最終
「はあ、はあ、はあ、はふ、はふ」
八千代はまた、走っている。八千代の家から大学への道のりは二キロほどだ。夜の国道沿いの歩道をドスドスドスと走る。
(だめだ。何回電話しても出ない。真穂⋯⋯ごめん、私のせいだ。お願い、無事でいて——)
バカだったと、あの女の電話を止めなかった自分を悔やんでいる。
桜枕との出会いを思い出す。
(あえて聞かなかったけど、理学部なのに真穂が法サーに入ったのは、きっとわたしが居たからだよね。一人上京して、孤独で、ミユキちゃん似の——ミユキちゃんには似ても似つかないはずだけど、なんとなく雰囲気の似ているわたしを見つけて、同じサークルに入ったんだよね? わたしも入りたてで不安だったから、真穂が話しかけてくれたのがとても嬉しかった)
八千代の目が潤んでいる。全身から噴き出ている汗で、涙なのかどうかもわからないが、八千代の目は潤んでいる。
後ろからパトカーのサイレンが近づいて来る。
「え? まさか、大学に行くんじゃないよね? やだ、やだよ、真穂に何かあったら、真穂が悲しむようなことがあったら——わたしは牛以下だ——」
八千代は考えていた。いつも届かない——
何か問題が起きても、自分で解決したことがない。
良いことがありそうな時も、一歩届かない。
足が、遅いから?
手が短いから?
体重九十キロには余裕で届くのに——
「そんなこと! 考えて、ないわああ!」
ファンファンファンファンファンファンファン。
そう叫んだ八千代を、けたたましい音を立てながらパトカーが追い抜いた。
————大学構内。八千代はようやく着いた。入ってすぐの広場はごった返している。この時間でも、残っていた学生が多くいたようだ。数台のパトカーが停まっている。先程のパトカーもいるのだろう。
八千代が一際多く野次馬の集まっている所へ突進する。人をかき分け⋯⋯というより、はじき飛ばしていく。
一台のパトカーのそばに、毛布を肩から掛けた桜枕を見つけた。
「真穂!」
夢中で突進。ここから先は駄目だと制止する制服警官もはじき飛ばした。ラガーマン八千代。
「真穂ー」
それに気づいた桜枕が、毛布の隙間から手を振る。
「あーミ、やちよ〜ん」
二人は抱き合った。どちらも、今にも泣きそうだ。
「わっ? わわっ?? やちよん、どうしたの? ビチャビチャだよ? 雨?」
汗だ。
見ると、ちょうど瀬央がパトカーに乗せられている。
「真穂、大丈夫? どこも、何もされてない?」
「うん、大丈夫。ちょっと転んだだけ」
と、言いながら隣を指さした。『ん?』男がいる。理学部物理学科助教の
「何?」
「襲われていたところを先生が助けてくれたの」
「そうだったんだ。良かったよ〜」
そこに女性警官が来た。事情聴取のため、二人とも同行するのだ。
別れ間際、八千代は桜枕に確認する。
「さっき、わたしに気づいた時、ミユキって言いそうになってたよね?」
「うううん。言いそうになってない」
桜枕は即答した。
数日後——あの後すぐに、瀬央の彼女であるキャバ嬢も捕まり、八千代も事情聴取を受けた。その際わかったことだが、女を金づるにする計画ではあったが、相手の女とのイチャラブは許されてはいなかった。それを監視するための盗聴器だったようだ。
この犯人の二人は、これまでも似たようなことを二、三していたようだが、その内容がどれも軽微で他の被害者同様、桜枕も立件の意思がないこともあり、[微罪処分]となった。
それを受け、大学側も処分は[厳重注意]にとどまった。
こうして事件は終わった——
大学へ向かう国道沿いを、歩いている。
「一限目からの時も、歩くの良いかも」
八千代は一限目からの時はバスを使っていたのだが、今回のことで一大決心をしていた。
自分の運命を受け入れて、自分自身で解決出来るようになろうと。
そのために、体を鍛えて格闘技も身につけ⋯⋯痩せよう、と。
何気なく行き交う車を見ながら歩く八千代は、信号待ちで停まっている車に目をやると、『うおっ!』と言って見ないふりをして通り過ぎた。
助教の相葉の車のようで、隣には桜枕が乗っていた。
(うはー、こまったちゃんは相変わらずだわ。ま、わたしを巻き込まなければ良いか)
確実に巻き込むだろう。
聴取の際にわかったことがもう一つ。話しが桜枕の生活状況に及んだ時だ。
瀬央たちは勘違いをしていたが、桜枕の実家からの仕送りは微々たるもので、今住んでいるところも、幼い頃から農家を手伝い貯めた貯金で契約をしていて、現在は中高生を持つ家庭を相手に、家庭教師のバイトをして工面していた。
桜枕は、芯の強いしっかり者だった。
現在、熱烈不倫中ではあるが……
空を見上げる——
「わ、わ、あの雲、たい焼きみたい。お腹空いちゃうね」
いやいやいや、最近頑張っていた自分にご褒美と、ついさっき朝食でカツ丼を食べたはずだ。
「わわわわーあれは、パフェかな。あれはパンケーキね。き、き、きなこもち。ち、ちー、チーズケーキ。うわ、またきかー」
おしまい
ウンノナイオンナフタタビ FUJIHIROSHI @FUJIHIROSI
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