03.なぞなぞ

「二手に分かれよう」

 レストラン前から離れると、さっそくユユはそう提案した。

 地図を広げ、二点を指す。

「僕はここへ行く。二人はこちらへ。何かあったらすぐに連絡をして」

「わかったわ」

 エイサとフィオンが頷くのを見て、ユユもまた頷き、走り去って行った。


 示された地点は、展望台の裏手にある非常階段だった。

 しかし、展望台の非常階段は平常時には開かないシステムになっている。最初に訪れたときそう説明され、見ることができなかった。

 その部分を確認するには、ひとつ下の階の通路から見上げるしかない。


 エレベーターを待つ時間も惜しく、エイサとフィオンは階段で移動することにした。

 非常階段が見える位置を探しつつ窓際に駆け寄ると、情報端末がメッセージの着信を報せた。内容を確認すると、ユユの向かったほうにはカァグの姿が見つからなかったという旨と、次に彼女が向かう場所、そして次にエイサとフィオンが向かう場所について書かれていた。

 エイサが返信をするあいだ、フィオンが非常階段を確認する。

 しかし、そこにはカァグの痕跡は見当たらない。


 すぐに二人は次の場所へ向かった。

 そこは同じく最上階のひとつ下にある休憩所で、軽食を出す簡素な造りの店があり、そのうしろの壁に小さな窓が並んでいる。

 窓の向こうに宇宙港の建物の一部が見えたが、そこにもやはりカァグの痕跡はなかった。

 エイサがその旨を連絡しようとしたとき、情報端末にドゥドゥからのメッセージが入った。

【例のカラス、餌を食べたあとはいつも管制塔のほうへ飛んでいくそうです】

 その情報とともに、キャロルと警備員はまだ戻らないという旨も書かれていた。

 同じメッセージがユユにも入っているはずだ。


「……管制塔? 厄介ねぇ」

 エイサが呟く。

 それというのも、警備員に案内されて施設内を歩いていたとき、ユユが管制塔を見たいと言ったら「それはできない」と断られていたからだ。

 地図によると、管制塔はレストランと展望台のあいだにある通路の奥から向かうようだが、もちろん関係者以外の立ち入りは厳禁とされている。

 どうすべきかと考えていると、ユユからのメッセージが入った。

【管制塔へ行って。僕も向かう】


 エイサは短い髪をぐしゃぐしゃとかき、ため息をついた。

「腹をくくるしかないわね。……行くわよ、歌姫」

 フィオンはエイサを見つめて、強く頷いた。


   ◆ ◆ ◆


 最初の突きあたりで、二人は立ち止まった。

 右へ伸びる通路と、左へ伸びる通路があり、それぞれの道にまた分岐があるようだった。ためしに右側の通路へ行ってみると、その先にもまた分岐が現れた。おそらく左側も同じようになっているのだろう。

 まるで迷路のようだ、とフィオンは思う。

「はぐれないでね」

 そう言ってエイサが手を差し出す。その手にそっと自分の手を重ね、フィオンは頷いた。


 建物はおそろしく複雑な造りをしているようだった。

壁のところどころに扉があり、中には扉と見せかけて枠が造ってあるだけ、という箇所もあった。

 なおも悪いことに、窓のようなものがあると思って近寄ってみれば、スクリーンに空の映像が流れているというパターンまであった。ここにいると簡単に方向感覚が狂わされてしまう。おそらく、占拠やハイジャックを防ぐためにわざとこのような構造にしてあるのだろう。


 足元に人が通った形跡がないかと目を凝らすが、大理石の床はどこも丁寧に磨き上げられて無表情な装いを見せているだけだった。このままではらちが明かない。

 フィオンは立ち止まり、目を閉じた。

「どうしたの、歌姫……」

 そう言いかけて、エイサがはっと言葉を止める。


 かすかに、建物の軋む音が聞こえた。誰かが管制室を歩く振動が伝わってくるのだろう。レストランや展望台からの音は、遠く離れているため聞こえない。

 あたりはしんと静まり返り、互いの手の温もりだけが熱い。

 空気の流れる音が、聞こえる。

 ひゅるりと、ふたりを導くように通り過ぎてゆく。


 その音を追いかけるように、フィオンはふたたび歩き始めた。

 何をしようとしているのか察したらしく、エイサは静かについてくる。

 ひとつ角を曲がっては立ち止まり、また耳をすませる。

 そうしてしばらく歩くと、機械のモーター音が聞こえてきた。そちらへ向かうと、通路は行き止まりになっていた。


「警備員を見かけないと思ったら、そういうことね」

 エイサが唸る。

 視線の先にはエレベーターがあった。

 そして、壁にはタッチパネルが埋め込まれている。どうやらパスワードを入力しないとエレベーターは動かないらしい。おそらくこの先にも似たような通路やパスワード式のセキュリティが何重にも設置されているのだろう。


 エイサがタッチパネルに触れると、ずらずらと文字列が表示された。しかし、それは明らかに宇宙公用語とは異なるものだった。

「ふうん。ずいぶんマイナーな言語を使ってるじゃない?」

 挑戦的な表情でエイサが画面の文字を見つめる。

 そして、呆気にとられたように目を見開いた。

「あら」

 どうしたのかとフィオンが見上げると、彼は苦笑いをした。

「なぞなぞだわ、これ」


  『それは、宇宙に流れるもの。

   森羅万象に宿る美しきもの。

   自然の中にあり、

   生物によって作り出されるもの。

   植物、動物、知的生物ロゾー

   すべてが感じられるもの。

   なぁんだ?』


 文面を宇宙公用語に訳して読み上げると、エイサは考え込むように腕を組んだ。

「……このなぞなぞの答えがパスワードになっているってことよね。……なにかしら。言語、じゃなさそうね。感情とか? 愛とか悲しみは、植物にもあるのかしら。……わかったわ、『生命』ね」

 確認するように視線を向けられ、フィオンは頷く。

 エイサがタッチパネルに文字を打ち込んでゆくが、最後の一文字を押し終えたと同時に画面いっぱいにエラー表示が出た。


「なんですって」

 彼は眉間に深い皺をよせ、苦虫を噛み潰したような顔で告げた。

「……あと2回間違えるとロックがかかるそうよ」

 大丈夫、と伝えるようにフィオンは彼の手を強く握る。

 エイサは目を細めて頷いた。


 彼は気を取り直してふたたびパネルに向き直る。

「生命とか細胞とか、そういった生物学的な話ではないのかしら。存在とか魂とか、哲学的な言葉?」

 ゆっくり考えて答えを出している暇はない。こうしている今にも、誰かに見つかってしまう可能性がある。

 エイサだけならごまかすこともできるかもしれないが、もしフィオンが素顔を見られたら、事務所を巻き込んだ騒ぎになってしまう。そうなったらもうカァグを探すどころではなくなってしまう。


「『魂』にしてみるわ」

 そう言ってエイサがタッチパネルに触れる。

 しかし、画面にはまたしてもエラーが表示された。

「……あと一回」

 エイサが唇をかむ。


 彼はなぞなぞを口に出して繰り返した。

「『それは、宇宙に流れるもの。森羅万象に宿る美しきもの。』……流れるって、どういうことかしらね。物理的に流れるのか、それとも抽象的なイメージなのか……」

 画面を見つめたまま、エイサが言葉を続ける。

「『自然の中にあり、生物によって作り出されるもの。植物、動物、知的生物ロゾー、すべてが感じられるもの。』……この『感じられる』という言葉も意味があるのかもしれないわ。ただ『わかる』とはニュアンスが違うのよね」


「…………」

 フィオンはそっとエイサの手を引く。

「ん?」

 彼はタッチパネルから視線を外してフィオンを見つめた。

「もしかして、答えを思いついたの?」

 そう尋ねられて、フィオンは小さく頷いた。

 そのすべての言葉にあてはまるものを、彼女はたったひとつしか知らない。


 シリウス・ペンの光が、空中にゆっくりと文字をつむいだ。

 ――『音楽』と。


   ◆ ◆ ◆


 まるでその瞬間を待っていたかのように、エレベーターは重い扉を開いた。

 高鳴る鼓動を抑えつけ、素早く乗り込む。

「やったわ」

 フィオンの隣で、興奮したようにエイサが呟く。

 二人を乗せてゆっくり動き出したエレベーターの室内は前後の両面が硝子がらす張りになっていて、外へ視線を向けると一気に空が近付いた。

 管制室は宇宙港内でもっとも高い位置にあるようだ。最上階だと思っていた展望台とレストランがぐんぐんと下がってゆく。


 もう少しで到着すると思われたそのとき、外に青い塊が見えた。

「……鳥の巣?」

 エイサが呟いたそのとき、エレベーターが止まり扉が開いた。

 すぐに下の階へ引き返そうとしたとき、扉の向こうから声をかけられた。

「君たち、どうやって入ってきた? ここは立ち入り禁止のはずだ」


 相手は厳しい顔つきでフィオンたちを睨んでいる。どうやら管制塔で働く職員のようだ。

 フィオンは思わず身をすくめたが、エイサは落ち着いて通行証を見せた。

「プロモーション映像の撮影の下見ということで、許可をいただいています。途中でスタッフのひとりが落し物をしてしまったと言って、警備員の方はそちらへ付き添ってくださっています。私たちは最上階でお待ちしているというお約束になっています」


 すると、相手はああ、と手を打った。

「そういえば今日だって言ってたな。あのおやじさん、歌姫関係の仕事だからって朝から浮かれていたものな」

 そう合点し、職員は表情を緩めた。

「きつい言い方をしてすまなかったね。でも、一応規則で警備員が同行にいないといけないことになっているんだ。別の警備員を呼ぶので、それまで私と一緒にここで待ってもらっていいかな」

「わかりました」

 エイサはにこやかに頷き、エレベーターの外へ出る。

 フィオンもあとに続こうとしたが、そのとき、エイサが後ろ手で合図をした。


 ――そのまま。


 はっと立ち止まると、エイサはいつもより少し大きい歩幅でエレベーターの外へ出る。

「たいへん恐縮ですが、時間も限られていますし、なるべく早く来ていただけると助かります」

「もちろん。手の空いている者をすぐに向かわせます」

 エイサの動きにつられるように職員もエレベーターから離れ、そのまま通信機器を操作し始める。


 ――下へ!


 エイサの手がそう動くのを見て、フィオンはすぐにエレベーターのボタンを押した。

 それに気付いた職員がこちらへ向かってくるのが見えたが、彼が到達するよりも先に扉が閉まり、エレベーターは降下を開始した。

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