06.ニュースを見てくれ

 次の日の早朝、フィオンはメッセージの着信音で目を覚ました。

 差出人はグリーズからで、警察の捜査により誘拐犯はあの三人のみで他の仲間はいないということがわかったという内容だった。その報せに、フィオンはほっと胸をなでおろす。これでいくらか安心してまたあの街を歩けるようになるだろう。

 そして、もうひとつ報せがあった。

 彗星カラスの居場所がわかったと書かれており、詳細はとにかくニュースを見てくれとのことだった。


 身支度を済ませて一階に下りると、すでにドゥドゥが朝食の支度を始めていた。

 丁寧にむかれたフルーツが白い皿に盛られていて、色鮮やかだ。

 挨拶を交わして事情を説明し、客間のテレビを見せてもらうことにする。


『これは視聴者より寄せられた映像です。惑星オラシェのカルペディエム宇宙港にて、ここ数日にわたり奇妙な彗星カラスが目撃されています』

 ニュースキャスターの言葉とともに映し出された映像を見て、フィオンは驚いた。

 それは、カァグとおぼしき彗星カラスだった。傷はいくらかふさがったようだが、相変わらず羽根はボロボロのままで痛々しい。


『このカラスは知的生物ロゾーの言語を介し、自分の声を「宇宙でもっとも有名な歌姫の声だ」と発言しているとのことです。これについてフィオンさんの所属する事務所にコメントを求めましたが、今のところ回答は得られていないとのことです』

 そのような説明とともに、宇宙港の利用客がカラスを見上げている様子が映し出される。

 誘拐事件のことは報道されておらず、フィオンはほっとした。

 どうやらあの一件を知る者はごく限られた範囲だけのようだ。これもすべてはエイサやグリーズたちのおかげだ。


「うわびっくり」

 いつのまにかドゥドゥが隣に立っていて、そんな感想を漏らした。

『カルペディエム宇宙港だそうです』

 フィオンがそう書いて教えると、ドゥドゥはさらに驚いた。

「えっ、惑星オラシェの? それって数日前まで僕らがいたところじゃないですか」


 映像はまだ続いていて、彗星カラスの姿がさきほどよりズームで映し出される。

 宇宙港のアナウンスやざわめきに混じって「あー、あーー、あー」と歌っているのが聞こえた。安い機材で撮影されたらしく、ところどころ音声が割れているが、間違いなくフィオンの声だ。


 フィオンは思わず椅子から立ち上がり、応接間を出て行こうとした。

 それに気付いて、ドゥドゥが慌てて止める。

「待って、フィオンさん! どこに行くんです」

『オラシェに戻ります』

 そう走り書きすると、ドゥドゥは慌ててフィオンの前に立った。

「おひとりで行くつもりですか? 約束したはずですよ、もう二度と危険なことはしないって」

「…………」

 フィオンは答えることができなかった。

 しかし、その沈黙はかえって彼女の気持ちを強く表していた。


 そのとき、三階からユユが下りてきた。

「おはよう……って、どうしたの」

「ユユさん、フィオンさんを止めてください! ひとりでオラシェに戻ろうとしているんです」

 ドゥドゥが必死に声をかける。

「ん? オラシェで何かあったの?」

「例のカラスが今そこにいるらしいです」

 ああ、なるほどね、とユユは気の抜けた顔で笑った。

「よかったじゃない。思ったより早く見つかったね」

「…………」


 フィオンはじとりとユユを見つめた。

 彼女は部屋の出入り口に立ちはだかり、通してくれる気配がない。

「それで? ひとりで惑星オラシェに行ってどうするの? 何か算段でもあるの?」

 ユユの問いに、フィオンは唇をかみしめた。

 そして、静かに首を横に振る。

「…………」

 それを見て、ユユはにやりと口の端を上げた。


「ドゥドゥ君。エイサ君を起こしてきて」

「はい」

 ユユの言葉に頷くと、ドゥドゥはすぐに二階へ上っていった。

 横目でそれを見送りながら、ユユはまるで独り言のように呟く。

「いやあ、君がで本当によかったよ。そのおかげで僕はまたエイサ君と会えたんだからね。いくら感謝しても足りないくらいだ」


 二階からエイサとドゥドゥの話し声が聞こえる。

 エイサは朝に弱いようで、いつもより低くぼやけたような声をしている。


 フィオンの気持ちなど知ったことではないという顔で、ユユは言葉を続ける。

「昨晩も言ったとおり、僕は研究者として彼の期待に応えたいからここにいる。君のためじゃない」

「…………」

 話の意図がつかめずにいると、彼女はふっと自虐的に笑った。

「……でも、エイサ君はのためじゃないと動かないだろうね」

「…………」

「そして彼は学生の頃からちっとも変わらない。偏屈で、気難しい。彼のことを一番よくわかっているのは、たぶんドゥドゥ君だろうね」

 どのような反応をしたらいいのかわからず、フィオンはユユを見上げて立ち尽くす。

 すると、なぜかユユのほうが困ったような顔をした。

「……つまり、僕たちの関係はなかなかの絶妙なバランスで保たれているなあって話なんだけど」


 そのとき、階段がきしむ音が聞こえた。

 視線を向けると、戻ってきたのはドゥドゥだけだった。

「エイサ君は?」

 ユユが尋ねると、ドゥドゥは困ったようにひげを揺らした。

「先生はゆうべ遅くまで調べ物をしていたみたいです。起きてくるのにもう少し時間がかかると思います。……とりあえず朝食にしましょう。今日はこちらにお運びします」

「うん、わかった。いい匂いがするなと思ってたんだ」

「今朝はパンとオムレツですよ。両方ともこの惑星で作られたバターを使ってるんです」

 心配そうにドゥドゥがフィオンを見るが、フィオンはうつむいて立ちつくすばかりだった。

「それは楽しみだ」

 ユユがにこりと笑う。


 すっかり食事の支度がととのってもエイサは下りてこず、三人は先に食事を始めた。

 テレビはまたトップニュースを流し、それが終わると地方の話題になり、一周してふたたび彗星カラスの映像を流し始めた。

「グリーズさんも報道陣の対応が大変だろうねえ」

 フィオンの隣で、ユユがそんな感想を漏らす。

 彼女はよく焼いたトーストに鮮やかな黄と緑のジャムを塗り、さくさくと音を立てながら食べている。


 その正面にはドゥドゥが座っていて、小さな木の器に乾燥させた果実をたっぷり入れてそれを両手でつかんで熱心にかじっている。

「あのテレビに映ってるカラスって、本当に昨日のと同じやつなんですか?」

 ドゥドゥの疑問に、ユユは頷いて見せた。

「そう思うよ」

「じゃあ、結局元の場所に戻ったんですね」

「あの宇宙港の高さなら凡カラスたちは近付かないだろうしね」

 フィオンもユユの隣でオムレツをつつきながら話に聞き入っていた。

 ふわふわのオムレツは、ナイフで切れ目を入れると中から半熟の卵がとろりと流れ出し、その中に細かく刻んだ色とりどりの野菜が入っていて鮮やかだ。スプーンですくって口に含めば、濃厚な卵とバターの香りがふわりと広がる。


 ふと、フィオンは目の前の空席に視線をやった。

 エイサはまだくる気配がない。

 それに気付き、ドゥドゥが教えてくれる。

「あのひと、もともと朝に弱いんです。そのくせ見栄張りなので、支度にも時間がかかるんですよ」


 そのとき、二階から扉の開く音が聞こえた。

「おっ、噂をすれば」とユユが呟く。

 階段を下りる音が、フィオンにはずいぶん長く感じられた。

 客間に姿を現したエイサは、すでにきっちりと身なりを整えていた。さすがにスーツではなくラフなシャツを着ていたが、寝癖のひとつもなく、表情も寝起きには見えなかった。

 彼は皆に挨拶をすると、一枚の紙をユユに渡した。


「ユユ、これを読んでほしいの」

「ん、なにこれ?」

「あの映像のガイドが説明してた言葉を翻訳してみたわ」

「えっ本当? すごく助かるよ、ありがとうエイサ君!」

 すでに朝食を済ませていたユユは、新しい玩具おもちゃを与えられた子どものように目を輝かせながらそのメモを読み始めた。


 フィオンも隣の席からその内容を眺める。

 紙の上には美しい文字が並んでいた。

 初めて見る文字だと思った。それと同時に、どこかで見たことのある文字だとも思った。もしかしたら子どもの頃には知っていたのかもしれないが、もう思い出せない。

 ――いや、それよりも最近この文字をどこかで見た気がする。

 そんな気がしたが、どうにも思い出せない。


 そのとき、朝食を取りながらニュースを眺めていたエイサが声をあげた。

「ちょっとなによこれ? ドゥドゥ、教えてくれたっていいじゃない」

「そんなこと言って先生、ベッドの中から出ようともしなかったじゃないですか」

 呆れたようにドゥドゥが肩をすくめる。

「君がなかなか起きてこなかったから、僕らもう3回くらいそのニュースを見てるよ」

 ユユまでもがそんなことを言う。

 しかし、ニュースに注目しているエイサはそれに気付かなかったようだった。


 ユユは資料を読み終えると、ううむ、と小さくうなった。

「あの、歌姫さん」

 ふいにユユがフィオンを呼ぶ。

 視線を向ければ、彼女はもそもそと続けた。

「……さっきの話なんだけどさ。学生の頃、僕はずっとひとりで過ごしていたんだ。だからこういうのはよくわからなくて。たぶん僕はこう言いたかったんだと思う」

 フィオンが小さく首をかしげて先を促すと、彼女はまた困ったように笑った。


「みんなで一緒に行こうよ、って」

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