第2話 衝突
1
「能力名は『ノイズ』。空気振動に特化した能力らしい。詳しい話はメモにまとめたからこれを読んでくれ。珍しいのはレベル4スキルかな。どうやら周囲100m程度の会話をすべてリアルタイムで録音できるらしい。1時間毎に自動で古いデータは廃棄されるがな。そしてこの能力は任意のキーワードで検索ができる。例えば『ブレイクギアー』とかな。さらにはその会話の場所を座標で表示する事もできるそうだ」
総司はベンチにて独り言のようにつぶやく。すでに七月。午前中の木陰であればそこそこ爽やかだとは言っても、彼のその黒いフードつきのコートは少々厚着すぎるように思われた。ベンチの隣には誰もおらず、背もたれにカラスが一羽止まっているのみだ。黒い男と黒いカラスは妙に絵になっている。と、カラスが急に口を開いた。女の子の声で人間の言葉をしゃべり始める。
「なるほどね〜 索敵系でも戦闘系でもない能力か。あえて言うなら情報系ね。新しいなぁ。Dシステムに直接干渉しているのかしら?」
「そこまではわからん。このスキルの持ち主はあまり検証をしないタイプのようだったしな」
その問いに答えられないと自分のつかんで来た情報の価値が落ちてしまうような気がして、総司は遠くを見ながらそっけなく答えた。
「どこよそのソース。会いたいわ」
カラスは肩口までぴょんぴょんと寄ってくると、総司の肩をつんつんと嘴で突ついた。
「痛たたっ!無理だよ。俺が電子化を解除した。今はもう落ち着いているし、これ以上もうブレイクギアーには関わらせない方がいい」
言ってから、実際に電子化解除したのは政宗であったと思い出す。人の手柄をとってしまったような気もしたが、訂正するのも面倒だ。
「まぁ、確かにそうね。最初は天使との別れを悔やんだり、日常に戻れた事を喜んだりできるけど、しばらく時間が経つに連れて、まだ戦いを続けられている所持者を妬む事も少なく無いわ。現に妬みから狙われる現役の所持者もいるしね」
カラスが憂うような顔をして羽で顔を拭いた。
「あぁ。俺たちのブレイクギアーは本体を車で潰したり、ビルから落としたりすれば一般人でも容易に電子化の解除ができてしまう。お前も気をつけるんだな」
「あら、あなたよりは安全よ?」
再びカカカッと肩をつついたカラスから逃げるように総司は立ち上がった。ベンチから二、三歩離れて向き直る。
「痛たたたたっ!で、これであんたが知ってる能力はいくつになるんだ?カーコ」
カラスはぴょんと椅子まで飛び降りると首を二、三回傾げてから
「76かな。ちなみに君に貸してる借りはあと3つよ。早く情報持ってらっしゃい!」
カラスはぴょんとその場で跳ねると、ピョコンっという可愛い音と共に泡が弾けるような光が溢れ、一人の少女へとその姿を変えていた。少女はそのままポンっと椅子に座って着地する。小柄な体にベージュのセーラー服を着こなし、猫のように愛くるしい口元と大きな目が、らんらんと輝いている。見たところ中学生くらいか。彼女が総司の方に向き直ると、大きく結んだ栗色のポニーテールが揺れた。彼女の名は通称カーコ。東京近辺で活動するブレイクギアー所持者の間では有名な、所謂情報屋だ。情報屋と言っても彼女が実際にお金を取る事は無い。彼女に依頼をする条件は簡単で、自分もなんらかの情報を彼女に提供すれば良いのだ。総司もかなり古くからお世話になっており、もう付き合いは2年にもなる。個人的な電話番号も聞いていて、彼女が襲われた際には助太刀に行く契約になってもいる。もっともそのような約束は彼女は多くの所持者と交わしており、彼女に手を出す事は彼らに袋叩きにされる事を意味する事から、彼女は東京圏唯一の中立地帯とさえ呼ばれているのだ。新しい情報、と聞いて総司は先ほど頭に浮かんでは消えた政宗の話をもう一度思い出す。
「じゃぁ期待の新人の話とかどうかな?」
総司は冗談混じりに言ってみる。
「パスパス。そんな新人狩りにしか使えない情報いらないよ〜」
カーコは口を尖らせながら腕を頭の後ろで組み、背もたれに体を預けた。空を仰ぎ見ると風が強いのか、千切れながら大きな雲がゆっくりと流れて行く。今日は頬に当たる風も心地よいし、青空が綺麗に映えている。午後の暑さが襲ってくる前にもう一度飛んでおきたい。
「でも、その新人君は何してるの?一緒にいなくて平気なの?」
「そう、それだ。俺は今からあいつに会いに行こうと思ってる。伝え損ねた約束ごとがだいぶあるしな。新宿の事とか早めに教えて置かないと危ない」
「へぇ〜じゃぁ私も行こうかしら」
ヒョイっとベンチから立ち、総司に近づく少女。並んでみると、男としては小柄な彼よりも、さらに頭一つ小さい。
「え?! なんで?!情報はいらないってさっき・・・」
あまりの突飛した話に総司は珍しく面を食らう。そんな総司など素知らぬふりで話を続ける。
「情報としてはね。暇つぶしくらいにはなるでしょ?文句ある?」
「無いけど・・・」
と、言ってしまったのが運の尽きだ。総司は手早くカーコの尋問にあい、政宗から聞いていた彼の学校や、彼の特徴などを教えるはめになる。カーコは早くもテキパキと彼女のブレイクギアーを取り出した。ピンクのスマートフォンだ。
「これで借りは一つ返したな」
ふうと息を吐いた総司を尻目にカーコはあははと笑った。
「こんなもの、借りにしたら0.5個くらいというものよ。カナリア、リスト表示」
カナリアとは彼女の天使の名前らしい。彼女はタッチパネル上に表示された様々な動物の写真の中から、またハシブトカラスをタップした。都会で活動するにはカラスの姿は何かと重宝するのだ。光に包まれると彼女の姿がまたみるみる、真っ黒けなカラスに変わっていく。カラスはピョコンっと地面に着地すると、その真っ黒な顔のままで喋り続けた。やはり口調とのギャップが妙にコミカルな印象を総司に与える。
「百聞は一見にしかずってね。先に行ってるからね。それじゃ、またね〜」
カラスは二、三の羽を散らしながら大きく羽ばたくと、瞬く間に空に消えて行った。総司は西の空、ビルの谷間に消えて行くその姿を見送ると、一応俺も急いでみるかと重い腰を上げた。彼女は彼女なりのトラブルメーカーである事には変わりない。それに、政宗の様子も本当に気になるし。政宗がちゃんとアリスと仲良くしているかも気になる・・・と思ったところで総司はふっと笑いをこぼした。その気持ちは嘘だと自分でもすぐにわかったからだ。彼は心の何処かで政宗がアスカ・・・いや、アリスと仲良くできていなければ少しは救われると思ってしまっている自分に気がついたのだ。そして同時にそんな自分を醜いと感じる自分にも。いっそ政宗とアリスの前から姿を消してしまおうとも思ったが、このままあの未熟なコンビがやられるのをただ黙って待つわけにもいかない。ジレンマを抱えながら戦い続けるしかないと、総司は自分に言い聞かせて拳を握った。あの戦いからゆうに4日が過ぎ、平凡な日々が少しづつまた戻っていた。彼はあのあと二人を襲ってきた投射能力者、兼山佐和子を家まで送り、話をする機会を得ていた。どうやら彼女は妹と組んで毎回の狩りを行っていたらしい。お互いに利害が絡む天使所持者同士より、血縁などお互いの利益を分かち合える関係の方が、協力者として向いているという典型例だ。恐らく彼女達には何らかの共通の目的があり、それを叶えるために手を携えていたのだろう。だが、その目的がなんなのか、全く知ろうとは思えなかった。この選抜戦に選ばれた者は誰だってそうだ。もし相手の目的を聞いてしまったら、その相手を倒せるだろうか?きっとあるはずなのだ。大切な人を救うため。自分が生きながらえるため。それを一つでも聞き、一つでも同情してしまっては戦えなくなる。総司は自分に言い聞かせる。迷うな。戦い続けろ。彼女らは負け、俺たちが勝った。彼女は一足先に楽になった戦友なのだ。現実世界へ帰還するのが少し早かっただけに過ぎないのだ。今振り返れば俺は負ける。それは許されない。総司はもう一度カラスの飛び去った空を仰ぎ見た。西の果てには薄雲が立ち込めている。もしかしたら、午後は雨かもしれない。
2
「いってきまーす」
俺の声に答えて、姉と母が同時に返事をする。
「いってらーしゃーい」
俺はペダルを思い切り踏み込み家を出る。今日は姉よりも早く起きたため、姉の方がまだ洗面所で髪をとかしていた。あの日から毎日、俺は姉の声を聞くだけで嬉しくなる。胸の高鳴りさえ感じる。姉の笑顔を見ると、キュッと胸の奥が締め付けられるようで苦しい時があるのだ。それでも全然不快な気持ちはしなかった。すでにあの戦いの日から4日が経っていた。あくる日の朝方俺が家に帰ると、姉は普通に帰宅し、さらには何事も無く就寝した事になっており、こっそり寝顔をみた俺は姉の寝息に胸をなでおろした。むしろ大天使の仕事は完璧すぎるほどで、本人は愚か、両親の記憶まで完全にすり替わっていたのには俺も驚きを隠せない。姉は交通事故に遭った事自体が無かった事になっていたのだ。それゆえわけもなく深夜まで外出していた俺は父に静かに絞られてしまう事にもなったのだが。その後数日がたったが、姉は全く変化を見せずに元の元気な姿そのものだ。我が家を包む空気も、あの日が嘘であるかのように日常の穏やかさ取り戻していた。ただ、大天使はあれ以降全く現れず謎は残ったままとなり、いろいろな事態は俺をひたすら困惑させていた。何故俺が選ばれたのか?何人くらいがこの選抜戦にエントリーしているのか?それに、例えば天使と俺との関係をどう受け止めれば良いのか---天使を失ったあの日の敵や、かつてアスカという天使を救うために自分を危険に晒すという、ある意味天使選抜とは本末転倒な結果を導いた総司の事も、他人事とは思えない。事実この4日、俺の天使であるアリスは非常に良く(英字のみだが)喋り、その受け答えだけでもちょっとしたパートナーのような親近感を抱いている事は否定できない。とにかく、気になる事はたくさん存在したが、今まず最初にやるべき事は姉の安全を確保する事だ。姉が生きていればそれでいい。俺は姉の笑顔を守るために生きていく、それはとても素敵な未来のように思えた。と、ピリピリッとポケットの中で静電気のようなものが走る。正直痛い。俺は急いで道の端に自転車を止めて、その発生源を引きずり出した。画面にはまた英語が表示されている。
Do not flutter Master!
(ドキドキしないでください!)
She is your sister!
(彼女はあなたの姉ですよ!)
Are you abnormal?
(あ、あなた変態なの?)
「そんなわけないだろ!家族なんだから好意もってて当然だろ!」
俺は周囲の目も気にせず、ツバを飛ばしながらアリスに向かって大声を出してしまう。
However, I cannot think you are pounding on Mr. Raizo!
(で、でも、あたしはマスターが雷蔵氏に対してドキドキするとは考えられません!)
父の名を急に出され、俺は頭の中に父にドキドキする俺を思い描いて、何とも言えない気分になった。確かに同じ家族とは言えそれとは違うのだが。俺はアリスをポケットに突っ込むと、再び自転車を走らせた。あまりゆっくりもしていられない時間だ。アリスはまたしてもポケットの中でビリビリと存在を主張していたが、彼女にかまってばかりもいられない。それにしてもスマートフォンに感染したコンピュータウィルスまがいのこの天使は、名前をつけて以来、本当によく喋るようになったと政宗は思う。電脳天使であるアリスはプリセットされた言語として英語を使用するため、最初の頃はなかなか苦労したものだ。政宗はまだ英語が苦手な方ではなかったからマシだったものの、所持者の中には全く英語がわからないまま脱落していった者もいるのでは無いかと、政宗は思った。それと同時に頭に妙な考えも浮かんだ。ひょっとして大天使が所持者を選ぶ際には英語がある程度のレベルにある事が条件の一つにあったりして。そんな訳は無いか。と考え直していると、学校への坂につながる交差点が見えてきた。ここを俺はいつも右に曲がるが、まっすぐ続く道には駅が見えている。姉はここを通って駅にいくはずだ。少し遠くに姉の幼馴染の女子が見えた。赤毛の美しい髪を揺らすその華奢な女子は、朧気だが自分も小さい時に姉と共に一緒に遊んでもらった記憶もある。今は姉を待っているのだろうか、耳に被った白いヘッドホンで音楽を聞きながら、ぼーと人ごみを見ている。俺はもうすぐ姉は着くからね。と心で思いながらその道を右折すると、長い上り坂を消化する作業に入る。駅から歩いて通学する電車通学組の知り合いと、何組かすれ違い挨拶をしながら抜かしていく。今日は晴れてるし風も心地よい。と、思っていたその矢先、道路沿いのブロックベイの上から突如、何か黒い物体が飛び跳ねて俺の自転車のカゴに飛び乗ってきた。正直重い。俺は突如増えた重量物にハンドルを取られ、よろけつつも左右のバランスだけしっかり取りながら、漕ぐ足を緩めることなく坂を登りつづける事にまずは集中した。そして、体勢が整ったところでカゴの中を見やると、なんとそこにはいたのは黒くて小さい仔猫だ。のんきにアクビなどしてそこに居座るつもりらしい。
「ね、猫だと?!」
俺は自転車を漕ぎながらも身をよじらせた。そのもふもふした黒毛は艶やかに朝の光を反射し、大きな二つの目は興味がなさそうにこちらを見ている。だったら乗ってこないで欲しい、とも思ったものだが、はてさてどうしたら良いものか。
To ask the way I think I just guess
(道を尋ねるには丁度いいわね)
「俺は別に道には迷ってないよ」
Do you really think so?
(そうかしら?)
つっけんどんな会話を文と口で交わしながら、いよいよ自転車庫についてしまう。愛らしい猫に流石に乱暴はする気にもなれず、俺は仕方なくカゴに猫を置いたまま、教室に向かおうと背を向ける。ところが、猫は自転車のハンドルに足をかけて、その小さな身体からは想像できないくらい身軽にジャンプすると、俺の腕に捕まりよじ登り、肩の上まで来てしまったのだ。これにはさしもの俺も困ってしまう。肩にしがみつきながら、にゃぁ、と可愛い声を出す。いったいどうして欲しいというのか。とその時、ふと俺の目に止まったのは猫の耳だ。耳に可愛らしい赤いリボンのピアスがしてあったのに気がついた。俺は手が勝手に動き、猫の頭を撫でてやっていた。
「似合ってるな。お前さん。だがお前の本来の姿の方が、もっと可愛いぞ」
俺は無意識に話しかけていた。猫もポカーンと俺を見つめる。またポケットの中から電撃が俺を襲った。
Now are you going to dabble in a cat? !
(こ、今度は猫に手を出すつもりなの?!)
「違うっ!何言ってんだ!」
First of all, it is weird you talk to cats.
(そもそも、猫に話しかけるなんておかしいですよ)
「俺は携帯に話しかけなきゃいけない自分が最近可笑しいと思うぞ」
OH DEAR...
(あらあら)
喋りながら優しく仔猫の首をつまむと、俺の自転車のふもとに優しく置いて、頭を撫でてやった。大人しくなった猫をその場に残し、俺(達?)は教室に向かった。後方から突き刺さる小さな目線に俺は後ろめたいものを感じながらも、それ以上猫はついてこなかったので俺は安心してその場を後にした。
3
そこは青山のとあるフランス料理レストラン。11時の開店に合わせた形で三人の来客があった。この店の昼のコース料理は正直言って人気がなく、平日と言う事もあり店内はガラガラである。彼等は窓際の眺めの良い席に通され、中庭を眺めながら昼食を取る事になった。ワインが運ばれてくると、髪をオールバックに整えた男が話をはじめた。
「とりあえずは一勝したみたいで、おめでとうかな?」
ワインが注がれたグラスを目の前で軽く掲げると、相手の反応を待たずにくいと飲み干す。
「相手はどうやらかなりの無茶をしたようだぞ」
コース料理の内容を確認しながら相手の男は答える。メガネをかけた茶色のスーツの男だ。メガネの奥には怜悧な青い目が光り、まるで生命保険屋のような整った身なり。運ばれてきた前菜の牡蠣を口に運びながらもう1人の女性も話に加わる。
「なんでも電車を止めたとか」
クスクスと口元を隠しながら笑う。口元の小さな黒子と口紅、ささやかな化粧が気品を感じさせる女性だ。
「誰か入れ知恵をしたやつがいるんじゃないかと思ってな」
スーツの男は誰にも目を合わさずにワインを傾けて香りをかぎ、静かに飲み干した。オールバックの男は自分でグラスに新しくワインを注ぐ。
「さぁなぁ。そもそもあのエンジェルサーフェスは誰の管轄か覚えているか?」
「少なくとも私ではない」
スーツの男は即座に答えて女性の方を見る。彼女は小さく微笑むと、落ち着いた様子で答えた。
「まぁ、正直私も覚えてはいないわね。エンジェルサーフェスにした人間なんて多過ぎていちいち覚えてられないわ」
「そんな事はないだろう」
スーツの男は少しだけ目を細める。オールバックの男がワインの瓶を傾けながら勧めてきたので、スーツの男はグラスを差し伸べた。
「お前はエンジェルサーフェスにする人間が少なすぎるんだよ。お前のとこの天使共はそんなに志願が少ないのか?」
トクトクとワインを継ぎながらオールバックの男は言う。そこには女性も同調した。
「確かに、あなたの選抜戦に対する消極性は『あの方』も危惧されてたわね」
彼女はそう言うと済ました顔でワインに口をつけた。レストランのギャルソンが現れ、料理が綺麗になくなった三人の皿を下げると、次には色鮮やかな赤カブのスープが並んだ。スプーンを運びながらスーツの男は反論した。
「勘違いしてもらっては困る。私の門下の天使達は十分すぎるほどこの戦いには積極的だ。ただ、私の選定基準が少し複雑なだけだ」
オールバックの男はスープを早くも平らげると、次はスープカップに残ったわずかな分をパンで拭い口に放り込んだ。良く噛んで飲み込んだあと、したり顔でスーツの男に聞いた。
「ほう、聞かせて欲しいもんだね。各地区の選抜予選戦での勝率70パーセントを誇る、あんたのエンジェルサーフェス選定基準ってやつを」
またもクスクスと女性が笑う。
「そんなもの彼が言うわけないでしょう?」
「無論な」
涼しい顔で答えた茶色のスーツの男は、綺麗に食べ終えたスープの皿にスプーンを置く。オールバックの男はやれやれとばかりに手を広げて天井を仰いだ。
「ともあれ、話がそれたが、私のエンジェルサーフェスは精鋭ぞろいだ。頼むから余計な小細工は辞めてもらいたい」
冷たく言い放ったスーツの男に、二人はピクッと目尻で反応を示した。
「おいおい、小細工ってなんの事だい?」
オールバックの男は赤ワインを再びスーツの男に勧めたが、彼はまるでそれに気がつかぬようなそぶりで淡々と話しはじめた。
「最近、集団絡みの不自然な連携プレーが増えているという噂を聞いてな」
茶色のスーツの男は何一つ表情を変えずにとつとつとしゃへりつづける。
「ふふ、大天使が『噂』だなんて。よく言ったものね」
女性が楽しそうに笑い、話を続けた。
「それに、仮にそれがあったとしてもそれを止める権利があなたにあって?すでに我々は人間に関わりすぎてるわ。天界の掟に反する行為を、エンジェルサーフェスというオブラートに包む事によって天使への干渉へと置き換えているだけ。今更これへの干渉を止める事は誰にもできない・・・」
彼女はグラスを持ち上げ、その硝子越しに窓の外の明かりを眺めた。綺麗なものを見るようにうっとりした表情で。
「面白い話よね。次世代の大天使を生み出す儀式が、いつの間に私たちの議席の奪い合いになったのかしら?」
運ばれてきたメインディッシュに目もくれず、三人は沈黙してお互いに視線を交わし合う。
「ちっ、今日はそんな事を言うために呼び出したのかよ。久しぶりに三人で飯を食えたってのに。美味い飯が台無しだぜ。ここはお前の奢りだからな」
オールバックの男は言い放ち、肉をガツガツと食べはじめた。ふうっ、とため息を吐きながらスーツの男も静かに魚にナイフを入れる。
「構わないがな。しかしお前、よく食うな」
「ほーんと、飽きれちゃうわ」
「人間の飯は美味いんだよ。言っとくが、今から魚から肉に変えるって言ってもやらんぞ」
オールバックの男はフォークに刺した一口大の肉を目の前でひらひらさせる。残りの二人は目を見合わせると、小さく笑った。
4
電脳天使は広義ではスマートフォンのファームウェアに感染するコンピュータウィルスの一種だと言えるだろう。これは天使だとか選抜だとかいう以前の、彼らがスマートフォンを媒体としているという技術的な話だ。ありがたい事にこのウィルスは今のところ俺のスマートフォンの中の機能を最低限保持してくれている。音楽の再生やメールなどだ。アプリは大抵消えてしまった。おそらくそれだけアリスの容量には余裕が無いのだろう。俺は写真のフォルダを開いて見た。そう多く無い写真には友達とふざけて撮った物や、旅行の記念に混じって、スマートフォンを買ったその日に家で試しに撮ってみた家族の写真、そして姉の写真も消えずに残っていた。俺は試しにその写真を見てみる。ちょうど二ヶ月前、美術が苦手な姉が写真を参考に、宿題の風景画を片付けようと、リビングのPCの前で絵筆を振り回しているのを撮った写真だ。よくみると右の頬には青い絵の具がついている。大丈夫。俺はときめいていない。家族と一緒にいるゆえの暖かい気持ちに包まれる事はあっても、姉に恋などしないはずだ。第一俺は姉と一旦死別を経験しているのだ。それでは思い入れが強くなっても当然では無いか。と、そこまで考えて俺はアリスの冗談を間に受けている事に気がつき、悔しい気分になった。俺は写真のフォルダを閉じたが、その時、今朝の猫の写真を撮っておけば良かったと一瞬だけ後悔した。しかしそんな事は後の祭りだ。俺はタッチパネルに当てた親指を横に滑らせて画面を切り替え、メールの履歴を見る。政宗からのメールはまだない。今日会う約束だが、一体いつどこで会おうというのだろう。俺は親指の操作でメールのフォルダを閉じた。最後に、ブレイクギアのメインメニューを開く。今は俺しか表示されていないMAP画面をスライドさせて、自己設定画面に移る。そこには障壁の基本設定タブと、能力表示があり、その下にW(ワット)の文字がある。その横ではダイヤルに刻みれた数字が今も上昇を続けている。アリスの能力は「ボルト」、簡単に言うと高電圧を放射する能力だ。基本的に俺の体が蓄電池の役割をし、携帯の通信電波がある所では常に電力を蓄えている。Wi-Fiのある所ではDシステムとの接続が増すため、かなり早く電気がたまる。そしてそれを消費しながら戦う訳で、無限に電力を生み出せるわけでは無い。俺の今所持する電力で理論値においては最大2ジゴワットに相当するという。これを一度に放出するか、それともちまちま放出するかはひとえに所持者の戦略に任されていると言うわけだ。ちなみに、総司に聞いたところ投射の能力の場合はN(ニュートン=重力加速度)の表示が出ているらしい。俺は障壁設定のタブをタップすると、設定を確認した。障壁は1stの天使の攻撃に使用するパワーを流用して張られるため、あまりに強力な障壁を張るとゲージを大きく消費し、攻撃に支障が出てしまう。障壁に対して設定できるパロメーターは三つ。強度と範囲と、距離だ。障壁はブレイクギアを中心に球形に展開するため、この球形の半径にあたる距離を大きく取るほど、球が大きくなり、自分の味方を守る事ができるようになる。これは前回の戦いで総司がして見せた事だ。範囲とはこの球形をどこまで球形にするかという事だ。例えばこの値を50%に絞ると球形は指向性をもって前面一方向だけをカバーする半球形となる。これをさらに小さくするとちょうど傘を開いて自分の目の前に構えたような形になり、後は徐々に傘が小さくなると考えればいい。強度もまたしかり、一番軽いものではアクリル板くらいの強度から、一番強い障壁では防弾ガラスをゆうに超えるものまで様々だ。この障壁の設定はいつでも変える事ができるが、天使との関係が良好で、なおかつ打ち合わせさえ出来ていれば、総司のように発声だけで戦闘中に設定を変える事も可能だ。俺はまだそこまでできないうえに、障壁もごく小さめの物しか展開できない。俺は画面をタップし自分の天使の能力を確かめる。アリスはレベル1と表示されていた。以前俺が倒してしまったテロメアはレベル4、その2ndはレベル2だったはず。EXPのいくらかは総司に流れているが、レベル差の大きい天使を倒しただけあって、アリスはほぼレベル2になる瀬戸際のラインにおり、レベルが上がるのは時間の問題だと総司は言っていた。そこまで考えると俺はブレイクギアを操作する手を緩めて、姉の作ってくれたサンドイッチの包みを開ける。今はやっと昼休みになったところだ。俺は普段は仲のいい友達と数人でバスケットコートでご飯を食べ、そのあとバスケをしたりしながら昼休みを過ごす。しかし、今日は朝の猫の一件もあってかやたらアリスがうるさく、このままでは俺の友達と仲良くしていても、ボーイズラブだのなんだの言われかねないと思い、やむなくなんだかんだと理由をつけては屋上まで避難して来たわけだ。おかげでやっとアリスも大人しくなった。どうもこうやってブレイクギアを操作している時間というのは、天使にとって毛繕いをされているようなものらしく、たくさん触った日にはやたらと機嫌が良かったりするのだ。特にアリスの場合はなぜかユーリと違い、電子音で俺を呼び出す事はほとんどなく、毎回電撃を無駄に見舞うものだから、機嫌が悪い日などはたまった物ではない。と言うわけで最近はご機嫌取りも兼ねて、こうしてこまめに状態を確認するようにしている。ちなみに総司に相談もしてみたのだが、どうやらこのアリスの性格は名付けた時に自動で生成されたものらしく、以前のアスカとは似ても似つかないという。俺はサンドイッチをかじりながら、ふいに気配を感じて顔を上げた。目の前に小さな黒い毛玉が一つ。またしても先ほどの猫だ。
「にゃぁ〜」
と可愛い声でひと鳴きする。まだ学校を彷徨っていたとは驚きだが、それでは流石にお腹も空いたであろう。俺は考え事を一旦中断して、彼奴にご飯をあげるべく、サンドイッチをあげようとちぎった。が、そもそも猫にサンドイッチなんてあげて良かったのだろうか、という疑念が頭をよぎる。姉の作ってくれたサンドイッチは薄くバターとマスタードが塗られており、ハムの傍にはトマトと玉ねぎも挟んである。猫にとって玉ねぎなんて刺激物ではなかったろうか?ハムの保存料は・・・?猫によくない化学物質もかなりたくさんありそうだ。俺の右手は猫のまん前で躊躇してしばらくピタリと静止した。仔猫は潤んだ目でじーっとサンドイッチを見つめている。その今にもよだれがこぼれてきそうな顔を見ると、俺は絶大なやるせなさを感じたが、心を鬼にして思いとどまる。そして手を静かに引っ込めると、ちぎったサンドイッチを自らの口に運ぼうとした。と、猫は急にジャンプすると、怒り狂ったように俺に襲いかかって来た。サンドイッチをよこせとばかりにからだや腕にまとわりついて来る。
「にゃにゃにゃー!にゃーにゃにゃーにゃにゃーにゃ!」
手からひったくろうと腕を振り回す。爪が出ていないのが幸いで、俺は引っかかれる事はなく、ぺしぺしとそのモフモフの腕で叩かれるだけで済んだが。俺はしかしその剣幕に耐えかねて後ろに倒れてしまう。猫は俺の上に乗ると、俺の手からサンドイッチをひったくろうとする。あと一歩のところで手を延ばして阻止する俺。
「バカバカっ俺の昼飯が〜!」
Hey...How about to try to to saute the cat?
(ねぇねぇ、猫をソテーにしてみるのはどうかしら?)
「アリスもバカっ!」
oops
(はにゃ)
一連のやり取りの最中、扉が開く音が聞こえて来た。どうやら誰かが屋上に来たらしい。昼休みに仔猫と戯れる尾張野政宗、という噂が流れるのはあまり好ましく無い。せめて女子ならこの猫を押し付けてお茶を濁すのだが・・・と思った瞬間、恐ろしい事が俺の目の前で起こった。みるみるうちに猫が泡のような光に包まれ、モワッと小さく霧が立ちこもったように見えたあと、その影の中の仔猫の影が急に大きく変化したのだ。今まで軽い仔猫を乗せていた、さして厚くもない俺の胸板は、急激な重量の増加に耐えかねて苦しくなる。ジタバタしようにも重くて全く逃げ出せない。次の瞬間に俺はさらに目を疑った。なんと気がつくと、目の前にベージュ色のセーラー服を来た女の子が存在していたのだ。中学生にも見える幼い顔つきに、頭は栗色のポニーテールが揺れている。口には何時の間にか俺から奪ったサンドイッチがくわえられていた。問題はその場所で、俺の胸の上に正座に近い形で、跨いで座っているためにとても重い。短いスカートの中こそ見えないのが幸いだが。と、俺は目の前に起きた事を評価するより先に、扉から入ってきた人物の事を考えた。昼休みに女の子と戯れる尾張野政宗、という噂が流れるのはかなり好ましく無い。しかも馬乗りだと?!俺はこの危機を脱出すべくジタバタと動いたが、到底抜け出せそうに無い。
「お、重い・・・」
耐えかねて思わず口に出してしまう。
「しふれいなひほね〜」
サンドイッチの最後のかけらをもぐもぐと食べながら、そのポニーテールの美少女ははじめて口を聞いた。最後はペロリと舌で唇をぬぐいご満悦の様子だ。今俺に何が起こっているのかまったくわからないが、初対面の男子の胸の上に座るのは失礼には当たらないのだろうか。と俺は若干自分の社会常識を修正するべきか考えたが、即座に首を降り否定した。こうなったらアリスに焼き払ってもらうべきか、と真剣に考えはじめた時、聞いた事のある声が頭上から届いた。
「何やってんのまったく」
ため息がてらに俺にチラリと目をやり苦笑し、その少女に手を差し伸べたのは総司だ。
「味見よ」
と少女は言ってペロリと舌を出し可愛く笑うと、総司の手を取り立ち上がる。
「男の?」
にやりとからかいながら総司はこちらも見た。その目は、お前も大変だったな、と気遣いが見て取れる。彼は相変わらずいつものフード付きコートだ。いくら私服の高校とは言え、その身なりででここまで堂々と入ってきたのだろうか。
「まぁ、それも兼ねてね」
少女は手のひらでスカートのお尻をぱんぱんとはたいていたが、全く汚れていない。当然だ。屋上の地面について汚れているのは俺の背中だけだ。
「政宗気をつけろよ。この女びっちだからな」
「あら、嫉妬?可愛い〜」
クスクスと笑う少女は屈託なく、まるで妖精のような無邪気なように見えたが、そういう女の子絡みの話に耐性がない俺は、確かにこれ以上彼女のそういう面には関わらない方が良いだろう。それに、先ほどからポケットの中でアリスが痛い。
「総司の知り合いか?良かったら紹介してくれないかな?じゃないとお腹空いてるのを思い出しそうで」
今度は俺が立ち上がり、背中をはたく番だった。背中にはだいぶ埃がついている。
「そうだな。この世界で生きていくなら必要だろう。こいつはカーコ。情報屋だ」
カーコと呼ばれた栗色の髪の少女は不服そうに口を尖らせると、
「あら、人間の時は加奈子って呼んでくれていのよ、総司君。それにネコの時はニャーコだよ」
また仔猫のようなニヤリとした顔を作る。見ると耳にはリボンの形のピアスがついていた。情報屋がなぜここに?俺の情報を売ろうというのだろうか。俺はつい訝しげな目で彼女を見つめる。彼女はどっちでもいいだろうそんな事、などと言う総司と小突きあっていたが、俺の視線に気づかれたようだ。
「大丈夫よ。とって食いやしないわ。君、今はまだ『どこにでもいるクラス』の所持者みたいだしね。今日はまぁ、ただの挨拶周りって事。私の顧客リストに載せるかはまだわかんないけど、とりあえずよろしくね」
日に焼けていない白い手を俺に向かって差し出す。所持者はどうも握手をするのが好きなのだろうか?いろいろと挑発めいたことを口にしていたが、おそらくは悪意は無いのだろう。それにこちらの反応を見ているとも取れたので、俺はいつものポーカーフェイスを崩さず、その手を握り返した。小さな細い指だ。さらりとしていて手触りもいい。
「しかし君がDシステム始まって依頼の二代目継承者ねぇ。なんだか拍子抜けだなぁ」
加奈子は言いながらブレイクギアを取り出す。ピンク色のスマートフォンだ。それを手のひらに乗せるともう一方の手で液晶をたたんと二回叩いた。まるで手品師がステッキでそうするような仕草のあと、なんと液晶面から小さな赤い小鳥が顔を突き出す。小鳥は周囲をくるくるっと見回すと、羽を広げて軽く羽ばたき、加奈子の肩に止まった。キュルルっと美しい声で鳴く。
「君の能力はいったいなんなの?」
俺はその光景に見とれながら、何気なく疑問を口にする。加奈子は笑いながら人差し指で下唇を触り、俺をいたずらっぽい上目遣いで見た。
「あはは、秘密よ。覚えて置いた方が良いわね。この世界では能力の情報は生命線よ?相手がどんな能力か身極めれば対策が立てられるし、自分の能力がバレれば自分の命が危うくなる。滅多な事では自分の能力を知られるべきではないわ。面と向かって聞くなんてもってのほかね」
少女はそれだけ言うと、赤い小鳥をすっと俺の方に飛ばす。小鳥は軽やかに飛び、ファサッっと優しく俺の頭に着地した。小さなその小鳥はごそごそと俺の頭に潜ろうとする。
「もぐるなよっ!」
俺はたまらず首を振った。少女はそれを満足そうに見つめると、今度はくるっと向き直る。スタスタと歩くと総司の肩をポンっと叩いた。
「総司君、やっぱりこの子を顧客にするのは少し早いみたいよ。小鳥をつけとくから、レベルが3になったらまた来てね」
言うと、今度はブレイクギアをさっと振り、彼女の天使の名を呼んだ。
「カナリアっ!」
途端に彼女の周囲からまた泡のような光が弾け、彼女は大きなカラスに姿を変えた。カアーッと一声不気味に鳴く。目が赤く光ったような気がした。
「その小鳥はサンドイッチのお代替りかな。期待はしてないけど、楽しみにしてるよ、新人君」
言うが早いかバサッと大きな音を出して飛び上がり、上空を一周するとそのまま東の空に飛び去っていった。俺はただそれをぽかんと見送るしかなかった。
5
今日は昼休みのバスケットボールに続いて、放課後の部活もサボりになってしまった。というか、これから先もし本当に積極的に天使選抜に参加するのだとしたら、部活を続けるのは難しいかもしれない。俺は帰りの下り坂を、自転車を手で押しながらゆっくり下っていた。すでに斜陽が2人を赤く照らしはじめている。俺の隣で歩いていた総司が、コーラ缶の蓋を開けながら話した。
「政宗が山手線の外側を生活圏にしているのは運が良かったな。あの中はかなりの激戦区だ。初心者が放り出されたとしたら、3日ともたんだろうな。新宿を経由しなければ他の土地に行きづらい立地なのはまずいが、手前に立川があるならそれも悪くない」
彼はぐびぐびとコーラを飲む。俺もコーラを飲みたくなってくる。目の前で飲まれると途端に喉が乾くのは人間の性質だろうか。
「新宿は何かまずいのか?」
俺は唾をのみながら聞いた。
「新宿だけはレベルがかなり高くなってからでは無いと不味い。あそこは今は大規模な徒党を組んだ連中が表立って支配しているからな。『新宿組織』って呼ばれてる。今日はとりあえず中級狩場の立川で『狩り』をしてみるとするか?ん?これ飲むか?」
俺の視線から察したのか、彼は赤いコーラの缶を俺に向けて差し出した。と、同時に俺の自転車のハンドルに手を伸ばす。
「飲む飲む。でも狩りって?」
「レベル上げだよ。倒せそうな所持者を見つけて、奇襲して倒すから狩りだ。自分の命の安全を保ってレベルを上げるにはこれしか無い」
俺は自転車を総司に預けて、代わりに彼のコーラを受け取った。缶は意外と軽かった。かなり少なくなっているようだ。俺は彼の言葉を聞いて、つい四日前の戦いを思い出していた。相手にとっては正にあれは狩りだったのだろう。もし最初の一撃ですべてが決まっていたら。俺は想像すると複雑な気分になっていた。
「そういうもんか。抵抗出来ない相手に一方的に・・・出来れば、そういうのはあんまり・・・な。天使選抜ってそこまで積極的にやらなきゃ、ダメかな?あ、これ全部飲んでいい?」
俺は総司が普段からしているその『狩り』を真っ向から否定してしまうのもどうかかと迷い、歯切れの悪い返事を返す。
「良いよ。しかし気持ちはわかるけど、戦わなきゃレベルは上がらないぞ?とにかくレベル3くらいまでは早く上げないと、この前みたいな初心者狩りに遭ってもいつまでも守ってやれないからな」
俺はう〜んと唸りながら彼の好意に甘えて、残りのコーラをすべて口の中に流し込む。まだ冷たい雫が口の中の渇きを潤していく。確かに姉は守りたいし、そのための力が欲しい。しかしそのためとは言え、一方的に相手を倒すような真似をして良いのだろうか?俺は考えをなるべくまとめながら、俺の言いたい事を振り絞った。
「総司、俺は思うんだよ。みんな何かの願いがあって、この選抜戦を引き受けたんじゃないかな?それなのに本人も、何が起こったかわからないまま、騙し討ちで倒されるのって、気持ちの整理がつかないと思うんだよな」
俺は道端の自販機脇にあるゴミ箱に缶を投げ入れると、頭の後ろで手を組み、薄雲に隠れて綺麗に光る夕陽を見た。騙し討ちと言うのは言い過ぎたかもしれない、と政宗は総司の方をちらりと盗み見る。総司は真摯な顔を崩す事なく前を見つめていた。
「政宗、願いがあるのはお前だって同じじゃないのか?」
総司に言われて俺は言葉に詰まった。まさにその通りだ。俺は負けたくない。姉さんを失うなんてもうごめんだ。ただ、それは戦う相手も同じはずではないだろうか。自分の都合だけ押し付けて、相手の痛みは見て見ぬ振りをするような真似はしたくなかった。
「俺は戦う相手と納得して勝負をはじめたい。その上でお互いの全力を出して戦えば良いじゃないか」
「敵もお前と同じ気持ちとは限らないぞ」
総司の言葉の一つ一つすべてが、鋭いナイフのように俺の意見を刈り取った。姉の顔がちらつく。俺は自分の自己満足のために、姉の命さえ危険に晒そうとしているのだ。いや、危険に晒すと言う程度の問題ではないかもしれない。俺のレベルが1と言う事を考えれば、唯一の有効手段と言える奇襲を選択肢から捨てるのはかなり無謀な賭けと言わざるを得なかった。しかし、彼を、そして俺自身も納得させるには・・・
「政宗、お前は・・・」
総司が言いかけたその時だった。俺はブレイクギアのMAPを表示させて総司に突き出す。
「総司、俺は今からPINGを押す」
俺のあまりの突飛な発言に総司は目を丸くした。
「な、お前意味がわかってるのか?ここでそんな事したら・・・」
「分かってる。だがここなら俺の家も学校もカバーできる範囲だ。とりあえず今PINGを打ってこの圏内の所持者をすべて倒せば、俺の生活圏周辺の安全はほぼ確保されるはずだ。そうすれば、狩りもしなくて済む。当面は平穏に暮らせるはずだ」
総司はくしゃくしゃと頭を掻いた。面倒臭い奴に出会ってしまったと思っているのだろうか。彼は隠しているつもりかもしれないが、俺はすでに彼の本当の気持ちに気がついていた。彼にとってはまだ俺のアリスはできれば死なせたくない存在なのだ。彼の気持ちもわかる。今や俺の命は俺の命ではなく、彼や姐さんの大切な物が詰まっているのだ。だが・・・それでもなお、俺はPINGを押す事に躊躇いはなかった。むしろだからこそ、今ここで納得の行く方法で決着をつけたかった。
「正気か?考え直す気はないのか?」
ユーリも総司に加担する。
I must say that your behavior is a hasty
(その行動は性急と言わざるを得ません)
途端に、総司にむけて突き出した俺のブレイクギアのMAPが勝手に文字表示画面に切り替わる。もちろんアリスだ。
Oh dear. He says he just does it
(あら、彼はやるって言ってるのよ?)
しばし沈黙の時間がながれた。ふとどこからか、可愛らしい声が聞こえてきた。
「なかなか面白いじゃない」
俺はびっくりして周囲を見渡すが、誰も見当たらない。ふと総司の顔を見ると俺の方に目線が固定されていた。いや、正確には俺の頭上か。気がつくと頭から赤い小さなカナリアがむくりと顔を突き出している。俺の頭に潜り込んでいたカーコの小鳥だ。カナリアは俺の肩に止まるとキュルルっと鳴き、首を二、三度かしげるとまたしゃべり始めた。
「レベル1ボルトがPINGを打つなんて聞いた事ないわ。何が起こるのかしら。楽しみね?」
俺は突然の事に驚いて呆気にとられるが、向かいの総司を見てみると、どうやらあちらは完全な呆れ顔だ。
「簡単に言うなよカーコ。それともカナリアだからカナコか?下手すればお前とも今生の別れだぞ」
カナリアはキュルルっと笑うように鳴くと、事も無げに反論した。
「こんな田舎町にそんなに大勢、所持者がいるわけないでしょー。いたら楽しいけど。もし生き残ったら私の顧客リストに入れてあげても、いいわよ?」
「確かにそれはそうなんだが」
総司ははぁ、と大きなため息をついた。俺をきっと睨む。
「政宗、好きにしたら良い。正直お前のやり方はアスカに似てて、気に食わんな」
総司は不機嫌そうにガードレールにもたれかかった。そしてまた何度目かになる、ひときわ大きなため息を着いたあとつぶやく。
「半分くらいは俺が持ってやる」
俺は思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう」
俺は皆の目をもう一度見たあと、静かにその黄色いボタンをタッチした。
6
私のブレイクギアーが鳴ったのは、部活中に先輩に隠れて、ちょうど彼氏からのメールに返信しようとしていた時だ。ひときわ大きくピピっという警告音が鳴ったものだから、それはそれはびっくりした。まず私がしなければいけないのは、とりあえず先輩に睨まれるのに耐えながらなるべく苦しいふりをして保健室に向かう事だった。それもまぁ厳しいのだが、なんとか美術室を抜け出せば後はどうとでもなる。私は渡り廊下を渡って本館に移ると今度は階段で一階へ。運が悪い事に、相手はこの学校の前の坂を下った所にいるようでかなり近い。先手必勝であるべきか、それとも敵を待つべきか・・・私の天使の能力は今のところレベル2の『水軍』があるのみだ。攻撃に水を必要とするこの能力はいざ戦闘になった際には位置取りが物をいう。雨の日ならまだしも、今日はかんかん照りで水溜りすらありゃしないから、こちらからノコノコと相手の前に出るわけには絶対いかないな。と私は防戦に心を決めた。二年B組の教室に戻ると、予備のスケッチブックを自分のカバンから取り出す。何人か教室に残っていた生徒に挨拶をしてから、足早にあらかじめ決めてあったルートでプールに向かう。幸いMAPでは敵がすぐ様近づいてくる気配はない。このまま敵のマーカーが消えてくれるのが私としてはベストだ。それは私と同じようにPINGを受けた誰かが、この敵を倒した事を意味する。私はプール脇の部室棟についた。ここは校庭にも面しているからほとんどの運動部の部室があるし、人通りもある。遠目から私が一発で所持者だと気づかれる事は少ないはずだ。それにいざとなれば部室棟の裏側からプールに入って水軍の能力を使う事もできる。体育館からプール側に関してはこちらからのも校舎からも死角になるから、私の能力を使うのに不足は無い。しかも本日は水泳部が休みの日。私は条件が整っている事に軽い武者震いを覚えた。いよいよここで、この学校の中で戦いが始まってしまうのだ。私は興奮を抑えると、不自然に見えないように、用意していたスケッチブックを開いて、道端の何気ない花のスケッチをはじめた。いざという時のために、護身用としてナチュラルミネラルウォーターのペットボトルをコトリと傍に置いた。
7
俺は敵が動かないのがどうしても気にかかった。ブレイクギアーを手に入れて一年になるが、今までPINGを打ってきた奴は一人もいない。もしそれを打つ奴がいたとしたら、それはそいつが勝利を確信した時に、最後の仕上げに打つはずだと、風の噂では聞いていた。だからどんな怒涛の攻めが来るかと警戒したが、ここ数分何も動きはない。敵はその場で動かずじっとしているだけだ。俺にとって幸いだったのはバイトシフトが終わった瞬間だった事だ。俺は急いで服を着替えると店長に挨拶をしてピザ屋を後にした。とりあえず今の場所から離れる必要がある。PINGを打った奴が砲撃系能力の持ち主であれば、砲撃を開始できる距離だ。なぜそんな事がわかるかって?それは俺が『砲撃』の能力者だからだ。しかし今のところ砲撃が来る様子もない。他の奴らに砲撃を加えているのだろうか。と、思ったところでふと、俺は閃いた。もしかしたら敵が動く様子がないのは、動かないのではなく動けない・・・つまり強力な近接タイプを呼び寄せてしまったのではないだろうか。だとしたらこの好機を逃す手はない。圧倒的なチャンス。二人まとめて葬れば、レベルアップも夢ではない。俺はブレイクギアを取り出した。
「ドーラ、奴をやっちまおう」
Es ist OK. Colonel.
(了解ですわ、大佐)
俺はブレイクギアから今回の任務に最も適した『砲台』を選択した。まぁ、大概の局面はこれでなんとかなるM777 155mm榴弾砲だ。選択すると同時に俺の傍に巨大な砲台が出現する。俺は天使にテキパキと指示を出した。本来はブレイクギアーのタッチパネルをクリックするだけでその場所に弾丸が落ちるはずなのだが、俺はいまいちその自動計算を信用していない。大学で学んだ物理と数学の知識をフル動員して、俺は弾道計算式を自分で導く。
「焼夷榴弾込め、仰角58.3 方位170・・・撃て!」
同時に轟音と閃光があたりを包んだ。曲射用の強力な弾丸が上空に向かって消えて行く。と言っても、こいつは実際の火薬を使用するのではない。デジタリゼーションされた天使にだけ効果を発揮する、デジタル兵器であり、従って普通の建造物に当たった所でガラス一枚割る事はできないのだ。敵にもこの発射音が聞こえているはずだが、果たしてどう出るかな?
「次弾装填、トレンチを変えるから座標固定は待て」
俺は移動しつつ天使に次の指示を出した。何時の間にか榴弾砲はその姿を消している。
Ja(はい)
俺が仕込んだドイツ語でやつは答えた。
8
こいつは意外と粘るなぁ。と私は思いながら、まったく人通りのない空き地を対戦場所として選んでくれた事に、少し感謝した。相対した時に、このパーカーを着たボサボサ髪の男は真剣勝負を申し出た。初めての経験に私は疑心暗鬼そのものであったが、何時の間にか、不思議と全力で武器を振るう爽快感に身を任せていたのだ。思えば、こうして全力で槍を振るえたのは、はじめて覚醒した時以来ではないだろうか。と、考えを巡らせながら、私は右手に構えるランスを能力で加速させ、神速の突きを見舞った。天使のレンジ別の分類で言う所謂『近接型』の中でも屈指の突進力を持つ槍の一撃が、容赦なく相手の喉元を襲う。これは当たればただの痛みではない、通常の数倍の痛覚が持続して発生する『貫通』属性の衝突判定を持つスキルだ。一度でも急所に当たれば、痛みに相手は立ち上がる事すら出来ないはず。事実、先ほどこの少年の肩を貫いたおかげで、彼の右肩はやはりかなり痛むらしく、少年の攻撃は彼自身気がつかぬうちに左手からの発生に頼るようになっている。あと一歩、胴体部のどこかの急所にさえ打ち込めば勝てる!スピアの穂先が閃光となって彼の喉元に触れようとした、その時だった。完全に捉えたと思ったその瞬間、敵は青く光る左手で槍を払い軌道を反らす。紫電があたりに飛び散った。これだ。この敵はこれが危ない。私は大地を蹴って後退する。敵の手が薙がれるのと同時に、放射状に青い電束が伸び、私の持つ盾をあと一歩の所でかすめた。ピリピリと、盾越しに私は左手の痺れを感じる。この男、手数は少ないがこう見えて無敵時間を利用したカウンター攻撃を確実に狙って来る。この攻撃バリエーションの少なさはもしかしたら低レベル帯なんだろうか。かく言う私もレベル3『騎士』の能力をもつものの、攻撃手段と言えば『スティング(突き)』のみだ。私たちはお互いに着地し、距離をとって構えた。ふと相手の男の声が聞こえる。彼は既に汗だくで、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「やっぱり無茶だな、こんなの」
相手の男の頭からぴょこりと赤い鳥が顔を出すと、日本語をしゃべり始めたので私はびっくりする。彼の天使の能力なのだろうか?
「出来てるじゃない。あなたの能力なんて電束の放射間隔で無敵判定を自由にコントロールできるんだから、すごく楽な方よ?」
なんだろうあの鳥は。すごく羨ましい。欲しい。と思いかけ、私はぶんぶんと首を降った。
「あ、あなた私でカウンターの練習してるわけ?!信じられないわ!」
「仕方ないだろ!こっちだって生き残りたいんだから!」
そう言いながら、彼は再び左右の両手から電気をスパークさせて突撃して来る。この少年はこの攻撃一辺倒だが、この一見無謀な戦法が相手をしてみると一番難しかった。と言うのはこの『騎士』の守りの要である、レベル2能力の盾によるオートガードは、この男の電撃にはまったく意味を成さないからだ。電撃はいとも容易く盾を伝い私に直接ダメージを与える。とすると、電撃を防ぐ手だてはリーチを活かした先制攻撃しかない。しかし騎士のDシスタムアシストは『突き』のみにしか適用されないため、どうしても攻め手が単調になりがちなのだ。一度目は相手の肩口に当たり、貫く事が出来たが、2度目と3度目はお互いの無敵判定中に手を弾いたのみ、4度目と5度目の競り合いではこちらが不利になっている。先ほどから敵は突きに対して、次第に反応を高めて行っているのは如何ともし難い事実であった。これは使いたくなかったが・・・仕方ない。私は奥の手を披露する事にした。認めざるを得ない。相手は戦いの中で急速に進化する、恐るべきルーキーだ。こんな相手には様子を見るための攻撃も、餌をやるようなもの。早くとどめを刺さなければ取り返しが付かなくなる。私は突進して来る相手を迎え撃つべく、突きの姿勢から腰を屈める。相手はすでに4m程の距離まで迫っていた。私の意識が加速し、世界がスローモーションに見えてきた。音が私の世界から消える。極限の集中状態。問題はここからだ。スキルを使うのはタイミングが命だ。敵が対応出来なくなる、反応の外側へ。スローモーションの世界の中で私は彼の手から電束がものすごい早さで鞭のように振りかざされるのを見ながら、突きを加速させた。そして、同時に脚に力を込める。
「ジャンヌ、行くわよ」
口の中で小さくつぶやいた。
Okay, I found
(はいはい、わかりました)
と、その瞬間私の踏みしめた大地は弾け飛び、体は急速に彼の左手の脇に滑るように移動する。一歩目を右足で大地を蹴り、左の足を軸に体をくるりと方向転換させると、敵の左側面に回り込む形となった。最後に右足を大きく横に踏み出してカウンターウェイトを相殺し、体勢を立て直す。右手の槍のアシストは既に発動していたので、腕は僅かしか動かす事が出来ない。私は踏み出した右膝の角度を微妙に調節する。敵の脇腹、出来るだけ威力係数が高い位置にその攻撃が叩き込めるように、わずかに重心を下げる。ここだ!と思った瞬間に緊張の糸が切れ、時が動き出す。バリバリという彼の電気の発する音が私の耳に戻ってくる。と、全く同時に私のレベル1スキル『スティング』はスピアを急激に加速し、そして彼の脇腹に最大の一撃を叩き込んだ。私の奥の手、この足捌きは騎士のレベル3スキル『ステップ』だ。三歩だけ脚による移動を高速加速する能力。騎士能力を持つ天使が、近接系の中でも攻撃・移動・防御のバランスが最も良いとされる所以である。もっとも、最後の一歩は姿勢制御に費やされるのが専らの実情でもあるので、実質の加速は2歩とも言えるのだが。彼の体に深々と槍が刺さる。焼き鏝でえぐるような恐ろしい痛みが彼を襲っているはずだ。少年は苦痛に顔を歪める。私が勝利を確信し、即座に槍を引き抜こうとしたその時だった。時間にして一秒に満たないその僅かないとまに、なんと彼は次の行動に出ていた。彼の手が伸びると私のスピアの根元をぐっと摑み、それをさらに引きつけたのだ。あり得ない事だった。自ら敵の槍を掴んだだけでなく、その状況で自分に深く刺したなんて。私はその状況が信じられなくて、ただ目を丸くする。と、彼のもう一方の手が私の盾に伸びていた。
「アリスっっ!頼む!」
I can not look
(見てるこっちが痛いわよ)
と同時に、青白い電気が光を撒き散らしながら暴れ狂い、とんでもない電流が私に流れ込んできた。
「くぅっ!」
私は苦痛に声が漏れ、顔がゆがむ。まさかこれほどの攻撃力があるとは『属性系』をあなどっていた。私のライフがみるみる削られるのがわかる。私はなりふり構わず槍をなぎ払い、男を無理やり引き剥がした。二人はお互いひどい有様のまま衝撃で吹き飛び、地面に無様に転がる。埃と土まみれになりながら、私は体の痛みに耐えてうずくまった。彼も遠くで地面に伏すのが見える。痛みだけは『貫通』攻撃を急所に食らった彼の方が何倍も大きいはずだ。
「やっぱり思った通りだわ」
カナリアがまたピョコンと顔を突き出した。
「政宗君、君は今まで『ボルト』の使い方を間違ってたみたい」
政宗と呼ばれた男は呻きながら黙ってその説明を聞いていた。痛みで立ち上がれないらしい。やはり効いている。私のスピアには確かな手応えがあった。カナリアは彼の苦しむ素振りなど素知らぬふりで話し続ける。
「つまりね、ボルトのレベル1スキルっていうのは本来ゼロ距離で使うものなのよ。静電気みたいにね。でも君の発する電気はなぜだか強すぎるみたい。空気の絶縁をも簡単に超えてしまうほどにね。それで中距離攻撃みたいに見えてたのよ」
「俺の・・・電気が強い?」
少年はやっと絞り出した声で質問を返した。鳥はめんどくさそうに少年の頭をつつく。
「能力自体は100種類くらいしかないって言われてるわ。でも、その能力を持つ天使は個々に微妙な能力差があるのよ。こんなに強力なレベル1スキルは聞いた事無いけどね。君多分、逆に高位のスキルは弱いかも」
カナリアはキュルルっと楽しそうに鳴いた。どうやらこの鳥、完全にこの少年の味方と言うわけでは無いらしい。私はその興味深い説明に耳を傾けながら、自分のブレイクギアの画面を見た。ライフはわずかしか残っていない。すでに危険区域と言えた。確かにレベル1スキルとしては規格外の威力だ。しかしそれ以上に、あの痛みの中でなお相手と肉薄するために前に突き進む意思は、一体どこから来たと言うのだろう。私は覚悟を決めて、ほとんど自分に言い聞かすようにつぶやいた。
「なんにせよ、決着はつけなきゃね」
私はなんとなく自分の運命を受け入れながら、目の前のパーカーの男を見据える。これが最後の戦いになるかもしれないと、はじめて予感していた。彼はまだ痛みでもがいていたが、このまま黙ってやられる奴とも思えない。私は両手の武器を構えて、なるべく慎重に彼に近づく。と、その時だった。私と彼のブレイクギアーが突然大きな警告音を発したのだ。と、遠方から低い砲撃音がかすかに聞こえてきた。
While you are procrastinating, it looks like the Stinker
(あなたがゆっくりしてる間に、困った奴が来たみたいよ?)
ジャンヌが私に告げる。相手の男もブレイクギアを目にしていた。
Flee soon.
(早く逃げないと)
Humpty Dumpty is falling you.
(取り返しが付かない事になるわよ)
「か、らだが、動かねえだよ」
男は体を捩って無理に立とうとした。だが再びよろけ、その場にひれ伏した。私は無我夢中で武装を解除し、咄嗟に彼の体を支えてしまった。自分でも自分の行動が信じられない。
「なん・・で?」
もはや余裕が無い様子で彼は短く聞きながら、なおも立とうと足に力をいれる。私自身にもその問いの答えは分からない。
「安全な所まで運ぶわ」
気がつくとそんな事を口走っていた。一体何が私を動かしていると言うのか。
「大丈夫だから、置いていって」
男は虚ろな目で私を見た。
「冗談やめてよ。あなたのライフは私が必死で削ったのよ?経験値は私の物!」
思わず口にしたが、それ以外にも理由がある気がした。この男との戦いを、こんな形で終わらせたくない。それは私の中で芽生えた本当の気持ちだった。そうか、私にもそんな気持ちがあったのかと自分で驚く一方、やっと芽生えた気持ちを無駄にしたくないと私はできる限りの事をしようと心に決めた。私は彼の腕を首に回し、肩を待ちあげる。彼のうめき声が聞こえた。肩を貫いた傷を触ったようだったが、そんな事を気にしている場合ではない。敵がどの座標を指定して発砲したかはわからないが、弾頭の選択によってはかなりの広範囲を焼き払うこともできるはずだ。今の二人のライフでは威力よりも、範囲を重視した弾頭で十分電子化を解除できる。もう幾ばくも時間がない。見上げると彼方から飛来する物が見えた。
9
俺はブレイクギアを取り出して確認した。初段の着弾まであと20秒後ほどだ。この成否で次の射撃を考えなければいけない。気になるのは、相手がまったく動かなかった事だ。動く事が出来なかったか、もしくは動く必要が無いのか。前者の場合は簡単だ。おそらく敵と近接能力者の間で戦闘が行われ既に瀕死の状態に陥っているか、もしくは拘束系のスキルを使われている。この場合は正にその近接能力者はご苦労様と言ったところだ。とどめは俺が指すことによって苦労せずに俺は大量のポイントを得ることができる。このケースならお相手の近接能力者は俺の射撃音を聞いて既に逃げている可能性が高く、二人同時撃破は難しいかもしれない。だが、問題は後者の方だ。もし敵が逃げる必要が無いほどの、高度な防御スキルを持っていたとしたら?その場合はこのPING自体が奴の罠だった可能性もある。その場合は一番のカモになるのはのこのこと攻撃してしまったこの俺だ。俺はブレイクギアを見つめた。さぁ、結果はどっちだ?俺にその答えを示してくれ!しかし、結果が示したものはそのどちらでもなかった。俺はしばし唖然とする。画面には二つの点が俺と戦闘中扱いの表示で現れたのだ。どういうことだ??俺は混乱をなんとか抑えつつ、状況を整理する。まず新たに現れた敵は誰か?奴と戦っていた近接能力者と言う線はあり得ないだろう。俺の発射音を聞いていれば、必ず逃げているはずなのだ。それに奴が未だ健在だと?奴は瀕死ではなかったというのか。という事は奴はこの攻撃を防ぎ切るほどの防御スキルを持ち、俺をおびき寄せるためにPINGを打ったという事になる。はめられたのか俺は?一緒にいる奴は奴の仲間でグルという事か?俺はなるべく早く、倒すべき敵を見極めるべく思考を高速回転させた。
「ドーラ!奴を叩き潰すぞ。一番デカイ大砲持ってこい!」
Möchten Sie den Vorgang fortsetzen?
(よろしいのですか?)
「構わねえよ!奴の予想を上回る力で、防御スキルを突破するしかねぇ!」
俺は奴に最大の一撃を見舞うため、臼砲を召喚した。俺の1stの全攻撃力を注いだ最後の全力生成だ。これで奴の防御スキルを突破出来なければ俺にできる事は無いと言える。恐らく奴はバリアのような物で砲撃型の攻撃を凌ぎつつ、自分の周りに固めた近接型の仲間に敵の場所を指示しているはずだ。現場では奴しかPINGを打っていないから、奴を潰せば指揮者はいなくなりチームワークは瓦解。俺が狙うべきはこれだ。俺は路地裏に召喚された全長11mの鉄の塊によじ登ると、敵に向かってもう一度砲撃を開始した。
10
二度目の砲撃音が鳴り響き、傍らのペットボトルの水が揺れた。一体遠くで何が起こっているのか。最初はPINGの犯人と共に砲撃手が動いているのかと推測して警戒したが、回避のために位置を100mだけ移動して私が座っていた部室棟の裏あたりを観測しても何も着弾しなかった。今度も同じように、もと来た所に移動するだけだ。もっとも、相手が移動する先も計算して砲弾を撃つのが本来の優秀な砲撃手というものであるから、これで避けきれるという確証はない。私はブレイクギアを取り出すと障壁出力を厚めに設定して範囲を15%まで絞った。
「ごめんね、ヴァン。しばらくここに入ってて?」
キャスケット帽の中に上向きに入れると、そのまま頭にカポッとかぶる。上空から砲撃が来るとわかっていればこれで多少の足しにはなるだろう。しかしその時だ、さらに私を困惑させる事が起こった。ブレイクギアからもう一度高らかに警告音が鳴り響いたのだ。
「新しいPING?」
思わず口に出しながら顔をあげると、既にもう手遅れというくらい敵は近くに来ていることを私は悟った。ちょうど10mほど先に見えるスマートフォンを覗く男と目が合ったのだ。しまった、ブレイクギアーの警告音を聴かれた!私は自分を落ち着かせようと努力した。落ち着け皐月美憂。私だって丸腰じゃないでしょ!男はゆっくりと歩いて私に近づいてくる。フード付きのコートを着ており、目深に被ったフードから覗き見る目は幼い子供を思わせる。背の低い体と相待って一瞬だけ女の子かとも思ったがよくよく見るとそれにしては歩き方も横柄で、目に宿る光も隙がなさ過ぎた。私に近づくと、彼はそこでピタリと止まり口を開く。やはり男の声だった。
「所持者だな?」
敵は目を細めながら、煩わしそうに口を開く。そんなに煩わしいなら喋らずにいっそ襲いかかってきて欲しいと思った。私はもう、戦いは不可避と割り切り、しらばくれる事なく素直に答える事にした。もちろん戦いに備えて右手にはペットボトルを持っておく。
「そうよ、あなたも?」
私が彼を忌避しているのが見て取れたらしい。苦笑しながら彼は続けた。
「そうだ。いや、俺も嫌なんだが『約束』でな」
私は頭に?マークを浮かべる。戦いの前に話しかけるなんて、敵もやたらと酔狂な男だ。そもそもこんな夏に黒のコートを着ている時点でおかしい。もしかしたら黒い色だと有利な能力なのでは?とも思ったが、そんな能力には心当たりがなかった。
「今から勝負をしてもらう。真剣勝負だ。これは奇襲をしないという意味での宣戦布告だ」
律儀に男は言うと両手を構えた。
「良いな?宣戦布告はしたからな?」
なぜか確認する。どうやらこちらが『うん』と言うまで、動く気が無いようだった。
「わ、わかったけど何よその宣言」
「約束だよ」
男は一言つぶやくと、即座に両手をクロスさせて構える。手には指の間に握られた8本の鉛筆があった。
「こいつ、投射?!ヴァン、防御を・・・」
ジャケットのポケットに手を突っ込んで私ははっとした。そういえばブレイクギアは帽子の中に・・・
Please do Crouching, Meister
(屈んでください、マイスター)
「こう?」
私は言うがままに、その場で頭を抱えて屈み込んだ。途端、私の頭から障壁が展開し、敵の投射をすべて防ぐ。私はすぐさま帽子を脱ぎ、ブレイクギアを取り出すと左手で目の前に構えた。
「行くよ、ヴァン!」
右手に持ったペットボトルが突然弾け飛ぶ。あまりの事にさすがの敵も驚いたようだか、こんなのは序の口だ。私は右手で大きく弧を描くと、空中に飛び散った水が集まり、追随して美しい円となる。
「驚いたな。初めて見た。水軍か?」
今まで平静な顔だった男が目を丸くした。そう、これは1stとしてはレア中のレアらしい、水を自在に操る能力『水軍』だ。私は水を纏うように体の周囲に展開した。
「そうよ、全く。レベル3になるまでなるべく能力の先見せはしたくなかったんだけどなぁ」
私はポケットから絵筆を取り出す。なんとなくこれを持っていると調子が良い気がして、戦闘の時にはお護りの代わりに持ち歩いているのだ。私は杖のように絵筆を振った。敵に向かって筆を伸ばす。
「ヴァン、水圧カッターよ!」
水を相手に向かって細く、素早く放射する。しかしカッターというのはフェイクだ。水は敵に触れる直前に霧と化して敵を包む。私は敵の目をくらませた隙に、急いでプールに向かって走った。今の手持ちの500mlだけでは投射を相手にするにはいささか水の量が足りない。私はプールまでの100mを直線距離で走り抜けたかったが、長い直線を投射能力者に背を向けて走るなんてのは、自殺行為以外の何物でもない。それを我慢し、脇にある体育館棟の建物内部に走り込む。私は体育館棟入ってすぐの階段を登り、二階に出た。体育館棟の二階には簡単な会議室があり、その先には体育館の上をぐるりと囲むキャットウォークが配置してある。私は誰もいない会議室を通り過ぎると、キャットウォークに出た。敵が階段を登ってくる気配がする。私は急いでキャットウォークを歩く。階下では体育館でバレー部がモップをかけているのが見えた。私は気づかれないようにできるだけ早く静かに一番南側の窓のそばに移動すると、まどを開けてするりと外に出た。出る瞬間に後ろを振り向くと、キャットウォークに現れた彼と目が合う。外は風が強く、左右で二つにくくった長い髪の毛をバタバタと乱したが、そんな事は構っていられない。わずかしか幅のない整備用通路をたどって私は体育館の屋根の上に登った。胸はドキドキしっぱなしだ。私は以前から校内で襲撃を受けた時のシミュレーションを頭の中で繰り返してきたが、これはなるべく避けたかったパターンの一つだ。しかし意外にも冷静にここまで来れたことは、ここまでのシミュレーションが無駄ではなかったことを意味しているだろう。窓のところを見ると、彼が顔を出している。何かを投げようと振りかぶりながら、猛然とこちらに向かってきている。しかしもう遅い。私は全力で踏切をつけると、体育館の屋根から、隣の誰もいないプールに向かって全力で飛んだ。
11
俺を包み込むように爆風が広がっていた。と言ってもこれはデジタリゼーションジャミングの一種でせいぜい欺瞞効果の付与に効果があるくらいだ。火薬を使用したことによる副次的なものではない。爆風が晴れると見上げるその向こうから姿を表したのは空と、そして俺より少しだけ年上と思われる少女。この街にもう一つある私立高校の制服を着ている。茶色のショートヘアで前髪だけぱつんと横にカットし、その下から覗くのは凛々しい眼光。騎士の彼女だ。彼女は雄々しく巨大な盾を頭上に構えていた。俺は着弾の瞬間を思い出した。この少女は地に伏して動けない俺を救うために自らの残り少ないポイントで盾を生成し、守ったのだ。
「ありがとう」
俺は体を起こしながら彼女にお礼を言う。痛みはまだ俺の体を蝕んだが、なんとか口は動くようになっていた。少女は照れたように頭を掻いた。
「別にそんな・・・あなたのためと言うよりかは私のためで、その」
もごもごと口ごもっていると、また新たな砲撃音が鳴り響く。今度は先ほどと桁外れに大きな音だ。
「ちぃっ!」
2人揃って舌打ちをする。
「どうする?逃げるか?」
俺は足を踏みしめて何とか立ち上がる。
「そんなフラフラの足で?今の砲撃音だとかなりの口径の弾頭だわ。少し動いたくらいじゃ意味無いわよ」
「じゃぁ、2人で障壁を張るか?」
彼女は鳩が豆鉄砲を食らったかのように目を丸くしていた。どうやら、二人で協力するという発想がなかったらしい。そしてクスクスと笑う。
「あなた、私があなたを背中から刺さないってなんで信じられるの?本当に変な奴ね」
ボロボロの格好で少女はひとしきり笑ったあと、また顔を真剣に戻した。
「良いわ。私もとっておきを使ってあげる。その代わりあなたも協力しなさい」
「わかった。何でもする」
「ふぅん、何でもね」
少女は言うと盾を消し、今度はブレイクギアを操作するとまた巨大なスピアを召喚した。先ほどまでの立会いで使っていたものと比較にならないほど大きく、長い。武骨な鉄の塊だ。柄には麗美な装飾が金のしつらえで施されている。長く塔のように伸びあがった刀身の頂上付近には旗さえつき、風になびいていた。まるで式典用の聖槍だ。
「これが私の1stの全力生成よ。もはや突く力すら残ってないわね。この切っ先は単分子分の厚みしか持たないの。あなた、針の上で天使が何人踊れるか知ってる?」
ニコリと笑うと、少女はその体に不釣り合いな大きな槍をガチャリと動かすした。その鋭い切っ先で北北西の空を指す。
「音か聞こえたのはあちらからよ。距離はわからないけど、おそらくほぼ真上から最大で秒速220mの弾丸が飛んでくる」
俺はゴクリと唾を飲んだ。そんなものをどうやって迎撃しようというのか。
「あなたは反射神経が良いみたいだから、お願いするわ。その弾頭を障壁で0.1秒だけ受け止めなさい。ただし、障壁強度は1700以上、距離20.0を最低維持」
「ちょ、ちょっとまて!そんなに強度と距離がいるのか?それじゃ範囲が本当に小さく・・・」
Oh, it 's bigger than the tea spoon?
(あら、ティースプーンよりは大きいわよ?)
アリスがまた俺をからかう。
「信管の作動を防いでそれの物理エネルギーを受け止めるには、それしかないわけよ。君もすっからかんになっちゃうけど、運命共同体よ。よろしくね?」
俺はもう一度固唾を飲み込み、イタズラっぽく笑う彼女の目を見た。
12
砲撃を終えた俺はひと仕事終えたような気持ちで。着弾の時を待っていた。先ほど二つ目のPINGがあったのはびっくりしたが、自分とは全く関係ない方面で戦っているようだし、この場面でPINGを打つということは十中八九近接型だろう。近づかぬ限り恐れる心配はない。俺はMAPを監視しながら缶コーヒーを飲んでいた。その時だ。目の前に見知らぬ男が現れた。妙にしつらえの良いスーツを着こなしている。顔は精悍で冷たい印象を受けるが、体はやけに大柄だ。髪はボサボサと長い黒髪が、赤い紐で結われていた。男は急に口を開いた。
「君は所持者だな?」
低く、威圧感のある声で俺に聞く。俺は飲み込みかけたコーヒーを吹き出しながら二、三度むせた。こんな事を言ってきた奴は生まれて初めてだ。
「お、お前は?」
「私は、そうだな。『ダディ』と巷では呼ばれているようだがな」
俺はハッとした。風の噂で聞いた事がある。超一流の近接型で、戦う前には名乗りをする事を好む。ゆえに奇襲者には容赦がなく、相対した者は斬撃による『貫通』属性ダメージでとことん恐怖を与えられて敗北するという。筋金入りのバトルマニアだ。
「よくもまぁ、これだけ街中で砲撃をしてくれたもんだ。これではディナーも出来ないよ」
スーツの男はくいっと手袋をはめる。
「ここに他の所持者が集まるのも時間の問題なんでね。その前に元を絶っておく事にした」
男はブレイクギアーを取り出す。黒いスマートフォンだ。
「アイ、出番だ」
Goody!(わーい)
男がひゅんと手を降ると、右手にはすでに日本刀が握られていた。どうやらこの男、噂どうりの『侍』能力者か。俺は仕方なくライターを取り出した。火力を強化してある特別な奴だ。右手で火をつけて左手の人差し指を近づける。途端に炎は俺の人差し指に吸収され、俺の指の上で火はどんどん大きくなる。
「ほぅ、『分子運動制御』か。なかなかいい2ndじゃないか」
曲芸でも見せられているような気楽な表情で奴は言った。どうやらまったく俺の技を脅威と思っていないらしい。
「俺は砲撃が好きだから、あまり使った事は無いが・・・な!」
俺は言いながら炎の球を奴向けて飛ばしてやる。しかし奴は刀で軽くそれを掻き消した。あまりに無力だ。この2ndのどこに強さがあるか、俺にはまったくわからなかった。相手はため息をついた。
「見ていて惨めだな。砲撃能力の強力さを頼りに、そこまでレベルを上げたのだろうが。まるで研鑽というものが出来てない」
「わりいかよ!これでいて砲撃にもノウハウってもんが・・・」
言葉の最後も待たず、ダディは砲撃者を一刃のもと切り伏せた。ゆうに5mはあったはずだ。あまりにも素早い一瞬の踏み込み。
「考えぬものに生きる資格なし」
俺の腹には激しい痛みが走る。これが貫通系か。想像以上の激痛の中、俺の意識は薄れていった。最後の相手として名高い強敵と戦って負けるなら、これで良かったのかも知れない。むしろ俺らしい、と薄れゆく意識の中で俺は何となく感じ、目を閉じた。
13
射撃戦で分が悪いと思ったのは生まれて初めてだった。敵の技は簡単に言えば超高速、超高圧に圧縮された水鉄砲だ。問題は彼女がプールにいる限り、弾がほぼ無限に補給されているという事と、彼女の能力は防御にも絶大な威力を発揮するという事だ。俺は覚悟を決め体育館で拝借した傘を、愛用の鎖に括り付けた。
「逃げてばかりいないで、攻撃しなさいよー!」
彼女の声が響く。俺は体育館の上から未だに砲撃戦の構えだ。あのプールの周辺はまさに敵の腹の中も同じだろう。本来ならばわざわざ飛び込んでやる道理はないが。俺は傘の感触を確かめた。とっさに思いついた作戦にしてはなかなか良いかも知れない。
「その水軍ってやつは・・・」
俺は彼女に聞こえるように口を開いた。体育館の上から彼女を見下す。彼女は水軍の能力で作ったプールの浅瀬に立っている。モーゼの十戒を想像させるような構図だ。
「単なる水鉄砲か?それじゃ俺は倒せんぞ」
「なんだとー!見てなさい!」
やはり、と俺は思った。あの女、水を得た魚ではないが、水を大量に得た事で気持ちが大きくなり、今までの慎重さを失っている。ちょうど、アクションゲームでバリアがあると逆に操作がデリケートさを失うようなものだ。彼女はブレイクギアーをひと振りすると、大量の水を持ち上げた。プールの半分ほどにも相当する大容量のハイドロキャノン。これは確かに当たればひとたまりもないが・・・しかし俺はこの時を待っていたのだ。俺は助走をつけると、彼女めがけて正確な角度で飛んだ。それを見た彼女は天使をけしかける。
「この状況で姿勢制御出来ない空中に行くなんて、自殺志願者なの?ヴァン、全力であいつをやっつけて!」
やはり、このチャンスに乗じてきた。彼女の後方に待機していた残りの水もすべてを注ぎ込み、プール一杯分の全力のハイドロキノンが俺を襲う。まるで龍のような唸りをあげて、それは俺に迫った。この量の水を自在に操るなど、なんたるセンスだろう。本当にこの娘は大したものだ。デジタリゼーションを解除するのが惜しくなってくる。しかし、俺に言わせればまだまだ経験不足の感は否めなかった。何故ならば俺にとってはこれこそが待っていた瞬間だったのだ。俺は空中でギリギリまで水流を引きつけると、右手の傘を投槍のように構えて投射を開始する。そして投げつける瞬間、傘を開いた。敵の水流と俺の傘が激しく激突する。これがただの傘ならば、俺は傘ともども奴の水流に飲み込まれていただろう。しかし、傘は彼女の放つ水流をガードし、弾き飛ばしながらなおも勢いを止める事なく前進を続ける。俺はその後ろで水を防いでいた。
「なんで?!そんな小さな傘に私の水が負けているっていうの?」
彼女は驚きを隠せない。俺はユーリと出会ってからずっと考えていた。なぜ爪楊枝や鉛筆など、決して硬いと言えない素材のものが、敵に対して有効なダメージを与えるのか。俺は何度も研究を重ねた結果、投射に対して一つの結論を得るに至ったのだ。その答えは簡単だったのだ。これらの投射物は、赤い光に包まれている間は、無敵判定を得ていたのだ。今や彼女が生み出す滝を切り裂く剣となった俺の傘は、奴の水流をぐんぐんと弾き、やつに近づいていく。そして、ガキンっという鈍い音と共に俺は傘に引っ張られた。先ほど結わえ付けた鎖の片方が俺の右手を引っ張っている。俺は右手にわずかな痛みを感じたものの、ぐんぐんと引っ張られ奴に近づく。奴の水流に打ち勝ち、あとわずかでこの流れを乗り切るというその時だった。凄まじい音と共に傘は歪み水流に押しつぶされた。投射の投擲時間制限に達してしまったのだ。
「あはは!甘く見てたようだね!水軍を!」
彼女は高らかに叫ぶ。やはり興奮で人格が多少変わっているように思われた。
「まだだ!」
俺は極限の集中力を発揮すると、新たな水流の一端が俺に到達するそのわずかな間に、左手を後方に伸ばす。ガキンっという金属音と共に俺の左手に握られたのは・・・
「折りたたみ傘?!」
半分組み立てた状態の傘をコートの下に隠し持っていたのだ。左手を振り上げた瞬間に伸びた傘は開かれる。
「ユーリ、行けぇぇ!」
Got it!(うん!)
俺は折りたたみ傘を投射する。赤い光を引きながら、傘は残りの水をことごとく弾き飛ばし、奴の鼻先までいった所ですべての水を吹き飛ばした。
「わ、私までは届かなかったわよ!ふがっ」
俺は彼女の上に綺麗に着地すると、傘を上に向かって差した。激しい戦いの後の水の残渣が、土砂降りの雨のように音を立てて降り注ぐ。
「秘技、鯉の滝登り」
そんな俺の下で、倒れこみながら彼女はもがいていた。
「何が恋よ!ふ、ふつう女の子踏む??」
わなわなと震える彼女に対して俺は頭を掻いた。
「すまん。しかし・・・」
俺は近く落ちていた彼女の絵筆を手に取ると、投げの構えをした。彼女のブレイクギアは転んだ拍子に彼女の手の届かない距離まで転がっておりなすすべはない。この距離なら投射でのブレイクギア一撃破壊はたやすい。
「チェックメイトだが・・・何か言いたい事はあるか」
「な、何よこの後に及んで?!」
俺はまた、慣れない敵との会話に頭を掻いた。そもそも敵なんていうのは一方的に倒してしまえば良いものなのだ。何故このように敵の気持ちを尊重しなければならないか、俺は理解に苦しんでいた。先ほどまでは。しかし今はこの敵に俺は複雑な感情を抱いていた。政宗の言葉が確実に影響を与えている。
「とある知り合いが言うんだが。納得して勝負を終えられた2人は友達にだってなれるはずだってな。ぁ、別にお前と友達になりたいわけでは無い」
と、言うと彼女は俺の腹をボスっと殴った。
「なりなさいよ!」
「すみませんっ」
あまりの苦しさに俺の口からは嗚咽が漏れてしまう。
「まぁ、何にせよロマンチックで素敵なお友達さんね」
「友達・・・?」
俺もなんだか戦い以外の事で考えることに疲れてしまい、気が抜けてくる。戦いの空気がもはや去ってしまったこの雰囲気に任せて、俺は先ほど頭をよぎった考えを口に出してしまった。
「さらにここからは俺の個人的な提案なのだが」
彼女は頭にはてな顔を作る。俺は思い切って口を開いた。
「俺の部下になれ」
彼女は俺の腹をボスっと殴った。
14
風が強くなってきたのか、高く掲げられた槍の旗がはためいてきた。長く細い緑色のビロードで、夕日を反射して美しく煌めく。緊張から、俺の顔を汗が流れていくのを感じた。先ほどからおそらく十数秒しか経っていないはずだが、俺には何十分にも感じた。カナリアは何時の間にかいなくなってしまったようだ。もしかしたら俺の頭の髪の中に隠れているのかも知れなかったが、今の俺にはそれを気にしている時間は無かった。空は青から赤へと連なる綺麗なグラデーションを見せたが、俺はその美しさを楽しむ余裕もなく、ただひたすら腰を低くして、異物がそこに出現するのを待ち、凝視する。腰を屈めているのは彼女の動作の邪魔にならないためだ。彼女はというと、俺の後ろに槍を構えて立ち、同じように空を見上げている。とその時だ、空の一点に黒い点が見えた。それを弾丸かどうか確認する時間もなく俺は叫ぶ。
「アリス、行くぞ!」
Lets go(えぇ)
コンタクトは一瞬だった。まず、轟音と衝撃が俺たちを襲った。俺たちの上空からは凄まじい光が降り注ぐ。それは障壁が作り出す、白く光る幾何学模様と、その弾丸が散らす赤い火花とのスパークだった。アリスの障壁と弾丸の運動エネルギーが凄まじいスピードでお互いの数値を削りあっている。俺は眩しくて目を閉じるのを我慢しながらブレイクギアを掲げ、軸がぶれないように押さえ込んだ。弾丸はかろうじて、俺の作る小さなティーカップソーサーほどのフィールドに抑え込まれている。俺は1stの力すべてを障壁に回して足を踏みしめた。わずか0.1秒ほどの時間だったが、俺はその禍々しい弾頭がこちらに向かってぐりぐりと、障壁を削る様に恐怖を覚える。騎士さま、なんとかしろ!俺は彼女に目で訴える。やるわよ!と彼女は強気な目で返すと、腰だめに構えた状態から槍を突き出す。槍は赤い光に包まれながら、突き体制に移行する。いや、これは違う。槍は彼女の手を離れ赤い尾を引きながら、上空の弾丸に向かって突き進んで行く。この見慣れた技は『投射』に他ならなかった。彼女の2ndは投射能力だったのだ。巨大な聖槍は寸分違わぬ正確さで、弾丸に突き進むと、その中心に大きな穴を穿つ。そして串刺しにしたまま遥か上空まで綺麗な尾を引いて昇り、最後には青いきらめきの大爆発を起こす。その様はまるで花火のように周囲を照らした。ふぅっと、俺はため息をつく。この攻撃は流石に敵の全身全霊の攻撃と見て間違いないだろう。追撃はほぼ無いはずだ。と、俺の後ろで、ペタンと尻もちをつく音がした。騎士の彼女だ。
「せ、成功した、す・・・すごい!」
自分で言い出したにもかかわらず、彼女は驚きの顔を隠せなかった。目にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。
「私たちやったよ!すごい!」
俺の肩をぱんぱんと叩く。彼女の笑みはまるで、俺たちが先ほどまでお互い剣を交えていた事さえ忘れたように屈託がない。その笑顔を見ると俺も思わず笑みがこぼれる。
「この作戦、君が言い出したんじゃん」
俺は心の底から嬉しかった。もしかしたら殺しあわなくて良いんじゃないだろうか。こうやって平和的な解決が出来るなら、戦いの決着は必ずしも残酷な結末に向かわなくて良いのだ。俺は心からの笑顔を浮かべ、彼女には手を差し伸べる。
「俺は尾張野政宗。君の名前も教えてくれないか?」
相手は少し戸惑い照れるような仕草をしたが、手を差し出すと俺の右手をしっかりと握り返した。暖かい人間の手。小さな手だ。彼女ははにかむ。
「私はね、私の名前は・・・」
と、俺と握手をしていた彼女の右手は、不意にぽとりと音を立てて地面に落ちた。
「えっ・・・」
彼女の顔が痛みに歪んでいく。困惑の表情はすぐに悲鳴へと変わった。
15
「きゃぁぁっ!」
切断され、手首を失った彼女の腕からは幾何学的な模様が噴き出した。障壁の白い光とはまた違う赤色の光の模様。それは反射的に血を連想させるに十分なものだった。彼女は怯えに歪んだ表情で、左手で右手の手首を必死で抑えたが、それでも赤いものは全く止まる気配を見せずに、とめどなくあふれてくる。彼女の目には涙すら浮かんでいた。痛みに耐えかねてその場に座り込む。恐らくかなりの痛みを伴っているのだろう。誰がこんな酷い事を・・・俺もわけがわからず、慌てて周囲を見渡す。と、この広場の入り口に1人の少女が立っていた。手には木刀を一振り携えている。夕日を背に炎の色に輝く髪が、わずかな風にたなびく。逆光のために表情は読み取れないが、その制服は間違いなく見覚えのある紺色のブレザーだった。俺は一瞬その彼女が、姉の姿に見えてドキッとしたが、まさかと思い目を細めて見ると、そこにいたのは姉の幼馴染のあの赤毛の女性だった。頭にはいつもの白いヘッドフォンが見える。俺は話しかけようと口を開くが、名前が思い出せずに言葉に詰まる。そもそも、毎朝見ているとは言えお互いに名前も忘れたような間柄だ。今更知り合い顔でこの場を切り抜けられるものだろうか?俺は相手の出方を見ながら騎士の彼女の前に立ち、彼女をかばう。顔を覗き込むと彼女はすでに虚ろな目をしていた。その様子を見ていると、俺はやるせない気持ちがこみ上げてきて、胸をきつく締め付けけられるようだった。
「何でこんな事をするんだ!」
吐き出すように叫ぶと剣士の彼女を思い切り睨みつける。彼女の顔はやはり夕日に隠れて良くは見えなかったが、辛うじてその顔が一瞬歪んように俺の目には映った。彼女はうつむき気味に顔を傾けたまま、決められたルールを言い聞かせるように答えた。
「何でって、何で?おかしいのは君だよ。このゲームの仕様では貴方たち敵でしょ?なんで握手なんてしてるの?」
刀を携えた女子高生はゆっくりとした動作で、しかし確かな殺意をもって一歩づつこちらに向かって踏み出した。彼女は続ける。
「見た所、その子君の部下でも無いようだけど、君の何なの?」
ひゅんと、風を切って構えられた彼女の剣が赤みを帯び始める。俺は総司の投射や、騎士の彼女の突き技を思い出していた。恐らくこれは物理攻撃の際に現れる、攻撃力アシストフィールドなのだろう。と、感づいて避けようとした瞬間だった。躊躇なく水平下方に振られた彼女の刀は、空気を切り裂きながら俺の太腿を切り裂いた。距離にするとまだ3、4mはあったはずだ。彼女の急速な踏み込みに追いつけず、俺は反応すらできぬまま急激な痛みに襲われた。傷は浅く切断こそ免れたものの、赤い光が両脚からだらだらと流れ出す。俺はじわじわとライフが減っていくのを実感した。あまりの激痛に意識を失いそうになるが、なんとか気力を振り絞って意識を保つ。今倒れる訳には行かない。俺は震える手をゆっくりと広げて、騎士の彼女を隠す。それを見た奴は呆れた顔でため息をついた。なぜか悲しみ、いや、哀れみにも似た表情の呆れ顔を見せる。
「それでその子を守ってるつもり?死ぬわよ政宗くん」
彼女は再び刀を振り上げる。俺はそれよりも彼女が自分の名を読んだ事に驚いた。
「俺の名前を、知って・・・?」
彼女の眉がピクリと動くのが見えた。そして次の瞬間には、彼女の刀が容赦なく俺の肩に深々と突き刺さっていた。衝撃と共に駆け巡る痛みに俺はたまらず嗚咽が漏らす。俺はそのまま、彼女に刀越しに押し倒される格好で後ろに倒れこんだ。彼女は俺の胸を脚で踏みつけながら、剣を持ったままグリグリと肩を抉る。その度に上がる俺の呻きを楽しむかのように彼女はしゃべり続けた。
「いい?政宗くん。これはね、衝突判定として珍しい『貫通』『出血』『切断』の三属性をすべて備えた能力なのよ。わかる?とても痛いでしょ?私だって蓮の弟にそんな事をするのは嫌なの。だからそこで黙って見てなさい。良いね?」
彼女は言い放つと、刀を俺の肩から勢いよく引き抜いた。俺はドサリとその場に置き去られ、彼女は踵を返し騎士の彼女の方にむけて歩いていく。その向こうで騎士の彼女は赤い湖の上にうずくまっていた。傍には彼女の右手が転がっている。このまま何を見ていろというのか?俺は叫びにならない叫びを発していた。俺には何もできないのか?目の前で苦しむ彼女一人、救う事が出来ないのか?俺は自分自身の体の痛みを呪うように、全身に全霊の力をこめて立ち上がる。なんとか脚は動いたようだ。次は腕だ。眩暈がするような痛さを振り払い、俺は震える手でブレイクギアーを掴むと叫んだ。
「アリスッ!!」
残り少ないポイントを振り絞って電撃を応酬する。それはもはや僅かな時間稼ぎにしかなら無いだろう事は分かっていた。しかし俺は無我夢中で足掻きを続けた。しかし、わずかな紫電が彼女へと伸びる寸前の、俺の声が彼女に届いたその瞬間に彼女は既に振り向いていた。顔には僅かな戸惑いの表情と、そして微かな微笑みが見て取れたが、すぐさま紫電の渦の中に消える。直後、彼女は物ともせずに刀を構えると、気合ですべての電撃を切り払った。俺はすべての力を使い尽くしてその場に倒れる。彼女はしばし髪の先に浴びた電撃で、青いノイズを漂わせながらつかつかと俺に歩み寄り。無造作にずしゃりと俺の頭を踏みつけた。
「へぇ。君の天使、アリスって言うんだ?へぇぇ。へぇぇええ」
電撃を食らったのがよほど気に触ったのか、彼女は半ば狂気の表情を浮かべながら、ぐりぐりと足で俺の頭を踏みつけた。俺は痛みと屈辱に耐えながら、遠くに見える騎士の彼女の方を盗み見た。彼女はふと、こちらを見返す。どうやら諦めたわけではないらしい。俺は何とか彼女の力になろうと頭の考えを巡らせた。このままでは二人ともやられてしまう。何としても目の前の敵を倒す方法を見つけなければ。と、その時頭上から奴の声が聞こえる。
「政宗くん、一つ教えてよ。何であなたの天使、アリスって名前なの?」
彼女はピタリと足の動きを止めた。禅問答のようなその答えに俺は少し考え込む。答えを探しながら、頭の中のそろばんで反撃の方法も同時に弾き出していた。こういう時、総司ならどうするだろう。今の俺にできる事を最大限絞り出す。
「わからない。ただ安心する名前だから、かな」
俺は正直に答えた。確かに何故かと聞かれると大した理由は無いのだ。咄嗟に俺の中に閃いた直感的な名前だった。彼女はその答えに少し顔を伏せたが、その表情はその読み取れない。しかしこれはチャンスだ。奴が俺から目を離した隙に、俺は自分の頭の癖毛の中から小さな赤い毛玉を掴み出すと、俺の頭を踏みつける剣士の後頭部に向かって投げつけた。精一杯の力で叫ぶ。
「カーコ、障壁張れるか?!」
それはカーコが俺に仕込んだカナリアだ。まだ頭に残ってくれていることも、そもそもそのカナリアが障壁を張る事ができる事自体も全く確証がなかった。つまりこれは賭けだった。しかし、何の変哲のない赤いカナリアは唐突に口を開いた。
「私を誰だと思ってるの?」
カナリアはぽふっと敵の頭に当たると、ふわりと下降を始める。
「ただし・・・これは貸し5つ分にして置くわね?」
カナリアは突如光と共に人間化すると、白い巨大な障壁の光を撒き散らしながらその場にいる全員を吹き飛ばした。領域内からの全員一斉退去。こんな芸当も可能なのかと俺は驚いたが、俺もまた凄まじい衝撃に吹き飛ばされる。しかし一瞬の姿勢を無様ながら大地を這いずるようにうまく制御して騎士の彼女の側に歩み寄る事に何とか成功した。加奈子はと言うと美しくゆったりとした動作で着地し、俺たちの間に雄々しく立ちはだかると、右手を奴に向ける。その手の先にはピンク色のブレイクギアーが握られていた。
「おっひさ〜」
片目でウィンクしてにやけて見せる。その余裕はどこか俺を安心させた。
「お前、ずっと変身してたのかよ?!」
加奈子は今度はクスクスと笑った。
「そう思っておいてくれるなら、貸しは四つで良いわよ」
そのまま奴に合わせた目をそらさずに可愛く頬笑む。その時、途端に衝撃波と白く輝く幾何学模様がごちゃ混ぜになった光の奔流が、加奈子の右手から溢れ出す。見ると赤いレーザービームのような光が敵から伸び、加奈子の障壁と火花を散らしている。
「『斬撃』型の天使にこんな使い方があったなんてね?」
俺は加奈子に目で示されて敵の右手を見た。遠い位置から右手を振り回す彼女の指から、見逃しそうなほど細い何本かの煌めきが見える。空中に漂い、しかし彼女の能力発動と同時に赤い光を発しながら光の剣のように振舞うそれは・・・
「糸か」
俺は忌々しげに呟いた。おそらく、俺の傍に伏す少女の手首をたやすく切り落としたのもあれなのだろう。俺は加奈子から目を戻して、地面でもがく彼女の体を支えた。まだ名前も聞いていない騎士の彼女に声をかける。彼女は目の輝きを今一度取り戻していた。
「大丈夫か?」
「無茶、しないでよ」
痛みに顔を歪めながら彼女は左手で俺の顔をつかんだ。顔を自分の顔に寄せる。俺は一瞬キスするつもりかと思いドキッとしたが、そんなつもりじゃないようだった。彼女は俺と鼻と鼻が触れ合うくらいの顔の位置で囁いた。
「よく聞いて」
俺ははっとする。彼女の目はやはり戦う事をやめていない。
「奴の攻撃が出血属性を持っているのは本当よ。私もあなたも、今この瞬間にもどんどんライフが減り続けてる」
俺は彼女の右手を見た。赤色の光がだらだらと流れ落ちている。そして彼女は凛とした決意を持った瞳で俺に言った。
「その前に、私を殺して」
俺は彼女が何を言っているかわからないまま唖然とする。しかし彼女の口調はどこまでも真剣だった。
「あなたの能力なら、私の体内に直接電流を流し込めば気づかれずに私を殺せるわ。そして、あいつを倒して」
「そんな事、俺には・・・」
「やるのよ。レベルアップすればレベルアップボーナスで全てのパロメーターはDシステムが全快にしてくれる」
俺はじっと彼女の目を見つめた。その目は無念を訴えている。勝負の中ではなく、横槍で彼女の天使の生涯を終える事を。そしてその仇討ちを俺に託したのだ。
「貴方の手で、あいつを倒して」
俺はゆっくりと頷いた。彼女は痛みに支配された顔に、無理やりぎこちない笑みを浮かべた。俺の緊張を解そうとしてくれてるのが分かった。
「はじめてだから」
彼女は少し頬を紅くして目を逸らす。
「優しく殺してね」
そして、彼女は目を瞑ると俺に口づけをした。
16
「久しぶりだな」
政宗の学校の校門でその男が俺に声をかけてきたのは、俺が皐月美憂を部室まで送り届けた後だった。聞き覚えのあるその声に俺の心臓は一気に鼓動を早める。俺は自分の口の中がカラカラに乾いているのを感じた。俺のそんな心中などお構いなしに奴はさらに口を開いた。
「まさかお前がいるとは思わなかった。ただPINGを打ったのが誰か、という興味でね」
男は半歩踏み出しながら、刀を生成する。長く細い野太刀のような日本刀だ。この男の能力は自分の思うままの刀を生成する。奴の刀は大振りで、何処からでも目立つ大きさだが、多くの能力で生成した武器と同じように、所持者にしか見えないデジタル兵器だ。ゆえにこんな人通りの多い場所でも、堂々と展開しておけるのは大きな強みと言える。奴はそのまま長い刀の切っ先をゆっくりと俺の頬に当てる。俺は金縛りにあったように身動きが取れない。
「で、どうだ?探し物の天使は見つかったのかね?」
男は獣のような目で俺を見た。俺はもつれる舌を必死で動かした。辛うじて、声を出す事はかなった。
「見つけたけど、訳ありでな。すぐには手元に戻せそうもない」
男は刀を俺の頬にゆっくりと押し付ける。冷たい刃の感触が伝わってくる。俺はさらに鼓動が早まるのを感じた。
「思い出すな。あの夜、あの情報屋をかばおうとしたのは見上げた根性だった。他人を守ろうとするために自分より強い敵に立ち向かおうとするのはとても尊い精神だ・・・だが」
男はシュッと刀を振った。ガスっと音を立てて、刀は地面に突き刺さる。俺はビクッとして奴の目を見た。
「だが狙撃などと姑息な真似を打つのは許さん。私はいつだってそういう敵は叩き潰してきた」
俺はチッと舌を鳴らした。口をなんとか開く。
「バランスの問題だ。遠距離からの闇討ちに能力を特化された奴だっている。Dシステムのデザインは、むしろ先制攻撃撃破を奨励しているように見えるがな」
こんな時ばかりは饒舌に舌が回る自分を呪ったが、今度は敵が舌打ちをする番だった。俺は構わずしゃべり続けた。
「遠距離攻撃は許せないって言うのは、近距離戦しかできないあんたの独りよがりに見えるね」
俺は言いたい事をひとしきり言った後、奴の顔を見た。怒りに震えているかと思いきや、以外と冷静に険しい顔をしている。
「しかしお前は近接で名乗りをあげる事を選んだ。そうだろう?」
俺はピクッと動いた。やはりこの男、俺がPINGを打ってから美憂を撃破するまでの始終をMAPで追っていたのだ。あの動きを見ていれば、俺が狙撃をしていない事は明白だった。
「お前は自分でも思う以上に、戦闘的な人間なのさ。この間の俺との戦いでもそうだった。お前はあらゆる機転を効かせて俺を倒そうとした。天使が2ndだけだと知った時、俺は戦慄したよ。お前がもし、俺からこそこそと逃げ回らずに、1stをも駆使してまっとうに勝負をしていたら、どんなに楽しい戦いになったか、な」
俺は苦々しい顔をしていた。
「買いかぶらないでくれ。相性の問題であんたには絶対に勝てない。それはわかってた。ハンバーガー屋で善戦したのは単に狭い場所であんたの剣が振るえなかったからさ」
男はニヤリと笑う。
「だがその場所を選択したのすら、お前の機転だ。俺はお前のその戦闘機質に惚れたのさ。だから逃がした。お前の1stを取り戻し、完全体になったお前がどれほど強いかを、確かめるためにな」
狂っている。強いものを求めて戦い、戦い、戦い続けて。その果てにたどり着いたのが俺だと言うのか。冗談じゃない!
「戦え、伊月。天使を取り戻してこの俺と!俺の刀はあの時からひたすらに、強い者の血に飢えているのだ。最高の戦いの充足を俺にくれ!」
俺は完全に恐怖を感じた。この男、戦いのためならなんでもするだろう。政宗と似たような事を言うが、根本的には全く逆の理念だ。ダディはそこまで言い終わると刀を収めた。
「お前もそれを望んでいるはずだ。もしお前が天使を取り戻せるなら、俺はお前に力を貸す事さえ厭わんかもしれん。覚えておくのだな」
その奴の物言いに俺はハッとして奴の目を見る。奴はニヤリと嫌らしい笑いを浮かべた。
「近いうちに必ずお前とは決着をつけるとしよう。それまでに必ずお前の1stを取り戻してこい」
言いながら踵を返すと奴は夕日に向かってかつかつと歩き、一度ピタリと止まった。
「新宿の彼岸にて待つ」
ただそうとだけ言い残すと彼は去って行った。俺は一歩も動けなかった自分自身にただ絶望して立ち尽くす。綺麗な夕陽はもう終わる。俺が振り返ると背後からは、夕闇は確実に迫っていたのだ。ふと、景色が揺らぐ。気がつくと何時の間にか、俺の胸には大きな刀傷がえぐられていた。
17
荒れ狂う赤い光と白い光との乱舞の真っ只中に向かって俺は走り出していた。騎士の彼女の言うとおりレベルアップボーナスにより、俺はDシステムの数値上の全開までステータスが回復していた。既に戦場は泥沼と化しており、相手の剣士が振るう「糸の剣」はカーコの障壁に弾かれ、あたりの電信柱や柵などあらゆるものを切り刻んでいた。ばちばちと切れた電線がスパークしている。おそらく電線の復旧業者が間もなくここに来るだろう。戦いに残された猶予はそう多くは無いはずだ。
「カーコ、前に出るから彼女を頼む!」
その声にカーコは軽やかな身のこなしで俺の頭上を飛び越えて、後方の『騎士だった彼女』の前に着地すると、そのまま障壁を展開した。
「あんまり命令すると、貸しが増えちゃうわよ?」
言いながらも顔はニヤついている。どうやらこの女、他人のトラブルを観察するのが好きでたまらないと見えた。俺は振り向き、一瞬だけ騎士の彼女と目を合わす。彼女は既に全身の痛みも出血も無い。天使と共にいないただの人間だ。その目は先ほどまでの闘志が嘘であるかのようにキョトンとしている。そのあどけない表情は、
ひょっとしたら、デジタリゼーションにはブレイクギアーの持ち主に闘争心や破壊衝動をもたらす効果もあったのかもしれないという推理を俺にもたらした。しかし、いや、と考え直す。それはもしかしたらあらゆる大きな力がそうなのかもしれない。持て余す大きな力は持ち主を大きく変えてしまうのでは無いか?俺は視線を戻し、前方の剣士を見据える。赤の剣士は口元を歪めながら俺に話しかけた。
「へぇ。あの子を殺してレベル2になったんだ?」
彼女は糸をすべて捨てると、再び刀を手にする。どうやら俺の事は自らの手で切り刻まねば気が済まないらしい。
「教えてくれる?政宗くん。おかしくない?同じプレイヤーなのにあの子と私の違いは何?Dシステム上の定義では君にとっては同じ敵と認識されているはずだよ?なのに君は私とは戦い、あの子は守る。かと思いきや君はあの子を殺す。君、少しおかしいよ」
彼女は刀を肩に担いでこちらに歩いてくる。先ほどの踏み込みなら既に刃が届いている間合いだ。俺は身の危険を感じて体が強張る。
「それとも・・・」
彼女はピタリと足を止めた。
「君、やっぱりあの子が好きなのかなぁ?それなら話が通じるんだろうけど」
俺にとっては考えてもみなかった。彼女の事を俺が愛していると?いや、それは無いように思われた。ただ彼女は俺にとって、この戦いを平和に終わらせる事ができる希望だったのだ。彼女を守り切る事さえできたら、俺はこの天使選抜戦で誰も傷つけなくて済むのでは無いかと、幻想を抱いていたのだ。そしてそれはおそらく彼女にとっても同じだった。彼女は戦いの中でおそらく始めて出会えた『殺さなくていい敵』に希望を見出したのだは無いだろうか?それゆえに俺にこの力を託したのでは無いか。俺は見下すような視線を送る奴を睨み返した。奴にはわかるまい。俺たちを『プレイヤー』と呼び、ゲーム感覚で人を切り刻めるこの女には。俺はブレイクギアーを再び手にする。
「アリスッ!」
再び俺の周囲に電流が溢れた。
「貴方は、倒します」
「こっちのセリフよ。政宗くん、君はやっぱり殺す」
弾かれたように俺は走り出した。両手に電気を迸らせながら、敵に向かって疾走する。彼女は剣を腰だめに構えると、深い踏み込みで右薙ぎの一撃を放った。俺は右手の電圧をみるみる高める。バチリっという電気のショートする音と共に、彼女の剣を右手で弾く事に成功する。しかし俺が左手を伸ばして敵の首をつかもうとした矢先だった。あと一歩届かず俺は後方に吹き飛ばされる。彼女は剣を俺が右手で受け止めた時の反動を利用し、自身の右手の拳を俺の肩に当てていたのだ。Dシステムとは無関係のただのパンチだが、俺は予想外の攻撃に体勢を完全に崩す。それにこの女、剣を左手で扱っている。その滑らかなフェイントは恐らく一朝一夕に身につくものではないだろう。俺は敵の周到な作戦に舌を巻いた。このチャンスを敵も逃すはずはない。体勢を崩した俺に対してさらに追撃をかけるべく、無慈悲に彼女の刀が振り下ろされる。やや無理な体勢から即座に放ったためその刀には全身の力は乗っていないが、アシストを纏った恐ろしく強力な斬撃が俺の左肩に食い込んだ。俺は痛みを堪えたがやはり傷は深く、生成した俺の電撃は泡と消え空中に霧散する。それを見た彼女はさらにその捻った体勢から間髪入れず、俺の肩に食い込んだままの刀の柄に両手をかけた。そのまま猫のように空中に浮かびそこに全体重をかける。
「貫け。コーデリア」
YES(はい)
空中で逆さになりながらも即座に赤い光が発動し、一閃真っ直ぐに振り抜いた。俺の左肩が両断され、すさまじい量の赤い飛沫があたりに飛び散る。眩暈がするような痛みの中で俺は彼女に恐ろしさと、畏敬の念を抱いていた。何という戦闘センスだ。あの体勢、あの角度から無理やりDシステムの発動を意図的に引き出せるとは俺は思っていなかった。恐らく彼女は何度も何度も繰り返し検証し、アシストが発動可能な技の連射感覚はおろか、どの振りからどのようにアシストが掛かるかその角度の0.1度単位まで、発動時間の0.1秒単位までをすべて記憶しているに違いない。まさに研鑽の成せる技だ。俺は地面にひれ伏す。俺の頭上を切れた電線がばちばちと掠めていた。
「度胸は大した物だけど、まだまだね。いくら無敵時間を自由に使えると言っても君は『属性』系。どう絞っても自動障壁は広めに張られるから、消費も激しい。電圧を一瞬で高める訓練と、相手より後出しして無敵時間の切れた後を取れるようにならないと、このゲームには勝てないよ。つまり、君の敗因は・・・」
彼女はこちらに背を向け二、三歩ほど歩くと、切り飛ばされた俺の腕を刀で刺した。
「アリス君への頼り過ぎ」
その言葉は俺の心にグサリと刺さった。俺とてバカでは無い。アリスの身になって考えた時、大天使になって肉体を欲するのなら、俺のような消極的な所持者ではなく、ここにいる彼女や総司のような交戦的な人物の方が叶う確率はだいぶ高いのは否が応でも分かっていた。その上アリスと釣り合うだけの技量が俺にあるのかと聞かれると甚だ疑問だ。つまりもしかしたらアリスにとっては、総司ではなく俺とペアを組むに至った事が最大の不運となってしまうかも知れないのだ。俺はその可能性を否定したくて、つぶやいた。
「負けてない・・・」
彼女はこちらを見下しながら笑う。
「どういう事?教えてくれる?」
「俺はまだ、負けてないんだ!」
俺は彼女には構わず、俺の頭上に垂れ下がっていた高電圧配線の電線を掴んだ。電撃が光となって俺の体に流れ込む。しかしそれはジュール熱で俺の体を焼けこがしたりする事は無い。俺の体の傷は逆にみるみると回復してゆく。と同時に無尽蔵とも言える電撃を周囲に撒き散らす。俺の体は白い雷光に包まれていた、凛とした瞳で彼女を見る。
「これが、ボルトのレベル2能力か」
彼女は舌打ちすると、後ろに飛んで俺からの距離をだいぶ大きくとった。俺は左肩から電気の束がうねりながら伸びるのを感じると、グッと手の形状を作り出した。掌を何度も握り感触を確かめる。失った俺の手が余剰荷電から再生したのだ。
「さて、第二ラウンドと行こうか」
Well, it's Tea Party!
(さぁ、ティパーティーね!)
たっぷりと電気を吸って俺が歩き出したその時だった。ドスン、という大きな音と共に俺と彼女の
間の大地に大きな亀裂が走る。その切っ先を見ると、離れたところに1人の男がいた。男はかがんだ状態で刀を地面に突き立て、そこから亀裂は俺の足元まで伸びていた。
「ボス、そろそろタイムリミットだ」
そのボサボサの長髪の男はぶっきらぼうながらも敬意を払った様子で彼女を呼んだ。
「・・・わかってるわ。撤収しましょう」
彼女はこちらを一瞥すると、ゆっくりと男のもとに歩いていく。俺は後ろから追いすがりたかったが、大男が日本刀を構えてこちらににらみを聞かせていたので何も抵抗ができなかった。彼女は最後に一度だけ立ち止まると、振り向いて一言告げる。
「今回は見逃してあげるわ。蓮の弟だから特別にね。でも次にあった時は、多分殺す」
と言って一歩踏み出し、思い出したように付け加えた。
「もし戦いを望むなら、『新宿の彼岸』にて会いましょう?」
そうとだけ告げると、訳もわからず立ち尽くす俺たちを放って彼女は宵闇に消えて行った。俺はへたりと座り込む。耳鳴りにも似たサイレンの音がどこかから響いて来た。
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