02.三羽のカラス

 フィオンは、ぼんやりとベッドの上に寝転んだ。

 目を閉じると、カァグの言葉が蘇ってくる。


 ――小娘よぉ。お前だって声が戻らねぇほうが都合いいんじゃねぇかァ? そのほうがそいつらにチヤホヤしてもらえて楽しいもんなァ?


 それを振り払うように、フィオンは強く頭を振る。

 たしかに、声が戻ったらいつまでもここにいる理由はなくなる。歌姫である以上、ステージに立って歌うという役割だってある。

 それならば、ここを去る日がくる前に、エイサと話しておきたいことがある。


 決心して立ち上がると、フィオンは二階に下り、エイサの仕事部屋の扉をノックした。

 しかし、待ってみても返事はなかった。

 そればかりか、部屋の中はしんとしていて物音ひとつ聞こえない。


 一階へ降りると、台所でドゥドゥが夕食の支度したくをしていた。鍋の中で煮込まれている野菜は、やはりフィオンの好物だ。もしかしてエイサとは食の好みが似ているのだろうか――などと、フィオンは考える。


「先生なら外へ出ていきましたよ。たぶん彗星カラスのところじゃないですかね。まあ、もうすぐ夕食なのでそのうち戻ってくると思います」

 食器を準備しながら、ドゥドゥがそう教えてくれる。

 エイサがフィオンに声をかけなかったのは、ひとりのほうが都合がよかったのだろう。邪魔をしたくないので、彼との話は食後にしようと決めた。

『何かお手伝いすることはありますか?』

 シリウス・ペンでそう尋ねると、少し考えてからドゥドゥは答えた。

「それじゃあ、ユユさんに伝えてもらっていいですか? もうじき夕食ができるので区切りのいいところで作業を切り上げてくださいね、って」

 にこりと微笑み、フィオンは頷く。


 ユユの泊まっている部屋は三階だ。

 フィオンはふたたび階段をのぼると、部屋の前に立った。

 扉をノックすると、すぐに「どうぞ~」と軽い調子の返事が聞こえた。

 静かに扉を開き、部屋の中へ入る。


 ユユは耳にイヤフォンをかけ、情報端末の画面をじっと見つめていた。机の上には他にも本やノートが広げられている。

 フィオンの姿を見つけると、ユユは画面から視線を上げて片方だけイヤフォンを外した。

「やあ歌姫さん。どうしたの?」

 フィオンはシリウス・ペンを取り出し、ドゥドゥからの伝言を伝えた。

『もうすぐ夕食だそうです。きりのいいところで切り上げてください、とのことでした』

「夕食か。わざわざありがとう。それじゃ、このデータだけまとめてしまおうかな」


 ユユの視線がふたたび資料の中へ沈む前に、フィオンは急いで文字をつづる。

 ――何かお手伝いできることはありますか?

 ユユはくすりと笑った。

「歌姫さんは熱心だねぇ」

 彼女は考え事をするように小さく「んー」とうなり、ふたたびフィオンに向き直った。

「じゃあさ、僕の昔話につきあってよ」

 意図が読めないままフィオンがあいまいに頷くと、ユユは歯を見せて「ニヒヒッ」と笑った。


 ユユは情報端末の画面を指でつつき、話し始める。

「……彼さ、昔から興味深いヤツでね」

 よく見れば、画面の中にはエイサの姿があった。どうやら鳥かごにマンティスアイ・カメラが仕込んであったらしい。映像はリアルタイムのようで、彼は彗星カラスに話しかけているようだ。

 ユユがつけていないイヤフォンの片側からわずかに音声が聞こえてくるが、なにを言っているのかまでは聞きとることができない。


「学生のころから努力家で、当時すでに数十の言語を習得していたんだ。それに、見かけるたびに言葉づかいが違うのも興味深かったなあ。言葉の表現を広げる訓練、とか言ってたかな? まあ、今でもそういうところは変わらないみたいだね」

 昔を懐かしむように、ユユは優しく微笑んでいる。

 彼女の言葉の中にフィオンの知らないエイサの姿があり、画面の中には今のエイサの姿がある。

 どこか不思議な感覚だと思いながら、フィオンはユユの話に耳を傾けた。


「一方の僕はというと、いつも図書館の隅っこの薄暗い席に座って図鑑ばかり眺めていたよ。誰とも話さずにね。まるで海底に沈む貝のようだった」

 そんなことを言い、ユユは自虐的に笑う。

 このひとでもこんな表情をするのか、とフィオンは意外に思った。


「あの頃は、彼を見かけるたびにこっそり目で追ってたなあ。興味深い観察対象って感じ? ああ、今はカラスの観察をしているついでだけど」

 そんなことを話しながら、ユユは一枚の紙を取り出す。

 メモをとるのかと思えば、彼女はそれを丁寧に折り始めた。紙はみるみるうちに形を変え、新たな姿を持つ。それは、羽を広げたカラスのようだった。

 ユユはそれを情報端末の前に置き、また画面を指でつつく。


「今思うと、僕は彼に憧れていたんだろうなあ。いつも堂々としていて、物怖じしなくて、自分の理想に真っ直ぐで、努力を怠らないひとだった。たぶん、そういうところも昔と変わらないのだろうね」

 物思いをするかのように、彼女は深いため息をついた。

「……尊敬しているんだ。今もね」


 彼女は別の紙を取り出すと、また慣れた手つきで折り始めた。

 すぐにもう一羽のカラスができあがり、今度はデスクライトの真下に置かれる。

「君が誘拐されたとき、彼はわざわざ僕を探し出して連絡をくれた。人脈なら他にいくらでもありそうなのにね。最初はどうして彼のようなひとが僕なんかに声をかけてくれたんだろう、って不思議だった。……でも、君を見ていたら、なんとなくわかった気がするよ」


 ユユはふふっと笑った。

 そして、三枚目の紙を取り出しあっというまにカラスを折り上げると、それを本の上に乗せた。

「彼は、真っ先に僕のことを思い出して頼ってくれた。――その瞬間、僕が図書室で過ごしていたあの時間は報われたんだと思う」

 微笑むユユの顔はとても穏やかだった。


 三羽のカラスを見回して、ユユは言う。

「なんだか僕らって似てると思わない?」

「…………」

 その問いに、フィオンは頷くことができなかった。


 彼女の言葉に頷いてしまえるほど純粋な気持ちで努力を続けてきたわけではない。むしろ、その逆だった。

 カァグが言うように、この時間がずっと続けばいいと、心のどこかで思っていた。

 その一方で、声を取り戻したら真っ先に歌を聴いてほしい相手がいる。

 こんな気持ちを知ったら、エイサは笑うだろうか。それとも、呆れるだろうか。


「……まあ、長々と話してしまったけれど、陳腐な言葉でまとめるなら『期待に応えたい』ってやつかな。それが、僕がここにいる理由」

 満足そうに笑ってユユが言う。

 その笑顔を見つめながら、フィオンは思った。

 彼女の知識はフィオンにとって一筋の光のようなものだ。それがなければ声を取り戻すことなど叶わないだろう。

 それを伝えようとして、フィオンはやめた。

 ユユがほしいのは、おそらくエイサからの賞賛だけで、それ以外はすべて不要なものだ。


 フィオンにはその気持ちが痛いほどわかった。

 どんなに華やかなステージに立ち、大勢の歓声を浴びても、フィオンの心はいつも満ち足りることがなかった。

 ――たしかに、自分と彼女は似ているのかもしれない。

 三羽のカラスを眺めながら、フィオンはそう考える。


 ユユは紙のカラスたちをつまみ上げ、情報端末の前に集める。

 そして、ふとフィオンに尋ねた。

「そういえば、歌姫さんはエイサ君とどれくらいの付き合いなの?」

 フィオンは指折り数え、シリウス・ペンで答える。

『おととい出会ったばかりです』

「えっ? ……えっ、本当に?」

 よほど意外だったのか、ユユが目を丸くする。

 フィオンはこくりと頷いた。

 どれほどエイサに憧れていたとしても、その事実はどうしようもなく変わらない。


 だが、ユユが驚くのも無理はない。

 数日前に出会った歌姫と作詞家が行動をともにし、あまつさえ歌姫は作詞家の住居で世話になっている。誘拐犯から身を守るためだと言われて一度は納得したが、なぜこのような状況になっているのか、本当はフィオンにもよくわからない。

 あのグリーズがそうやすやすと他者に――しかも、その日に出会ったばかりの相手に――フィオンを預けるわけがないのだ。ということは、おそらくエイサが言葉巧みに彼を説得したのだろうか。もっとも、それさえもフィオンの想像でしかない。


「ふうん?」

 ユユは不思議そうに首をかしげた。

 そして5つの目の視線を右に傾け、左に傾け、考えごとをしているようだった。

「……そのわりには、ずいぶん前から知ってるような感じだよね」

「……?」

 彼女の言葉の意味を尋ねようとしたときだった。


「ちょっと待った。なんか様子がおかしい」

 そう言うなり、ユユは情報端末の音声出力を切り替えた。たちまち、スピーカーから雑音混じりの音声が聞こえてくる。


 それは、エイサとカァグの会話だった。

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