第7話 へし折れ! 破滅フラグ①

「ぐへ、ぐへへ、モニカの柔らかい唇の感触がここに残って……この顔はもう洗わないのだ~」


 思った以上の素晴らしい感触に、俺は我を忘れていた。

 それほどに良かったのだ。モニカのチューが。


「殿下、いい加減にお顔を洗って下さい。朝の支度が終わりません」

「顔くらい洗わなくても大丈夫だよ。絶対に洗わない」

「はぁ……」


 使用人が大きなため息を吐いたが、これだけは譲れない。

 そのまま朝食とるために食堂に向かうと、既にお母様が席に座っていた。


「おはようございます、お母様。今日もお美しいですね」

「おはようレオンハルト。貴方、顔を洗わないと言い張っているみたいね?」


 チラリと俺は使用人を見た。

 チクったな、こいつ! 恨めしげに睨むと、使用人は目を背けた。


「全く、本当に手のかかることですこと。貴方はそんな汚い顔に、モニカさんからチューをしてもらうつもりですか?」

「顔を洗って来ます」

「はい、行ってらっしゃい」


 男子たるもの、いつも清潔にしておかないといけないよね。

 いつ何時、何が起こるか分からないからね。

 いつもよりきれいに、そうだ、リップクリームも塗っておこう。



 再び食堂にいくと、国王陛下も来ていた。


「おはようございます。国王陛下」

「おはよう、レオンハルト。聞いたぞ。何でも百人抜きをしたそうだな。その話を聞いて、正直なところ驚いたよ。まさかそれほどまでに腕を上げているとはな」

「全て愛の力です」


 何ともないよ、としれっと言うと、国王陛下は目を丸くして「そ、そうか」と言っていた。

 モニカに確認してみないとハッキリとは分からないのだが、多分、ゲームの補正なんだと思う。

 恐らくこの「レオンハルト」はチート的な強さを持っているのだろう。

 薄々自分の強さが異常であることには気がついていたが、それが確信に変わったのは、モニカと出会って、この世界がゲームの世界だと言われてからだ。

 モニカは、ゲームであるこの世界の未来予想図を知っており、それを恐れている。

 俺は何とかそれを取り除きたい。

 未来はいくらでも変えられる。未来が決まっているはずがない。

 そういえばモニカは、昨日のことを怒ってないかな? 無理矢理お母様にやらされた感があったので、心配になってきた。朝食が終わったらすぐに手紙を書いておこう。出だしはそうだな、

『愛するモニカへ、昨日はどうもありがとう。あれから私は君のことを思い出すと胸が……』



 それからと言うもの、俺達は週に一度は必ず会う関係になっていた。もちろん一度でなく、週に二度、三度と会うこともある。

 俺としては毎日会いたいのだが、皇太子としてしなければならない公務があるため、そうはいかなかった。

 いっそのこと、城に住んだらどうかと提案したことがあるのだが、モニカ嬢の貞操の危険が危ないからと言われて叶わなかった。ただ、ただ、無念だ。

 当のモニカは城に来ることにも大分慣れたようであり、以前のようなビクビクした拾われたばかりの子猫のような感じはなくなっていた。

 そろそろ例の件を切り出してもいい頃合いではなかろうか?

 いつものように、いつもの場所で、つまりはお母様が手入れしている美しい庭園を見渡せるテーブルを前に、俺はモニカに切り出した。


「前から気になっていたのですが、モニカはどんな魔法が得意なのですか? こう見えても私は剣だけじゃなくて魔法も得意なんですよ。ちょっと練習しただけで、どんな魔法でも使うことができるので、自分でも魔法の才能があるなって思っていまして。ちょっとした自慢ですね。それで、モニカはどんな魔法を?」


 途端に、モニカの顔色がサッと悪くなった。

 やっぱりか。

 ことは数日前に遡る。

 俺はモニカのご両親のカタルーニャ公爵夫妻から一つの手紙を受け取っていた。

 その内容には驚くべきことが書かれていた。

 なんと、モニカは魔法が使えないらしいのだ。

 これはあり得ない。なぜならばこの世界の住人は、もれなく全員が魔法を使うことができるからだ。

 どんな人でも何かしらの魔法を必ず使うことができる。その魔法が役に立つ魔法かどうかは別として。

 この手紙をもらって、ピンと来た。恐らくゲームの内容と何か関係があるのだろう。

 だから敢えて魔法を使わないのだ。

 これはモニカの持つ情報を知るチャンスだ。なんとしてでも聞き出さねばならない。


「あの、そのう、魔法はちょっと苦手でして……」


 所在無さげに下を向くモニカ。

 その姿は、まるで降りしきる雨の中、橋の下の段ボールに捨てられた子猫のようになっており、とても庇護欲をそそる。

 今すぐにでも自分の部屋にお持ち帰りしたい衝動に駆られたが、今は我慢だ。


「もしかして、そのことはゲームの内容と関係しているのかな?」


 ビクリとしてモニカが顔を上げた。


「どうやら当たりみたいだね。良かったら、そのことを私に詳しく話してくれないかな? 何度も言うけど、悪いようにはしないよ」

「そ、それはできませんわ!」


 キッと眼力を強めてモニカがこちらを見た。

 まあ、予想通りの反応だな。こちらに何の予備知識もなければ、ゲームの裏事情など知りようもないだろうが、残念ながら、俺も前世の記憶持ちなんだよなあ。


「それは残念。ゲームの中では、モニカは強力な魔法を使えるのでしょう? どの属性の魔法が得意なのですか?」

「え? な、なんでそんなことを?」


 モニカが目に見えてオロオロし始めた。これは当たりだな。


「属性は、もしかして全ての属性が得意だったりします?」


 ドキッとしたのか、両手で口元を押さえた。

 ふむ、全属性ね。この世界では闇魔法はないので、この質問はいらないな。

 でも、強力な魔法が使えて、全属性が使えるくらいなら、加減して使えばいいだけなので、使えない振りをする必要はないだろう。

 だとしたら、もっと何か魔法を使いたくない事情が……。


「もしかして、ゲーム内で魔法を暴走させて、この国を消滅させちゃったりとかしてます?」

「なっ! そこまではやっておりませんわ! 魔法を暴走させてキリエの森を消滅させたぐらい……あっ!」

「なるほどね。魔法の暴走でキリエの森を消しちゃったのか~」

「ううう……」


 モニカは手負いの獣のように弱々しく唸った。目には涙が浮かんでいる。

 う、まずい。このままではモニカが泣いてしまう。

 このまま泣かせてしまったら、俺の部屋まで連れ込んで慰めてあげないといけなくなってしまうではないか。

 それはそれで実に良いが、後で問題になるのは間違いない。

 俺はいつものように、そっとモニカの隣の椅子に移動した。俺がモニカに会うと必ずモニカの隣に移動するので、今では最初からモニカの隣に椅子が用意されている。


「事情は良く分かりましたよ。大丈夫、私に全て任せて下さい。いいですか、モニカ。まず、魔法が全く使えないのはとても目立ちます。なので、絶対に魔法が使えるようにしておかなければなりません。ここまではいいですか?」


 コクンと神妙に頷くモニカ。ここまではひとまずヨシ。


「モニカは魔法の暴走を恐れていますが、それは攻撃性の高い魔法を使えるようになっていれば、の話です」


 あ、そういえば、という表情でこちらを見た。

 モニカは良くも悪くもゲームの情報を知りすぎている。だからこそ気がつかなかったのだろう。


「モニカ、この世界には攻撃性の高い魔法だけでなく、攻撃性の全くない魔法も存在します。その多くは生活を便利にする魔法ばかりなのですが、そちらの魔法を中心に覚えてみてはどうですか? 今なら、ほぼ全ての魔法が使える私が特別に教えてあげますよ?」


 生活魔法を覚える貴族はほとんどいない。そのことも、モニカに「魔法と言えば攻撃魔法」という固定概念を与えてしまった要因なのだろう。

 モニカの顔がパアッと明るくなった。

 その光景は冬の寒さを耐え抜いた草花が春の暖かい日差しを受けて、見事に美しく咲き乱れるかのようだった。


「レオ様、ぜひ、ぜひともよろしくお願い致しますわ!」

 

 この日を境に、二人だけの特別な時間が増えていった。

 そして、二人だけの秘密も増えていった。

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