ep.02 人格持たず

 キーンコーンカーンコーン。

 チャイムが1時間目の授業の終わりを告げる。超越者が集まるなんて突飛な学園なのに、ありふれたチャイムだった。

 思えば、普通なのはチャイムだけではなかった。教室だってそうだ。ありふれた机、ありふれた椅子、授業に使われているのは一般的な高校の学習指導要領に従った教科書で、先生は黒板にチョークで書いている。転生者という特殊な生徒が集まる学園ではあるが、学園自体は一般的な公立高校と変わらないようだった。


「それでは今日の授業はここまでとする」


 壇上に立つ現代社会の教師が授業の終わりを告げる。日直が「きりーつ、きをつけー、れいー」などと間延びした挨拶をすると、クラス一同で「ありがとうございましたー」のあいさつ。直後に机を引く音と喋り声が秩序だった静謐を破り、騒がしい無秩序が教室を満たす。

 そんな中で、窓際でのろのろと着席した佐藤は机に突っ伏していた。佐藤は朝礼が終わってからずっとこう思い続けている。


(失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した~~~っ)


 頭を抱え、少年は1人煩悶する。彼の苦悩の原因は朝礼の時間に遡る。


『ぼ、ぼきゅは――ッ』

『僕の名前は佐藤友志と言います。4月までは第三大陸の公営高校に通っていました。4月3日に行われた最終魂強度ソウルレベル検査で転生者と判明したので、5月という中途半端な時期に転生者学園オーネストに転校してきました』


 転校生の挨拶。此処までは良かった。噛んでしまったが、助けもあって挽回できた。

 問題は次だ。次が問題なのだ。


『転校生として色々言うべきことはあると思うのですが、まず一番最初に皆さんに伺いたいことがあるんです』

『僕は一体どなたの転生者なのでしょうか?』


 これだ。佐藤が自身の転生事情について言及したこと。これが最大の問題だった。

 佐藤が転生前の記憶がないことを告げた途端、クラスの空気が凍り付いたのだ。それから在ったのは、僅かな恐慌が滲むざわめき。


『記憶のない転生者?!』

『どういうことだ、転生には必ず記憶が付与されるはずだぞっ』

『そういうものなの?』

『そういう風に転生術式には設定されてるはずなのよ』


 どうやら記憶を持たない転生者というのは、転生者の大部分にとって歓迎すべき人材じゃないらしかった。おかげでほとんどのクラスメイトからは白い目で見られてしまっている。


(一応、色々考えてきたんだけどなぁ……)


 転生者学園オーネストへの転校は佐藤の望むところではなかった。けれども、それでも少しばかりの期待はあったのだ。例えば、フィクションの中でしか見たことがない転校生の質問攻めイベントとか、そういう転校生ならではの出来事を想定して彼は此処にいる。だが、すっかり爪弾き者になってしまったので、これまで彼がちょっとの期待を込めてしていた想定は無意味になってしまったのだった。

 ただ捨てる神あれば、拾う神ありとはよく言ったもので、


「まだ落ち込んでるの、佐藤君?」


 右隣の席から気遣いの籠った声色で問いかけられる。


「もういい加減に切り替えたらどう?」

「そう簡単に切り替えられないよ……」

「あはは……」


 依然として意気消沈し続ける佐藤に彼女はどうしようも無くなって苦笑する。

 佐藤の左隣の席に座る彼女は、桜庭さくらばミリヤといった。身長は平均からやや高く、痩身。短いスカートから伸びる脚はスラリとしていて、白い肌が眩い光を反射していた。それから彼女の目鼻たちは異様なほどに整っていて、さながら二次元イラストから現実に飛び出してきたかのように人に思わせる。鮮やかなも相まって、何処かアニメのメインヒロイン染みていた。


(というか、昔のアニメにそっくりなキャラクターがいたような……?)


 佐藤にはなんとなく既視感がある桜庭は、彼が自己紹介で噛んだ時に応援してくれた少女だった。彼女は1年3組の委員長とのこと。そのため転校生の面倒を神納に頼まれた。面倒事を押し付けて申し訳ない気持ちになるが、桜庭が隣席なったのは佐藤にとって転校が決まってからの数少ない良いことだった。

 

「桜庭さんが隣で本当に良かった……」

「えぇッ?! な、なに突然!?」


 佐藤の心の底の思いが独り言として漏れてしまったようだった。聞いてしまった桜庭は奇矯な声を上げて、頬を赤く染める。

 故に次にパニックになってしまったのは佐藤だ。心の中で留め置いたはずの言葉が他人に――それも本人に――聞こえてしまい、そのうえ変な意味に誤解されてしまった。目を回しながら、彼はしどろもどろに早口で答える。


「い、いや、変な意味じゃなくてさ。こう、何? しっかりものの委員長の隣で転校生としては助かるなー、みたいな……そんな感じ?」

「うぇえぇっ、え、あ、そうだよね、そういう意味だよね。は、はは、ごめんね、なんか勘違いしちゃったみたいで……っ」

「僕だってごめん……変なこと言って」

「………………………」

「………………………」


 2人の間に気まずい沈黙が流れた。ほんのりピンク色に染まった沈黙が、だ。

 

「…………んぅ」

「にへへ………」


 不味い、不味いことになったぞ。佐藤友志は更なる、そして絶対絶命の危機に晒された。絶対絶命は大袈裟か? 否、学校が世界の全てな学生にとって学校にいられるかどうかは正しく世界を揺るがす大事件なのである。

 転生者学園オーネストにおいて、佐藤のよすがは桜庭ミリヤだ。今此処で彼女との関係がぎくしゃくしてしまえば、彼は学園における孤立が決定する。それだけは絶対に避けねばならない。 

 とはいえ、


(異性との関係を修正する方法……?!)


 佐藤友志、苦節15年。女子とまともにコミュニケーションを取った経験なんざ、少ないのであった。というか、ほぼない。「異性間コミュニケーション? 何それ美味いの」などと拗らせるほどではないが、拗らせる人と同じくらいに異性との関わりは希薄であった。故に、分かるものか。このピンク色の気まずい空気をどうにかする方法なんて。

 さっきから、桜庭は佐藤と目を合わせようとしない。もじもじ、もじもじと所在なさげに膝を擦り合わせながら、形の良い耳を赤くしているだけだ。

 こうなったら仕方がない。「ええい、ままよっ」と己を奮起させ、佐藤友志は口を開く。


「「あ、あのっ」」


 ……………………。

 気まずいってレベルじゃなかった。空気が完全に凍り付いていた。さっきまでの気まずさが『図書室で同じタイミングで同じ本を取ろうとして手が触れ合った』程度であるならば、今の気まずさは『脱衣所で裸を見てしまった』程度の気まずさだ。ラブコメじゃあないんだ。現実にそんなラッキースケベアンラッキーは必要ない。あれはフィクションだから楽しめるのであって、実際に直面すれば恐怖ばかりが頭を支配して楽しむ余裕なぞないはずだ。例えば、社会的な死が脳裏にちらついたりとかしてだ!


「「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」

 

 2人の間には気まず過ぎる沈黙が流れている。最早、とりなそうとする努力すらする気力がわかなかった。佐藤の心根には諦観ばかりが流れ込む。終わった、終わってしまった。高校生という青春真っ最中を独りぼっちで過ごすんだ……

 そんな風に、佐藤の顔に影が降りるどころか、全身が塵になってバラバラに吹き飛ばされる気持ちになっていた頃。彼にとっての救世主が2人やってくる。


「何してんだ、お前ら。出会って早々、ラブの匂いを漂わせて」

「もしかして2人とも、惚れっぽいタイプだったのでしょうか?」


 初めて見る少年と少女だった。

 少年の方は佐藤よりも身長が高く、大体170cm代後半に差し掛かろうとするくらい。広い肩幅は熱心なスポーツマンを思わせる。短い茶髪を書き上げ、ワックスで固めた髪型は不良のようであるが、しかし瞳には親しみやすさがにじみ出ている少年だった。

 そんな彼の隣に立つのは長い黒髪を持つ淑やかな少女。彼女が纏う物静かな雰囲気は冬の朝の寒さのような緊張を孕んでおり、佐藤は無自覚に体を硬くしていた。とはいえ、そう言う風に見えるだけなのだろうと思う。そうでなければ、隣に立つ少年とは相容れないと思えるからだ。

 佐藤と桜庭はやってきた2人を認めると、一瞬ほっと脱力してから、あたふたと答え始める。


「い、いや、そんな雰囲気漂わせてないしっ」

「そうだよっ、全然そんな感じじゃないから!」


 佐藤と桜庭は示し合わせたかのように首を横に振った。息ぴったりすぎて、逆に説得力がない。

 

「「胡散臭い」」

「「胡散臭くないよ!!」」


 何はともあれ、この2人は誰なのだ。佐藤が記憶を持たないとカミングアウトして以来、まともに佐藤とコミュニケーションを取ろうとする人はいないはずだが。


「あ、佐藤君。紹介するよ。この2人は私たちと同じ人格持たずの転生者なんだ。つまり転生前の人格がない転生者ってこと」


 転生者には2つの種類がある。1つは転生前の人格を転生後に引き継いだ人格持ち。もう1つが転生前の人格を引き継いでいない人格持たずという転生者だ。転生者の圧倒的多数は前者の人格持ちにあたる。マイノリティである人格持たずは全体の数%と言ったところか。全ての転生者が集められている転生者学園オーネストにおいても、1クラスごとに片手の指ほどの人数しかいない。

 桜庭ミリヤもその人格持たずの1人。そして、どうやらこの2人も人格持たずとのことだった。


「俺の名は太東たいとう恭介ってんだ。よろしくな」

わたくしはセレス・チムニーと申します。以降、お見知りおきを」

「えぇっと……うん、よろしく」


 ぎこちなく佐藤は笑う。それから問うた。 


「2人は記憶を持ってない僕のことはあんまり気にしないの?」


 桜庭は、まだ分かる。1年3組の委員長で、担任の先生に佐藤の面倒を頼まれた。ある程度こちらに配慮してくれる理由がある。内心どう思っているかは分からないが、取り繕うだけの動機があるのだ。だが、太東とチムニーはどうか。彼と彼女は委員長でもないただの生徒で、佐藤を気遣う理由などないはずだ。

 不可思議な2人は佐藤の問いにこう答える。


「あー、まぁ、俺達は人格持たずだからな」

「ですね。ですから、あんまり気にしません」


 歯切れの悪い解答が返ってきた。一体どういうことだろうか。


「つまりね、記憶のあるなしを気にするのは転生者の中でも人格持ちだけってことっ」


 桜庭が簡潔にまとめてくれた。それから太東とチムニーが言葉を繋ぐ。


「俺達、人格持たずの転生前の記憶には曖昧な部分があるんだ。完全に転生前の記憶を保持しているわけじゃない」

「人格持たずである私たちには記憶を持たない転生者を敬遠する記憶がないのです。

ですので、人格持たず私たちからすれば佐藤さんはただの転校生なのですよ」


 記憶を持たない転生者、佐藤友志。クラスの大部分が彼を白い目で見た。その大部分とは人格持ちの転生者のことであり、人格持たずは忌避感を抱かないと来た。

 ならば、それはつまり、佐藤が孤独ではないことの証明だ。主義主張の違いではなく、忌避する明確な理由の欠如。彼を受け入れてくれる絶対の人が此処にはいる。


「はぁ〜〜〜〜」


 深く、深く安堵の息を吐く。突然の佐藤の奇行に1年3組人格持たず組は不思議そうな顔をする。

 不安だったのだ。記憶のない転生者なんて異端も異端。史上唯一の存在は前提条件からして集団内の爪弾き者でしかない。おまけに転生者という生徒の特殊性から仲良しグループは前世からのそれが引き継がれるだろうし、記憶のない佐藤は友達作りなんて夢のまた夢なんて思ってた。

 けれども――転校早々、生徒の大半から遠巻きにされるなんて学生からしたら危機的状況であるが――佐藤を受け入れてくれるクラスメイトはいた。

 だから、


「みんな」

「「「ん?」」」


 だから、なんとなく、なんとなくだけど、この転生者学園オーネストでやっていける。そんな気がした。

 佐藤は胸に灯る微かな希望にはにかみながら、3人に4文字で思いを伝える。


「よろしく」

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