第2節 ここにいるための資格

ep.01 敵

 キーンコーンカーンコーン。

 朝礼の鐘を佐藤は遠くに聞いていた。本来だったらクラスの席に着いて、先生からの連絡を聞く時間。けれども彼は見慣れない――といっても転校生の彼にとっては全ての教室が見慣れないわけだが――教室の革張りのソファーに腰かけて、手に汗を握っていた。

 佐藤がいる教室は。何の変哲もない一般的な生徒会室だ。書類がいっぱい詰まったスチール製の書庫や長方形になるように横に並べられた3つの長机などなど、よくあるものが並んでいる。変わったところと言えば、佐藤が今座ってる革張りのソファーとそれ置くことを可能とする教室の広さか。普通の教室の1.5倍くらい広い教室は生徒会室としては広すぎる。

 さて、何故彼が生徒会室に呼ばれたのかと言えば、それは昨晩の出来事の事情聴取のためだった。神代の猛者が集う転生者学園オーネストやその周辺の警備は運営母体である統一政府の下部組織以外に、生徒会や委員会なども担っているようで、安全保障上、生徒会も昨晩起きたことを把握したいとのことらしい。

 ことり、と生徒会室でカップの置かれる音がする。佐藤は反射的に音になった方を振り返る。

 視線の先にいたのは制服を着こんだ優男。転生者学園オーネスト3年、宍道カブラ。転生者学園オーネスト生徒会会長にして覇窮魔王エメルゲート・クイロンフォイツ=ライナンイェフトの転生者である。

 宍道は電子ケトルを持ち上げると問うてきた。


「何か飲むかい?」

「い、いえっ。だ、大丈夫です!」

「あはは。昨日会った時にも思ったけど、そんなに緊張しなくても良いじゃない?」


 宍道は挨拶でもする感じで気軽に言ってくれやがる。自分がどれだけ凄い人物なのかに無知過ぎだと佐藤は思う。


「とりあえずコーヒー淹れるけど……砂糖とミルクは?」

「えっと……それじゃあブラックで……」


 そして「わかったよ」と宍道は言ってコーヒーを入れ始めた。豆が滑る音とお湯が注がれる音が物静かな生徒会室に響く。直に湯気と共にコーヒーの酸っぱい匂いが佐藤の鼻腔に届いた。

 脳が刺激された佐藤はふと気づく。


(魔王にお茶くみさせてる……?!)


 ひょっとして、自分はとんでもないことをしでかしてるんじゃないだろうか。宍道は身分上は学生である。けれども中身は伝説の魔王その人だ。普段は給仕を人にさせているような人間に、コーヒーを淹れさせるとかとんでもない暴挙じゃないか?

 

「あ、あの、四天王の皆さんとかに殺されないですよね、僕?」

「一体何を考えてるか想像を出来るけど、前はともかく『宍道カブラ』は一般家庭出身だからね?」


 コーヒーを持ってきた宍道は柔和な笑みでそう言う。けれども主人である魔王が認めても、配下たちがどう考えるかは別だ。いじめの苛烈さは首魁よりその取り巻きの方が激しいように、魔王本人が思っている以上に配下の思いは大きいはず。この場を見られたら、問答無用で打ち首斬首なんてことになりかねない。

 

「がくがくぶるぶる」

「別にそこまで恐れなくても……」

「何を仰いますか! 〈覇窮魔王〉エメルゲート・クイロンフォイツ・ライナンイェフトといったら、歴史上の重要人物じゃないですか!」


 音を立てて、佐藤友志神話オタクは立ち上がる。


「史上最も広い魔族の支配領域を実現し、先代勇者による先代魔王討伐以降は落ち目立った魔族を復興させた最優の王! そして魔王の代名詞たる魔術の技量は最高レベルを持つと言われていて、現代においても貴方が作った魔術は再現不可能とさえ言われている!!」

「まぁ、支配領域については人族が浮かれてたから楽だったっていう面があるけどね」

「だとしても凄いことです!!」

「うん、ありがと、とりあえず落ち着かない?」

 

 宍道が困ったように笑う。その笑顔に込められた戸惑いに気づいた佐藤はと冷静を取り戻す。


「す、すみません……」

「うん、びっくりしたね」

「それで、えっと魔王様」

「とりあえず過去ではなく現在いまで話そうか」

「……魔王様が僕を呼び出したのって――」

「頑なだね、君」


 だって四天王の皆様が怖いし!

 とはいえそんな些事は置いておいて、宍道は本題を切り出した。


「とまぁ、先に告げた通り、君を呼び出したのは昨晩の事件――魔獣による女生徒襲撃事件について話を聞きたいからだ」


 女生徒襲撃事件、すなわち桜庭ミリヤが襲われ、佐藤友志が遭遇した事件だ。転生者学園オーネストの生徒代表はあの事件の概要について聞きたがっていた。


「学園街オーネスト・タウンの警備体制については知っているかい?」

「一応、一般的な範囲なら」


 学園街オーネスト・タウンの警備は主に3要素によって成り立っている。1つは学園街オーネスト・タウンを覆う広範な結界。2つ目が世界統一政府直轄の平和維持を目的とする治安保全省実行部――通称、大陸守たいりくもり。そして最後が転生者たちである。

 神代の超越者である転生者がいるのだからその他は不要に思えるが、それでも3重の警備が敷かれているのには第8大陸アールマという土地に理由がある。転生者学園オーネストが建てられるまで、アールマは神代から数えて2000年以上にわたって開発が進んでいなかった。つまり学園街が近年に出来上がるまで人類の天敵たる魔獣の脅威が跋扈していたわけである。そして学園街の外には未開発地域が広がっており、神代において転生者の手すら拒み続けた強力な魔獣たちがまだ沢山棲息しているのだ。そのため警備体制は転生者だけではなく3重の警備体制が敷かれている。


「魔獣が学園街へ侵入する際に、最初の障害となるのが学園街を覆う結界――擬界ギカイだ。詳しいことは省くけど、この結界を突破するには極位古龍エベル・ボルニカほどの力が必要になるんだよね」

「本気になれば世界を7日で滅ぼせると言われている方ほどの力ですか?!」


 佐藤の驚愕に、宍道は首肯した。そして続ける。


「となると疑問点が1つ浮上してくるよね」

「あのゲル状魔獣に其処までの力があるかってことですね」


 昨晩佐藤が遭遇したゲル状魔獣。あれには世界最高の強度を誇る擬界を破壊するほどの力があるとは思えない。なにせ歯向かった佐藤が死んでいないのだから。何の力も持たない一般人を、無様に殴り掛かることしかできない学生を容易く消し去れないゲル状魔獣が擬界を破壊することが出来る道理がない。けれども魔獣が学園街内部にいるということは世界最高の強度を誇る擬界を突破してきたことに他ならない。

 であればここに矛盾が生じる。力のないゲル状魔獣が何故擬界を超えて、学園街に侵入することが出来たのか。


「この矛盾を解決するために君の身に起きたことを知りたいのさ」

「あの、でも、事件の概要は既に大陸守たいりくもりから既に伺っているんじゃあ……?」


 昨晩、病院に運ばれた後、大した傷もない佐藤は直ぐに大陸守による事情聴取を受けていた。その聴取内容は同じく学園街の警備体制の一角である人格持ちの転生者の宍道にも共有されているだろう。

 だが宍道は、


「文字による記録ではなく、君が肌で感じた記憶を知りたいんだよ」

「そんなこと言われても……」


 話せる限りのことは大陸守に全て話した。宍道の言う記憶はとっくの昔に記録として提出済みだ。佐藤から話せることはもうない。

 言葉に窮する佐藤に対して、宍道は柔和な微笑みを浮かべた。


「なんでもいいさ。例えばゲル状魔獣と対峙した時に何かしら感じたこととか」

「感じたこと……」


 その言葉を聞いて思わずを口をつきそうになったのは「自身の無力さ」という言葉。口から零れる寸前になって佐藤は唇を固く結ぶ。

 宍道が知りたいのはそんな私情じゃないだろう。学園街を魔獣の脅威から守るために有用な情報のはずだ。

 だから佐藤はやや考え込んでから、こう言い切る。


「特に……ないですね」

「…………」


 宍道の視線が一瞬鋭くなった、ように見えた。断定できないのは、剣呑な目つきが瞬きの内に消え去ってしまったためだった。佐藤が気が付いた時には、既にいつもと変わらず柔和な笑みを浮かべていた。


「すまなかったね。困らせてしまったみたいだ」

「いえ、そんな……っ」


 佐藤は深々と頭を下げた。こちらこそあまり力になれなくてごめんなさいだ。転生者学園オーネスト生徒会長、魔王の転生者である宍道カブラ。力ある者に対して力ない者が出来るのは僅かだというのに、その僅かなことすら果たせない自分が情けない。

 いたたまれない気持ちになった佐藤は逃げるようにこう問う。


「それじゃあ、今日の所はこれでおしまいですか?」


 呼び出された要件は済んだはず。だからここにいる理由はない。佐藤はそう思っていたのだが、しかし宍道は彼を呼び止めた。


「あ、ちょっと待って。1つ連絡がある。昨晩の一件を受けて、人格持たずの生徒には人格持ちの護衛を付けることになったんだ。人格持たず2人につき人格持ち1人の割合でね」

「……どういうことです? 魔獣は退治されたはずですよね」


 佐藤は明確に覚えている。自身が手も足も出なかった怪物が一瞬にして消し飛ばされた様を。桜庭と佐藤を襲ったゲル状魔獣はあの場にいた転生者によって滅ぼされた。それは揺るぎない現実である。 

 だというのに何故魔獣を警戒して護衛が必要なのか。宍道は答えを告げる。


「魔獣を学園街へ招き入れた内通者がいる可能性がある」


 内通者。その言葉に佐藤は息を呑む。

 

「魔王様は学園を脅かす敵がいるとお考えなのですか!?」

「うん、そう考えてる」

「そんなこともなげに――!」


 反射的にくってかかりそうになった佐藤はと思い出した。

 目の前に座る、ニコニコ笑顔の気のよさそうな先輩は魔王だということを。

 

「すみません……」

「まぁ、戸惑うよね。平和な時代に生きていると。僕もついつい忘れそうになったよ」


 でも、と宍道は言葉を区切って、


「実在するんだ。どんな時代にも、どんな世界にも、どんな形でも、牙を剥いてくる敵はね」

 

 宍道の、かつての時代を生き抜いた魔王の言葉は佐藤の心に重さを持ってのしかかる。何処にでもいそうな黒髪の少年が受け止めるには苦しい現実だった。

 表情を硬くした佐藤は宍道に問われる。


「怖いかい?」

「怖さよりは息苦しさの方が強いですね。学校の近くで不審者が現れて、集団下校を強制されるような気持ちです」


 自分自身の生きている世界が得体の知れないものに脅かされているという不明さ。まるで暗闇の中にいるような状況の方が佐藤はいっとう気がもめるのだった。

 

「それで魔王様。僕の護衛は一体何方なのでしょうか」

「君は襲われた当事者だからね。同じく襲われた桜庭さんと一緒に腕の立つ人物を護衛に抜擢したよ」


 宍道は一枚の写真を佐藤に見せつけながらその名を告げた。


「転生者学園オーネスト生徒会庶務、大魔導師クローネ。ちょっと癖は強いけど、まぁ、腕の立つ魔術師だよ」 

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