3. 善意の暴力性について
「ほら、光ちゃんも食べて。これすごく美味しいよ」
からあげを勧めてくる町屋さんは、やたらテンションが高くて異様だった。私が始終暗い顔をしているから気を遣っているのか、それとも気まずい空気の中でなんとか身動きを取ろうと必死なのか。おそらく後者だ。
「町屋さん」
「朱音って呼んでよ」
「……朱音さん」
「わー、なにそれ、年下の彼氏みたい」
彼女の言葉に他意はないとわかっている。わかっては、いる。
「今日は話があるんだよね?」
「んー、そう」
からあげを箸で突きながら、町屋さんは曖昧に目を伏せた。ちらりと視線を上げて、また戻す。それを何度か繰り返す。
私は早く終わらせてくれ、と願いながらその様子を観察し、以前優しげに見えた彼女の目尻が、メイクによるものだったのだと気づく。あまり詳しくないのでわからないが、線の引き方が違うのだ。目の端のところが不自然に鋭かった。
「あのね、傷つけてやろうとか思って言うんじゃないけど」と前置きして、町屋さんは口を開いた。下から窺うように。少し顎を引いて。
「光ちゃんって、同性愛者なの?」
私は心を押さえつけるみたいに唾を飲んだ。言葉の中に染み渡るように溶け込んだ、未知の相手との距離を測るようなニュアンス。
「違うよ」
「じゃあ、バイセクシュアル?」
「違う」
町屋さんは首を傾げる。
「でも、女の子と付き合ってたんだよね?」
「そうだね」
「じゃあ、バイセクシュアルじゃないの?」
こういう質問をされるのはもう慣れていたはずなのに、こうして訊ねられるとやっぱりうんざりする。この目が悪意あるものなのか、それともただの好奇心によるものなのか、ともすれば善意によるものかもしれなくて。
いずれにしても、受け取る側はたまったものではないのは確かだ。
「私はビアンでもバイでも、さらに言うとトランスでもない」
「じゃあ何?」
そこに名前をつけることはどうしても必要なんだろうか。
「ちゃんと言ってくれないと、私もわかんないよ」
別にわかられたくはない。そもそも、勝手に踏み込んできたのはそちらだし。それに、わかって、どうするのだろう。次は好みのタイプでも知ろうとするの? おそらく彼女は善意で言っているけれど、それで私の全部を炙り出そうとするの? 善意だったらなんでも許されるの?
「性的マイノリティって、大変だと思うの。だから、少しでも光ちゃんの助けになれないかなって、思ってるんだよ」
押しつけの善意が自己満足でしかないって、どうして学校では教えないのだろう。どうしてそうでない人は、そうである人をマイノリティと呼ぶところから始めるのだろう。みんな違ってみんないいというキャッチフレーズから、見当違いなことを学んでいない?
「町屋さん。ありがとう。また、困ったときには頼らせてよ」
脳内でいくら捲し立てようと、現実の私はこんなふうにささやかな抵抗をすることしかできなくて。私は出来得る限り穏やかな笑顔を作って見せた。
町屋さんはその牽制に気づいたような気づいていないような。「そっか」と笑顔で言って、「いつでも頼ってね」と突いていたからあげをようやく口に入れた。
私も試しに一口囓ってみると、どろどろになった衣が驚くほど不味くて、慌てて水で流し込んだ。
「あ、でもさ、みんなには言わなくていいの? ほら、友達とか。やっぱり隠したまま生きるのってしんどくない? あ、それとももう言ってる?」
だめだこれは、とこのときの私が絶望したのは言うまでもない。
「……言ってないけど、いいんだよ。そんな、言いふらすことでもないし」
「んー、でも、噂が結構広まってるでしょ? ここはこっちからあえて言っちゃったほうが、いい感じに丸く収まると思うんだけど」
いい感じにとは。
「あ、もちろん強制してるわけじゃなくてね。ただ、なんか、同じ人間なのにこんなことで生きづらいのって、ちょっと不公平だなって思ってさ」
「……大丈夫。心配しないで」
「そう? でも、せめて家族とか、仲のいい友達くらいには言わないの? なんか、仲がいいのに隠してるの、心を開いてないみたいで寂しいじゃん」
あなたは私の家族ですか?
口をついて出そうになる。
「大丈夫、いつかはするから」
大丈夫、大丈夫。そう繰り返して、私はその後も町屋さんの言葉をかわし続けた。何も大丈夫じゃないのに。むしろ大丈夫じゃなくなっていっているのに。
話は途中で大学の授業のことなんかに変わって、結局、計一時間くらい町屋さんは喋り続けた。どこからそんな元気が湧いてくるのかは、最早謎だった。
「光ちゃん、またご飯一緒しようね」
帰り際、手を振る町屋さん。夜の街を背景に、その姿はやけに馴染んで見えた。
二度とごめんだ、と思いながら、私は小さく手を振り返した。
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