②
「では、お休みなさいませ」
ロザリアの
『私はね、あなたさえいてくれればそれだけでいいのよ』
いつかオスカーと結婚してしまう日が来ても、
なのに、突然あんなことを言い出すとは。
「婚約を解消したい……か」
あの二人が互いに無関心であることも、政略結婚なのだからと受け入れていることももちろん知っていた。それなのに、どうしてここに来て。
(変わりたいと、ロザリア様は仰った)
なぜ急にそのような心境の変化があったのかわからないが、この話を白紙に出来るのなら願ってもない。それにこれは、ロザリア自身が望んでいることなのだ。ならば、喜んでその望みを
(……しかし、王太子と平民の少女が上手くいくとは思えないが)
身分差がありすぎる。それは簡単に
この変化は喜ばしい。だが同時に、
(以前と
ロザリアは元来、言葉も態度も素直すぎるところがあるが、近頃は他者に好印象を抱かせそうな素直さが前面に出すぎているのだ。意識する男が現れる危険性は、大いにある。
しかし彼女は、恋も結婚も興味がないと言い切った。それなら自分の取るべき行動は。
(ロザリア様に近づこうとする
それは、自分さえいてくれればいいと言ってくれた、ロザリアの望みでもあるだろうから。
リュカに婚約解消の意思表明をしてから数日後。ロザリアは、校舎内の階段で女生徒たちに囲まれているルイスを発見した。
「お兄様、大変そうね」
「ルイス様は、学園中の女生徒にたいへん人気でいらっしゃいますから」
「……リャナン・シーの血って、厄介よね」
ルイスがあんなふうに全方位を女生徒から固められているのは、その血が原因なのだ。公爵家の
美形なのはリャナン・シーの
(ロザリアは性格が悪すぎるせいで、その力も効かないくらい遠巻きにされて、誰も寄ってこないんだけどね)
せっかくの美人なのにつくづくもったいないキャラである。
(まぁルイスとは元々仲が良いわけじゃないし、ここで私が助けに入る必要もない、か)
だが、女たちのキャッキャする声に段々と顔が
(……あれじゃ
ルイスが女嫌いになったのは、この
彼を助けたところでリュカ救済へのメリットが特にあるわけでもないので、このまま関わらなくても良い──そう思ったのに、どうしても見て見ぬ振りが出来なくなったロザリアは、方向
(だってやっぱり実の兄だし。それに、最近は登校する時に
ロザリアの性格が一変したことで、彼の態度もだいぶ
「ルイスお兄様、お話があるのですが」
階段下からわざと声を張り上げると、ルイスと周りの女生徒たちがハッと振り返った。
「
あえてニッコリ笑って言うと、女生徒たちはピシッと姿勢を正し、頭を下げて
残されたルイスは、気が抜けたように
「……すまない、助かった」
「お兄様、ああいう人たちは多少乱暴にでも振り
それでもせっかく下火になり始めた悪評を再び
するとルイスはパチパチと目を瞬き、
「お前にそんなことを言われる日が来るとはな」
「これでもお兄様の妹ですから。心配しているのよ」
「わかった、
穏やかな顔は、ロザリアになってからは初めて見るものだった。
(わ、やっぱり良い笑顔! スチルでも破壊力あったもんなぁ〜!)
「そういえばお前は甘いものが好きだったな。助けてもらった礼に、今度何か用意しよう」
「えっ、本当に!?」
ルイスがロザリアに何かをくれるなんて、初めてではないだろうか。思わず目を輝かせてしまうと、リュカが後ろから会話に割って入ってきた。
「ルイス様、もうすぐ生徒会の役員会議のお時間では?」
「……ん? ああ、そうだった。そろそろ行かないといけないな」
「では、私たちもこれで失礼します」
そう言って、ロザリアを振り向かせ、階段に背を向ける。
「え、あの、リュカ」
「行きましょう、ロザリア様」
妙にわざとらしい笑顔を張りつかせたリュカに、背中を押されて歩き出す。
「……珍しいですね。今まではああいった現場を見ても、通り過ぎてらしたのに」
ボソリと呟いたリュカに、そうよね、と過去の反省も
「やっぱり見ていて良い気分じゃなかったから、つい。とても困っていたようだし」
「それにしてもあなた、お兄様の予定まで
「ご家族とはいえ、急に過保護になられたりしても少々面倒ですから」
「え?」
ちゃんと聞き取れなかったので聞き返そうとしたが、校舎の外に踏み出したと同時にロザリアを呼ぶ声が聞こえ、それは叶わなかった。
「よっ、ロザリア。相変わらずすげえなぁ」
「……ミゲル」
ミゲル・モーガン。陽気なムードメーカー的存在で、攻略対象の一人。ゲームでも唯一ロザリアに友好的だったキャラクターだ。
「すごいって、何が?」
「それだよ、それ」
赤茶色の癖っ毛に少年のように輝かせた
「ちょっ……」
「今日もまたたくさん連れてるなぁと思ってさ。どうやってこんなに
「ああそうか、あんたの髪ってフワフワで
「ミゲル、放してちょうだい」
髪を取り返すと同時に、悪びれもなく笑うミゲルの前に、リュカがズイッと進み出た。
「ミゲル様、お
妙に親しげな態度が気に入らなかったのか、リュカの目は笑っていなかった。
「いちいち目くじら立てるなよ、従者
「ただのクラスメートです。軽々しくロザリア様の
「ったく、固いなーあんたは」
はいはい、とミゲルは笑う。ロザリアはそんな彼を見て、
(友好的だったとは言っても、ゲームではここまで親しくなかったはずなんだけどなぁ)
むしろ、ミゲルがこんなふうに接していく相手はサラであるはずなのだ。
貴族だらけの学園に
それなのに、なぜかミゲルはサラにではなく、ロザリアに興味を持っているようなのだ。
ゲームのロザリアのように、他者を寄せつけようとしないオーラは絶対に出さないようにしているため、それがミゲルにも変化を起こしてしまっているのだろうか。
そんなことを考えつつ二人から距離を取っていると、髪にくっついていた妖精たちが声を
「ねえロザリア、お
「いいわよ、いつものビスケットで良ければ」
きゃあっと喜ぶ妖精たちにビスケットを配りながら、まだ目の前でロザリア攻防戦を
その時、ミゲルがふとロザリアの方を見た。
「お、
「えっ?」
急に目の前に顔を寄せてきたミゲルは、あーん、と口を開いていた。
「……どういうおつもりかしら」
「俺も
(はあ!? 何言ってんのこいつは──!!)
「むぐっ!?」
「お望みのビスケットです。どれも私が焼いたものなので、同じ味ですよ」
「あ、あんたな……! だからってそんな勢いよく突っ込むことはないだろ!」
「ロザリア様から直々に食べさせてもらおうなどと厚かましい。これで十分でしょう」
「なんだよ、ご婚約者殿のオスカーならいいのか?」
一瞬、リュカの眉がピクリと動いた。
「……節度の問題であると言っているのです」
「本当に頭が固いよなーあんた。いいじゃん、名家の人間同士、仲良くしたってさ」
ミゲルは
グラジアでは
(……ただ、友好的すぎてリュカが不満に感じちゃうんだろうなぁ、これは)
ロザリアを敬愛する彼としては、ミゲルの
「リュカ、いいわよそのくらいで」
「はい、ロザリア様」
けれど、振り向いてロザリアに向けられた笑顔は、百点満点の輝きだった。ものすごく良い顔をしている。
「あーあ、毎度邪魔しやがって……、ん?」
ミゲルが急に押し黙った。と思ったら、みるみるうちに顔が赤くなり始めた。
「な、なんだこれ……うわ──っ!?」
「え? どうしたの?」
口元を押さえたミゲルが、真っ赤になって
「気がつくまでに意外と時間がかかりましたね。量を調節する必要がありそうです」
「あんた、何か変なもん入れやがったな!?」
「
(ええ────っっ!?)
さらりと答えたリュカを、ロザリアもミゲルも目を丸くして見つめた。
「てめ……っ、何が同じ味だよ!」
「基本は同じです。ただ、何かあった時のために、特別な味も用意しておいただけのこと」
「これ全然隠れてねぇよ!」
ヒーヒーと息切れしているミゲルを見ていると、さすがに
「ちょ、ちょっと、リュカ」
「私の大切な主人への無礼の数々、どうか改めてくださいませ」
「くだらないことしやがって……うわっ」
辛さに
ばっしゃーん、という音と共に、
「リュカ!」
慌てて噴水の中を覗き込む。水位は低かったものの、頭から突っ込んだので二人ともずぶ
「…………」
「あなたたち、子どもみたいな
「……はい」
【画像】
くしゅん、と聞こえ、ロザリアは勢いよく振り返った。
「リュカ、あなたもしかして、
「いいえ、ひいていませんよ」
絶対
(いかん、推しの危機だ! 推しが病気で苦しむとか無理、絶対に防がないと!!)
「頭から水を
私の心の
「そうは参りません。ロザリア様の下校時刻が私の下校時刻ですから」
出たなロザリア病! と
「そんなことを言って悪化したらどうするの。私には馬車もあるし、あなたは早く帰って休みなさい。長引いたら、私の従者としてのあなたの仕事にも支障が出るでしょう?」
キツい言い方でもしないと言うことを聞いてくれないと思い、あえて厳しく告げる。案の定、仕事のことを
「……かしこまりました。ですが何かありましたら、必ず呼びつけてくださいね」
「大丈夫よ、後は昼食と午後の授業だけだから。お大事にね」
はい、と弱々しく微笑んだリュカを
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