3話 ポルターガイストがエスカレートしてますよね。

 トイレの扉とにらみ合うこと数分、扉が開く様子は一切なし。

 心なしか尿意を催してきた俺にとって、現在の状況は不利であるといえるだろう。


 家に帰ってきたら、一人暮らしなのにトイレのカギが閉まっていた。

 そんな未知なる状況に心臓をバクバク……ドキドキワクワクさせながら今トイレに立てこもっている奴と対峙している。


 このままにらみ合いをしていても俺の尿意が限界を迎えて、自宅にいるのにお漏らしをするという最悪の事態を招いてしまう。

 それだけは避けなければならない。たとえ誰も見ていないとはいえ、そんなのは嫌だ。


 しかたない。作戦を変えよう。


「……あのぉ、通報したりしないので、出てきてもらえませんか?」


 …………。


 静寂。完全な静寂。トイレの中から一切の返事が返ってくることはない。

 徐々に自分の耳が熱くなっているのを感じる。というか顔が熱い。

 いや、普通に恥ずかしいよね。一人暮らしなのにトイレに向かって話しかけているとか変人じゃん。

 なんも知らない人がこの場面見たら病院案件だよ。俺なら救急車呼ぶよ。


 ……しぶといな。

 こうなれば作戦Bだ。

 俺は玄関に入ってすぐのところに置いたリュックから財布を取り出して、そこからあるものを取り出す。


「外から鍵の開閉はできないといったな。あれは嘘だ」


 あれ、口に出していったけな? 言ってないかもしれないけどまあいい、ここは雰囲気で乗り切ろう。どうせしゃべってるの俺一人だし。

 

 財布から取り出した丸い銅を目の前に掲げると、思わず口角が上がる。

 だんだんこわく……緊張がほぐれてきたな。


 手に持っているのは何の変哲もない10円玉。

 しかしこの10円玉がキーアイテムなのだ。


 俺はトイレの扉の前に音をたてないように近づくと、そのまましゃがみ込んで鍵穴を見る。

 うちのトイレのカギの外側は丸く縦に穴が開いている。

 そしてその穴にはピッタリ10円玉が刺さる。

 

「そしてこの鍵穴に刺した10円玉を、こうやって回すと……」


 ……カチャリ。


 鍵穴は綺麗に半回転し、鍵の開く音が廊下に響いた。


 勝った。


 俺は素早くトイレから離れて様子をうかがう。

 しかしトイレからは特に何の反応もない。

 何かが飛び出してくることがなければ、扉が開く気配すらない。


 立てこもり犯はさすがにあきらめたのか?

 再びトイレにゆっくりと近づき、ドアノブを掴む。

 途端に鼓動が恐ろしく早くなり、その音が耳の奥で響く。

 手はじっとりとした湿っ気を帯び、額からは嫌な汗が流れだすが、いまさら泊ることはできない。


「開けますよー」


 一応一声かけてから俺は勢いよくトイレの扉を開け放った。


 ……トイレの中には誰もいなかった。そう誰もいなかったのだ。

 しかし目に入る光景はやはりどこかおかしかった。


 トイレットペーパーが便座の中に向かってだらんと伸び、トイレ内の棚に置いていたはずの芳香剤が床に転がっている。


 音の正体はこれか……。

 俺はやけに冷静な頭でトイレに入ると、トイレットペーパーをちぎり流して、芳香剤を元の場所に戻した。


 結局俺は独りでトイレと格闘し、誰もいないトイレに向かって話しかけてどや顔で鍵を開けたっていうことだ。


「……俺はいったい何をしていたんだろう」


 トイレには流しきれなかったトイレットペーパーの端切れとむなしさだけが残っていた。


 フフフ。


 なんか誰かに笑われたような気がするけど気のせいかな。

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