


 藤宮と男子生徒は互いに俯きながら、恥じ入りながら会話をしている。

 二条の耳には彼らの会話はあまり入ってこなかった。


 放課後校舎裏。涼やかな秋の風が吹き抜ける木陰。


 二条は昨日、つまり藤宮が生徒会室に突然やってきた時のことを思い出した。

 藤宮の大切な、『依頼』のことを。


 ***


「結婚を前提としたお付き合いの出来る、彼氏が欲しいんです!」


 真剣な顔つきでそう言う藤宮を二条は驚き顔で見つめたのだった。

 精々この生徒会に寄せられるのは部活動設備とか、環境整備がメインで個人的な悩みに関しては、まだ日も浅いことからそう多く寄せられてはいなかった。

 そんな中での、この依頼であったのだ。


「お、おい澪、一体どういう……」


「もう、透には迷惑かけたくないから」


「え、なに? どゆこと? 許嫁の二条キュンが居るのに、彼氏? はひ?」


 不動と萌木はまたも混乱し始める。


「そ、そうはいってもだな、澪、お前は――」


「もういいの、透。私が決めたことだから。――私の依頼、受けてもらえますか?不動さん」


 二条の言葉を遮るように言う藤宮に、二条は委縮する。それほどまでの彼女の決意を見たこと自体、二条にとっては初めてだった。

 自信のない女の子。それが二条の持つ藤宮の印象だった。


「受けてもらえるかって言われても、私らは何したらいいのかな? それによるかもだね」

 

「私が皆さんにお願いしたいのは、要は確認、いえ、――点検と言うべきでしょうか」


「――点検?」


 ***


「いやしかし、藤宮さんの依頼が『告白してきた男』を見定めることだったなんて、驚きだよね~」


 木陰の二人を見守りながら、不動は言った。


「ホントですよね。てっきり二条さんと許嫁の方だからもっとお堅いお仕事かと思ってました」


「……」


 そう、藤宮の依頼とは「自分に告白してきた男」が信頼可能かどうか見極めてほし、というものだった。

 藤宮財閥の正当な跡取りとして、形も伴った結婚をやはりするべきだ、というのが藤宮の決断だったのである。許嫁の存在を消滅させ、「彼氏」を作り、結婚する。

 学生同士の恋愛と言えど、財閥の時期跡取りとして、不要なスキャンダルは避けねばならない。それ故の「点検」であった。


「まあ、見定めれるレベルなんてたかが知れてるだろうから、ヤバい奴でさえなければ大体良いんじゃないかなっておもんだけど、萌香ちゃんはどう思う?」


「いや~そもそも見た目とちょっとした会話だけで判断するのは難しいですよね、人間どんな本性があるか分かりませんし……依頼を受けたは良いですけど、結構難しいですよこれ。ねえ?二条さん」


「……あ、ああ、そうだな」


 三人が見つめる視線の先は、甘酸っぱい青春の世界だった。

 互いに顔を赤らめている。


 二条には、やはりその声が聞こえない。どれだけ聞こうとしても、聞こえない。

 脳が、処理しない。


「会長、判断を」


「うーん、問題ない、としか言えないかも。一応あの男子生徒の情報を友達から集めては見たけど、特に変なとこもないしさ~。あとは藤宮さんの選択次第だね」


「了解です。合図返しますね」


 不動と萌木会計の言葉が聞こえた。

 萌木は藤宮に向かって両手で丸を作った。


(違う、あいつのアレは選択なんかじゃない……俺は……俺は……)


 萌木が作った丸は三人から見て、『問題なし』の合図だった。

 二条は何も言えず、何も言わず、ただ胸の痛みをこらえる。


「あ、男子生徒が帰っていきます……」


 二条はその言葉を聞いて、体中から嫌な汗が噴き出るのを感じた。


 視線の先の藤宮は、微笑んでいた。

 顔を上気させて、微笑む。


 男子生徒が見えなくなってから、藤宮はこちらにかけてきた。

 尚も頬を朱色に染めて、乙女のような顔つきで、


「オッケー……しちゃいました」


 嬉しそうに、そう言った。


 



 

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