04.僕なんかに頼るから

ですって? 失礼ですが、ユユ博士はカラスの言葉がわかるのですか?」

 グリーズが尋ねると、ユユは不思議そうな顔をした。

「……え? はい、それはもちろんです。僕は研究者ですから」

 グリーズは一瞬ぽかんとした。

 そして、慌てたように言葉をつけ足す。

「そうでしたか。これは失礼を。なにしろそちらの分野にはうといもので」


 ああそうか、とユユは手を打った。

「研究者と申しましても、うちは先祖代々研究をしている家系なんです。さかのぼれるかぎりでも、僕の七、八代くらい前からすでに研究職をしていたようですよ」

「そんなに……」

 グリーズは圧倒されたように天井を仰ぐ。

 ユユはまたグラスの水を豪快に飲み干し、話を続けた。

「さて、カラスに話を戻しましょうか。この宇宙には彗星カラスとそれ以外のカラスがいるわけですが、仮に後者を『凡カラス』と呼ぶことにします。凡カラスは宇宙空間を飛ぶことができませんが、環境への適応能力はとても高い。水があり、大気中に酸素を含む惑星であれば棲息できると言われています」


「たしか、もともとはひとつの惑星に棲息していたのでしたな。ペットブームで知的生物ロゾーによりあちこちの惑星へ持ち込まれて繁殖したと聞いたことがあります」

 グリーズの言葉に、うんうんとユユが頷く。

「そのとおりです。逃げ出したものが野生化したと言われています」

「……要するに、ってことよね?」

 エイサが言うと、なぜかユユはにたりと笑った。

「そうだね、エイサ君。この惑星にもいるよぉ」

「え、ええ、それは知っているけれど……」

 戸惑うようにエイサは後ずさった。どうやら彼はユユと話していると調子が狂うらしい。


 しかし、そんな様子はおかまいなしにユユは話を続ける。

「彗星カラスほどではないけれど、凡カラスもなかなか賢いのです。ただ彗星カラスの居場所を聞くだけでは教えてくれないでしょう」

「では、どうすれば?」

 グリーズの質問に、ユユは待ってましたとばかりに答える。

「そこで、エイサ君の出番です。彼には凡カラスたちが言葉を考えてもらいます」

「……わかったわ」

 エイサが複雑な表情で頷く。


 にこりと笑うと、ユユは次にフィオンを見つめた。

「エイサ君が考えた言葉を、僕が凡カラスの言葉に翻訳する。だから歌姫さんはそれを発音してカラスたちに呼びかけてほしい。詳しいやりかたはあとで教えるよ」

「…………」

 フィオンは強く頷いた。

 少し前までは自分の口からカラスの鳴き声が出てくることがおぞましくて仕方なかったはずなのに、声を取り戻すと決めた今なら不思議とできる気がした。


「……というわけです。いかがでしょう? グリーズさん」

 ユユは自信に満ちた視線を向ける。

 それでもまだ、グリーズは険しい顔をしていた。

「三日後のコンサートに間に合うでしょうか?」

「……三日後ですって?」

 冗談でしょう、とでも言いたげにエイサが聞き返す。

 しかし、ユユは大きく頷いてみせた。

「最善を尽くすとお約束しましょう。ただし、グリーズさんのお力もぜひお借りしたいのですが」

「なにをすればよろしいでしょうか」


 そう問われれ、ユユはリュックの中から大きなノートを取り出した。

 ずいぶん年季の入ったものらしく、表紙が日に焼けて色が変わっている。その中から一枚の紙を取り出し、彼女はそれをグリーズに渡した。

「このメモの場所に、マイクとスピーカー、そしてマンティスアイ・カメラを設置してほしいのです。……ああ、機材はそちらで用意していただけるとたいへん助かります」

 そこには、いくつかの惑星の名前と地名が几帳面な字で書かれていた。


 ざっと目を通し、グリーズはいぶかしげな表情を浮かべる。

「全方向カメラなど設置してどうするおつもりです? それも、こんなにたくさん」

「凡カラスたちのうわさ話を収集するには、これが手っ取り早いんです。マイクを通じてこちらの音声を送ることもできますし」

「なるほど。そのマイクを通じてカラスたちに呼びかけるわけですな」

「そのとおりです。うまくすれば、例の彗星カラスがどこに行ってもわかるようになりますよ」

 フィオンは、ふとユユの言葉を思い出した。

 彼女はカラスたちに聞いてこの屋敷の場所を知ったと言っていた。ということは、この惑星のカラスたちに関してはすでに交流手段を持っているのかもしれない。


「……しかし、いくら彗星カラスが宇宙空間を飛べるとはいえ、これほど広範囲の惑星にカメラをしかける必要などあるのですか?」

 手元のメモを見ながらグリーズがそんな疑問を漏らす。

 たしかに、そのメモの場所に書かれた惑星の配置にはバラつきがあった。

 しかし、ユユはこともなげに言う。


「ええ、彼らはワープ能力を持っていますからね」

「なんですって?」

「ワープ能力です。そもそも、知的生物ロゾーが利用しているワープ航法は、もとはといえば彗星カラスの特性を応用したものなんです」

 この話には、グリーズのみならず部屋にいた誰もが驚いていた。どうやら彗星カラスというものは想像以上に謎の多い生物らしい。


「そういうことなら、逆にこれだけのカメラで足りるかしら?」

 メモを見ながらエイサが疑問を口にすると、ユユはまたにやりと笑った。

「だいじょうぶ! そこに書かれている以外のには、僕が研究用のカメラを設置してあるから!」

「あら、そうなの」

 エイサはにこりと笑ってそう返す。しかし、その表情は笑顔のまま固まっているようにも見えた。

 彗星カラスについての話は不思議な内容が多かったが、この研究者もまた不思議な存在であることに変わりはなかった。


 ユユは手際よくグリーズにカメラの設置場所の条件などを説明し、そして最後にこう言った。

「ああ、重要なことを言い忘れていました。もし目的の彗星カラスが遠くへ行ってしまえば、手遅れになるかもしれません。それよりも先に、どうかお早く」

「……承知しました。すぐに手配します」


 そう答え、グリーズはふとフィオンを見た。

「フィー、帰り支度じたくを」

「…………」

 予想していなかった言葉に驚き、フィオンはとっさに首を振った。


「ミスター・グリーズ。誘拐犯の件はどうなりましたか?」

 横からエイサがそう尋ねる。

 グリーズは、むむ、とうなった。どうやら警察の捜査はまだ続いているようだ。

 たたみかけるようにエイサが続ける。

「こちらとしては、安全が確認できるまでもう少し歌姫をお預かりしたいと考えています。……歌姫さえよければ、の話ですが」

 そう言って彼はちらりとフィオンを見た。


 フィオンは胸が苦しくなるのを感じた。

 本心をいうなら、このまま彼のそばにいたい。なによりも、エイサとはまだ話さなくてはならないことがある。

 しかし、自分がここにいてはまた迷惑をかけてしまうのではないだろうか。

 そんな不安が込み上げる。


 そのとき、ユユが手を上げた。

「少々よろしいでしょうか、グリーズさん」

「ええ、ユユ博士。なんでしょう?」

「歌姫を連れて帰られてしまうと、こちらとしては都合が悪いのです。もし僕らが彗星カラスを探し出したとしても、歌姫さんがいないと声を元に戻せません」

「……ぐ、なるほど」

 グリーズは脂汗が浮かびそうなほど悩んでいる。おそらく、できればフィオンを自分の目の届く場所に置きたいと考えているのだろう。


 さんざん考え抜いたあげく、グリーズはフィオンに尋ねた。

「……フィーは残りたいのかい?」

「…………」

 ためらうように頷くと、エイサがほっとしたように息を吐いた。嬉しい気持ちよりも、気を遣わせていることに心が痛む。

 しかし、それで話は一段落したようだった。


「それでは、エトワール先生、そしてユユ博士。ドゥドゥさんも。どうか引き続きフィオンをよろしくお願いします」

 一礼すると、グリーズはせわしなく去って行った。


   ◆ ◆ ◆


 グリーズが去って最初に声を発したのは、事のなりゆきを静かに見守っていたドゥドゥだった。

「うへぇ。僕、身が縮んじゃうかと思いました」

 よほど緊張したのだろう、嵐が去ってもヒゲ先が細かく震えている。

「同感だよ。あのマネージャーさん恐かったねえ。緊張しすぎて水を飲み過ぎちゃった」

 もうしばらく水は見たくないと、ユユが盛大なため息をつく。


 フィオンもふたりの意見に同感だった。

 グリーズがあれほど怒るのは珍しい。もっとも、歌姫が声を失ったとなれば冷静でいられるわけがないことはわかる。その原因が自分にあることも。

 いたたまれなくなり、フィオンは皆に向かって頭を下げた。


「あっ、いえ……そういうつもりじゃ……。すみません、フィオンさん」

 ドゥドゥが申し訳なさそうに言う。

「こっちこそごめんね。マネージャーさんには黙っててね?」

 ユユも緊張感のない声で言った。


 エイサに視線を向けると、彼もまた一難去ってほっとしたような表情を浮かべていた。

「歌姫、あなたが気に病むことではないわ。あたしがもっと早くミスター・グリーズに連絡をしていればよかったのよ」

「…………」

 フィオンは、そっと首を横に振った。

 たしかにエイサの言うことはもっともだが、フィオンから連絡してもよかったはずだ。


「――声を取り戻す目処めどが立ってから連絡したかった。そうでしょ、エイサ君?」

 ふと、ユユが言った。

 彼女の言葉にエイサは少し驚き、そして頷く。

「……ええ、そうよ。お見通しなのね。ユユ博士」

「やだなあエイサ君。昔みたいにユユって呼んでくれよ。僕らは親友だろう?」

 久々にエイサと会えたことが嬉しかったのだろうか。ユユは上機嫌で笑っている。しかし、なぜかエイサは引きつった顔で「……え、ええ、そうね」と言うばかりだ。

 ふたりは以前どのような関係だったのだろうか、などとフィオンはつい想像をめぐらせる。


「それにしても、ユユ。ずいぶんハッタリをきかせたものね」

 エイサは腕を組み、あきれたようにため息をついた。

 しかし、ユユは悪びれる様子もなく笑う。

「へへっ、バレてたか」

「よくもまあ大言壮語を吐くものだと思いながら見ていたわ」

「……昔とずいぶん違うから、驚いた?」

「……ええ。そうね」

 遠い過去を思い出すように、エイサが目を細める。


「そもそも、わざわざそちらから来てくれるとは思っていなかったもの。てっきり引きこもり……失礼、研究室にこもるタイプかと思っていたわ」

 わざわざエイサが言葉を選び直したことも気にせず、ユユはにこにこと笑う。

「まったくの逆だよ。フィールドワークで年中出歩いてる。研究者にはフットワークが大事だからね。それに、こんな珍しい事例を研究できるチャンスなんて滅多にないからさ」

 どうやらユユは作業を始めたくてうずうずしているようだった。


「……それじゃ、さっそく始めましょうか。分担すればいいのね」

「うん。エイサ君には彗星カラスの資料としていくつかデータを送っておいたよ。マイナーな言語のものもあるけど、大丈夫かな」

「ありがとう。専門書となるとさすがに辞書が必要ね。二階の仕事部屋にいるわ。なにかあったら呼んでちょうだい」

「わかった。僕はこのまま歌姫さんと応接間にいるよ」

「ええ」


 部屋を出て行こうとしたエイサが、ふと振り返った。

「……ユユ。来てくれて、ありがとう」

 ユユは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐににこりと微笑む。

「さっき言っただろ。興味があるって。それにエイサ君、ずいぶん困っていたようだったから」

「そうね。助かる。本当にありがとう」

 そう言うと、エイサは部屋を出て行った。


 ユユの大きな瞳が、エイサのうしろ姿をじっと見送る。

「……君が、僕なんかに頼るからだよ」

 彼女は小さく呟いた。

 その声はエイサの耳には届かなかったようだ。


 ユユはくるりと向き直り、フィオンを見た。

「さて、じゃあ始めようか。よろしくね」

 そう言って彼女は、もう自分の口から出た言葉など忘れてしまったかのような顔をして笑っていた。

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