悪役令嬢は二度目の人生を従者に捧げたい

悪役令嬢は二度目の人生を従者に捧げたい/ビーズログ文庫

第一章 我が人生は推しのために

 ──あ、これ、やばい。

 そう思ったしゅんかん、今までに感じたことのないしょうげきが、ごうおんと共に身体からだ中を走った。

 痛い、苦しい、つらい。いろんな言葉がおもかぶが、声にならない。口が開かない。

(私、死ぬのかな)

 てつしてむかえた朝、会社に向かっていたはずだった。そくでフラフラしていた自覚はある。でも歩行者用の信号は青だったから、わたっても平気だと信じ切っていた。

 そこに大きなトラックがんできたのも、覚えている。すいおそわれぼんやりとしていた頭では、とっの身動きが出来ずけられなかったことも。

 つまり自分は、交通事故にったのだ。

だ……。音が、意識が、遠のいていく……)

 さきほどまで聞こえていた周囲のざわつきも、じょじょに聞こえなくなっていく。

 それと共に、大切な人の顔が一人、また一人と、そうとうのようにのうに浮かんでいく。

(ああ、ゲームに熱中しすぎて時間を忘れたりしなければ、徹夜することもなかったのに)

 いまさらおそいとわかっていても、こうかいが押しせる。

 親しい人たちの顔が脳内をめぐる中、最後に思い浮かんだのは──はくじょうなことに両親でも友人でもなく、ましてやこの世界に実在する人物でもなかった。

(うっ……、例え画面しだとしても、をもっとながめていたかった……!)

 身体の自由はきかないが、もうれつに泣きたくなってきた。愛する人の姿が、まぶたの裏にじんわりと広がっていく。

 サラサラのきんぱつやさしいもえ色のひとみ、春のおだやかな日差しを連想させる、優しいがお。大好きなおとゲームに登場する、最しのキャラクター。

 彼の登場シーンを楽しみに、しつこく何十回とプレイした。数少ない台詞せりふや立ち絵が出てくるたび、ヒャッホウとかんしたものだ。彼の存在が自分の原動力だった。

 だからこそ、彼が迎えるいくつもの結末に、どれだけ泣かされたことだろう。二十四年の人生の中で、最も許容出来ない事案だった、と言っても過言ではない。

 そう考え出したら、さいうらごとの一つでも言いたくなってくる。もうとうに声なんか出ないけれど、せいいっぱいの大きな声を、心の中で張り上げた。

 最後に画面越しに見た、彼の姿を思い浮かべて。


「なんで……っ、なんでいつも死んじゃうのよぉ、リュカぁぁぁ…………!!」





*****




 ──……ア様、目を開けてください……ロザリア様……。

「…………んん……?」

 だれかに呼びかけられ、手をギュッとにぎられた感覚に、意識がじょうした。

 ゆっくりとまぶたを開くと、宝石のような美しい緑色のひとみが間近にあった。一つ、まばたきをして視線が合うと、その瞳が大きく見開かれた。

「──ロザリア様! ああ、良かった……。目を覚まされましたね……!」

「………………え?」

 ぼうっとする頭で、自分に話しかけている声に耳をかたむける。

「階段から落ちて頭を打たれ、そのしょうげきで意識を失っていたのです。自体は大したことがない、と医師は言っていたのですが……。ご気分はいかがですか?」

「階段? 落ち……、えぇ?」

 確か自分は、交通事故で死んだのではなかったか。そうだ、さいしの顔をおもかべて安らかにねむりについたはず──と思い出したところで、意識が完全にかくせいする。そして、自分をのぞむ目の前の人物の顔に、目をみはった。

(……うそ、待って)

「私のことがわかりますか?」

 不安そうに問いかけられ、ゴクリとつばむ。

(……わかる。この顔、とてつもなく見覚えが……)

 窓からし込む月光を反射してかがやく、まぶしいきんぱつのようにやさしくきらめく、もえ色の瞳。心配そうにまゆじりを下げていても、その造作はうっとりするほど美しくて。

 ──そうだ、この一億点満点の美青年は、最期に思い浮かべた最推しの──……。

「リュ、リュカ──────っっっ!?」

 思わずさけんで飛び起き、目の前のかたをガシッとつかむ。リュカ(仮)はいっしゅんビクリとしたものの、すぐにどうようおさえてほほんだ。

「はい、そうです。良かった、意識はしっかりしていますね」

 返ってきた答えに、頭が真っ白になる。

(は、はいって言った!? なんでリュカが目の前に!? どどどどうして実体化してるの!?)

 リュカはゲームに出てくるキャラクターで、画面の向こうの存在のはず。しかし、そこにいるのはちがえるはずもなく、愛する彼だった。

 ──いや、待った。それ以前に。

「私……、死んだはずよね……!?」

 彼はぱちくりと瞬きをし、やわらかく微笑んだ。

だいじょうです、生きていますよ。ただ、頭を打たれたのですからまだ起き上がってはいけません。横になっていてください」

 優しい手つきでフワフワの毛布の中に押しもどされてしまう。どうやらここはしんしつのようだ。見上げると、ごうてんがいに囲まれていることがわかった。

(待って、頭が追いつかない。私、どうなっちゃったの? ここはどこ?)

 リュカ(仮)を見ると、彼は天使かとまがうほどの優しいがおを浮かべ、立ち上がった。

「飲み物をお持ちします。休んでいてくださいね。──ロザリア様」

 去り際の言葉を聞いて、身体からだ中にビリっとでんげきが走った。……今、なんと言った?

(……ろざりあ? ……ろざりあ、ロザリア…………。──ロザリア・フェルダント!?)

 ガバッと起き上がり、転げ落ちるように寝台からす。いくつもあるとびらを開け、ようやく見つけた鏡台を覗き込み──固まった。

 こしまであるふかむらさきいろのウェーブのかみに、意志の強さを感じさせる深紅色の瞳。せいこうな人形のようにかんぺきに整った顔立ち。いやになるくらい見慣れた顔が、そこにあった。

「ロ、ロザリアだ……。《おといず》の悪役れいじょう、ロザリアだ……!」

《おといず》、正式めいしょうようせいおとと祝福の泉》は、自分が一番好きだった乙女ゲームだ。妖精と共存する世界の学園で、ヒロインが四人のこうりゃく対象たちとれんあいをしていく物語。

 その中でロザリアは、ヒロインに意地悪したり攻略対象との仲をじゃしたりする、こうまんわがままお嬢様のライバルキャラ──いわゆる悪役令嬢として登場する。

 そのロザリアが、なぜか鏡の向こうから自分を見つめ返していた。

(そんな鹿な。私……、死んでロザリアに転生してしまったということ……!?)

 そして、転んで頭を打った衝撃で、前世のおくを取り戻したというところだろうか。

 信じられないが、このすさまじいぼうは『悪役のくせに無駄にキャラデザに力が入っている』と評判だった、ロザリア・フェルダントに間違いなかった。

 がくぜんとするが、すぐにそれどころではなくなる。──重要な事実に気付いたからだ。

(……あれ? ということは、さっきのは本当に……本当に、リュカ!?)

 ロザリアの忠実な従者、リュカ。攻略対象ではなくわきやくの一人であったが、生前の自分が、メインの攻略対象キャラを押しのけてまで好きだったキャラだ。

 彼もロザリア同様にキャラデザがっていることで有名だった。ちょうぜつ美形の主従コンビとして、当初はユーザーをそうぜんとさせたものだ。あのうるわしい外見、そして自分がロザリアであるということが事実ならば、やはり彼は本当にリュカなのだろう。

 そう結論づけると、たんに身体中がふっとうするように熱くなった。

(……きゃ────っっ!! 推しに! 実体化した推しに会えた!! やった──っ!!)

 一瞬、死んでしまったことや家族への申し訳なさが頭をよぎった。しかし、さきほど会った実物のリュカの輝きに、全てがくらんでゆく。お父さん、お母さん、ごめんなさい。

(落ち着け私。楽しみにしてた新作ゲームのてん別特典が、いっせい公開された時みたいに情報過多だけど! まずは落ち着け!)

「ロザリア様!」

 一人でジタバタしていると、大きな音と共に扉が開け放たれ、リュカが戻ってきた。

(ヒィッ、本物眩しすぎる! というか、制服以外の姿を見るの初めてでは!? グレーのベストにジャケットが完璧に似合ってる! 推しが実在している! が、眼福……!)

 そんな心の声など聞こえるわけもなく、リュカはつかつかと歩いてきて眉根を寄せた。

「休んでいてくださいと言ったではありませんか。顔が赤い。熱があるかもしれません」

 ごめんなさい、あなたに興奮しているだけです。とは言えるわけもなくだまっていると、リュカはスッとロザリアにうでを回し、軽々とかかげた。

(ぎゃ──!?)

「さ、寝台に戻りましょう。しっかり休みませんと」

 推しにおひめっこされるという、非現実的かつ光栄なシチュエーションに、頭がクラクラしてくる。それを見てますますリュカはかんちがいしたようで、あわてたように足を速めた。

「お水をどうぞ。それともホットミルクにしますか? 他にも各種お持ちしましたが」

 ロザリアを寝台に下ろしたリュカは、いくつもの飲み物をテキパキと、寝台脇の台に並べていく。かおりがすると思ったら、紅茶も何種類かあるようだ。……数が多すぎる。

「な、なんでこんなにたくさんあるの?」

「もちろん、お好きなものをお選びいただけるように、です」

 そう言われて思い出す。リュカはとにかくロザリア命で、彼女の喜びそうなことならなんでもするし、どんな命令でもこなすことに心血を注ぐ、完璧に忠実な従者なのだ。

 容姿以外は取りがないと言われるロザリアに、ぼくあつかいされても嫌な顔一つせずくし抜くリュカは、〝主従モノ好き〟な一部のマニアックなユーザーから絶大な支持を得ていた。かくいう自分もその一人だった。

(そう、ロザリアのことを常に考えていて、めちゃくちゃづかいの出来る良い子なのよ、リュカは……!)

 しみじみと考えていると、口からポロリと言葉がこぼれ出てしまった。

「尊い……」

「え?」

(しまった、ついくちぐせが!)

「あ、えっと、その……あ、ありがとう! こんなに気遣ってくれて!」

 取りつくろうように笑ってみせたが、対するリュカはおどろいた様子で、大きく目をしばたたいた。

(……はっ、失敗した! ロザリアは絶対に人に礼を言うようなキャラじゃなかった!)

 それはリュカに対しても同様なのだろう。現にリュカは今、言葉を失っているのだから。

「……ロザリア様、やはりかなり熱があるのでは?」

 完全に病人扱いされてしまった。一言お礼を言っただけなのに。

「失礼します」

「わっ!?」

 額にれられて、体温がまたじょうしょうする。

(お、推しのはだが自分に触れている……!!)

「熱い……やはりでしょうか。明日の始業式は休まれた方がいいかもしれませんね」

「ち、ちがっ、それはあなたがさわるから──……じゃなくて、え? ……今、なんて……。──始業式?」

 何かとてつもなく嫌な予感がして、かんが走った。始業式。そのワードは確か……。

(《おといず》のプロローグイベント……!!)

「あ、明日って始業式なの!? エルフィーノ王立学園、二年目の!?」

「ええ、そうですよ。もしやお忘れでしたか?」

(忘れるわけない、忘れられるわけがないわよ……!)

 二年生の始業式。ここから《おといず》のゲームは始まるのだから。

 ヒロインがロザリアの通う学園に編入してきて、攻略対象たちと初対面する大事なイベントが展開されるのだ。その後、ヒロインは各キャラのルートで攻略対象とこいなかになり、それぞれのエンディングをむかえるのだが──……。

(ロザリアとリュカは、ほぼ全ての結末でしょけいされて死ぬのよ……!!)

 さあっと血の気が引いた。なんということだ。推しに会えた喜びのせいで、一番大事なことを忘れていた。前世で死ぬぎわうらごとを叫んだほどだったというのに。

 ガタガタとふるえ出したロザリアに、リュカがまた心配そうに身を乗り出す。

「やはり具合が悪いのですね? お待ちください。今、医師を呼んできま──……」

っ、行かないで!」

 思わず叫んで、腕を摑んでしまっていた。リュカが目を丸くする。

(つまりこのままだと、ゲーム通りにリュカは死んでしまう可能性が非常に高い? せっかく実在する彼に会えたのに? ……そんなの絶対、絶対絶対、嫌に決まってる!!)

 あおめていた顔が、胸の内で燃え上がるとうを反映し、血の気を取り戻していく。

「私は大丈夫。大丈夫だから──……、あなたは、何も心配しなくていいわ」

 ──私が必ず、あなたのことを守るから。

「……ロザリア様?」

 つい、指先に力を込めてしまったせいか、リュカが眉をひそめた。

「どうなさったのですか? 先程からなんだかご様子が……」

 覗き込む顔は、主人の行動にこんわくしているようだった。当然だ。今の自分は、記憶にあるゲームのロザリアとはだいぶ異なるだろうから。

 すう、と息を吸い、呼吸を整える。

「……なんでもないわ。目が覚めたばかりで、ちょっと混乱していただけだから。もうおとなしくることにするわね。ってくれていてありがとう、お休みなさい」

 余計な心配をさせてはいけないと、令嬢らしく、せいいっぱい落ち着いた声で告げた。

 そのまま毛布の中にもぐり込む。リュカは何かを思案するようにしばしその場を動かなかったが、やがて「お休みなさいませ」と小さくつぶやき、寝室を出て行った。


(さて、今後のことを考えなくちゃ)

 もちろんこのじょうきょうのんに眠れるわけもなく、ロザリアは再び毛布から顔を出した。

 自分がロザリアに転生したからには、絶対にリュカを死なせない。何がなんでも彼を救う未来を勝ち取るため、ゲームの内容をしんちょうに思い出していく。

《おといず》のたいエルフィーノ王国は、建国時に人と妖精が協力したえんで、妖精と共存している国。人々は妖精から自然のおんけいさずかり、豊かな生活を営むことが出来ている。

 だが、妖精を見ることが出来るのは貴族など一部の者のみで、その者たちが妖精と正しく接する知識を学ぶためにあるのが、エルフィーノ王立学園なのである。プレイヤーはここで、ヒロイン・サラの視点で学びながら四人の男性と恋に落ち、各キャラのルートにおいて共に妖精とのトラブルに対処しつつ、きずなを深めていく。

(そしてロザリアは、妖精たちを従えてサラに様々な嫌がらせをけ──処刑される)

 この国で最も重罪とされているのは、妖精を使えきして悪事を働くこと。ロザリアはこの罪をおかしたために処刑されるのだ。主人の言いつけを守り、常に従っていたリュカと共に。

(でも一つだけ、ロザリアとリュカが断罪されても生き残れる結末がある。となるとそこを目指すしかないわ。──オスカールートのハッピーエンドを……!)

 オスカー・ディオ・エルフィーノ。攻略対象中のメインキャラとして扱われていた、この国の王太子。ロザリアのこんやく者でもあるキャラクターだ。

 その立場のおかげか、オスカールートでハッピーエンドを迎えた際、ロザリアたちは情けをかけてもらい、婚約解消と共に国外追放だけで済まされる。二人とも死なずに済むのだ。

(この結末を目指すなら、オスカーとサラの恋路を後押しするように動かなくちゃね。……出来れば、早い段階で婚約解消もしてしまいたいんだけど)

 さっさと身を引いて二人の邪魔なんてしませんアピールが出来れば、安心要素が増えると思うのだ。

 ちなみに攻略対象はあと三人いるが、彼らのルートに進みそうになるのをしつつ、ロザリアとしてはそれなりのきょ感でたりさわりなく接していればいいだろう。

(もちろん、サラへの嫌がらせこうも絶対禁止!)

 攻略対象をはじめ、学園の生徒は貴族で構成されているのだが、サラは平民。ロザリアはまずそこが気に入らなくて、サラにっかかっていくのである。身分や地位にこだわる、典型的な高慢お嬢様なのだ。

(後は、妖精に冷たく接したり、従えたりしないこと。これも重要よね)

 シナリオ進行の邪魔をしなくとも、妖精たちに対する仕打ちがひどかったら、結局は罪に問われてしまう可能性がある。少しでも疑われそうな状況を作らないために、出来る限り彼らと良好な関係を築くことにも努めたい。

(特に気をつけるのはこれくらいかしら。……ああ、が目覚めたのが幼少期なら、そもそものロザリアの性格をきょうせいすることだって出来たのに)

 ゲーム開始が数時間後にせまっている今となっては、もうどうしようもないのだが。

 重いいきいて窓の外を見ると、いつの間にか空は白み始めていた。けれどロザリアは構わず、その後もリュカ救出計画を必死に練り続けたのだった。


 その結果、少しウトウトした程度のすいみん量で、朝を迎えることになってしまった。

(寝不足だけど、ゲームのやりすぎでてつ続きなんてしょっちゅうだったから、これくらいは全然平気ね)

 うっすらとくまが出来ているが、毎日隈だらけで顔色が悪かった前世に比べたら、大したことはない。肌の状態も、健康や身なりにとんちゃくだった前世と違い、驚くほど良好だ。うるおいもツヤもらしすぎて超健康体に見える。さすが、《おといず》一の美人キャラ!

 ──そう、思っていたのに。

「やはりお休みになった方がよろしいのでは? お顔の色がすぐれないようですが」

 リュカにはざとく、隈を見つけられてしまった。

「だから、平気だと言ったでしょう。階段で打った後頭部も、もう痛くないもの」

「ですが……」

「具合が悪くなったら正直に言うから。それでいいでしょう?」

 そう言うと、リュカはなっとくいかなそうにしながらもうなずいた。

(ごめんねリュカ。プロローグイベントでいきなりロザリアがやらかす場面があるのよ。それをかいするためにも、私は行かなきゃならないの!)

 初対面のサラに、いきなり嫌味をぶつけてののしるのだ。最悪の出会いの場面である。

 その展開を知っているからこそ、そうならないようおん便びんに事を済ませたい。処刑へのフラグは一つでも多く折っていかなくては。

(それにしても、リュカの制服姿を実物として拝める日が来るとは思わなかった! ベージュ色の制服がよく似合っていて、画面しに見るより百万倍かっこいいんですけど!!)

 前を歩いているため、ニヤニヤ顔をかくせることをラッキーと思いつつ、歩を進める。

(本来リュカは十九歳だから、十七歳のロザリアより二年前に入学して、もう卒業しているはずなのよね。でもロザリアが自分に合わせて入学させると我儘を押し通したせいで、同学年になったのよ。おかげで今こうして制服姿を拝めてる! ありがとうロザリア!)

 転生を自覚してから、初めてロザリアに感謝の気持ちをいだいた。ムフフとニヤつきながら歩いているうちに、ダイニングルームに辿たどく。

 広い室内に大きく取られた窓からは、朝の光がまんべんなく射し込んでおり、美しく見事な調度品たちがキラキラと輝いている。シャンデリアがちょっと眩しすぎるくらいだ。

(どこもかしこも、豪華な造りだなぁ。有力こうしゃく家っていうのは本当だったのね)

 フェルダント公爵家は、王国内でも五本の指に入るほどの権力を持つ公爵家、という設定だった。当然、それほどの権力を持つのには理由がある。とくしゅな血筋だからなのよね──と設定を思い返しながら席に着くと、両親の公爵夫妻がおくれて姿を見せた。

「お父様、お母様。おはようございま──……」

「まあっ、その顔はどうしたのです、ロザリア!」

 朝のあいさつは、母のミランダの悲鳴にかき消された。

「酷い顔色じゃありませんか! 隈までこさえて!」

(こ、こっちも目敏いな!)

 開口一番にてきされるとは思わなかった。父のルドルフも心配そうな顔を向けてくる。

「転んで頭を打ったが、特に問題はないと聞いていたんだが。痛みで眠れなかったのかい?」

「いいえ、痛みはありません。少し寝つきが悪かっただけで、全くの健康体ですわ」

 大したことはないと微笑んでみせるが、ミランダは眉をり上げた。

「隈が出来るほど眠れなかったなんて大問題です。医師を呼びましょう」

 おおです、と返そうとしたが、険しい顔のミランダにさえぎられた。

「まったく、フェルダント家のむすめともあろう者が、みっともないですよ!」

 その言葉に、自分の中のロザリアとしての十七年分の記憶が、ピクリと反応した。

(……ああ、そうだ。この家の人たちは……)

 スッと頭が冷静になったロザリアは、姿勢を正した。

「失礼しました。『リャナン・シーの血族たる者、常に完璧に美しくあれ』、ですものね」

「そうです、自覚が足りませんよ」

 ミランダが不満そうな顔のまま、席に着く。ロザリアはこっそり息をいた。

 リャナン・シー。美しいことで有名な妖精であり、フェルダント家の初代当主のおくがたでもあった、ロザリアの祖先にあたる存在だ。

 基本的に妖精を見ることが出来る者は、妖精と共に建国にたずさわるなどして彼らと縁がある貴族の家の者だが、中にはフェルダント家のように妖精の血を直接引く者もいる。

 とはいえ、妖精が人間とこんいんを結ぶ例は非常にめずらしく、高位貴族の一部にしかいない。《おといず》ではロザリアの他、攻略対象キャラしかがいとう者がいないのだ。それくらいにレアなので、妖精の血を引く家はゆうぐうされ、大きな権力をあたえられているのだった。

(……まぁ、実はヒロインもそうでした、ってしゅうばんに明らかになるんだけど)

 ちなみにリュカも妖精を見ることが出来るが、妖精の血は引いていない。前者の、妖精と縁深い家に生まれたパターンだ。

(そして、その美しい妖精の血族であるゆえに、この家の人間は美へのこだわりがはんないのよね。そんなかんきょうで育ったら、ロザリアがこうなっちゃうのも仕方がない気がするわ)

 ゲーム内のロザリアは、見た目はもちろん、いにおいても何かと美しさにこだわる人物だった。だから、平民出身でぼくなサラが気に入らなかったのだろう。

(悪行の数々が許されるわけではないんだけど、ちょっとロザリアに同情するなぁ……)

 まだ続いている母の小言にウンザリしながら、早く食べ終えてしまおう、とロザリアはせっせと食事を進めていく。その時、ふと視界に小さなかげが映り込んだ。

 きゅうをするリュカのジャケットのポケットに、潜り込んでいる何か。あれはもしや。

「妖精だわ!」

 思わず声を上げてしまい、みなの視線が向けられる。それがどうした、という表情のミランダと目が合い、ロザリアにとって妖精を目にするのは当たり前なのだと思い出す。

 いぶかしむ視線からどうのがれようか思案していると、リュカがとつぜん頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。お食事中に、ご気分を害してしまいまして」

 言いながら、ポケットを押さえて退く。まるでロザリアの視界から隠すように。

「え? 別に、気分を害してなんか……」

 リュカの言動の理由がわからず首をかしげると、ミランダがあきれたような声を出した。

「ロザリア、いい加減に慣れなさいな。リュカが妖精に好まれているのは昔からなのだから。そんなにいちいちうっとうしがらなくたっていいでしょう」

(……あ、そうか! ロザリアはリュカにまとわりつく妖精をきらってたんだった!)

 というかそもそも、妖精ぜんぱんとしか見ておらず、好んでいないのだ。当然、そんなロザリアのことを妖精側もこわがっていた──という設定を、母の言葉で思い出す。だからリュカは、ロザリアから見えないように隠したのだろう。

「いえ、お食事中に連れてきてしまったのは私の落ち度です。すぐに外に放ってきます」

 妖精をうとましく思っている印象をふっしょくしなくては、と思ったロザリアは、とっに叫んだ。

「い、いいのよそんなことしなくて! むしろ、自由にしてあげてちょうだい!」

 だん言わないようなことを口にしたロザリアに、一同が動きを止める。そんな彼らの様子には気付きもせず、ロザリアはテーブルの上のビスケットに目を留め、一つひらめいた。

(あ! これ、もしやチャンスなのでは!? 妖精はおが好きだったわよね。ゲームでもよくヒロインがあげてたもの。今ここで同じことをしたら、少しは妖精からの印象を回復出来たりしないかしら!)

 期待に胸をおどらせ、ビスケットの皿を引き寄せる。根っからの甘いもの好きなロザリアのため、食事時には彼女専用のお菓子もいっしょに用意されているのだ。それがこんなところで役に立つとは。

 まどいながらもリュカがポケットを押さえていた手を放すと、はねを生やした二十センチほどの身長に、とがった耳と緑色の服の生き物が顔を出した。ピクシーだ。

(うわあ、本物の妖精だぁ! 実物見るの初めてだー……!)

 感激しているうちに、リュカの周りにはフワフワとたくさんのピクシーが集まっていた。

(本当にリュカは妖精に好かれてるのね。確かになつかれやすいタイプかも)

 妖精は勤勉な人、美しいものや金髪、リュカの瞳の色のような緑色を好むのだ。なるほど、とながめていると、ピクシーと目が合った。……が、すぐにらされた。

(これは……、思っていた以上に嫌われてるわね)

 仕方がない。ロザリアはずっと、妖精に冷たく当たったり従えようとしてきたのだ。家に住み着く妖精にけられていたって、文句は言えない。

 けれど、それでは駄目なのだ。

(妖精たちとは、良好な関係を築いていく。リュカ救出計画にそれは欠かせないのよ!)

 ロザリアはビスケットがよく見えるように皿を置き、妖精たちに微笑みかけた。

「妖精──いえ、良きりんじんの皆さん、ビスケットはお好きかしら。よければいかが?」

 その発言に、リュカと両親が「えっ」と声を出した。ピクシーたちも、たがいに目を合わせながら不安そうな顔でロザリアを見ている。「ロザリアだ」「ロザリアが話しかけてきてるぞ」「なんで?」「いつも僕らをしもべ扱いしてるのに」なんて声も聞こえる。

(くっ……、ロザリアめ、あんたどれだけ信用ないのよ!)

 ピクシーたちはしばらくうかがうようにロザリアを見ていたが、やがてそろりと近づいてきた。そうして、ロザリアが差し出したビスケットをそっと手に取っていった。

(やったあ! 私から食べ物を受け取ってくれた! 作戦成功!)

 この手が通じるなら、学園の妖精と良好な関係を築くのも、きっと可能なはずだ。そうすれば、妖精を使役して悪事を働くという未来は、防げるのではないだろうか。

「おいしい」「ありがとー」と口々に言い、ピクシーたちはニッと笑う。なんだかうれしい。

「……あの、ロザリア様。どうなさったのですか?」

 リュカがげんそうな表情でこちらを見ていた。両親も同じ様子でこちらを見ている。

 そりゃそうだ。ロザリアが妖精のために何かしようだなんて、今までありえなかったこと。とんでもなくみょうな光景に見えているに違いない。

「べ、別にいいでしょう。妖精と親しくなりたいと思ったって……」

「…………親しく?」

 皆がけんに深くしわを刻んだ。そんなに疑い深い目で見なくても──と情けなくなりながら、たまれなくなって自らの口にもビスケットを運ぶ。

 そのしゅんかん、ふわりとローズの香りが広がった。

(わっ、これすっごく美味おいしいな!)

 今まで気にしてこなかったが、改めて味わうと、行列の出来る店並みのクオリティだと感じるほど美味しかった。思わず目を閉じてみしめていると、リュカがばやく反応した。

「ロザリア様、どうなさいました?」

「……これ、とっても美味しいなと思って。メインの料理も美味しいけれど、これはまた別格というか。作った料理人に、一度ちゃんとお礼を伝えたいわね」

 リュカがピクリと身動みじろいだ。どうしたのかと見上げると、小さな声が返ってきた。

「……それは私が焼いたものです。おめの言葉、ありがとうございます」

「えっ、あなたが?」

「はい。ロザリア様にお出しするお菓子は全て、私が用意させていただいております」

(料理まで得意だったとは! というか、そんなことまでしてくれていたのね……!)

 推しの手料理を毎日食べていたなんて、幸せのきわみである。

「そうだったのね、知らなかったわ……。リュカ、いつもありがとう」

 今まで彼の行動に目を向けてこなかったことへの謝罪も込めつつ、ニッコリと微笑んで感謝の言葉を告げる。ニッコリというかニヤついているかもしれないが、本当に感動したのだから仕方ない。感激のなみだこらえているだけ褒めてほしい。

「……あ、ありがとうございます」

 リュカにしては珍しく、歯切れの悪い返しだった。うっすらと耳が赤くなっている。

(え、やだ照れてない!? これ照れてるよね!? わいすぎるんですけど──!?)

 ロザリアから礼を言われることに慣れていないせいかもしれないが、かい力は凄まじかった。スマホがあったら迷わずカメラを向けているところだ。

 そんなよこしまな気持ちを抱くロザリアに対し、リュカはふわりと微笑んだ。

「そのように言っていただけるなんて、身に余る光栄です。これからもしょうじんします」

「い、いいのよ、そんなに大袈裟にとらえなくて。あなたはそのままで……」

「いえ、もっと努力します。私の命はロザリア様のためにあるのですから」

(うっ、駄目だ。お礼を言っただけなのに、忠誠心に火をつけてしまったみたい)

 ロザリアに尽くしすぎて、自分をせいにしないでほしい。そう思うのだが、この従者のロザリア至上主義っぷりは、かなりじゅうしょうなようである。

(リュカは十年前からロザリアに仕えてるんだったわよね。それだけ長ければ、ロザリアへの過度な忠誠心がみついちゃっても、しょうがないのかしら……)

 しかし出来ることなら、命を救うだけでなくリュカの日々の負担も減らしたい。ロザリアのリュカへのそん体質を改善し、彼に心配もめいわくもかけないような人間になりたい──そう思うのだが、その道はなかなか険しそうだ。

 ビスケットをほおりながら考え込んでいると、両親があやしむように口を開いた。

「ロザリア、あなた一体、どうしたのです? なんだかいつもと違いますよ?」

「やはり打ち所が悪かったんじゃないか? 大丈夫かい?」

 良識ある会話をしていただけなのに、怪我のせいにされた。心外である。

「ですから、怪我は全く問題ありません。ご心配いりませんったら!」

 これ以上わくの目を向けられるのは苦痛だ。そう思ったロザリアは、その後はさっさと食事を済ませ、そそくさとダイニングルームを後にした。


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