03.その話って今、必要かしら?
全員が応接間の椅子に座ると、すぐにドゥドゥが飲み物を運んできてくれた。
そればかりか、フィオンには軽食まで用意されている。
リハーサルから立て続けにいろいろなことが起きて食事がとれていなかったことを、フィオンはようやく思い出した。
目の前に置かれた白い皿の上には、やわらかいパンが置かれている。
パンは中ほどでスライスされ、そこに果実を刻んで蜂蜜に
客人をもてなすというよりはどちらかというと家庭料理のたぐいだが、今はそれがありがたかった。
どうしてドゥドゥは好物を知っているのだろう、とフィオンは不思議に思う。
音楽雑誌やテレビのインタビューなどで答えたことはあるが、まさか知るはずもない。それとも、グリーズから聞いたのだろうか。
パンをかじるとこくのある甘みが広がる。食事には青いハーブティも添えられていて、口に含むと優しい香りがふわりと漂う。
テーブルには、大柄なグリーズの横にフィオンが座り、その向かい側にエイサとユユが座っている。
グリーズとエイサは、砂糖もミルクも足していないコーヒーをそのまま飲んでいる。ユユはといえば、真顔で「この惑星の水質を味わいたい」と言って水を頼んでいた。
「改めて紹介します。彼はユユ・シャク博士。学生時代の同級生で、現在は動物学者をしているそうです」
「鳥類専門です。どうぞよろしく。気軽にユユって呼んでくれると嬉しいです。ああそれとエイサ君、僕の性別はメスだよ」
ユユはエイサの紹介に補足と訂正を入れ、グラスに入れられた水をうまそうに飲み干した。
彼女の口調は冗談めいていて、どこまでが本当なのかわからない。
「……あらやだ、そうだったかしら。ごめんなさい」
エイサもユユのペースには流されがちで、いつもの物言いはどこかへ行ってしまったようだ。
「私はリズリー・グリーズと申します。フィオンがデビューした当時からマネージャーを務めています。子どもの頃から面倒を見ているので、まあ、その、フィオンにとっては祖父のような存在だと自負しております。そのため先ほどは熱くなってしまい、たいへん失礼いたしました」
「いえいえ、お気持ちわかります。あ、僕は独身ですが親があなたのように過保護なもので」
グリーズから差し出された名刺を丁寧に断りながら、ユユが言う。
フィオンはシリウス・ペンを取り出し、丁寧に文字をつづった。
『初めまして、ユユさん。フィオン・フィオナ・フェクタと申します。お会いできて嬉しいです。言葉を話せない状態のため、文字でのご挨拶で失礼します。どうぞよろしくお願いいたします』
そして、いつもより少しゆっくりめにお辞儀をする。
ユユは満面の笑みでフィオンの手を握った。
「歌姫さん、初めまして! こちらこそよろしくね」
そしてまじまじと眺め、にやりと笑う。
「なるほどね。有名な歌姫さんがこんなに可愛いお嬢さんだったとは。どうりでエイサ君が夢中になるはずだ」
「そんなんじゃないわよ」
呆れたようにエイサが呟く。
「そうなの? だってエイサ君、歌姫さんのことすごく可愛いって言ってたじゃないか」
ユユの言葉を、フィオンの耳が鋭く捕えた。
――ユユ・シャク博士は今なんと?
「……ちょ、ちょっとユユ!」
エイサは慌てた様子でユユに目配せをするが、ユユに伝わる気配は微塵もない。
「なあに、エイサ君?」
「……その話って今、必要かしら?」
「あれ、なにか変なことを言ったかな?」
ユユは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
しかし、エイサが否定しないところをみると話はどうやら本当らしい。
――いったい、いつどこで、具体的にはどんな言葉でその話をしたのか。
フィオンはそればかりが気になって仕方がなかった。
そのとき、グリーズが大声をあげた。
「おわかりいただけますか! フィオンは歌がうまいだけではなく、この通り容姿も可愛らしく可憐で、どこに出しても恥ずかしくない歌姫なのです」
もし声が出ていたら、フィオンは「ちょっとグリーズさん、恥ずかしいからやめて!」と叫んでいたに違いない。
しかし、ユユは会話の流れなどおかまいなしに、今度はフィオンの髪をまじまじと観察し始めた。
「ねえねえ歌姫さん。その髪って生まれつき? 珍しい色だよねえ」
「ちょっと、
エイサが注意するが、ユユはなかなか視線を外そうとしなかった。
「いや、どこかで見た気がするなあって」
「そりゃそうでしょ。彼女は宇宙中で有名だもの。テレビや雑誌で見たことがあるはずよ」
「ふーん」
どうやらユユは歌姫というものにあまり興味がないらしく、そう答えただけだった。
エイサはすっかり疲れた様子でため息をつくと、ドゥドゥに声をかけた。
「……ドゥドゥ。あなたも自己紹介をしてもらってもいいかしら?」
彼は笑いを噛み殺すようにときおり肩を震わせていたが、名前を呼ばれて粛々と頷いた。
「はい、先生」
グリーズとはすでに面識があったらしく、ドゥドゥはユユのほうへ向かってぴょこりとお辞儀をした。
「僕はドゥドゥと申します。こちらで助手をしています。以後お見知りおきください。先程はお出迎えができず申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ、気にしないで」
にこにこと頷くユユに、ドゥドゥはふと思い出した様子で話題をふった。
「そういえば、あのキーンって頭に響くうるさい音、ユユさんの案だったんですよね。獣人には効果抜群だと思います」
その途端、ユユの目の色が変わった。
「……へえ。そういえば君くらいのサイズの獣人に聞かせたらどうなるのかな? ちょっと試させてくれない?」
「そ、それは、えーと……」
ドゥドゥがたじたじになると、すかさずエイサが助けに入った。
「うちの助手にちょっかいを出さないで。倒れられでもしたら困るわ」
そんな彼らの会話を聞きながら、フィオンはようやく理解した。
あのとき、狭いアパートの一室で誘拐犯たちが突然苦しみ出したのは、獣人の耳にしか聞こえない音が流されたということらしい。
それが救出時の助けとなったとはいえ、付近の住民たちに影響がなかったことを祈るばかりだ。
それぞれの自己紹介が済んだところを見計らい、グリーズが話題を戻す。
「……それで、ユユ博士。先ほどフィオンの声を取り戻すことが可能だとおっしゃっていましたが」
2杯目の水を飲み干すと、ユユはこともなげに頷いた。
「ええ。簡単なことです。もう一度、歌姫さんが彗星カラスと契約をすればいいのですよ」
「失礼ですが、そんなことが本当に可能なのですか?」
グリーズが疑わしげな表情を浮かべると、ユユは尋ね返した。
「なぜそう思うのです?」
先ほどまで愛想よく笑っていた5つの目が、ぎらりと光るようにグリーズを注視している。それは獲物を狙う獣の目つきのようでもあり、この問答を楽しんでいるようにも見えた。
ユユの様子に
「……たしか、彗星カラスは宇宙空間を飛ぶことができるはずです。この広大な宇宙から探し出すだなんて……」
「可能ですよ」
ユユはきっぱりとそう言い切った。
彼女がテーブルの上にグラスを置くと、すぐさまドゥドゥが水差しの中から冷えた水を継ぎ足す。
それをまた豪快に飲むと、ユユはもったいぶるようにエイサへと視線を向ける。
「……ただし、そのためにはぜひともエイサ君の協力がほしいところですが」
「協力を惜しむつもりはないわ」
エイサは即座に頷いた。
「いったい、どのような方法が?」
グリーズの質問に、ユユは3杯目の水を空にして答える。
「なあに、簡単なことですよ。カラスたちのネットワークを利用するのです。ひとの声を持つ彗星カラスを見かけなかったかと、彼らに聞けばいい」
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