第四章 記憶

01.捕獲

 最初に異変に気付いたのは、ドゥドゥだった。

 彼はふと顔を上げ、なにかに警戒する様子で窓のほうへ鼻先を向けた。

「ドゥドゥ、どうかしたの?」

 エイサが声をかけると、ドゥドゥは神経質にひげを震わせた。

「大量のがこちらに向かってきます」

「なにかって?」

「わかりませんけど、すごく嫌な気配がするんです」

 やがて、フィオンの耳にも大量の羽音と鋭い鳴き声が聞こえてきた。

「カラスのにおいがする!」

 ユユが目を輝かせて立ち上がり、勢いよく部屋を飛び出してゆく。

 フィオンたちもそのあとを追った。


   ◆ ◆ ◆


 夕方の空は真っ黒だった。

 空にはカラスの大群が押し寄せ、カァカァと叫びながら旋回している。

 カラスの言葉がわからないフィオンにも、彼らが憤怒しているということは手に取るように伝わってきた。


 黒く塗りつぶされた空に、一羽だけめちゃくちゃな飛び方をしているカラスの姿があった。スピードを上げたかと思うと急によろめき、下降したかと思えばまた上昇する。

 その体は他のカラスたちよりも一回り大きく、羽根の先は透き通るように青い。


「あれ? カァグじゃないか」

 空を見上げていたユユが呟いた。

「カァグって?」

 エイサが聞き返す。

「だいぶ前に僕の研究に付き合ってくれた彗星カラスだよ。友達なんだ」

 そう答えると、ユユは大空へ向かって元気よく手をふった。


「カァグ、久しぶりだね! 会いたかったよー!」

 すると、たちまち空から悪態が降ってきた。

「突然追いかけられたと思ったら、てめぇのしわざかよこの変態め! 目障りなんだよバーカバーカ! あと勝手に名前つけてんじゃねぇええぇ!」

 夕方の空いっぱいに響いたのは、間違いなくフィオンの声だ。

 あまりにも下品な言葉づかいにフィオンは顔をしかめたが、ユユは大声で罵倒されているにもかかわらず5つの目をキラキラと輝かせている。


「わあ、すごいや! 本当に知的生物ロゾーの言葉を話してる!」

「お前なァアアアア! いますぐ消え失せて二度と俺様の前に現れるんじゃねぇ!」

 カァグと呼ばれた彗星カラスは、逃げ回りながらわめき続けている。

 その光景を傍観していたエイサが、呆れたように呟いた。

「……誰と誰が友達ですって?」

 彗星カラスはエイサめがけて急降下しようとし、他のカラスに追われてまた上昇した。

 それでも、罵声を浴びせることだけは忘れない。

「てめぇも目障りなんだよぉ! この金髪野郎めバーカァ! お前らとんでもねぇデタラメ吹き込みやがって、クソッ、クソがァ……!」

「あら、あながちデタラメでもないわよ。歌姫の声を取り戻すためなら、あたしはこの宇宙に存在するすべてのカラスの羽根をむしってもいいわ」

 エイサもエイサだ。涼しい顔でそんなことを口にする。


 フィオンは激しくうろたえた。

 これ以上、自分の声でエイサを罵倒されるのは嫌だ。そして正直なところ、エイサがカラスに対して冷酷な発言をするのも聞きたくない。

 こうなったのもすべては自分のせいなのだろうか、とフィオンは唇をかみしめる。

 なんとしてでも彗星カラスを捕まえなくてはならない。


 そのときだった。

 彗星カラスがひときわ屋敷に近付いた瞬間、バルコニーから白くて大きな物が飛び出した。それはあっというまに彗星カラスを呑み込み、みるみるうちにバルコニーへと戻ってゆく。

「ひゃっほ~い! お手柄だね、ドゥドゥ君!」

 ユユは小躍りしながら屋敷へかけ込んでゆき、エイサとフィオンもそれに続いた。


   ◆ ◆ ◆


 屋敷に戻ってみれば、彗星カラス――カァグは白い網の中でバタバタともがいていた。

 ここへ来るまでのあいだ、行く先々で凡カラスたちから攻撃を受けたのだろう。体中の羽根がボロボロになり、ところどころ傷ついて赤みを帯びた肉がのぞいている。

 カァグは網の中でも暴れながら「出せコラァ! 俺様にこんなことしてタダで済むと思ってんじゃねぇだろうなァ! 目玉つついてほじくり出してやる!」などと暴言を吐いている。

 どうやら見た目より元気そうだと、フィオンはほっとした。


 ユユが用意していた鳥かご(どうやらリュックがやたらと大きかったのはこの鳥かごが詰め込んであったかららしい)に、網ごとカァグを詰め込む。そのままバルコニーから部屋の中へ入り、廊下へ出て階段を下り、一階まで移動する。そのあいだも、カァグはユユの服のセンスや階段の手すりの色や調度品が置かれている角度にいたるまで、目に映るすべてを罵倒し続けた。

「よくもまあ、口が回るものね」

 呆れたようにエイサがため息をつく。

「わぁすごい、思ったより語彙が豊富なんだね! どれくらいの語彙数があるのか調べてみたいな~」

 ユユは子どものように目を輝かせてカァグを見つめている。


 鳥かごを外に出すと、ユユはそれを屋敷から少し離れた場所に置いた。

 空は薄暗くなり始めている。凡カラスたちもカァグが知的生物ロゾーの手に落ちたのを見て、ねぐらへ戻ったようだ。


 フィオンはカァグの前に立ち、ユユに教えられたとおりに声を出す。

 ガァ、ガァアア。

 ――お願い、どうか声を返してください。

 そんな意味がある言葉だと教えられていたが、それを聞いた途端カァグはゲラゲラと下品な笑い声を立てた。

「こいつは傑作だぜ! てめぇ、カラスの言葉なんか覚えたのかよぉ! なかなか似合ってるじゃねぇかァ! そうだ、その髪もカラスのように真っ黒に染めちまえよぉ! てめぇのその髪を見てるとイライラしてくるんだよ、俺様が頭から泥をぶっかけてやるぜ!」


 フィオンがとっさに自分の髪を隠すように抱くと、カァグはますます下品な笑い声を立てた。

 エイサがフィオンを下がらせて、カァグに声をかける。

「あなた、自分の立場がわかっていないみたいね。声を返してくれるまで、そこから出られないのよ?」


 しかし、カァグは強気だ。

「ケッ。好きにしろよ。俺様がその気にならねぇ限り、その小娘の声は戻らねえぜ。ましてや俺が餓死なんてことになったらそいつは一生そのままさァ」

 そう言うとカァグはコテンとあおけになった。その双眸が、フィオンをじろりと睨む。


「小娘よぉ。お前だって声が戻らねぇほうが都合いいんじゃねぇかァ? そのほうがそいつらにチヤホヤしてもらえて楽しいもんなァ?」

「…………」

 思いがけない言葉に、フィオンは身がすくんだ。

「聞いちゃダメよ」

 エイサに声をかけられるが、フィオンは頷くことすらできず、その場に立ちつくすばかりだった。


   ◆ ◆ ◆


 屋敷に戻るなり、ドゥドゥが肩をすくめた。

「やれやれ。やっと家の中が静かになってせいせいしました」

「あはは。まったくだね。あそこまで騒がしいとは思っていなかったよ」

 ねぎらうように、ユユがドゥドゥの肩を叩く。


「……ここから先は、あの彗星カラスと交渉して声を返してもらうということよね」

 確認するようにエイサが尋ねる。

「そうだね。おそらくそれ以外の方法はないはずだよ」

 ユユは頷いてみせるものの「まあ、手こずりそうだけどねぇ」と言葉を続けた。

 彼女にしては珍しく、厳しい表情を浮かべている。

 その一方で、エイサはなにかを考え込んでいる様子だった。

「そういうことならあたしの出番よね。手段がないよりずっといいわ」

「……うん。頼りにしてるよ、エイサ君」


 二人のやり取りを聞きながら、フィオンはなぜか胸騒ぎがした。

 もうすぐ声を取り戻せるかもしれない。

 ――でも。自分は本当にそれを望んでいるのだろうか?


 そんな疑問が浮かんできて、フィオンは小さく震えた。

 ひとつ深呼吸をして、忘れることにする。

 それでも、胸の鼓動はなかなか静まってくれなかった。

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