「では、お休みなさいませ」

 ロザリアのしんしつとびらを閉め、リュカは自室へと足を向けた。

 せいじゃくが広がるこうしゃくていの中を進みながら、昼間ロザリアが言っていたことを思い返す。

『私はね、あなたさえいてくれればそれだけでいいのよ』

 はんすうするたび、胸が熱くなる。ロザリアは覚えていないかもしれないが、昔、同じことを言われたことがある。彼女が十二歳になり、オスカーとの婚約話が持ち上がった時のことだ。

 いつかオスカーと結婚してしまう日が来ても、ゆいいつの存在としてロザリアの一番近くにいられる──その言葉でそう思えたから、自分を律し受け入れてきた。

 なのに、突然あんなことを言い出すとは。

「婚約を解消したい……か」

 あの二人が互いに無関心であることも、政略結婚なのだからと受け入れていることももちろん知っていた。それなのに、どうしてここに来て。

(変わりたいと、ロザリア様は仰った)

 なぜ急にそのような心境の変化があったのかわからないが、この話を白紙に出来るのなら願ってもない。それにこれは、ロザリア自身が望んでいることなのだ。ならば、喜んでその望みをかなえる助力をしたい。

(……しかし、王太子と平民の少女が上手くいくとは思えないが)

 身分差がありすぎる。それは簡単にえられるものではないと、ロザリアの従者としてずっと過ごしてきた自分が一番よくわかっている。けれど、サラ・ベネットの存在が婚約解消のための一助となるのなら、ロザリアの思うままに行動しようと思う。

 この変化は喜ばしい。だが同時に、ねんこうも増えたのだった。

(以前とふんが変わったロザリア様に、興味を持つ者が出てくるのではないだろうか)

 ロザリアは元来、言葉も態度も素直すぎるところがあるが、近頃は他者に好印象を抱かせそうな素直さが前面に出すぎているのだ。意識する男が現れる危険性は、大いにある。

 しかし彼女は、恋も結婚も興味がないと言い切った。それなら自分の取るべき行動は。

(ロザリア様に近づこうとするらちやからは、はいじょしていかなくては)

 それは、自分さえいてくれればいいと言ってくれた、ロザリアの望みでもあるだろうから。

 リュカに婚約解消の意思表明をしてから数日後。ロザリアは、校舎内の階段で女生徒たちに囲まれているルイスを発見した。

「お兄様、大変そうね」

「ルイス様は、学園中の女生徒にたいへん人気でいらっしゃいますから」

「……リャナン・シーの血って、厄介よね」

 ルイスがあんなふうに全方位を女生徒から固められているのは、その血が原因なのだ。公爵家のあとぎで生徒会長、文武両道……と十分スペックが高い上、容姿もばつぐんに良い。

 美形なのはリャナン・シーのけつえんゆえなのだが、かの妖精はぼうで人をゆうわくする力を持っていたため、子孫であるフェルダント家の人間にも、じゃくながらその力が備わっているらしいのだ。

(ロザリアは性格が悪すぎるせいで、その力も効かないくらい遠巻きにされて、誰も寄ってこないんだけどね)

 せっかくの美人なのにつくづくもったいないキャラである。

(まぁルイスとは元々仲が良いわけじゃないし、ここで私が助けに入る必要もない、か)

 だが、女たちのキャッキャする声に段々と顔があおめていくルイスが目に入り、思わず足を止めてしまう。

(……あれじゃおんなぎらいにもなるわ)

 ルイスが女嫌いになったのは、このしょうの美貌に惹きつけられる女が後を絶たず、どこに行っても女たちに囲まれてしまう幼少期を過ごしたせいなのだ。本人は意図して誘惑しているわけではないので、余計に嫌な気持ちになるのだろう。

 彼を助けたところでリュカ救済へのメリットが特にあるわけでもないので、このまま関わらなくても良い──そう思ったのに、どうしても見て見ぬ振りが出来なくなったロザリアは、方向てんかんして階段の方に歩き出した。

(だってやっぱり実の兄だし。それに、最近は登校する時にあいさつしても、にらんでこなくなったんだもの。それどころか、親しげに話しかけてくれることも増えたものね)

 ロザリアの性格が一変したことで、彼の態度もだいぶなんしたのだ。仲良しとは言わないが、以前のようにギスギスしたきょうだい関係ではないことを、嬉しく感じているのも事実だった。

「ルイスお兄様、お話があるのですが」

 階段下からわざと声を張り上げると、ルイスと周りの女生徒たちがハッと振り返った。

みなさまがた、急ぎなのでよろしいかしら。お兄様にご用があるなら、私が後で順番にお伝えしておきますわよ」

 あえてニッコリ笑って言うと、女生徒たちはピシッと姿勢を正し、頭を下げてげるように去っていった。やるなロザリア、今までつちかってきた悪評は伊達だてじゃない。

 残されたルイスは、気が抜けたようにひといきき、ロザリアを見た。

「……すまない、助かった」

「お兄様、ああいう人たちは多少乱暴にでも振りはらわないといけないわ。ちゅうはんな優しさは彼女たちをつけ上がらせるだけよ」

 それでもせっかく下火になり始めた悪評を再びえんじょうさせたくはない。助けるのはこれ一回きりにしたいという気持ちを込め、少々強めに忠告しておく。

 するとルイスはパチパチと目を瞬き、可笑おかしそうにした。

「お前にそんなことを言われる日が来るとはな」

「これでもお兄様の妹ですから。心配しているのよ」

「わかった、きもめいじておく」

 穏やかな顔は、ロザリアになってからは初めて見るものだった。

(わ、やっぱり良い笑顔! スチルでも破壊力あったもんなぁ〜!)

「そういえばお前は甘いものが好きだったな。助けてもらった礼に、今度何か用意しよう」

「えっ、本当に!?」

 ルイスがロザリアに何かをくれるなんて、初めてではないだろうか。思わず目を輝かせてしまうと、リュカが後ろから会話に割って入ってきた。

「ルイス様、もうすぐ生徒会の役員会議のお時間では?」

「……ん? ああ、そうだった。そろそろ行かないといけないな」

「では、私たちもこれで失礼します」

 そう言って、ロザリアを振り向かせ、階段に背を向ける。

「え、あの、リュカ」

「行きましょう、ロザリア様」

 妙にわざとらしい笑顔を張りつかせたリュカに、背中を押されて歩き出す。かんを覚えたが、別にルイスと話し込むつもりもなかったので彼に従う。

「……珍しいですね。今まではああいった現場を見ても、通り過ぎてらしたのに」

 ボソリと呟いたリュカに、そうよね、と過去の反省もふくしょうする。

「やっぱり見ていて良い気分じゃなかったから、つい。とても困っていたようだし」

 いっぱくの間の後、リュカは「そうですか」と低い声で返した。

「それにしてもあなた、お兄様の予定まであくしているなんてすごいわね」

「ご家族とはいえ、急に過保護になられたりしても少々面倒ですから」

「え?」

 ちゃんと聞き取れなかったので聞き返そうとしたが、校舎の外に踏み出したと同時にロザリアを呼ぶ声が聞こえ、それは叶わなかった。

「よっ、ロザリア。相変わらずすげえなぁ」

「……ミゲル」

 ミゲル・モーガン。陽気なムードメーカー的存在で、攻略対象の一人。ゲームでも唯一ロザリアに友好的だったキャラクターだ。

「すごいって、何が?」

「それだよ、それ」

 赤茶色の癖っ毛に少年のように輝かせたはく色の瞳。ひとなつこい笑顔で見つめられると、不本意だが可愛いと思ってしまう──と、油断しているすきに、髪をひとふさすくい取られた。

「ちょっ……」

「今日もまたたくさん連れてるなぁと思ってさ。どうやってこんなになずけたんだ?」

 うばわれた髪の毛には、いつものごとく小妖精がくっついている。本日は薔薇の精だ。

「ああそうか、あんたの髪ってフワフワでさわごこ良いんだな。妖精たちの気持ちもわかるわ」

「ミゲル、放してちょうだい」

 髪を取り返すと同時に、悪びれもなく笑うミゲルの前に、リュカがズイッと進み出た。

「ミゲル様、おひかえくださいますよう。少々れ馴れしすぎるかと」

 妙に親しげな態度が気に入らなかったのか、リュカの目は笑っていなかった。

「いちいち目くじら立てるなよ、従者殿どの。俺たち友達なんだからさ」

「ただのクラスメートです。軽々しくロザリア様のぐしれないでいただきたい」

「ったく、固いなーあんたは」

 はいはい、とミゲルは笑う。ロザリアはそんな彼を見て、いきを吐いた。

(友好的だったとは言っても、ゲームではここまで親しくなかったはずなんだけどなぁ)

 むしろ、ミゲルがこんなふうに接していく相手はサラであるはずなのだ。

 貴族だらけの学園にとつじょ現れた平民の少女に、ミゲルは関心を示す。興味本位で近づいたはずが、じゅんぼくなサラにじょじょに惹かれていくという流れだ。

 それなのに、なぜかミゲルはサラにではなく、ロザリアに興味を持っているようなのだ。

 ゲームのロザリアのように、他者を寄せつけようとしないオーラは絶対に出さないようにしているため、それがミゲルにも変化を起こしてしまっているのだろうか。

 そんなことを考えつつ二人から距離を取っていると、髪にくっついていた妖精たちが声をそろえて騒ぎ出した。

「ねえロザリア、おなか空いたわ! お菓子をくださいな」

「いいわよ、いつものビスケットで良ければ」

 きゃあっと喜ぶ妖精たちにビスケットを配りながら、まだ目の前でロザリア攻防戦をひろげているリュカとミゲルを見つめる。

 その時、ミゲルがふとロザリアの方を見た。

「お、美味うまそうなの食べてるじゃん。俺にもちょーだい」

「えっ?」

 急に目の前に顔を寄せてきたミゲルは、あーん、と口を開いていた。

「……どういうおつもりかしら」

「俺もしいから食べさせて」

(はあ!? 何言ってんのこいつは──!!)

 ずかしげもなく言ってのけるミゲルに、ロザリアの方がしゅうで震えてしまう。どうっぱねてやろうかと考えていると、リュカがしゅんびんな動きでミゲルの口に何かを突っ込んだ。

「むぐっ!?」

「お望みのビスケットです。どれも私が焼いたものなので、同じ味ですよ」

 ふところから出した包みの中身を見せ、リュカがニッコリと笑う。

「あ、あんたな……! だからってそんな勢いよく突っ込むことはないだろ!」

「ロザリア様から直々に食べさせてもらおうなどと厚かましい。これで十分でしょう」

「なんだよ、ご婚約者殿のオスカーならいいのか?」

 一瞬、リュカの眉がピクリと動いた。

「……節度の問題であると言っているのです」

「本当に頭が固いよなーあんた。いいじゃん、名家の人間同士、仲良くしたってさ」

 ミゲルはしゃくちゃくなんだが、りんごくグラジアからの留学生だ。妖精を見ることが出来る能力はエルフィーノ国民特有のものとされているが、彼の先祖にエルフィーノ出身で妖精直系の人物がおり、かくせい遺伝でその力が芽生えたという設定がある。

 グラジアではな血を引く家柄のため、国内での地位はかなり高く、有力公爵家のむすめのロザリアにもおくせず話しかけてくるのだ。

(……ただ、友好的すぎてリュカが不満に感じちゃうんだろうなぁ、これは)

 ロザリアを敬愛する彼としては、ミゲルのえんりょな態度は目をつぶっていられないものなのかもしれない。

「リュカ、いいわよそのくらいで」

「はい、ロザリア様」

 けれど、振り向いてロザリアに向けられた笑顔は、百点満点の輝きだった。ものすごく良い顔をしている。

「あーあ、毎度邪魔しやがって……、ん?」

 ミゲルが急に押し黙った。と思ったら、みるみるうちに顔が赤くなり始めた。

「な、なんだこれ……うわ──っ!?」

「え? どうしたの?」

 口元を押さえたミゲルが、真っ赤になってもだえている。突然何が起こったのかと近寄ろうとするも、リュカに優しくはばまれた。

「気がつくまでに意外と時間がかかりましたね。量を調節する必要がありそうです」

「あんた、何か変なもん入れやがったな!?」

かくし味にとうがらを」

(ええ────っっ!?)

 さらりと答えたリュカを、ロザリアもミゲルも目を丸くして見つめた。

「てめ……っ、何が同じ味だよ!」

「基本は同じです。ただ、何かあった時のために、特別な味も用意しておいただけのこと」

「これ全然隠れてねぇよ!」

 ヒーヒーと息切れしているミゲルを見ていると、さすがに可哀相かわいそうになってくる。

「ちょ、ちょっと、リュカ」

「私の大切な主人への無礼の数々、どうか改めてくださいませ」

 さわやかな笑みと共に頭を下げたリュカを、ミゲルがキッと睨みつけた。

「くだらないことしやがって……うわっ」

 辛さにもんぜつするあまり足元がふらついたミゲルが、ロザリアに向かってたおれてきた。リュカがとっに守るように立ちはだかってくれたが、代わりに彼がミゲルを受け止めるしかなくなり、そのまま一緒に倒れ込んでしまった。

 ばっしゃーん、という音と共に、ふんすいの中へ。

「リュカ!」

 慌てて噴水の中を覗き込む。水位は低かったものの、頭から突っ込んだので二人ともずぶれだった。

「…………」

 ぜんとした表情で睨み合う二人を前に、あーもう、とこしに手を当てる。

「あなたたち、子どもみたいなけんはもうしないでちょうだい!」

「……はい」

 しぶしぶといった様子の二人の返事に、ロザリアは溜め息を吐いてリュカに手をべた。

【画像】

 くしゅん、と聞こえ、ロザリアは勢いよく振り返った。

「リュカ、あなたもしかして、をひいたんじゃ……!?」

「いいえ、ひいていませんよ」

 絶対うそだ。昨日ミゲルと噴水に落ちた後、すぐに制服も髪もかわかしたが、身体はかなり冷えてしまっていたはずだ。くしゃみどころか、心なしか顔も赤い気がする。

(いかん、推しの危機だ! 推しが病気で苦しむとか無理、絶対に防がないと!!)

 きんきゅう事態にあせるが、表に出さないようになるべく冷静に続ける。

「頭から水をかぶった状態で医務室まで歩いていたら、風邪をひいてもおかしくないでしょう。念のため、今日はもう早退して帰りなさい」

 私の心のあんねいのためにも、と想いを込めて伝えるが、リュカは首を縦に振ってくれない。

「そうは参りません。ロザリア様の下校時刻が私の下校時刻ですから」

 出たなロザリア病! とみしながら、リュカの前におうちする。

「そんなことを言って悪化したらどうするの。私には馬車もあるし、あなたは早く帰って休みなさい。長引いたら、私の従者としてのあなたの仕事にも支障が出るでしょう?」

 キツい言い方でもしないと言うことを聞いてくれないと思い、あえて厳しく告げる。案の定、仕事のことをてきされると言い返せなかったらしく、リュカは黙った。

「……かしこまりました。ですが何かありましたら、必ず呼びつけてくださいね」

「大丈夫よ、後は昼食と午後の授業だけだから。お大事にね」

 はい、と弱々しく微笑んだリュカをきしめたくなる気持ちをこらえ、見送る。どうかすぐに良くなりますように、と念を送り、ロザリアは教室へ戻っていった。

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