05.記録の中の故郷
ここにはいない誰かを想っているのだろう。
彼は、愛おしそうに目を細めて、遠くを見るような顔をしていた。
「あたし、とても尊敬するひとがいてね。そのひとはとても謙虚な努力家で、立派で、輝いていて、堂々としていて、まぶしくて、たくさんの人を勇気づけるような、そんな素晴らしい存在なの。いつか会える日をずっと夢見ていたわ」
一息にそう言い切って気恥ずかしくなってしまったのか、エイサはひらひらと手を振る。
「……まあ、そのひとに会いたいっていう気持ちを込めて作ったのよ」
そして彼は悪戯っぽく笑った。
その表情があまりにも魅力的で、フィオンは胸が痛んだ。
彼にこんな表情をさせる相手がうらやましいと心底思った。それと同時に、自分はその相手に到底及ばないだろうとも思った。
静かに目を伏せると、手元のシリウス・ペンが急かすように白く光っていた。
きっと彼にとってはとても大切な話だったはずだ。それを、知り合ったばかりの歌姫に聞かせてくれたのだ。その返事を、しなくては。
フィオンはペンを持ち直し、文字を書く。
手に力が入らない。
それでも、書かなくては。
『そんな大切な歌詞を、私に預けてくださってありがとうございました。それなのに、リハーサルの途中で歌えなくなってしまって』
続きを書こうとしたフィオンの手を、エイサが止めた。
「……馬鹿ね。あなたが謝る必要なんてないの」
彼の手の甲にある
「あのね、歌姫」
なぜだか彼は、とても困ったように笑っていた。
そして、ためらいがちに言葉を続ける。
「……あなたはリハーサルでうまく歌えなかったと言っていたけれど、あたしはその話をあなたから聞いて初めて知ったのよ。あたしが言っている意味、わかるかしら」
「…………」
フィオンははっとしてエイサの顔を見た。
そして、小さく頷く。
あの日、エイサがホテルの部屋を訪ねてきたのは、苦情を言うためなどではなかったということになる。
でも、それならどうして――。
「あの日、あたしがあなたの部屋を訪ねたのは――」
彼がそう言いかけたそのとき、階下から大きな音が響いた。
あれはおそらくユユの足音だ。ものすごい速さでどんどん近付いてくる。
かと思うと、部屋の扉が大きく開け放たれた。
「ねぇ歌姫さんっ、聞いてー! すっごいの見つけた! 大発見だよ!」
ユユはすっかり興奮した様子で飛び込んでくる。
その瞳はいつもよりさらに大きく見開かれ、今にも何かしらの言葉が次々と口から飛び出しそうだった。
「部屋に入るときはノックくらいしてほしいわ」
エイサが不満を口にすると、ユユはあっけらかんと言い放った。
「あれ? エイサ君もいたの?」
「ちょっと話をしていたのよ」
あからさまに拗ねた顔でエイサが答える。
その様子をまったく意に介することもなく、ユユは手に持っていた卵ほどの大きさの物をティーテーブルの中央にどんと置いた。
それはドーム状になっていて表面がつるんと白い。マンティスアイ・カメラで撮影した映像を映し出すための装置だった。
「プロジェクター? 何を始めようっていうの?」
「昔の研究資料をあさっていたら、僕のひいひい爺さんが集めていた資料の中から古い映像が出てきたんだ」
ユユがスイッチを入れると、部屋の壁にどこかの風景が映し出された。
手分けして鉱石ランプを消すと、深海に沈んでいた部屋はあっというまに一面の森へと変わった。
森の上には空があり、その中を黒くて大きな鳥が飛んでいた。
何十羽、何百羽といるだろうか。どれも羽根の先端が水色に透けている。
「……彗星カラス?」
エイサの呟きに、ユユが頷く。
「うん。もともと彗星カラスはこのネフライト惑星群を中心に棲息していたんだよ。ところが、隕石群の衝突により惑星群が壊滅状態になった。生き残ったのは宇宙船で避難することができたわずかな人々と、宇宙を飛べる彗星カラスだけ。でも結局、彗星カラスたちは棲家を失って散り散りになってしまった。だから今は絶滅が危惧されているってわけさ」
映像が進むと、ひとりの青年が映し出された。
おそらく現地のガイドだろう。その惑星の言葉で彗星カラスの生態について説明をしているようだ。彼の髪はフィオンの髪の色とよく似ていた。
「ね、言ったでしょ?」
ユユが上機嫌で言う。
「初めて会ったとき、どこかで見たような髪色だと思ったんだ。この資料だったんだね」
誇らしげな顔で彼女は笑っていた。
頷いてみせると、フィオンの両目から涙がこぼれた。
最初にカァグを見たとき、故郷の鳥とよく似ていると思った。
それもそのはず、フィオンの記憶の中にいた黒い鳥は、彗星カラスそのものだった。
「フィオンさんは、この人の言葉がわかる?」
ユユにそう尋ねられ、フィオンは涙をぬぐって首を横に振った。
その言語を使っていたのは子どもの頃だ。
歌姫として生活するうちに、たくさんの言語を覚えなければならなかった。そして新しい言葉を覚えるにつれ、故郷の言葉は少しずつ記憶から薄れていってしまった。
それでも、映像に映し出されたひとが話す言葉にはどこか懐かしい響きがある。
この古い言語は、もう人々の記憶から忘れ去られつつあるのだろう。
それでも、この映像の中にはいつまでも残り続けていたことが嬉しかった。
なにもない、ちっぽけな惑星だった。
都会のような派手さはなく、自然の多い土地だった。
小さな世界だったのかもしれない。でも、人々は自然と共存し、幸せに生きていた。
そこには穏やかな時間と優しい空気があった。
記憶からは薄れてしまっても、こうして記録には残り続けている。
それだけで、嬉しかった。
十年ぶりの故郷に、とめどなく涙があふれてゆく。
気遣うように、エイサがそっと手を重ねる。
フィオンはすがるように、その指先を絡ませた。
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