飛びたい世界

ガート

第1話 オーガスタ

暑い


建物の屋上で蝉の鳴き声に囲まれながら、

羊のような形をした雲をまばらに浮かべる空を眺めそんなことを考えていた。

いつからだろうか、空を眺めると怖いと思うようになったのは。

空を見ていると青一色に全てを奪われてしまいそうな感覚に陥る。

もう僕には何も残っていないというのに。


「今日も凄く暑いね!」


そう笑いながらこちらを振り向く彼女の名は青井向日葵あおいひまわり

白いワンピースの似合う可愛らしい少女だ


「そうだね、憎いほどいい天気だ」


青井さんの笑顔を見ているといつも釣られて微笑んでしまう。


「青井さん、また病室を抜け出してきて良かったの?」

「勿論、だって今日は誕生日だもの」


誕生日?青井さんの誕生日は…あぁ、そういうことか。


「そんな事より!何か私にプレゼントとか用意してないの?」

「用意してないよ…どうせ直ぐに必要なくなるんだからあげたって意味ないでしょ」

「ひどい!必要なくても貰ったっていう行為は記憶に残るでしょ、思い出に残るだけでも十分意味はあるんだから」


記憶...思い出...確かに彼女の言う事は一理ある。

人に物をあげるとき何が好きで何が嫌いかを一番に考える、ただ何をどうあげたら記憶に残りやすいのか、思い出として一生残るか、そういう事を考えてみるのも面白いのかもしれない。

青井さんと居ると何時も新しい考えを見出せる、だからいつも退屈しない。


「ごめんって、その発想はなかったんだ」

「もーう、じゃあ代わりにあなたの名前を教えて!」

「断る」

「即答!?一体いつになったら教えてくれるのよ」


僕は笑って誤魔化した。


「じゃあ私のこと名前で呼んで、いつまでも青井さんじゃ堅苦しいでしょ?」

「そんなことで良ければ…向日葵さん」

「さんもいらないよ」

「…向日葵」

「ふふっ、何だか照れちゃうね」


言わせたのは自分なのに指をくねくねさせながら照れる彼女はとても魅力的で

どこか可笑しくて思わず笑ってしまった。


「笑うなんてひどいよ!あなたは名前すら教えてくれないくせに!」

「仕方ないだろ、君が名前で呼んで欲しいと言ったんじゃないか」

「そうだけど!うぅ」


唸る向日葵を宥めながら僕は問いかけた。


「はぁ笑った笑った、それよりも色々と準備はしたの?」

「なんか上手く逸らされてる気がする…まぁ部屋の片付けは済ませたよ」

「手紙は?」

「そんなの必要ないよ、そんな物残したらその人の記憶に私を縛り付けさせちゃう。私は私を覚えていてほしいなんて思ってないの」


そういう向日葵の横顔はとても寂しく見えた。


「私ね、今でも後悔してることがあるの…」



青井向日葵は生まれたころから体が弱く入院生活をしていた。

そんな彼女は10歳のころ誰にもバレないように病室を抜け出したことがあった。

時間は14時を回ったところ、この時間帯はいつも忙しいのか部屋に先生が来ることはなく、案の定誰も彼女が抜け出したことに気づいていないようだった。

向日葵は気分よく散歩をしていた際、中庭で一人の少女に話しかけた。


「あなたは誰?ここで何をしているの?」

「ママのお見舞い、大変な病気になっちゃったらしいの。それで今は検査中だからお話しできないって」

「そっか~、なら私とお話ししよう!」

「良いの?」

「もちろん!ちょうど暇だったの、あなたのお名前は?」

夜乃根陽葵やのねひな、よろしくね」


それから少女たちは毎日過ごすようになった。

先生達から一緒に隠れたり、こっそり病院の中を探検したり、偶にバレて一緒に怒られられた時もあった。


そうして5年の年月が経った…


「向日葵、もうお母さんね、病気が治ったからもう私は病院に来なくていいんだって…」

「そうなんだ…じゃあもうお別れだね。」

「いや、向日葵には毎日会いに来るよ」

「でも陽葵のお母さんはもう元気なんでしょ、ならもう会いに来る理由なんてないじゃない」

「そんなことないよ、だって私たちは友達でしょ?友達と遊ぶ為に来る事なんて普通じゃない」

「無理して友達だなんて言わなくていいし、毎日来なくても良いよ」


私は多分妬ましかったんだと思う、生まれてからずっと病院生活の私を置いて外で自由になれる陽葵ちゃんの母親が、それを嬉しそうに語る陽葵ちゃんの様子が。

だから年甲斐もなく拗ねてしまい、心にもないことを言ってしまったんだと思う。


「どうしてそんな酷い事が言えるの…?私ずっと向日葵の事を友達だと思ってたのに…なのに…もう知らない!」


そうして陽葵は中庭から飛び出していった。


「まっ…」


私には彼女を止める勇気がなかった。あんなに酷い事を言っておいて今更どんな顔をして話せばいいのか、今の私には分からなかった


ガヤガヤ…

その日の夜の院内は何だか騒がしかった。


「娘は大丈夫なんですか⁉ちゃんと助かるんですか⁉」

「落ち着いてください、今の段階では何とも…ですが我々も尽力を尽くします」


向日葵はこっそりと部屋を出て看護師の会話を盗み聞きしていた。


「ちょうど目の前の交差点で信号無視のトラックに轢かれたらしいわよ」

「まだ若かったのに可哀そうよね…」

「確かここに入院していた夜乃根さん所のお子さんよね」

「そうそう、あんなに明るい子だったのに」


その後彼女は一命を取り留めたそうだった。


「あの時私がひどい言葉を投げかけて喧嘩してなければ、私が引き留めてさえいればって今でも思うの」


彼女の話を聞いて、つい僕は口を開いてしまった。


「これは僕が勝手に思ってるだけなんだけどね、AとBどっちが良いか悩むところまでは人間の意志が介入できるんだ。それでも最終的に選んだ答えは運命に強いられた答えで、初めから選択ってのは二択にみえて実は一択しか用意されていないんじゃないかって思うんだ。引き留めなかったのも、彼女がトラックに轢かれてしまったのもすべて最初から定められていたんだ、」


慰めるにしてはそれは酷い言い訳だった。

これは、僕が選択を誤ったと後悔したくないだけなのかもしれない。

ただ責任を運命という形のないものに擦り付けたいだけなのかもしれない。

それでもそんな言葉を伝えたのは、


「だから君は悪くないよ」



彼女を少しでも救いたいと思ってしまったからだ



「ありがとう、やっぱり貴方は優しいね」

「…ははっ、今頃気づいたか、僕ほど優しいのは居ないぞ?」


違う、これは僕の汚いエゴだ。

ただ勝手に同情して救いたいという気持ちをただ押し付けてるだけに過ぎない。

それでも...それでも口に出して否定しなかったのは、彼女の優しさに甘えたかったのかもしれない。


「ふふふっ、急に調子に乗るんだから」


口を手で押さえ控え気味に笑う彼女を見ていると、そんな事さえどうでもよく思えてくる。


「もうお昼か、向日葵はいつ頃旅立つんだい?」

「貴方とも十分話せたし、そろそろ行こうかな」

「そっか…寂しくなるな」

「貴方は世界中を旅しているんでしょ?ならきっとまた素敵な出会いがあるはずだよ」

「そうだといいな」


素敵な出会い...今まででも色んな出会いはあった、彼女もその一人に過ぎない。

別に悲観的になることなんて何一つ無い。


「私貴方と出会えて良かった、なんかとても言い表しにくいんだけど、色のない生活が一気に鮮やかな色で染まった様な気がするの」


彼女は屋上のパラペットに立ちながら思い出を大切にしまうように一つ一つ呟いていく。


「短い時間だったけどとても楽しい時間だった。貴方と初めて話した時や、貴方が私にジュ-スを買ってくれた事もあったりして…最後は貴方に名前で呼んで貰えた。」

「…名前ならいくらでも呼ぶさ、向日葵がそう願うならね」

「ならお願いをもう一つだけ聞いてもらっても良い...?」


不安そうに彼女は尋ねてきた。


「僕に出来る範囲なら何でも」

「なら、私を忘れないでほしいの。私は家族にさえ忘れられてもいいと思ってる、だけど何故か貴方にだけは覚えていてほしい」


少し冷たい風が彼女のワンピースを強く揺らす。


「忘れないさ、僕にとって君はとても大きい存在だった。例えどんな人間に出会おうと僕は君だけは忘れはしないと誓うよ」

「ふふっ、ありがとう。それじゃあそろそろ行くね」

「あぁ、君なら何にでもなれるさ。君の晴れやかな未来を願って、いってらっしゃい」

「行ってきます!」


そう言って彼女は飛んだ。落ちたわけでもなく跳んだ訳でもない、文字通り飛んだのだ。

彼女は白く大きな鳥へと姿を変え、太陽にむかって大きく羽ばたいて行った。


「白い鳥か、君にとても似合っているね。happybirthday向日葵」


男はそう言い残し屋上から去っていった。

少女と男がいた屋上には綺麗にラッピングされたストレチアの花がそっと置いてあった。




次はどんな人間のもとに男が現れるのか、そもそも現れるのかすら、

それは誰にも分らない。

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