05.言葉のあや

 エイサが去った途端、ユユはぎらりと目を輝かせた。

「と、ところでさ、あの、さっきから気になってたんだけど」

 よほど感情が高ぶっているのだろうか、彼女の声はうわずっている。

 その5つの目はフィオンの手の中にあるシリウス・ペンを凝視していた。


「そ、そのペンを、見せてもらってもいいかな?」

 ユユがずいっと前に乗り出す。

 心なしか息づかいまで荒くなっているようだ。

 フィオンがおずおずとペンを差し出せば、ユユは待ってましたとばかりにそれを受け取り、いじり回し始めた。


「うわーっ! な、なにこれ、空中に文字が書けるっ!? すごく便利じゃないか! インクは……いらないのか! あまりにも画期的! あっ、時間が経つと字が消えるんだね、すごいや!」

 彼女は子どものように歓声を上げながら、目にも止まらない速さで光の線を量産してゆく。その大半がフィオンには理解できないものだった。おそらく専門用語、あるいは専門書の一節だったりするのだろう。

 文字が消えるよりもユユが書くスピードの方が上回っているため、彼女の眼前にはあっというまに光の壁ができた。

 どういう原理かはわからないが、少なくともインクが尽きる心配はなさそうなので、フィオンはただ呆然と様子を見守る。


「ね、ねえ、これどこで手に入るの?」

 エイサから借りている旨を伝えようとすると、ちょうど飲み物を運んできたドゥドゥが説明してくれた。

「そのペンは、マジック・ブング社さんの試供品なんです。先生にCM曲の作詞依頼がきているんですよ」

「そっかー残念! 発売されたら研究費で買いたいなあ」

 ユユはひたすら興奮した様子でしゃべり続けている。

 研究者とは皆こんなものなのだろうか。


 ドゥドゥが飲み物を置いて部屋を出ていくと、ユユは雑談の続きでも話すかのように尋ねた。

「そういえば、最初に彗星カラスと話したとき、何語だったの?」

 フィオンはユユからシリウス・ペンを受け取ると、『宇宙公用語です』と書いた。

「ふうん。やっぱり意思疎通さえできれば言語はなんでもいいのか」

 ノートを取り出すと、ユユはメモを書き込む。

「それで、彗星カラスとは具体的にどんな話をしたの?」

「…………」

 フィオンは一瞬言葉につまった。

 ユユの疑問は研究者として当然のものだ。むしろ、グリーズやエイサがそれを聞いてこなかったのが不思議なくらいだった。

 グリーズは状況を呑み込むだけで精一杯で、そこまで気が回らなかったのかもしれない。

 しかし、エイサは――。


 フィオンは両手をきゅっと握った。

 どうやらエイサは、自分のせいでフィオンが彗星カラスに声を渡してしまったのだと勘違いしている節がある。だから彼はあえてその質問をしてこないのだろう。

 少しずつでも、本当のことを伝えていかなくては。

 シリウス・ペンをしっかり持ち直し、フィオンは文字をつづった。

『「もし私の声をあげられたら、あなたもお話ができるのにね」と言いました』


 空中に浮かんだ光の文字を眺め、ユユが納得したように頷く。

「なるほど。はっきりと『声を渡す』という意志表示をしたわけだ」

 あらためて言葉にされると自分の過ちを責められているような気持ちになったが、彼女の言葉に間違いはない。

 フィオンは静かに首肯した。


 椅子にもたれかかり、ユユは「う~ん」とうなった。

「気に病むことはないさ。言葉のあやじゃないか。現に今まったく同じ状況になったとしたら、絶対に同じことは言わないだろう?」

「…………」

 少し考え、フィオンは小さく頷いた。

 ユユは行儀悪く椅子を揺らしながら、のんびりと言う。

「まあ、カラスに声を持っていかれるだなんて普通は思わないよね」

 彼女の反応が意外にも好意的なものだったため、フィオンはほっとした。


「それで、どうして声をあげるって言ったの?」

「…………」

 フィオンは思案する。

 自分の曖昧な言葉や態度で誤解を与えてしまうのは、もうたくさんだ。

 どうすれば正しく伝わるだろうと考えながら、ゆっくり文字を書いてゆく。

『少し落ち込んでいたんです。リハーサル中に、突然歌えなくなってしまって』

「歌えなくなった? のどが痛くなったとか?」


 フィオンは首を横に振り、言葉の続きを書いてゆく。

『とある曲を歌っていたときのことでした。練習のときは問題なく歌えていたのですが、リハーサルで星空を見上げながらその曲を歌ったとき、ふと故郷のことを思い出してしまったんです』

「ふうん? 故郷ねえ……」

 ユユはフィオンの言葉を口の中で繰り返す。

 彼女はまたノートになにかを書き込み、そのメモの個所を青色のペンで丸く囲って大きな『?』を書き入れた。

 

 ふとノートから顔を上げ、ユユはしみじみと言った。

「歌姫さんは、ずいぶん素直に話してくれるんだねえ」

 どういうことかと尋ねるように視線を向ければ、彼女はやれやれとため息をついた。

「これがもしエイサ君なら、言いたくないことは適当にごまかすんじゃないかな。彼は言葉の正確さよりも相手にとって都合のいい言葉を選ぶタイプだから」

「…………」

 彼女の言葉に、フィオンはなんとなく心当たりがあった。

 いや、むしろある気がしてきた。


「……もしかしたら、歌姫さんのことだって甘い言葉でだましているかもしれないよ?」

 悪い顔でユユがにやりと笑ったそのとき、部屋の入口から声がした。

「そんなわけないでしょ」


 いつのまにか戸口にエイサが立っていて、フィオンは跳び上がりそうなほど驚いた。

 ユユの話に集中するあまり、彼が近付いてくる足音に気付けなかったようだ。

 一方のユユは、動揺するどころかしれっと笑っている。

「やあ、エイサ君。どうしたの?」

「草案ができたから持ってきたのよ。それよりも、歌姫に変なことを吹き込まないでちょうだい」

 ユユは「わかった、わかった」と面倒くさそうに流し、エイサから差し出された紙を受け取った。走り書きをしたのか、少し乱雑で癖のある文字が並んでいる。

 ユユはその内容を読み上げた。


   あるところに美しい声を持つ歌姫がいた。

   しかし、一羽の彗星カラスが契約を持ちかけ、大切な『声』を奪った。

   歌姫は困り果て、歌声を失くした宇宙は嘆き悲しんでいる。

   どうか、歌姫の声を持つ彗星カラスがいたら教えてほしい。


 最後まで読み終えると、ユユは首を横に振った。

「ああ、これじゃダメだな」

「なぜ?」

 エイサが尋ねると、ユユは少し考えるようにテーブルをとんとんと叩き、答えた。


「言葉が難し過ぎるよ。凡カラスは2,000語ほどしか語彙がないんだ」

 なるほど、とエイサが頷く。

「スクールに入学する年齢の子よりも少ないのね」

「ああ、そうかもね。小さな子どもにもわかるように頼むよ」

 ユユがそう言うと、エイサは腕組みをして考え込んだ。

「……でも、彗星カラスは流暢にしゃべっていたわよ」

「ふむ、それは興味深いな。彼らは凡カラスより知能が高いと言われているからね」

「思ったよりも厄介そうな相手ねぇ」

 そう呟き、エイサはその場でさらさらと文字を書き足す。

「わかりやすくするなら、こんな感じかしら」

「どれどれ」

 ユユがそれを受け取り、ふたたび読み上げる。


   私たちはひとの声を持つカラスを探している。

   そのカラスはひとの声を盗んだ。

   声を盗まれたひとはとても悲しんでいる。

   だから、ひとの声を持つカラスがいたら教えてほしい。


 ユユはうーんとうなった。

「言葉は簡単になったけど、これでは教えてくれないかもなあ」

「どうして?」

「彼らには興味のない内容だからだよ。たとえ知的生物ロゾーが悲しんでいるとしても、彼らはまったく困らない。協力したいと思える理由がないとね」


 ユユの説明を聞いて、フィオンはカルペディエム宇宙港でのことを思い出した。あのとき彗星カラスは「これくらいのうまみがなきゃ、やってられない」というようなことを言っていた。

 彗星カラスにしろ凡カラスにしろ、カラスという生物は案外現金なのかもしれない。


「つまり、凡カラスの利害に関わるような内容にすればいいのかしら?」

 エイサの言葉にユユが頷く。

「そういうこと。さすがエイサ君、のみ込みが早いね」

「それなら、こういうのはどうかしら」

 エイサはまたすぐに文字を書き足した。


 横からのぞき込んでいたユユが、大げさに肩をすくめる。

「おや、なかなか物騒だねえ」

「あら、本当のことを言う必要なんてないわ。それにこれならでしょう?」

「そうだねえ」

 しばらく考えを巡らせ、やがてユユはにっこりと笑った。

「うん、いいんじゃないかな。これでやってみよう」

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