第4話 決着

1


メイスターのデジタリゼーションが解除され、政宗が気絶した時、男たちはすぐ後ろの断首台でズシャリ、と刃が落ちる音を聞いた。しかし既にそこには何も無かった。これは一つ断言できる事だ。しかし正直彼らは目の前で起こった少年とマイスターの末路にあまりにも注目しすぎていて、その少女には目もくれていなかったという事実もある。一瞬ののち彼らはやっと状況を飲み込むと、ざわざわと騒ぎながらあたりを見回した。彼女がいない。でもどうやってあの状況で彼女がどう抜け出す事が出来たのか。さらには彼らは今から起こる事がその時は全く予想できなかった。

「まったく、好きにしてくれたものね」

不意にその声は彼らが注視する断首台の、そのさらに上から降ってきた。彼女はギロチン台の天辺に腰掛けていたのだ。足をブラブラとさせながら、両手をギロチン台につき、顔にはニコリとした笑みさえ浮かべている

「貴方達、見学料は高くついたわよ?」

と言うと、今度は少女はよっこらせとよろけながらもギロチン台の上にうまいバランスで立ち上がり、ブレイクギアーを取り出した。そのままその上で危うげもなく一回転しながらさっとそれを振ると、色とりどりの鳥達が十数匹、いや、数十匹も一斉にこの部屋に放たれた。大小様座な南国の鳥達は瞬く間に部屋中に広がるとあちこちから鳴き声が聞こえはじめ、さながらジャングルの熱帯雨林にいるような状態になる。何がなんだかわからない状態なのは確かだったが、男達は今の状況を戦闘に値すると判断したのか、それぞれの手にやっと武器を構え始める。彼らには若干の焦りの色が見えた。それも当然と言えるだろう。今まで身動きが取れないと信じ切っていた少女が、急に反撃を開始したのだ。彼女はいつでもあの状況から逃げる事が出来たと言うのか?今まで大人しく捕まった振りをしていたのは何のために?と、彼らが困惑していたその瞬間の出来事だった。男達の目の前から一瞬で少女の姿が煙のようにかき消えたかと思うと、突然耳を劈く悲鳴が聞こえた。

「ぎゃぁぁああ!」

反響するその声に、男達は一瞬悲鳴の主が何処か解らず、あたりを見回す。どうやら男たちの最後列から聞こえたようで、皆が一斉にそちらに視線を集める。するとそこにはなんと、大きなオスのライオンが一人の所持者の首元に食らいついていたのだ。男は青いノイズを走らせながら痛みでジタバタと暴れている。おそらく噛み技による連続継続ダメージを負わされているのだ。

「助けてくれ!た、頼む!」

自分より強力な動物に襲われると言う生理的な恐怖から、男は自分の能力で反撃する事も忘れて助けを求める。男たちは目の前で繰り広げられる一種違和感すら感じるおぞましい光景に、なす術も無く背筋を凍らせた。そんな最中、噛まれている男はその動きを止め、すぐにおとなしくなると青い光を全身から出しながらグッタリと力無く頭を垂れる。しかし本当に恐ろしいのはそれからだったのだ。男は手足をバタつかせると、再び悲鳴をあげ始めた。

「ぐが・・た・・すけ・・」

今度は声にならない声を発する。先程までとは違う。本当の苦しさと死の恐怖が彼を食らっているのだ。虚ろな目が助けを求める。それを見た誰かが恐る恐る声を上げた。

「おい、あいつもうデジタリゼーションが解けてるんじゃないか?」

それを聞いた者の顔が一斉に蒼白になる。見ると確かに男の首からは本物の鮮血がしたたり、ライオンの口を赤く染めている。場は騒然となった。

「ちょっと待てよ!こんなのゲームだろ?こんなんで死ぬのは勘弁だ!」

口々に喚きながら逃げ場を求める。と、ライオンはだらりと動かなくなった男を地面に落とすと、歩み寄りながら呟いた。

「ダメ。貴方達は私に手をかけた。それは戦う意思があるって事よ」

途端に光に包まれ加奈子の姿に変化すると、彼女は栗色の茶髪を手でかきあげた。先程のライオンに通じる艶やかな髪。美しいその姿とは対照的に、口元についた赤い液体が異様さを際立たせる。

「知ってる?デジタリゼーションって言うのはさぁ、感染症にもならなくて良いんだよ。便利だよねぇ?」

そう言って血塗れの顔に狂気じみた笑みを浮かべる。と、彼女は再び姿を消す。またその瞬間には青い煙だけが残り香のように漂った。途端にまた悲鳴が何処かから上がる。今度は皆が見ている前で、男が大蛇に全身を締め付けられていた。全身に青くノイズが走っていく。蛇はチロチロと舌を出しながら男の首を一気に締め上げた。首を締められているため断末の声をあげる事も許されず、男の体は青く光りデジタリゼーションが解除される。しかしそれではやはり大蛇の猛攻は終わらず、筋肉にぐいと力を込めてさらに体をきつく締め上げ始める。今度は容赦なく手足、肋の骨が折れる音が聞こえてきた。その様子に竦んでいた男たちの中で誰かが叫ぶ。

「も、もうやめてやってくれ!それ以上やったら死んじまうだろ!」

蛇はチロチロと舌を出しながら、美しくすらあるその目で男を睨んだ。

「死ぬ事に何か問題でもあるの?」

言うと、今度は刹那の動きで男の首の頚動脈に噛み付くと、そのまま強靭な力で引きちぎった。男の叫び声と共に、首から大量の血が噴き出す。蛇は男から離れると、ぼとりと地面に着地する。開放された男は自分の首には手を当て止血を試みるが、大きく抉られた頚動脈は人体でも最も太い血管のひとつだ。そうやすやすと血が止まるものではない。しばしもんどり打って苦しんだが、床に赤い軌跡を幾つか残すとそのまま動かなくなった。

「し、死んだ」

誰かの絶望的な呟きと共にその場はパニック状態となった。目の前で起きる凄惨な殺戮劇に理性が吹き飛ぶ。男たちは口々に狂乱を露わにした。

「こいつ、瞬間移動でも使いやがるのかよ!」

「無茶だ、こんな化け物に勝てるわけない!」

口々に男たちは悲鳴を上げ、一目散に一つしか無い出口に向かって走り出した。蛇はとぐろを巻きながら首を傾げる。

「やだね〜 命のやり取り、した事がない人ってさ」

蛇が姿を消すと今度は、先頭集団の上方から黒い影が迫る。それは巨大なアフリカゾウだった。ゾウは最初の一瞬で何人かを踏み潰し、即座にデジタリゼーションを解除すると、続いて前足を踏み鳴らし、何人かの胸骨を圧迫して、圧死へと導いた。続いて鼻で1人を無造作に投げ捨て葬る。壁にダラリともたれ掛かった死体は、首があり得ぬ方向に曲がっている。残った集団はもはや散り散りに逃げ惑った。

「何で殺す必要があるんだよ!け、経験値はもらえてるだろうっ?!」

「貴方達は」

声が頭上から聞こえた。見ると宙に浮かんで、ゆっくりと逆さに落ちてこようとする彼女がいた。至近で目が合う。豊かな髪とスカートが広がる。彼女の綺麗でてらいのないその瞳に見とれてしまったのは一瞬だった。

「生きていれば必ず私の情報を売る。だからダメ」

彼女の美しい顔が、あっという間にゆがむと、禍々しいカバの姿に変化する。カバはそのまま頭から男をまるごと口に咥えると、悲鳴もろとも奥歯で二度、噛み砕いた。首を降り遠くに放り投げる。その白いホールでは地獄に等しい阿鼻叫喚が始まった。あるものはワニに肉を割かれ、あるものはキリンの後ろ足で頭を弾き飛ばされる。一様に言えるのは彼女の正体不明の瞬間移動能力と、そして動物たちの慈悲のない野生の残酷さに、連中の戦意は喪失し切っていたと言う事だ。それはもはや小型肉食獣の檻に餌として投入されたコオロギが蹴散らされるのに等しい。彼女が人間の姿に戻りスカートについた埃を払った時、最後に残っていたのは元はメイスターと呼ばれていた男だった。彼は気絶した政宗を人質にナイフを突きつけている。その顎はがくがくと震えていた。

「ち、近づくな!頼むから助けてくれぇ!お前の情報は決して漏らさないと誓うから!」

加奈子はにやりと笑いながら男を見下した。

「総司君や政宗君ならともかく、あんたは絶対にその約束は守らない。だからダメ」

加奈子は冷たく言い放つと制服のポケットからハンカチを出した。そして人質に取られている政宗の事など意に介さぬと言った表情で自らの口を拭くと、血糊はまだベッタリとついている。

「・・・いどう」

「へ?」

「水道を出しなさい」

「す、すみませ、水道、電気、ガスは生成出来なくて、と言うか私デジタリゼーションが解除されておりましてぇ!」

男は震える声を振り絞る。加奈子が目で合図をすると、どこから現れたのか、のそのそと掌ほどはあろうかという巨大なクモがたくさん集まって来ていた。多毛生のクモ、タランチュラだ。

「じゃぁ光回線なら引けるわけ?」

冷たい顔でニコリと笑うと相手の恐怖を弄ぶ。加奈子は指でくいくいとメイスターを差した。クモは主人の命ずるままにゆっくりと男の体に這い上って行く。マイスターは腰を抜かして立てなくなっていた。

「い、いやだぁぁ、こんな死に方は嫌だぁ、死にたくなぃ!」

男は最後の力を振り絞ってすべてを投げだし、ドアに向かって駆け出して行った。加奈子はふぅ、と息をつく。そして、この部屋の中に幾つも放っている色とりどりの美しい鳥たちの中から、入り口に近い最も最適な鳥を探す。いた。緑と金色の羽毛が美しいルリコンゴウインコのメスが羽ばたいている。ちょうど奴の左斜め上前方、距離は2mだ。何も知らずに奴はそちらに向かって走って行く。私はブレイクギアーを握ると小さくつぶやいた

「ベタ、飛ぶよ」

slurp!

(ぴちょん!)

と、その瞬間にゼロタイムラグで私はルリコンゴウインコのいた座標に移動している。ちょうど奴の目の前だ。かなり前からすでに何に変身するかは考えてあった。とにかくこの気持ちの悪い男は『噛み』たくないのだ。

「カナリア、叶えて」

chirp!

(キュルル!)

私は一瞬で巨大な熊、グリズリーに変化すると、着地も待たずに前足の爪を奴の腹に突き立てた。そのまま一気に振りかぶる。奴は驚きの表情のまま血を撒き散らし、壁まで吹き飛ぶと激突し、そのまま動かなくなった。グッタリと四肢を投げ出す。私はそれを見ながら四本の足で地面に着地すると、再び光に包まれ人間の姿に戻り、乱れた前髪をかきあげた。あたりを見回して見ると白い大理石の部屋はあちこち赤く染まっており、久しぶりの大暴れと言った所だ。部屋の死体を数えて見たが、どう見ても19体しか無かった。一人だけ、全身を真白い法衣で固めた背の高い男がその死体の山に立っている。私と目が合うと深く、完璧な動作で一礼して手を叩いた。懐からウエットテイッシュを取り出して、私に手渡す。

「相変わらず見事なお手前ですね、カーコ様。いや我々G機関の総統、裏花加奈子様」

私はふうと溜息をついた。彼が私を持ち上げたがるのはいつもの事だ。私は礼を言いながらウエットティッシュを受け取ると、口元を拭きながら応えた。

「真麻戸君か。スパイ&宮殿の維持ご苦労様。部隊の進入は?」

私は彼に近寄ると、私よりだいぶ高い肩をポンと叩いた。彼はメガネを右手の人差し指でくいとあげながら答える。

「はい、今しがた準備が出来ております。加奈子様はご覧になられますか?」

「さて、どうしようかな〜」

私は未だ気絶したままの政宗君に近づくと、そばに屈んで彼の心臓に耳を当ててみる。心臓の音はしっかりと『無い』。それでいて体からは生気もあるし体温も正常だ。良かった。デジタリゼーションは解除されていなかったようだ。私は立ち上がって真麻戸の方を見た。

「鷺沼ちゃんは来てるのかな?」

「はい、準備してございます」

私はふうと息を吐く。政宗の今後はかなり面白い観察ができそうではあったが、私がG機関の首領として姿を表すのは今はまだ早いように思われた。私は惜しい未練を振り切る

「じゃぁ鷺沼ちゃんの『シアター』で見させていただくよ。私は帰るから後始末よろしく。特にこの部屋ね」

私はチラリと部屋を見た。この血染めの部屋の惨劇を、総司ならまだしもあの政宗のボウヤに見られたらどうなっていただろう。その反応を見るのも十分楽しそうではあった。ギロチンに私がつながれている最中のあのボウヤの奮闘は今考えても興奮する。剥き出しの感情がそのまま噴き出すかのようなあのブレイクギアーの操り方、天使との共鳴性。見ているだけで下半身に熱が宿った。あんな美味しそうな獲物は久しぶりだ。私は思い出しながら、知らず知らずのうちに舌舐めずりをしている自分に気がつき、自分を諌める。いや、あの子はまだまだ伸びる。だからダメだ。最高まで伸ばしたところで始めて私の敵とするのが最も面白い展開であるように今は思われた。信頼しきった相手に裏切られた絶望と怒りが彼をさらなる成長へと導くはずだ。私はそれを考えるとぞくぞく背筋が疼いた。こればかりは『上』からの干渉に優先する。大天使など知った事か。私は最後にチラリと倒れたままの政宗を見ると、次に真麻戸を見た。彼はニコリともしない怜悧な顔で私を見つめているが、足の指の先が靴の中でわずかにうにうにと動いているのを私は気がついていた。彼は実直な男だ。おそらく私の気持ちも組んだ上で、政宗が目を覚ますより早くこの場から撤収して欲しいと内心やきもきしているのだろう。良い副官を持ったものだ。私は心の中でクスリと笑うと手をパンパンと叩き、部屋中の鳥たちに呼びかけた。

「とりさーん!戻っていいよー!」

鳥が一斉に私の元に集まる。

「クモくんもお疲れ様ー!」

のそのそとクモも私のブレイクギアーに戻ってくる。こうして召喚した動物分のポイントを節約する事が出来るのも私の天使カナリアが持つ能力『ズー』の大きな特徴だ。その光景を見ながら真麻度はポツリとつぶやく。

「やはり、あまり気持ちの良いものではありませんね。蜘蛛は」

私は久しぶりにニコリとすると

「真麻戸君は蜘蛛苦手なんだっけ?今度可愛い蜘蛛に化けて一緒に遊んであげよっか?」

「御免こうむります」

言いながら彼はメガネをくいとあげながら目をつむり少しだけうつむいた。


2


ダディの動きが一定の法則性の元に発動されている事は明らかだった。それさえ解決できれば俺は逆転できるかもしれない。焦りながらも俺は考える。しかし、俺に与えられた思考の猶予は余りに短い。再び最接近してきたダディは右方向から進入してきたにもかかわらず、急激なターンで俺の左手から斬撃を加える。なんとかぎりぎりの反応でイージスシュートを放ちそれを避けるも、その瞬間には奴はもうその不思議な足さばきを駆使して背後に回って行く。俺は体をひねってコインを投げるが、奴は変幻自在の動きで間合いを離すと、再び知覚不可能なあの動きで俺を中心に高速移動を始める。本来は俺の投射が得意とするはずのアウトレンジだが、恐るべき事に奴は時にはゆっくりと漂う羽毛のように、そして時には直線的な濁流のようにスピードを絶え間なく変化させており、全く移動の先読みができない。俺は自分の間合いをこのような形で奪われるとは思っても見なかった。焦りの中ポイントだけが無駄に消費されて行く。俺に残されたライフも残りわずかだ。

「どうした?こんなものかね?さぁ、早く反撃をして来い!俺の動きを見切って刀を弾いてみろ!」

口許に笑みを浮かべた奴の声が聞こえる。こんなものに負けているわけにはいかない。何か、何か策は無いのか!俺は焦りを露わにする。奴はそれに気づいてか大きな縦振りの一撃を放ってきた。俺は咄嗟に焦って左手で安易な上段ガードをしてしまう。しかしそれはフェイントだった。奴は刀を高速で引き戻すと、居合いの構えを見せる。俺の大きく空いた左の脇を奴は見逃さなかった。

「そこだ!!」

一瞬で刀を稲妻のようにくねらせ、俺の側面に滑りこんだ奴は、地面に沈み込みながら刀を思い切り振り上げる。俺の左下から腹を抉り、左胸へと抜ける大傷。幸い傷が浅かったため切断こそ免れたものの、俺は大量のライフを奪われる。激痛の中で俺は目を凝らした。それでもこのチャンスを逃すわけにはいかない。俺はその一瞬で青く輝く自分のノイズの向こうに奴の体を捉えると、右手のナイフを思い切り投げつけた。しかし、またしても奴は足音を響かせながら目の前から姿を消す。左の脇からバックで抜けて距離をとり、そして右の手前にスライドしたとわかったのは、奴が俺の右前で刀を大きく大上段に振り上げてからだ。俺は右手を左に振りかぶったばかりで、右のガードはガラ空きだ。もはや奴の攻撃に対処しきれていない。

「・・・なんてね」

俺は不覚にも攻撃を許した左手のガードのために握っていたナイフを、コートの影から奴にも見えるように引き出す。そのナイフはこうこうと紅く輝いていた。恐らく今までのどんなナイフより。コートの影に隠して今の俺に残ったありったけのポイントをつぎ込んでいた俺の最終手段。もはやこの一撃に賭けるしか無い。

「クリムゾンラインッ!」

俺の手から離れると、正に一本の紅い直線となった弾丸が奴に向けて線を描くはずだった。だがその閃光が俺の手を離れる直前にドスンっと強い衝撃が俺の左肘を襲う。見るとダディの青く光るブーツが、俺の手にキックを加えている。

「脚・・・技だと?!」

わずかに上方にそれた紅い直線は奴の髪を焦がしながら空を切る。そのまま奴は跳ね上げた左蹴りから繋がる華麗な演舞のように、右の回し蹴りを俺の腹に見舞った。吹き飛ばされた俺は柱にぶつかり、ぐったりと地面にうずくまる。身体中が青いノイズでチカチカと点滅を繰り返した。蓄積ダメージは既に相当なものになっており、俺の体も限界が近づいてるはずだ。奴が遠くでステップのようにジャンプをしながら俺を見下していた。

「そろそろ限界のようだな。なかなか楽しかったぞ。俺にキックを使わせたのはお前が三人目だ。いい実践訓練にもなった」

奴はにやにやと笑うと刀を腰だめに構える。居合いで勝負を決めようというのか。俺は最後の力を振り絞って立とうとしたが体が動かない。既に痛みの限界値に近づいていた。しかし立ったところでどうしようというのだ。もうすでに投射するだけのポイントも残っていない。やっと奴の2ndの正体が掴めて来たと言うのに。

「今、楽にしてやる」

どこぞの映画や漫画で何度も聞いたような台詞が聞こえた。まさか自分が使われる日がこようとは。俺は不思議な諦めの感覚にとらわれていた。結局やはりダメだった。俺は一人でも足掻いた。ひたすらに、俺に出来る事をした。でも俺はアスカがいないと、一人では何もできない軟弱者だったのだ。俺は項垂れると頬を涙が伝ってくるのを感じた。情けない、本当に情けの無い男だ。ここで俺の戦いは終わる。俺にはもう何も残されて居ない。ポイントも、ライフも。と覚悟を決めたその時だった。ついに奴は青く光る足型を残しながら、今度は急激な加速で俺に向かった跳躍した。と、同時にどこからかアスカの声が聞こえた気がした。

Always, Joker is in the pocket

(いつだって、切り札はポケットの中にあるものよ?)

そんなはずは無いじゃないかアスカ。お前はもうここにはいないんだぜ?俺はひたすら奴の剣先を見つめる。奴の刀がみるみると俺に迫り、すべてがスローモーションに見えはじめた。その白い刃の中にそこに映す白壁が見えたその時だった。突然ドスンと、俺は腹にボディーブローを喰らったような衝撃を受け、不自然にも左にしこたま吹き飛ぶ。奴の刀は空を切った。奴は跳躍の勢いでそのまま地面を大きく滑ると、素早くこちらに向きなおった。その余りにも突拍子もない避け方はダディも流石に驚いたようで刀を構えて警戒するそぶりを見せる。俺はもんどり打って地面を転がると、そのまま壁にぶつかってもたれかかる。何が起こったか理解するのに数秒かかった。ハッと気がついて俺はポケットに手を入れる。

Always, i am in your pocket!Stupid guy!!

(私はいつだって、貴方のポケットにいるのよ!ばか!)

「ユーリ・・・」

俺は健気に俺の手の中で文字を打ち出す彼女を見つめた。

Even me, I was watching you all the way. Much, much more. Nevertheless, do you feel like going on that fight alone why

(私だって、貴方をずっと見ていたんです。ずっと、ずっと。なのに、なんで貴方は一人で戦っている気になっているんですか!)

そうだった。俺をいつまでもそばで見ていてくれたのは他ならぬユーリだ。なぜ俺はそれを忘れていたのだろう。俺は手の中の相棒を握りしめた。そして今まで傷つけてきた分をいたわるように、ブレイクギアーを強く抱きしめる。

「ごめん、ごめんなユーリ。俺とまた一緒に戦ってくれるか?」

俺はまた涙がこぼれてきそうになる。彼女が俺を再び受け入れてくれるのか、それすらも怖かった。もう一度一緒に戦ってくれるなら、俺は全てを賭けて彼女を大天使にするだろう。だからどうか『はい』と一言言って欲しい。暗い画面に文字が映し出される。

What are you talking about you at this late hour?

(何を今更言っているんです?)

If that's my angel, you are my wings What you. Please do fly together

(もし私が天使だというのなら、私の翼は貴方なのです。どうか、一緒に飛んで下さい)

その瞬間だった。俺の体は急激な光に包まれた。優しく、暖かい光。それは聖母に抱かれるような安らぎを備えていた。そして光の渦の中、俺の体の痛みが許されたかのように癒されて行く。ライフはみるみると全快まで達した。

「これは?!どういう事だ?!」

俺は思わず叫ぶと、嬉しそうにユーリが微笑む。いや、微笑んだ気がした。冷たい文字からでも、俺にはそれがわかった。

It is as you might think. Level it up. Stock EXP that you fought for me, it was my 1st promotion in conjunction with the open

(貴方が思う通りです。それはレベルアップ。貴方が私のために戦ったストックEXPが、私の1st昇格と共に開放されたのです)

俺はそれを聞いて驚きを露わにした。確かに1st不在の所持者は俺が始めてだろうから、今まで所持者の間で知られていなかったのも当然なシステムだ。

「1st・・・昇格だと?!」

Well brother, fly?

(さぁ、お兄様、飛びましょ?)

俺の手の中でブレイクギアーがチカリと光る。その始終を見ていたダディも刀を構えて嬉しそうに笑った。

「昇格だと?あり得ない!伊月、お前はどこまでイレギュラーな奴なんだ?お前はどこまでぇっ!」

言うが早いかダディは再び大地を光る脚で蹴る。瞬速の踏み込み。

「どこまで俺を愉しませてくれるんだぁ!」

狂ったように猛りながら、奴は俺に迫る。俺はブレイクギアーを振って叫ぶ。思えばしばらくぶりかも知らないその名前。しかしやはり俺の口に自然に染み付いている口の動きで、その名前を俺は呼んだ。

「ユーリッッ!」

俺の叫びに呼応して、一つの物体が俺の傍に出現する。それは一目見るとただの箱のようにも見える。黒く無機質な模様の機械でできた箱。俺は驚く。

「生成?!物理系の『投射』に生成スキルがあったのか?!」

俺でさえ知らなかった事実に驚愕する。しかし無理も無い。何せ『投射』は今まで1stで出現した例が確認されていないのだ。したがってレベル4以上のスキルの全てが今回はじめての代物だった。

It there was a problem in the way of translating words to say probably shoot

(それは恐らくshootと言う語の訳し方に問題があったのです)

彼女は言うと俺に促した。

Please be instruction, brother!

(さぁ、お兄様、命令を!)

俺は目前の敵を見据えると、深呼吸した。こちらに向かって白い剣を突き出すように跳躍している。奴はもうしばらくしたらここまで剣が届くだろう。しかし俺は妙に落ち着いている。これから起こる事も、何となくわかったからだ。

「ユーリ、やっちまえ!」

Is OK

(やっちまいます)

途端に黒い箱はその外装を爆破ボルトで吹き飛ばすと、中から黒い無骨なフレームが現れた。それは即座に三本の支柱を左右と後方に展開し、同時に姿勢保持用の銀のパイルを火薬で地面に打ち込む。支柱の間に格納されていたその凶悪な『銃器』はハイトルクモーターによって駆動され、スタンドに保持されたアームにより軽快に頭をもたげる。三軸のギアが組み合わされた精密台座が正確、かつ高速に目標をとらえ上部に取り付けられたカメラがリアルタイムでピントを合わせながら補正を加える。その血の通わない兵器は完全自動自律攻撃銃器『セントリーガン』だった。その銃器は三つ束ねられた銃身をキュルルっとわずかに空転したかと思うと、ドゥーっと低い音を鳴り響かせる。本物の銃器さながらの弾丸の嵐がダディを襲った。

「笑止!!」

ダディは刀を一振りして目前の弾丸を防ぐと、再びあの規則的な動きに転ずる。流れるような流水の動き。流石にそのトップスピードにはセントリーガンもついていけず、弾は僅かに遅れてしまう。ダディは大きく円を描きながらこちらに螺旋状に距離を詰めていた。だが俺にはそれで十分だった。俺はブレイクギアーに目をやる。

「ユーリ、見えたよ。ありがとう」

俺は再びナイフを構えると、最大限の力を込めながら奴の動きを見据えた。俺の目にはロックオンサイトが映っていた。俺は奴の動きを見るうちに一つの事に気がついていたのだ。それは奴の足音が必ず3つで1セットになっている事。

「あまり必死になるべきじゃなかったな。常にトップスピードだから、動きが丸見えだ。そいつは『ワルツ』だな?」

俺の右手から、今度こそ放たれたクリムゾンラインが相手の喉元を捕らえたと思ったその時だった。

「そこに気がつくとはな。さすがと言わざるを得んよ。正確には『ダンス』だがな」

ダディは執念でその弾道を至近から刀の柄をぶつけて軌道をずらす。喉を狙ったはずが奴の肩にそのナイフは深々と刺さる。致命傷は避けた形だ。そんなバカな。幾らなんでもこの距離では人間が見てから反応しては回避不可能な早さとタイミングだったはずだ。まさか?と俺は背筋に寒気が走る。

「そうだよ、俺の『侍』のレベル5スキルはDシステムに直接干渉してスキルの発動のタイミングをシステム的に先読み出来るのさ、さらに!」

俺の第二、第三の追撃を『見切り』を使ってことごとく弾きながら奴は俺に肉薄する。俺はほぼ零距離となった状態で左手で第四射を放ちながら、そのナイフを弾いた奴の剣の裏をかいて、右手に握ったナイフで奴の膝を刺そうと直接狙った。しかし、奴は刀を右手で保持して、その左手で直接俺の手を掴んで止める。2人が密接に絡み合う形となり、セントリーガンの動きが止まった。どうやらアレは俺に危害が加わってしまう立ち位置ではその動きを止めるらしい。キュンキュンっとカメラが戸惑うように照準を調整する音が聞こえる。

「これがレベル4スキル、『デッドライン』だ。俺にはお前の剣筋はすべて見えているぜ」

俺と奴はお互いの手を握り合ったままギリギリと静止する。しかし奴の右手に握られた刀はすでに高く振り上げられている。奴はこのまま左手で俺の右手を保持したままでも降り下ろせば十分にとどめはさせるだろう。しかし俺は奴の前に何も持っていない左手を突き出した。

「剣筋はないさ。Dシステムもまだ発動していない。今から発動するだけだ」

俺は最後の一瞬、奴が丸腰の俺に油断をするタイミングを狙っていた。奴が逃げる事が出来ないようにその手を封じつつ、左手の指をパチンと打ち鳴らした。

「なんだと?!」

『見切り』によってDシステムの発動を知った奴が、物事が起こるよりほんの一瞬早く驚愕を露わにする。ほぼ同時にそれは投射された。奴の床下の大理石のタイルが高速で上方に打ち出されたのだ。奴もまた、なす術もなく上方に打ち出される。ホールの天井近くまで宙高く打ち上げられた奴はもはや姿勢の制御も防御も不能だった。キュンキュン、とセントリーガンが追随してして上方を向くと、すかさず黒いバレルから再び雨のような弾丸が奴に見舞われる。青いノイズを撒き散らしながら、大理石のタイルもろとも削り取るように粉砕していく。

「うぉぉぉおおおっ!」

奴は即座に減って行くライフを感じながらもなお執念を捨てずに刀を振りまくった。弾丸をいくつか相殺したがライフはみるみる削られてゆく。叫ぼうにも防ごうにも抗えない無慈悲な嵐が冷徹にそのライフを削り取り、コンマ数ミリ残った所で奴は地面に着地した。セントリーガンはダディとの間に俺を挟んだ事で再びその動きを止める。ダディは項垂れて刀を大地に刺す。身体からはすでにピリピリと青いノイズが瞬き、止まらなくなっていた。俺は警戒しながら近くにゆっくりと歩み寄る。奴は俺が完全に近くにたどり着く前に声を挙げた。

「無闇に近づくものじゃないぞ。伊月。この先の敵にはそんな情けは通用しないんだ」

俺はビクリと反応し、その歩みを止めた。奴は刀を大地に指すと、ゆらりと立ち上がった。そして恐らく意識的に刀から距離をとり、さらに喋り続ける。

「最後に話をさせてくれ。見事だったな。あれはレベル5スキルなのか?」

意外にも晴れ晴れしい声で聞いてくる彼に、総司は若干拍子抜けする。

「ああ。アレは投射の奥義『静止投射』対象に与えた投射のエネルギーを保存しておいて、好きな時に発動させる事が出来るんだ」

それを聞いてダディは満足げに笑う。その笑顔にはなんの躊躇もない。以外と若い印象を与える笑顔だった。

「なるほどな。やはりお前は強かったな」

総司もダディにつられて小さく笑う。彼の体は青い光が増していた。すでにミリ単位だったライフが尽きようとしていたのだ。デジタリゼーションの解除はすでに迫っていた。俺は最後に口を開く。

「また会おう、ダディ。今度は剣の稽古でもつけてくれ」

彼は最後にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、青い光に包まれながら姿を消した。どうやらこのパレスの主はデジタリゼーションが解除された場合にはパレスの外に排出されるような設定にしてあるらしかった。俺はふぅ、と大きな安堵のため息を漏らしながら、次の部屋に続く扉を見た。その扉は開け放たれ、次の長い廊下をそこから垣間見る事ができる。ふと小さな違和感を俺は感じた。あの扉、政宗はご丁寧にも閉じて行ったような気がしたのだが。気のせいだっただろうか?と、その時だった。ずぶり、と言う気持ちの悪い音とともに、粗末な木でできた棒が俺の胸を後方から貫いた。俺は悲鳴をあげる暇もなく、振り向く力もなく、押し寄せる痛みにただ身を焼かれる。赤い紋章光がとぷとぷと溢れ出していた。その場に膝をつくと後方から少女の声が聞こえる。

「悪く思わないでね。こうしないと、終わらないのよ」

彼女はさらに刀を抉るように横になぎ払った。大量の赤が大地を染めていく。

「後は『あの子』を倒すのみね」

彼女は地に伏す彼に木刀を突き立てた。彼の胸元でブレイクギアーだけが誰にも届く事のない電子音を鳴らし続けていた。


3


遠くの方から声が聞こえた。それは聞き慣れた声だった。優しくも力強い、いつもの朝の声。

「政宗ーっ起きなさい!」

ハッと気がついて俺は跳ね起きた。しかしそこはベッドではない。ひたすらに『白しかない』宮殿の中だった。そして声がしたかのように思われた姉の姿はそこにはない。やはり夢だったのか。そこまで考えて俺はハッとなる。自分の状況を急に認識し、断首台に目をやる。しかしすでにそこに彼女の姿はない。俺はあたりを警戒しながらそこに駆け寄った。この部屋にいた21人の人物はどこに消えたのか。そして・・・俺は断首台の下で一本の羽根を見つけた。赤い小さな鳥の羽根だ。

「夢じゃない・・・のか?」

俺は訳がわからなかったが、とりあえずこの部屋の入り口まで歩きながらアリスに問いかけた。

「アリス、何かわかるか?」

I wonder if you even wandered into wonderland

(ぜんぜん。あなたウサギについて行った覚えはないわよね?)

「あるわけないだろ」

俺はドアまで来てノブに手をかけた。しかし、一瞬の違和感に気がついてノブに顔を近づけて見る。

「血?」

ノブの裏側に、ほんの小さな血痕のようなものが見えたが、俺はやはりそれを血とは断言できなかった。ただの汚れのようにも見える。仕方なく俺はため息をつくと、総司と合流すべく来た道を急いで戻り始めた。何かが起こっている。俺は言いようのない不安を感じていた。胸にざわざわと不安が広がる。一刻も早く総司と合流をしなければ。焦りから、俺は何時の間にか全力でその道を駆け抜けていた。もし俺がその時注意深さを失っていなければ、柱の影に隠れて俺を伺う小さな少女の姿に気がつく事が出来たのだが、その時はまだ俺は後ろを振り返る事はできなかった。

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