*****


(さて、これに乗ったらいよいよプロローグイベントはすぐそこね)

 ポーチでそうげい用の立派な馬車を見上げたロザリアは、深呼吸をした。よし、と気合を入れて、リュカと共に乗り込む。

 すると、中にはすでに一人の青年が座っていた。

(わぁっ!? な、なんでここにルイスが!?)

 ルイス・フェルダント。エルフィーノ王立学園生徒会長を務める、ロザリアの一つ年上の兄。そして、《おといず》攻略対象キャラの一人でもある。

(ロザリアの難アリな性格のせいで、このきょうだいめっちゃ仲悪いんじゃなかったっけ!? ゲームでも会話する場面はなかったから接点ないと思ってたのに、一緒に登校してたの!?)

 朝食に同席していなかったのでてっきりそうだと思っていたのだが、登校くらいは一緒に、ということなのだろうか。学園に着く前にもう攻略対象と接する羽目になるとは。

 動き出した馬車の中、動揺を抑えつつ、なんとか笑顔を作ってルイスに声をかける。

「おはようございます、ルイスお兄様」

 途端、ルイスは肩まである黒髪をらし、アメジスト色の瞳を疑うように細め、見つめ返してきた。……しまった、いきなりやらかした。

(こらーっ! 仲悪い設定なのになんでにこやかに挨拶してるんだ私は──!)

 いつもは絶対に挨拶なんてしないのだろう。ルイスの表情がそれを物語っている。

 接し方に困るから、仲が悪いならてっていして距離を置いてほしい、と心中で恨み言を呟いたロザリアに、ルイスはさんくさそうな目を向けながらも、「……ああ」と低い声で答えた。

(あーもう、ヒロインサラ視点でゲームをやってたから難しいわね。わざわざオスカー以外の攻略対象とからんでいく必要なんてないんだから、しんに思われるような行動はつつしまないと)

 だが心配する必要もなく、ルイスはとっくにロザリアへの興味を失ったようで、手元の本に目を落としている。良かったと思いつつ、ロザリアはじっとルイスを観察した。

(うーん、さすが攻略対象。ビジュアルの破壊力はばつぐんね)

 クールでおんなぎらいなせいで一見近寄りがたい印象なのだが、リャナン・シーの血のえいきょうで顔の造作が格別に整っており、男性キャラで一番の美形としてえがかれていたキャラだった。さらに、ヒロインに心を開いてから見せるようになる、おだやかな表情とのギャップがりょくで、ユーザーからかなり人気があったと記憶している。

(確かに美形だし割と好きなキャラだったけど、私はリュカの方が断然れいだと思うわ)

 目の前に座る兄から、となりの従者に視線を移す。油断するとニヤニヤが抑えられなくなるのを堪えながら、いとしい推しに熱い視線を送る。うん、やっぱりどの角度から見てもてき

「……ロザリア様、申し訳ありません。どこかおかしかったでしょうか」

 だが、あまりにも見つめすぎたのか、リュカは困ったように自身の身体をあらため始めた。しかも、何かぎわがあったのかと勘違いさせてしまっている。

「やだ、何を言っているの。おかしなところなんてないわよ」

「ですが、私の姿を気にされているようでしたので」

 大好きな推しを視界に収めてニヤニヤしていただけです! と言いたくなるのを抑え、慌てて「違うわ!」と身を乗り出した。

「心配しないで、あなたはいつも完璧だから! 美しく整えられた身なりも洗練された所作も、全てにおいて非の打ち所がなく素晴らしいから!!」

 ポカン、とおんが聞こえた気がした。熱くまくててしまったことをこうかいするもおそく、リュカと──それから読書していたはずのルイスでさえ、目を丸くしてこちらを見ていた。

(し、しまったぁ……! つねごろ思っていたことがつい口から出てしまった……!)

 熱くなると周りが見えなくなり、だんがんトークをしてしまう。オタクの悲しいさがである。

 おそる恐るリュカを見ると、彼は戸惑うような照れているような、そんな顔をしていた。

「あの……えっと、ありがとうございます。ロザリア様」

「い、いえ、その、ほら。あなたはそのままで十分だと言いたかったのよ」

 なんとか笑ってす。しかし、ルイスはいまだに不審そうな目を向けていた。

「……ロザリア。お前、一体どうしたんだ?」

(そんな得体の知れないものを見るような目を向けないでよ──!!)

 居た堪れない気持ちになりながら、ルイスにも笑いかける。

「嫌だわお兄様、リュカは大切な従者なのよ。いつも思っていることを言っただけだわ」

「大切な……従者……?」

(ちょっと、なんでそこで二人して声をそろえるのっ)

 ルイスはいよいよ信じられない、と言いたげな表情をしていた。一方リュカは、反応に困ってしまったようでうつむいている。え、やだ、可愛いんですけど。

「……この上ないほまれです、ロザリア様」

(は、はにかんでる──!! 天使の微笑み、ううん、天使のはにかみ!!)

 あまりの愛らしさに、鼻血をきそうになった。いや、心の中ではせいだいに吹いている。どうしよう、推しが可愛すぎてつらい。

「…………なんなんだ、一体」

 困惑したルイスの声が、馬車の中にポツリとひびいた。


 しばらくして、馬車は学園にとうちゃくした。妖精を見ることが出来る者のみが入学を許される、エルフィーノ王立学園。画面越しに見てきた風景が、目の前に広がっていた。

 馬車を降りて歩き出すと、はちみつ色の髪にサファイア色の瞳をした青年が、ツンとました表情で歩いてくるのが見えた。来たわね、と胸の内で呟く。

(出たな、オスカー! 人気投票ぶっちぎり一位、最強のツンデレ王子!!)

 個別ルートにおけるぜつみょうなツンデレこうげきに、数多あまたの乙女が心をさらわれた人気キャラだ。そして、リュカ生存フラグへのゆいいつの希望である。

(待ってなさいオスカー。必ずサラとハッピーエンドを迎えさせてみせるから!)

 闘志を宿して見つめるが、オスカーはそんなロザリアには見向きもせず、数歩前にいるルイスに声をかけた。

「やっと来たな、ルイス」

 婚約者のロザリアには、チラリとも視線をさない。見事なまでのスルーだ。

(ああそうだ、ツンデレ王子と我儘令嬢だから、ここも仲が悪いのよね)

 婚約といっても、有力公爵家で昔から付き合いがある、とかそんな理由で決まったえんだんだったはず。だから当人たちの仲が悪かろうが関係ないのだ。

 どの道、彼からの好感度を上げたいわけではないので、ロザリアにとって問題はない。

「何かあったのか?」

 ルイスも、妹がぞんざいに扱われていることなど気にするふうもなく返す。

「今日だろう、が編入してくるのは」

「ああ、そうだった。サラ・ベネットだったか」

 その名にドキリとする。ついに正ヒロインのサラが現れるのだ。

(いよいよ始まってしまうのね、《おといず》が……!)

 その時突然、いちじんの風が吹いた。わざとらしいゲームの演出のような、不自然な風が。

(……サラだわ)

 風が吹き込んできた先から、校門を抜けて一人の少女が歩いてくる。ロザリアと違い、ぐでサラサラな金髪を風になびかせ、こんぺき色の瞳を不安そうに揺らしながら。

 サラはオスカーに目を留めると、「あ」と小さく声を上げた。それを見たオスカーも、一歩み出す。

「ようこそ、サラ・ベネット。今日から君もこの学園の生徒だ。よろしく」

(──ああ、覚えてる。このプロローグイベントで最初に声をかけてくれるのが、オスカーだったのよ……)

 そもそもシナリオ上で、平民として田舎いなかで生活していたサラの能力をいだしたのは、オスカーなのだ。視察で地方を回っていたところに、妖精と接していたサラとぐうぜん出会い、編入してくるよう声をかける。それが《おといず》の全ての始まりなのだ。

(不思議ね。あの印象的な場面を、この場所から見てるなんて)

 だが、いんひたっている場合ではない。そろそろころ合いだろうか。

 サラとオスカーが話し、そこに生徒会長のルイス、さらに残り二人の攻略対象も加わっていくのを見ながら、ロザリアはジリジリと後ろに下がっていった。他の生徒たちの視線は、サラたちの元に集まっている。──よし、いける。

(このまま存在を消して、このイベントを乗り切りたい……!)

 ゲームだとここでロザリアがしゃしゃり出ていき、サラに悪口を言い始めるのだ。

(でも私はそんなことしないから、どうかこのまま穏便にシナリオを進めてください!)

 最初の顔合わせで、悪い印象を与えない。あえて生徒たちが集まる中でおとなしくしていることには、効果があるはずだ。

 ものかげに隠れようと足音を立てずに動くと、そんな主人の行動にリュカが気付いた。

「ロザリア様、どうされました?」

「気にしないで、私は今モブキャラなの。いないものと思ってちょうだい」

「…………モブキャラ?」

 理解しようと首を傾げるリュカに、オタク用語言ってごめんと心の中でびる。

 その時だった。

「ロザリアー、おなか空いたー!」

「えっ、ちょっ……、きゃあっ!」

 リュカが持ってくれていたバッグの中から、緑色の影が飛び出してきた。しかも複数。

「ロザリア様!」

 なぞの物体たちに飛びつかれた勢いでよろけたが、咄嗟にリュカに支えられる。

「あ、ありがとう。何? 今の……」

 自分の身体を見下ろしたロザリアは、目を瞠った。朝食時に現れたピクシーたちが、なぜかロザリアの身体にまとわりついていたのだ。

「あなたたち、どうしてここへっ!?」

「さっきのうまかった! もっとちょーだい」

「僕もしいー!」

「え? さっきのって……、ビスケットのこと?」

「そう、それだ!」「それが欲しい!」なんてさわぎ始める。戸惑いつつも、ロザリアはリュカからバッグを受け取り、中をさぐり出す。

「それなら持ってきているわ。待ってて、今用意するから」

 学園の妖精におすそけ出来る機会があるかもしれないと思い、リュカから残りをもらっておいたのだ。ピクシーたちは嬉しそうな声を上げ、我先にと手をばしてくる。

「ちょっと、だから待ってったら──……、こらっ、落ち着いて順番に並んでちょうだい!」

 いっかつすると、彼らはなおに頷き、ロザリアの前に整列した。

「ちゃんとみんなにあげるから、あせらないで。……もう、ふふっ」

 嬉しそうにビスケットを受け取っていく妖精たちを見て、可愛いのと嬉しいのとで、思わずみが零れてしまった。

(あー良かった、多めに持ってきておいて……って、わ──っ!?)

 ひといき吐いて顔を上げると、オスカーとルイス、サラをはじめ、集まっていた生徒たちが全員、きょうがくの表情を顔にりつけてロザリアを見ていた。

(やっ、やばい……! めっちゃ悪目立ちしてる……!)

 当然の反応だ。ロザリアが妖精にお菓子を振る舞うことなんて、今まで絶対になかったはずだから。

 固まったまま背中にあせをかき始めたロザリアの耳に、「ロザリア様が妖精と親しげに!」「一体どうなさったの!?」「妖精に微笑みかけていらしたぞ!?」とヒソヒソ声が聞こえてくる。まずい。めちゃくちゃ怪しまれている。

 そんなロザリアを気にも留めず、ピクシーたちはビスケットを美味しそうに頰張り、さらにはロザリアの髪を引っ張って遊び始めてしまった。

(はっ、どうしよう! もしかしてこの光景、妖精たちをお菓子でって、従えようとしているように見えるんじゃ!?)

 のうに『バッドエンド』の文字が浮かぶ。おとなしくしているつもりだったのに、しょっぱなのイベントからやらかしてしまうなんて。

 絶望的な気持ちになっていると、後ろからグイッと腕を引っ張られた。

「……リュカ?」

「ロザリア様、ぐしが乱れてしまっています」

 いつになく低い声が耳元で聞こえ、ゾクリとした。リュカはロザリアに何か言う間を与えず、そのまま力強く腕を引いて、その場からロザリアを連れ出した。

 何が起きたのかわからない、と困惑する生徒たちを残して。


「……申し訳ありませんでした。まさかバッグの中に妖精がまぎれ込んでいたとは……」

 リュカはひとのない場所で足を止め、うなれた。妖精たちはビスケットをもらって満足したのか、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。

「いいのよ、彼らは自分で気配を消すことが出来るんだから、気付けないこともあるわ。……まさか私なんかについてくるなんて、驚いたけれど」

 あんなに怖がられていたのに、なぜ急に懐かれるようになったのか。わからない。

 リュカはポケットからくしを取り出し、無言でロザリアの髪をかし始めた。優しくていねいな手つきにここさを感じながらも、ロザリアは気になっていたことを口にした。

「ねえ、さっきの……、あなたにはどんなふうに見えた?」

「……どんな、とは?」

「つ、つまり、妖精を従えて何かわるだくみしようとしてるって、そう見えたかしら!?」

 いきおい込んでたずねると、リュカはパチパチと瞬きをした。

「いえ、そんなまさか。というか、むしろ──……」

「本当!? 良かったぁ!!」

 ホッとして息を吐き出す。

(少しでも誤解を招きそうな行動は避けたいもの。ロザリアがサラにいちゃもんつける展開もちゃんと避けられたし、シナリオ通りにいかなかったってことでいいよね!?)

 あんするロザリアとは反対に、リュカは浮かない顔をしていた。

「……ロザリア様、一体どうしたのです? 急に妖精と親しくしようとなさるなんて」

「えっと……それは」

「昨夜から様子がおかしいですよ。やはりお身体の調子が悪いのではないですか?」

 なぜか、ものすごく不満そうな顔をされた。そんな表情も可愛いけれど、今はえている場合じゃない。本能的にそう感じた。

「……わ、私ももう十七歳だし、いろいろと身の振り方を考え直そうと思ったのよ」

「考え直す? なぜです、貴女あなたは今のままで良いではありませんか」

「だ、駄目に決まってるでしょう!」

 何を言ってるんだと言わんばかりの顔をされ、声がひっくり返る。この子、本当にロザリアへの忠誠心が分別を欠いてないか。もうこれ、ロザリア病って呼んでもいいんじゃないだろうか。

「私は変わりたいの。今までみたいに我儘放題な生き方ではなく、ちゃんとして周りやあなたにも迷惑をかけないような人間になりたいのよ」

「迷惑だなんてとんでもない。私は貴女のために存在するのですから」

(いか──ん! 本気で重症だ!!)

 いちユーザーだった頃の自分ならキャーッといていたところだが、今は出来ない。どうにかしてリュカをロザリアから解放し、あらゆる負担を減らしてあげなければ。

「これはっ、私とあなたの未来のためでもあるの! だから異論は受けつけませんっ!」

 それだけ言って、背を向けて走り出す。このままだと、ロザリア病重症かんじゃに言いくるめられてしまう気がしたからだ。

(ああもう、誰にどう思われようとも、絶対絶対、私はリュカを助けるんだから──!!)


*****


 ロザリアが去っていってしまうのを、リュカはぼうぜんと見ていることしか出来なかった。

「『私とあなたの未来のため』……?」

 彼女が最後に口にした言葉をかえし、それが何を指しているのか考える。

(……いや、あの方のことだ。深い意味で言ったわけではないのだろう)

 自分がどう思われているかなんて、十分わかっている。わかっているはずなのに。

(美味しい、と……笑ってくれた)

 あの時湧き上がった気持ちを思い出し、胸が熱くなる。無防備な顔、花がほころぶような笑顔。それが自分に向けられたことへの喜び。──なのに。

「あんなふうに、他のやつらの前でも見せてしまうなんて。……本当に貴女はわかっていない」

 忠実な従者の低い呟きは、近くをう小妖精の耳にも届かなかった。



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