監視の目

「おいみんな注目!」

 江本俊也が手を打ち鳴らしながら教卓の脇に立つ。


 よく通る声と拍手に思い思いに昼食を取っていた生徒達が教室の前方へ目をやる。

 そこには、格式張った茶色い封筒を高く掲げる渡辺璃空がいた。

「俺生徒会長に立候補して、予算全部野球部に回します!」

「ヒュー!」

「いけいけ!」


 唐突な宣言に室内がざわめきと困惑が包む中、江本の取り巻きの野球部員達がすかさずお上品とは言い難い声援を送る。


 青木に頼まれ四階の教室まで彼らの様子を伺いに来た檜原は、この光景に頭痛を覚えた。



 渡辺璃空と江本俊也は共に、問題児揃い野球部の中でも輪をかけて問題行動が多い事で二年生の間では有名だ。

 警察沙汰などの大事を起こした事はないが、やることなすことがいちいち幼稚で、何度指導しても更生の余地がまったく見られない為、教職員も手を焼いている。


 そして今回、幼稚な悪ふざけの一環として生徒会長への立候補を決めたらしい。


 よく人が良く大らかと言われる檜原だが、この生徒会役員選挙をまるごとコケにするような言動には思わず嫌悪感を抱く。


「ああ教室でもやってる」

 檜原の背後からため息混じりの声が聞こえる。

「わざわざ職員室に来てやってたんだよね」

「ええ見ました」

 そこにいたのは二年三組、すなわち青木、渡辺、江本の担任である国語教師、井上智子いのうえともこであった。


 一見堅物そうに見えてフランクでユーモアのある人柄で知られる歴戦の女教師も、流石にこれには困惑しているらしい。


「確か君監査だったよね。敵情視察?」

「ええそんなところです。青木から頼まれまして」

 渡辺璃空と江本俊也が茶封筒を見せつけて目立ちたい為だけに職員室に入り、所用を果たすのを斜め向かいの生徒会室前から眺めていた青木は檜原に頼み、受付当番を交代する代わりに敵情視察に行って貰ったのだ。


 もともと書類の管理を任されている身ゆえ、当番でなくても受付に顔を出さなければならない青木にとって大した負担ではない為、クラスメイトである青木や野球部の仲間である佐川と比べ、取り立てて接点が無く顔が割れている可能性が低い檜原に行って貰ったのだ。


「ん? どこ行く気だ?」

 ひとしきりパフォーマンスを終えた二人のうち、江本だけが教室を出たのを檜原は認めた。


 普通ならトイレに向かったか、別クラスの友人に会いに行ったというところだろう。

 しかし江本は檜原達の脇を通り、来た道を戻るように階段を降りていった。


 江本を追うか一瞬迷った檜原だが、渡辺の監視を優先しその場に留まる事にした。




「ほんとごめんねうちの部活が」

「いやお前が謝ってもしょうがねえだろ」

 生徒会室前の受付で、野球部員である佐川が青木にそう謝る。


 この学校の野球部は、一昨年までは特に問題のないごく普通の野球部だった。

 確かに、俗に「陰キャ」と呼ばれるナード、ギーグ層が過半を占めるこの学校において体育会系なノリが若干浮いてはいたがそれで確執があったりということはなかった。


 だが、現在の二年生が入部してきてからというもの、野球部は問題児のコロニーと成り果てた。

 無論これを憂う部員も存在するものの、他人の話を虫の羽音位にしか思っていない彼らを相手に半ばお手上げといった状態だった。


「一応何度か言ってはいるんだけど」

「良識を説いても無駄だぞ。はなから奴らにそんなものないんだから」

 今回の件は、野球部良識派の筆頭格である佐川にとって、深刻な頭痛の種であった。


「渡辺はまだいいんだ渡辺は。あれで根はいい奴なんだよ」

「知ってるよ、同じクラスだから。ついでに絶望的に何も考えてないせいで、やたらと周りに乗せられやすい事も知ってるよ」


 渡辺璃空は、決して悪人というわけではない。素直かつ純真なのだが、高校生とはとても思えない無思慮ぶりと注意力の欠如から、しばしばおふざけで済むラインを飛び越えてしまうのだ。要するに悪戯好きの子供がそのまま大きくなったような精神構造の持ち主であった。

 そのようなよく言えば茶目っ気のある性格と、ファッション雑誌にいても違和感がないであろうルックスのギャップゆえか、問題行動にも関わらず運動部を中心に結構なファンがいる。


「問題は江本だな。渡辺が立候補したのもアイツが焚き付けたからだろ」

「ああそうだろうさ。あの野郎自分が立候補するつもりはさらさらないらしい。何かあれば渡辺切って逃げる気だろうよ。自分では勇気があると思ってるのかもしれないが、あんなチキン野郎探したってそうはいやしねえ!」


 恨んで止まない江本の話題となるや、青木の罵倒が冴え渡る。

 もともと変人の部類に入る青木は、二年のクラス替えで江本と同じクラスになるや否や、早々にからかいの標的となった。


 自他共に認める強靱な精神力の持ち主である青木だが、そんな彼にも限界というものはある。さすがに耐えかねフラストレーションを溜めに溜めた結果がこれであった。


「まあ、うん。アイツは確かに何も考えてない訳ではない。むしろ結構そこら辺の頭は回る方だよ。ある程度計算の上でああいうことやってるから質が悪い。何がしたいんだか」

「あいつに論理性なんか求めるなよ。体育会系の陽キャに対する偏見をマジで実行してるような奴だぞ。自分が楽しけりゃそれでいい、やってみたいからやる、論理性もクソもあるか」

「なるほど」

 不快感を前面に押し出しながら早口でまくし立てる青木。

 酷い物言いだが、的確な評価でもある事を認め、佐川は苦笑いを返す。



「おう、俺ら以外に誰か来たか」

 唐突に聞こえた聞きたくない声に思わず佐川と青木は顔をしかめる。


「誰も来てねえよ」

「ふーん」

 怪訝そうな顔を浮かべる佐川と、今にも掴みかからんばかりの勢いの青木を気にも留めず、江本俊也は受付の脇の壁に寄りかかった。


「何しに来た。何の用だ!」

「監視だよ。お前らが不正しないようにな」

 消え失せろと言わんばかりの剣幕の青木に、江本は顔色一つ変えずにそう答える。


 監査委員会と江本らとの火蓋が切って落とされた瞬間だった。

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