06.自惚れと呼ぶにはあまりにも

 その日の早朝、フィオンは夢を見た。

 コンサート会場に立っている自分の姿と、空を飛ぶ彗星カラスの群れ。透けるように青い羽根の先が、青空に溶け込んでゆく。

 目が覚めたとき、彼女は起きてすぐにメモを書き始めた。


   ◆ ◆ ◆


「すごくいいアイディアだよ、歌姫さん!」

 フィオンの書いたメモを読んで、ユユは興奮したように叫んだ。

「どうしたんですか?」

 キャロルと一緒に朝食の支度をしていたドゥドゥが尋ねる。ユユはにんまりと笑って、フィオンが書いたメモを見せた。

「明日のコンサートに彗星カラスを招待するんだって」

「あっ、なるほど!」

 ドゥドゥが納得したようにぽんと手を打つ。

 ユユはうんうんと頷いた。

「これなら宇宙中から彗星カラスたちが集まってくるかもしれない。仲間を探しているカァグは、きっとそれに気付いて姿を見せるよ。そしたらもう歌姫さんの声は必要なくなる。返してくれるかもしれない」


「でも、カラスに情報を伝えるだなんて可能なんですか?」

 キャロルがキッチンから居間へ戻ってきて、ユユに尋ねる。

 それは、以前グリーズが口にした疑問と似ていた。やはり一般的にはそういう反応をするのが自然なのだろう。

「僕がカラス語でメモを書くのでお任せください。……あ、でも今度は彗星カラス向けに情報を発信するのか。凡カラスの言葉は通じるのかなあ」

 ユユが首を傾げたそのとき、うしろから声がかかった。

「その必要はないわ」


 振り返ると、そこにはエイサが立っていた。

 相変わらず寝癖のひとつも見当たらず、きっちりとした服装に身を包んでいる。

 彼は挨拶もそこそこに、ユユが手にしていたフィオンのメモをつまみ上げてさっと目を通した。

 そして、彼は耳慣れない言葉をすらすらと口にした。

 美しい流暢な発音に、その場にいた誰もが思わず見入る。


 全員の視線が自分へ集中していることに気付き、エイサは怪訝な顔で首を傾げた。

「……な、なによ」

「今、なんて言ったの?」

 ユユが尋ねると、エイサはこともなげに答えた。

「――全宇宙に散らばる彗星カラスの皆さん。これは、故郷の仲間たちと再会できるチャンスです。*月*日、惑星オラシェ。歌姫のステージにご招待します」

「へええ?」

「彗星カラスは凡カラスよりも相当頭がいいのでしょう? それなら凡カラスの言葉だけじゃなく知的生物ロゾーの言葉も覚えているんじゃないかしら。……ああ、もちろん、あたしに任せてくれれば他の惑星の言語で話すこともできるわよ」

「……やっぱり、エイサ君はすごいなあ」

 ユユが惜しみない賞賛を口にする。

 照れ隠しなのか、エイサはひらひらと手を振った。

「お世辞はいいから、さっさと情報発信の準備を始めてちょうだい。コンサートはもう明日なのよ? 時間がないわ」

「はいはい」

 ユユはにししっと笑った。


 それから、エイサはふとフィオンに視線を向けた。

「それより歌姫。あなたは今日、リハーサルに行かなきゃいけないんでしょう?」

「…………」

 フィオンが頷いてみせると、彼は言う。

「彗星カラスへのメッセージはこちらで発信するわ。あたしたちを信じて、任せてくれる?」

 その言葉に、フィオンは初めてエイサと出会った夜のことを思い出していた。

 宇宙港へ向かう途中で、エイサは「信じてくれていい」と言った。


 それなら、彼に返す言葉はひとつしかない。

 フィオンは大きい文字ではっきりと書いた。

『はい。信じます』


   ◆ ◆ ◆


 ステージの上で、フィオンはふと空を見上げた。

 こちらをうかがうように、一羽の大きな鳥が舞っている。その羽根の先は青く透けているが、胴体は銀色ではなく黒だ。どうやらカァグではないらしい。


 ガァー、ガァ、ガッ!

 フィオンは空に向かって声をかけた。ユユによると『コンサートは明日です』という意味らしい。

 突然カラスの声を発したフィオンを見て、スタッフたちが驚いた顔をしている。

 けれど、その視線ももう気にならない。自分は自分のやるべきことを、真っ直ぐにやるだけだ。


 ――ありがとう。

 空を舞っていた彗星カラスは、そう返すとまた空へ消えていった。

 それは、確かに知的生物ロゾーの言葉だった。あの彗星カラスもまた、どこかで誰かと声を交換したのだろうか。

 フィオンは彗星カラスのいなくなった空を見上げる。


 そして、唐突に気付いた。

 今朝エイサが流暢に話していたのは――、フィオンの故郷の言葉だ。

 そもそも彗星カラスはあの惑星を中心とした地域に暮らしていた生物だ。今はそれぞれが生活する惑星の言葉を覚えているかもしれないが、賢い彼らは、故郷の知的生物ロゾーたちが使っていた言葉もまだ記憶の片隅に残しているのかもしれない。


 そもそも、エイサは映像記録のガイドの言葉をたった一晩で翻訳してしまった。

 いくら彼が数百、数千もの言語に精通しているとしても、まったく知らない言語でそれを成し遂げるのは難しいはずだ。つまり彼は以前からその言葉をかじっていた可能性が高い。


 次に浮かんできたのは、スカイ・モービルでの光景だった。

 あれはたしか、エイサからシリウス・ペンを借りた時のことだ。彼はフィオンの目の前で、どこかの惑星の言語をすらすらと書いてみせた。今にして思えば、あの文字はフィオンの故郷の言葉ではなかったか。

 どこかで見たような気がしたのは、フィオンにとってそれだけなじみの深い言葉だったからで、しかもおそらくあれはだ。

 つまり、あのとき彼が書いたのは――。


「…………!」

 フィオンは顔が熱くなるのを感じた。

 スタッフの一人がそれに気付き、どうしたのかと声をかけてくるが、フィオンはなんでもないと首を横に振った。

 その拍子に、次々といろいろなことが思い出される。

 古い資料映像を見たとき、気遣うように重ねられた手。そして、フィオンの好みに合わせた食事。そして、歌詞について話してくれたときの、いたずらっぽい笑み。


 ユユは、エイサとフィオンについて「ずいぶん前から知ってるような感じだ」と言っていた。それはだったのだろうか。

 自惚うぬぼれで片付けるには、思い当たる節があまりにも多過ぎる。

 今ここにエイサがいなくてよかった、とフィオンは思った。

 彼の前で、どんな顔をすればいいのかわからない。

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