下校時刻になり、リュカの具合は大丈夫かしらと考えながらいそいそとかえたくをするちゅう、ロザリアはあることに気がついた。

(今日出された妖精学の課題……、どうしよう)

 ロザリアは勉強が得意ではない。残念すぎるくらい、頭が良くない。

 そのため、ゲーム内でも課題は常にリュカにやらせており、成績に関しては公爵家の権力を使ってどうにかさせて、なんとかめんぼくを保っていた。

 そして、前世の自分も決して勉強が出来る部類の人間ではなかった。かと言って、体調が悪くて休んでいるリュカに、この課題をお願いするわけにもいかない。

(というか、そもそもリュカに押しつける考えが駄目じゃないの!)

 つい目を逸らしてきてしまっていた自分を恥じ、反省する。

(こんなことではいかんぞ私! リュカに負担をかけないようにするって決めたんじゃない、これくらいは自分でやらなきゃ!)

 そう決意し、図書室へ向かって歩き出す。

(妖精学だし、なんとかなる気がするわ)

 この世界や妖精のことに関しては、《おといず》公式設定資料集で穴が開くほど読みくした。そのため、国語や数学のような普通の科目よりも、よほど理解している自信がある。

(情報収集に向けたオタクの熱い情熱としゅうねんが、役に立つ時が来たかもしれない……!)

 ほこった気分で図書室の扉を開ける。放課後なこともあり、生徒の姿はない。

 いくつか役立ちそうな本を借り、さあやるぞ、と気合を入れて教科書を開く。

 その時、しょだなかげから男性がひょこっと顔を出した。

「おや、珍しいお客さんだ」

(げっ、イヴァン!)

 面倒なのに見つかった、という気持ちを前面に出さないように、しとやかに微笑む。

「……ウォーリア先生。どうしてここに?」

「僕は資料を探しに来ただけだよ。君は? 従者君がいないようだけど、一人なのかい?」

「リュカは体調が悪そうだったので、早退させました」

「……早退させた? 君が、彼を?」

「なんです、その顔は」

 イヴァンが信じられないとでも言いたそうな顔をしたので、ムッとして返す。

「……いや、驚くだろう、そりゃ。君が従者君の身を案じた発言なんてするもんだから」

「い、いいでしょう!? 私だって大事な従者の心配くらいします!」

「大事な……。へぇ」

 イヴァンは含みのある笑みを浮かべ、あろうことかロザリアの目の前に座った。

「……どうして前に座るんですか」

「好奇心をくすぐられるものを見つけたから」

 大人の余裕を見せる微笑みに、嫌な予感がしてくる。イヴァンという男は、女性が大好きなのと同じくらい、人を揶揄からかうことが好きなのだ。

「それ全部、妖精学の本だろう? まさかとは思うけど自主勉強かい?」

(くっ……、ロザリアが勉強している姿を面白がってやがるわね……!)

 ニヤニヤしているので間違いない。そりゃあ、揶揄いたくもなる光景だろうけども。

「どういう風の吹き回しなのかな? 君は昔から勉強嫌いだし、面倒な課題はいつも従者君に押しつけていただろう。成績も裏で圧力をかけてなんとでも出来るし」

 ロザリアの所業を全部わかっているのだ、この男は。わかっていてあえて口にしている。

「……そういうことをしないために、今ここにいるんです」

「なるほど、本当に変わったようだね」

 立ち上がったイヴァンが、覗き込むように顔を近づけてきた。咄嗟に身体を後ろに引く。

「妖精たちに急に好かれ始めたから、何があったのかと思っていたんだが。こういうことか」

「何が言いたいんですかっ」

「いや、興味深いなぁと思って。ロザリアが、こんなふうになるなんてね」

 親しげに名を呼んだイヴァンは、実はロザリアのむかしみでもある。彼の家はこうしゃく家で、勉学にひいでたゆうしゅうな人材がたくさんおり、イヴァンもその一人だった。家同士の付き合いもあったことから、幼い頃ロザリアの家庭教師を務めてくれていた過去があるのだ。

「君は昔から、自分の思い通りにいかないことが許せなくて、妖精も勉強も嫌いだったろう。なのに今では妖精と親しくしていて、自ら勉強もしようとしている。驚きだよ」

「まあ、その……昔はごめいわくをおかけしたこともあったと思いますが……」

 ゴニョゴニョと謝ると、イヴァンはクスリと笑った。

「君が他人に謝るなんて、やりでも降ってくるんじゃないかな」

「ちょっと、失礼すぎますわよ、先生」

「嫌だなぁ、そんなにんぎょうな話し方。ロザリアじゃないみたいだよ」

 カチンときたので、わざとつっけんどんに返してやる。

「これが今の私なのよ。放っておいてちょうだい、イヴァン」

 プイ、と顔を背けたが、イヴァンは余計に面白くなったらしく、笑みを深めた。

「まあ心境の変化は良いことだよね。婚約者殿との仲も、良好になってきたようだし」

「……は?」

 話の流れが見えなくて、気の抜けた声が出てしまう。

「だって君たち、以前に比べてギスギスした雰囲気がないじゃないか。校舎内で話をしている姿なんて今まで見なかったのに、近頃は仲良くしているんだなぁと思って」

 確かに最近のオスカーは、すれ違った時に軽く声をかけてくるようになった。だが別に親しくしているわけでもなく、挨拶をする程度なので、特に気にしていなかったのだが。

(まさか周りからは、私たちの仲が良いように見えてるの……!?)

 大問題だ。そんなつもりは毛頭ないのに。

「な、仲良くってほどでは、全然ないと思うのだけれど」

「そうかなぁ。これまでの君たちと比べたら、はるかに仲が良いと思うけど」

 どうようを抑えながら否定してみるが、スッパリられた。なんてこった。

(そんなふうに見られてたことにも、気付かなかった自分にもショックなんですけど……!)

「どうしてそこで落ち込むのかな」

「……あなたには関係のないことよ」

「ま、おと心は複雑だと言うから、突っ込むつもりはないけど。しょんぼり顔の君はレアだな」

 また面白がるようなこわに戻ったイヴァンを、キッと睨む。

「揶揄って遊ぶつもりなら、出て行ってちょうだいっ」

「揶揄うなんてとんでもない。君の心の成長をたたえているだけなのに」

 言いながら、イヴァンはまた顔を近づけてきた。

「ちょっと、なんなの」

「その成長をお祝いする意味もねて、僕が特別講義をしてあげようか」

「なっ……」

(何言ってんの!? 特別講義ってそれ、あなたがサラに言う台詞せりふじゃ……、えっ!?)

 聞き覚えのある台詞に、おくよみがえった。

(これってもしや、イヴァンとの図書室イベント──!?)

 授業に追いつこうと図書室通いを始めたサラに、まさに今の状態でイヴァンがせまるイベントがあった。それをなぜだか、ロザリアである自分が体験している。

(と、とりあえず全力で回避──っ!!)

「け、結構よ。自分の力でどうにかするので、放っておいてちょうだい」

「元々知識が全然頭に入ってないだろう? 一人じゃ大変だと思うよ」

「あなた本当に失礼ね! いいって言っているでしょう、つつしんでご遠慮します」

「そうやって怒るところは変わらないなあ」

 不敵に笑い、ロザリアの髪に手を伸ばす。ゾクリと背筋が震えた。

(この……っ、女たらし────っっ!!)

 きでも食らわしてやろうかと身構えたしゅんかん、強い力で身体を後ろに引っ張られた。

「……何をしているんですか、先生」

「リュ、リュカ!?」

 自分の腕を摑んでいる従者の姿に、きょうがくした。しきにいるはずの彼が、どうしてここに。

「先生、との距離が近すぎるのではありませんか」

 睨みつけるリュカを見て、イヴァンが降参するように両手を挙げた。

「残念、ナイトのお出ましか。じょうだんだよ、冗談」

(冗談にしてはあくしゅすぎるんですけど……っ)

「そんなに睨まなくても、僕はもう退散するよ。じゃあね、ロザリア。また授業で」

 そう言ってイヴァンは去っていった。

 ちんもくが広がり、駆けつけてくれたらしいリュカの、まだ整わない息だけが聞こえる。

 腕を摑んだままのリュカの手に力が込められた気がして、そっと顔を見上げる。

 目が合うと、リュカは慌てたように手を離した。

「っ、すみません」

「いえ、いいのよ。そんなことより……ありがとう、リュカ」

 とんでもない、とリュカは首を振る。

「申し訳ありませんでした。私がお傍を離れていたばかりに」

 その言葉に、そういえばリュカは早退していたはずでは、と思い出す。

「そ、そうよあなた帰ってたんじゃ!? どうしてここにいるのよ! 体調は!?」

「屋敷に戻ってすぐ、使用人一同に協力をようせいし、そっこう性のある薬湯をせんじてもらい服用しました。おかげでもうすっかり回復し、この通りです」

(いやいやそんなわけないでしょ!? そんなほうみたいな薬があってたまるか!)

 しかしリュカの顔色は、確かに良くなっていた。笑顔もいつも通りの輝きで、具合が悪そうには見えない。

「そんなことよりも、貴女を一人で残してしまったことの方が気がかりで。なのに、いつもの帰宅時間になってもお帰りにならなかったので、もう心配で心配で……。待っていられず学園に戻ることにしたのですが、まさかこんなことになっていようとは」

 くやしそうに眉を寄せたリュカに、罪悪感が込み上げてくる。

「今日出された課題をやっていこうと思ったのよ。だから遅くなってしまって」

「課題? お一人でですか?」

「だって、課題もいつもあなたにたよっているじゃない。あなたに負担をかけてばかりで、そんなの良くないなって……」

 尻すぼみになってしまうロザリアに、リュカが不服そうな顔をする。

「ロザリア様、以前も申し上げましたが、私の存在は貴女のためにあるのです。遠慮せずに私のことを使ってくださいませ」

「使うだなんて言い方をしないで。あなたは道具じゃないのよ」

 リュカが大きく瞬きをした。以前のロザリアはリュカを道具のように扱っていたから、こんなことを言われ慣れていないのだろう。でも、慣れてもらわなくてはいけない。

(私は、リュカの〝人〟としての尊厳も守りたいのよ)

「……そう仰ってくださるのは嬉しいのですが、やはり私のいない場所でなんて危険すぎます」

「危険ってそんな、大袈裟な」

「私が来るのがもう少し遅かったら、ウォーリア先生と二人きりだったということですよ」

 強めの口調に、言葉が返せなくなる。

「万が一にも何かあったら、私は後悔してもし切れません」

「そ、そうよね。独身男性と密室で二人きりなんて、あらぬ疑いをかけられてしまうかもしれないものね。一応王太子の婚約者である身なのに──……」

 しかし、王太子と口にしたたん、先程イヴァンに指摘されたことを思い出してしまった。

「……そういうことではないのですが。──ロザリア様?」

(うう、仲が良くなったと思われてたなんて。今後の身の振り方を考え直さなくちゃ……)

 深刻な表情で考え始めてしまったロザリアを、リュカが心配そうに覗き込む。

「ロザリア様、どうされました? まさか他にも、先生に何かされたのですか?」

「えっ? あ、違うのよ。……なんでもないわ、気にしないで」

 笑顔を作ってみせたけれど、リュカの眉尻は下がったままだ。

 そして少し考えるりを見せた後、リュカはそっと優しく微笑んだ。

「ロザリア様、今夜、貴女の時間をちょうだい出来ますか?」

「今夜? いいけれど……、どうしたの?」

「帰ってからのお楽しみです」


*****


 ──そして、夜。

「……これは一体……」

 ロザリアの私室のテーブルにずらりと並べられた、甘いお菓子の数々。ケーキにタルト、プリンにエクレア。ロザリアの好きな甘いお菓子が山盛りだ。こんな遅い時間に、恐ろしい飯テロである。

「こんなにたくさん、どうしたの?」

 ゴクリと唾を吞んでリュカを見ると、彼はあいに満ちた表情をロザリアに向けていた。

「どうぞ、お好きなだけし上がってください」

「いいのっ?」

 目を輝かせたロザリアに、リュカはニッコリと笑って頷く。

(いつもなら、こんな遅い時間に甘いものを食べるのは良くないと窘められるのに……!)

 毎日、朝とお茶の時間にリュカ手製のお菓子をたくさん食べているし、美容に気をつかうロザリアを思ってのことだとわかっているのだが、今日はイヴァンのせいでちょっと気分が落ち込んでいたので、好物を食べられるのは嬉しい。

 ホクホクし出したロザリアに、リュカが切り分けたケーキを差し出す。生クリームがたっぷりのった、フワフワのシフォンケーキだ。リュカ手製のお菓子の中でも、ロザリアが一番に好んでいるものである。

「いただきます」

 一口含むと、幸せの味が口内に広がった。

美味おいしい……」

 ほっぺたが落ちるとはこのことだろう。ほおが緩んだロザリアに、リュカはホッとしたような表情を見せた。

 次は何をいただこうかな、と改めてお菓子の山に目を向ける。

(よく見たら、私が特に好きなものばかり用意してくれてる!)

「すごいわ、大サービスね」

 嬉しさのあまりかんたんの溜め息をらすと、リュカも嬉しそうに笑った。

「これを食べて、少しでもお気持ちを晴らすことが出来ればと思いまして」

「え?」

 そこでロザリアはようやく気付いた。

(もしかして、イヴァンの件で私が落ち込んでたことを察して、このお菓子を……?)

 あの時誤魔化しはしたものの、長年一緒にいるリュカにはバレバレだったのだろう。それで、少しでも元気づけようとこの場を設けてくれたのだろうか。

 その優しさと、些細な変化ものがさずに気にかけてくれていることに、胸が熱くなる。

「……あなたにはなんでもお見通しなのね」

 ポツリと零した言葉に、リュカがタルトを切り分ける手を止めた。

「当然です。私はロザリア様のことを、いつも一番に考えていますから」

 迷いもなく返され、苦笑してしまう。

「そしてとにかく私に甘いわ」

「……貴女のことを、誰よりも何よりも大切に想っていますから」

 思いがけず真剣な顔で言われ、ケーキをのどまらせそうになった。

 慌ててリュカが差し出してくれた紅茶を飲み、流し込む。

「──あ、ありがとう」

 なんとか自分を落ち着かせてタルトの皿を受け取る。

(ビ、ビックリした……急に真面目な顔をするんだもの……)

 従者としての言葉だとわかっていても、不覚にもドキッとしてしまった。優しい笑顔でめいっぱい甘やかされた直後だから、その表情のギャップに余計驚いたのかもしれない。

 その時、部屋の扉がノックされ、リュカの声に応じてメイドが入ってきた。

 彼女が運んできたものを目にしたロザリアは、目を丸くした。

「……教科書?」

「はい。例の課題を、一緒にやらせていただこうかと」

「ええっ」

 爽やかな笑顔と共に、お菓子の向こうに教科書が積まれていく。

「ロザリア様の主張を聞いてよく考えた結果、こうするのが一番なのではと思いまして」

「いえ、み合ってないわよね!? 私はあなたに負担をかけたくないから、自分でどうにかすると言ったのに」

「貴女は私に負担をかけたくないと仰いましたが、貴女がお一人で図書室へ行くことの方が、私にとっては重大な精神的負担になるのです」

 キッパリと言われ、言い返せなかった。そして、自分を一番に気にかけてくれているリュカに、これ以上心配事を増やすことも躊躇われた。

「……わかったわ。じゃあ……お願いするわね」

 渋々頷くと、リュカは満足そうに微笑んだ。


*****


 夜もけた頃、リュカはしゅうしん前の全ての片づけを終え、ロザリアの寝室をおとずれていた。

 まくらもとの台に新しい水差しを置き、寝台をそっと覗き込む。自分にとって何よりも大切な主人は、穏やかな表情でねむっていた。

「……まったく、人の気も知らないで」

 起こさないように、声を落として独りごちる。月明かりに照らされたとうの如くなめらかな頰を、いつくしむようにそうっと撫でる。

 その優しい手つきとは裏腹に、声音はとてつもなく低い。

「貴女という人は、どこまでも無防備なんですから」

 やはりしていた事態になってしまった。今までロザリアのことをなんとも思っていなかったはずの男たちが、関心を持ち始めてしまったのだ。

 他者への態度が、今までの近寄りがたいものから柔らかくなったのは、良いことなのかもしれない。けれど、日々増していくロザリアのりょくが周囲に知れ渡っていくのは、なんともしい気持ちになる。

「貴女の傍にいて、貴女の良さを知っているのは、私だけだったはずなのに」

 つい恨みがましい口調になってしまう。ロザリアが自ら望んで変わっていこうとしているのだと、頭ではわかっているのに。ああも無防備に他の男と接している姿を見てしまうと、どうしても不安になってしまうのだ。

 この関係性が、おびやかされてしまうのではないかと。

「……たいがい面倒な男ですね、私も」

 頰から耳、そしてねこの毛のようなざわりのふかむらさきいろの髪に触れる。

「お許しください。こんな私が、貴女のお傍にいることを。お傍にいたいと──願ってしまうことを」

 ちゅ、と髪の先に口づけた従者の姿は、夜空に浮かんだ月だけが見守っていた。

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