03.歪む鳥かご
『食い物でも持ってきたのかと思っていたのに、違うのかァ?』
雑音混じりにフィオンの声が――正確には、カァグがフィオンの声を使って話す声が聞こえてきた。それに続いてエイサの声も聞こえてくる。
『あら、食事がとれると思っていたの? ずいぶん楽観主義なのね』
『ケッ』
カァグはいまいましそうに不満を示した。
『理解していないようだから、教えてあげるわ。あなたが彼女に声を返すまで、食事なんてできないわよ。もちろんその鳥かごから出ることだってできない。二度と空を飛ぶことだってできないわ』
『またその話かよぉ。聞き飽きたぜ。お前らも本当にしつこいなァ。声は返さねぇって言ってんだろうがァ』
そう答えるカァグの声に生気はなかった。
空腹のせいだろうか、それとも、凡カラスたちにつつかれた傷が痛むのかもしれない。
『何度だって言うわよ。彼女に声を返して』
『嫌だね。なんたって、この声さえあれば一攫千金さァ。そうやすやすと手放すわけがねぇだろ』
『お金が欲しいならあげる。だから声を返して』
淡々と話しているものの、エイサがイライラしているのは声の調子から伝わってきた。
それをあおるように、カァグは小馬鹿にした口調で言う。
『お前ごときが払える程度のはした金じゃァ足りねぇんだよ、バァカ』
『……そんな大金、なにに使うのよ』
『さァね』
両者のあいだに沈黙が続く。
ほぼ動きはないが、不穏な空気が漂っていることが画像ごしにもわかるほどだ。
やがて、カァグがさも素晴らしいことを思いついたとばかりにしゃべり始めた。
『おい、こんなのはどうだァ? もっと可愛くて素直で歌のうまいやつを連れてこいよ。そうすればそいつにこの声をやることだってできるんだぜ。どうだァ、いいアイディアだと思わねぇかァ? だからここから出してくれよぉ』
情報端末から聞こえてくる雑音混じりの音声を聴きながら、フィオンは自分の声が耳障りだと、生まれて初めてそう感じた。
『へえ。そんなこともできるのね』
エイサの
『そうさ、へへ。お前がそいつのプロデューサーになればいいじゃねぇかァ。そうすればお前は大金持ちさァ。俺様と山分けしようぜ』
『それは興味深い話ね』
エイサの一言に、フィオンは刃物で深く胸を刺されたような痛みを感じた。
たしかにカァグの言うとおり、もっと可愛くて素直で、湖に身を投げるような危険なことはせず、リハーサルでもきちんと歌うことができるような、そんなひとに声を渡すべきなのかもしれない。
一時の落ち込みでカラスに声を渡してしまうような者より、もっと声を大切にできる者に渡したほうがいいと、誰もがそう思うだろう。
『なァそうだろ? だから俺様をここから出せよぉ』
『……それで? そんなひとがこの宇宙のどこにいるっていうの?』
「ん?」
ボリュームを上げて、ユユが呟くように言った。
「あっ、まずい」
次の瞬間、大音量で耳障りな金属音が響いた。
一度ではない。二度、三度、四度……と、その音は続く。
何が起きているのか、すぐに理解することができなかった。カラスが暴れているにしては音が大きすぎる。
「ああ、もう、蹴るなよ。高かったんだぞ、それ」
ユユが愚痴のように言うのを聞いて、フィオンはようやく何が起きているのか理解した。
スピーカーからは驚くほど低い声が聞こえてくる。
『カラス風情が知ったような口をきくな。宇宙でもっとも有名な歌姫がどういう存在かわかっているのか? 彼女の価値は声だけじゃない。容姿、人柄、ふるまい。絶え間なく積み重ねてきた努力。音も言葉も大切にする姿勢。彼女の生きざまが彼女の美しい声を作っているんだ。お前ごときになにがわかる』
転げるように部屋を飛び出し、フィオンは階段を駆け下りた。
体当たりするように扉を開けば、外の暗さに体ごと呑み込まれる。衛星の光だけが辺りを照らしていて、誘拐犯たちの安アパートから逃げるときに通ったあの裏路地を思い出した。
湖のほうからエイサの声が聞こえた。
「お前など腹を切り裂いてすべての内臓をえぐり出し、目玉を
不穏な言葉の合間に、ぐぁぁん、ぐわぁん、という耳障りな金属音も聞こえてくる。
その合間に、「やめろよぉ」とわめく弱々しい声も
フィオンが走り寄ると、足音に気付いたエイサが振り返った。
「……あ、……歌姫?」
暗闇の中にぼんやり見えた鳥かごは、何度も蹴られて歪んでいた。
エイサはただ驚いたような顔でフィオンを見ていた。
「……あの、もしかして……聞いていた?」
気まずそうにエイサが尋ねる。
それには答えず、フィオンは彼の腕をつかんで強く引いた。
「ちょ、ちょっと待って、どうしたの」
手を引かれるがまま、エイサの足がゆっくりと鳥かごから離れる。
それでもフィオンは満足せず、力任せに彼の手を引いた。
「ねえ歌姫。お願いだから手を放してくれないかしら。まだあのカラスと話さなきゃいけないことがあるのよ」
懇願するようにエイサが言う。
しかし、フィオンは大きく首を横に振った。
「……どうしてなの? あたしが鳥かごを蹴ったから?」
エイサがちらりと鳥かごに視線を向ける。
それさえも許せなくて、フィオンはまた彼の手を強く引き、首を横に振った。
「それなら、どうして……」
途方に暮れたようにエイサが呟く。
そのときだった。
強い衝撃と爆発音が辺りに響いた。
すさまじい爆風が吹き荒れ、目を開けていられなくなる。
ようやく風がおさまり、そっと目を開けたとき、そこにはもうカァグの姿がなかった。
鳥かごがあった周辺の土はごっそりとえぐれ、ひしゃげた鳥かごの一部が転がっている。
「……やられた!」
エイサが叫ぶと同時に、三階の窓からユユが顔を出した。
「ふたりとも、大丈夫!?」
「ユユ! 彗星カラスが!」
絶望に表情を染めて、エイサが叫ぶ。
カァグがいたはずの場所には、ただ不気味なほどの闇夜が広がっているばかりだった。
◆ ◆ ◆
すぐに屋敷の中からユユが出てきて、周辺の調査を始めた。
彼女は大きなライトを照らしながら、鳥かごのあった場所やひしゃげた金属の破片、そしてえぐれた土を注意深く観察している。
「これは……。どこかへワープしたようだね」
「ごめんなさい、あたしが……」
そう呟くエイサの手は震えていた。
落ち着かせるように、ユユが言い聞かせる。
「大丈夫だよ。どこへ移動したって変わらないさ。結局は凡カラスたちに追われて僕らのもとに逃げてくるはめになるはずだもの。なにしろ、噂の拡散を止めることができるのは僕たちだけだからね」
「でも……!」
大きくため息をつき、ユユはさらにゆっくりとした口調で言う。
「いいかい? これはエイサ君のせいじゃない。遅かれ早かれ、闇夜に紛れて逃げるつもりだったと思うよ。……それより、僕の誤算だった。あんなボロボロの身体じゃあ負担がかかりすぎてワープなんてできやしないと思い込んでいた。そもそも、ワープをするためにはもっと広い場所が必要だと考えていたんだけど、それさえも楽観だったようだね」
手強いねえ、とユユが呟く。
そのあとで彼女はエイサとフィオンを振り返り、泣きそうな顔で笑った。
「でも、ふたりに怪我がなくて本当によかった。もしそうなってたら最悪だったもの」
それは、彼女が初めて見せた弱気な表情だった。
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