77話 カレーに合わないものはないというが、これはあまりにも度が過ぎる。

 結局煮込めたのか煮込めてないのか、よく分からないまま俺はカレールーを入れる段階へと進むことにした。

 いや、一応沸騰してるし大丈夫なんじゃない?


 ジャガイモとか食べてみたけど、素材の味を楽しめたしそんな固くなかったからたぶん大丈夫。

 大丈夫じゃなくても俺はあの二人を信頼しているから、きっとおいしい美味しいって食べてくれるに違いない。


 ちなみにみじん切りした玉ねぎの姿はどこにも見えない。

 きっと知らず知らずのうちに大自然の中に返って行ったんだろう。

 元気で過ごせよ。


 もうそんなことよりレイの行動を止める方が大変だった。

 お玉を返してもらおうと取ろうとすると、まるで俺が親の仇か何かみたいに睨みつけてくるし、めちゃくちゃな冷気をぶつけてくる。


 何度か格闘と説得を繰り返して、お玉を取ることには失敗したが背中から降りてもらうことには成功して、何とか悪取りは終了した。

 あとはカレールーを入れるだけだけど、ほんとにこのかけらみたいなやつ8個も全部入れていいの?


 箱の中身見たときはてっきり一個しか入れないもんだと思ったけど、どうやら全部入れてしまうらしい。


 レイの方をちらっと確認するが、彼女はお玉を大事そうに腕で抱えたまま、背中から降りる際にしれっと持って行った塩コショウの容器を興味深そうに眺めている。

 まあこの様子ならさっさと入れてしまえばまたやりたいなんて言い出すこともないだろう。

 俺は一個ずつカレールーの素? かけらを鍋の中に落としていく。


「おー」


 四つくらい落とすともう鍋の中にあるのは完全にカレーっていう雰囲気を醸し出していた。


 なんか感動だな。全然カレーになりそうになかったものが今は見事に『私、カレーですけど何か?』みたいな顔して鍋の中に存在している。

 これを自分が作ったんだと思うとなかなか感慨深いものがある。


「さとるー。これ、あ」


「え?」


 レイとのバトルを避けるために、レイが肩越しに話しかけてくると同時に、とっさに腰を落としてしまった。

 頭上を見上げればシンク横に置いてあったはずの調味料の数々が宙を舞っている。


 脳の処理が追いついていないのか、その光景がやけにゆっくりはっきりと目に映る。

 状況を頭で理解するよりも先に手が動いていた。


 中身をこぼしながら回転する調味料に向かって手を伸ばす。

 気づいたときには、俺の両手には4つほどの調味料が納まっていた。


 すごい、これが火事場の馬鹿力ってやつか?

 だって指と指の間に調味料挟まってるよ? 


 これを空中キャッチしてるって、俺曲芸師にでもなれるんじゃない。

 変な感動を覚えながらそこまで目にして、ようやく俺の頭に理解が追い付く。


 それと同時に一つ残念なことに気づいてしまった。

 調味料の向きが逆さになっている。そして指に挟まっている容器からは絶え間なく中身が重力に逆らわず下に落ちていっていた。


 いやな予感がしながらも、俺はあえて現実を確かめるようにゆっくりと視線を下に落とす。

 調味料たちの行く末は今まさに真のカレーへと姿を変えようとしていた鍋の中だった。


「ぬわああああ!!」


 慌てて、指から離し机の上に置くが時すでに遅し。

 容器の中身は半分ほどなくなっている状態になっていた。

 普段料理はしないけど、使いそうな調味料は揃えている。


 ただし料理はしないからほとんどが新品状態。

 そのはずの各種調味料がそろって半分以上中身がなくなっている。

 ……どこに消えたかなんて考えたくもなかった。


「どうした?」


 俺は現実逃避をするように事の元凶であるレイの方に体の向きを変え、尋ねる。

 レイは居心地が悪そうに手に各種調味料のふたを持ったままもじもじとしていた。


「とれたよって」


 確かにずっと容器触ってたもんな。

 ふたを取ろうとして頑張ってたんだな。


 それで全部取れたから俺にその成果を見せようとして、背中によじ登ってきたと。

 まあ確かに警戒して大げさな動きをした俺も悪い。その動作で容器が手から離れてしまうのも、まあ仕方ないのかもしれない。


 でも一つだけ言わせてほしい。

 ……それ今する必要あった?


「よかったな」


 俺はそんな思いをぐっと封じ込め、レイに無理やり作った笑顔を向け、頭をなでるしぐさをしてみせる。

 多分口元はひきつっているような気がする。


 いや、だってここまで頑張って作ってきたんだから、それなりにショックは受けるわけですよ。


 レイはお玉の上にふたを乗せながらも、しょんぼりとした様子を見せていた。

 あれ? 反省してる? 遊びたいのか反省したいのか、どっちなのかよく分からんぞ。


 まあでも鍋の中に消えていった調味料は別に特段おかしなものではない。

 塩に醤油、それとお酢と七味だ。


 カレーの味にかき消されるような気がしなくもないが、問題はその入ってしまった量。

 半分はまずいんじゃないかなあ……。


 とりあえず俺は残りのルーをつっこんで無心で鍋の中をかき混ぜる。

 お玉はとられているから菜箸で必死にかき混ぜる。

 混ざってるのかどうかは怪しい。


「味見してみるか……」


 正直このカレーを口に入れるのは怖いものがあった。

 見た目は完全にカレーで匂いもカレーの匂いしかしないが、この中には大量の調味料が入っている。


 塩、しょうゆはまだありだと思う。まあ七味も辛さを強めるにはありかなって気もしなくもない。


 カレーにお酢ってなかなか聞いたことが無いんだけど?

 まあカレーに合わないものはないっていうし、とりあえず一口食べてみよう。


 俺はスプーンを手に持ち、心なしか震えている手を抑えながら、鍋にスプーンを突っ込む。

 そしてルーを一掬いしてそのまま口の中に放り込む。

 こういうのは勢いが大事だからね。


「……ごほっごほっ」


 なんだこれ! しょっぱからすっぱい!!

 しかもなんかカレーの味薄くない? 酢を入れちゃって味が薄まってしまったのか?

 なんかもう舌にあるあらゆる味覚が刺激されていて、頭がショートしそうになる。


 ……いやでもまだ時間はある。


 煮込んで調味料成分を飛ばせば、そんなことが可能であれば何とかなるのではないだろうか。

 いや逆にいろんな調味料を入れて味を緩和するというのはどうだ?


 やりようはまだあるのかもしれない。ここであきらめのはまだ早い。

 俺は大量の水を飲みながら、このカレーを何とか食べられるようにしようと固く決意するのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る