02.絶滅危惧種と伝承
「……そ、そうか、うむ」
グリーズが唸るように頷いた。
長年の付き合いであるこのマネージャーは、フィオンにとても甘く、素直に謝りさえすればそれ以上は責めてこない。彼女はそのことをよく知っていた。
もちろん、罪悪感がないわけではないが、これ以上エイサが怒鳴られる姿を見るのは耐えられなかった。
フィオンが空気中に並べた嘘の言葉は、窓から差し込む光に溶け、浄化されるように消えて行った。
グリーズは大きな手のひらであごを包むようになぞる。
そして、考えごとをするようにゆっくりとまばたきをした。
「エトワール先生。いただいたメッセージには『彗星カラスに声を渡した』とありましたが、詳しい経緯をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
エイサは頷き、フィオンから聞いた話と宇宙港で目撃した内容を追って説明してゆく。
その一言一句を真剣に聞き、「ふむ」「なるほど」などと相槌を打っていたグリーズだったが、話が終わる頃にはすっかり訝しげな表情になっていた。
「いやはや。これが作り話だというのなら『よくできた話だ』と思うところですが、実際に起きたことだと言われると、にわかには信じがたいというのが正直な感想で……」
「グリーズさん。よろしければ僕に説明をさせていただけませんか?」
そう提案したのはユユだった。
「博士が?」
「ええ」
ユユは背負っていたリュックを床に降ろすと、一冊の本を取り出した。
それは図書館の奥から発掘してきたような古書で、開いた途端にばらばらになってしまいそうだった。表紙にはカラスの絵が描かれているが、写実的な絵ではなく、古代の遺跡から発掘された陶器などに使われていそうな図案だった。
「グリーズさんは、彗星カラスがどのような生物かをご存知ですか?」
そう尋ねられ、グリーズは曖昧に頷く。
「……ええ、まあ。他のカラスより大きく、羽根の先が青いのですよね。今はだいぶ数が減ってしまって絶滅危惧種に指定されているのでしたな」
うんうんとユユが頷く。
「そのとおりです。さすが世の中の事情にお詳しい」
「たまたま耳に挟んだことがありまして。……それで、その本は?」
ユユは手にしていた本をかざし、説明を続ける。
「この本は彗星カラスの生態について書かれたものです。少々古いものですが、彗星カラスが他の生物と声を交換した事例がいくつもあります」
ユユは慎重に本を開き、ページに視線を落とした。
「たとえば、ある城塞では数羽の彗星カラスが飼われていたそうです。
「……ふむ」
「まるでおとぎ話のように聞こえるかもしれませんが、出典は信頼できる歴史書です」
ぱたりと本を閉じ、ユユは微笑んだ。
「つまり、珍しいケースではあるが過去にそういった実例はあるということですか」
グリーズの言葉にユユが頷く。
「そのとおり」
「……ううむ。お話はわかりました」
いまだに半信半疑ではあるが、といった様子で、グリーズがうなる。
ユユの話を聞きながら、フィオンは彗星カラスの姿を思い出していた。興味本位で部屋に入れてしまったことが悔やまれた。――いや、そもそもは安易に声を渡すと言ってしまったことがいけなかったのだ。
「フィー、声を出してみてくれないか」
ふいにグリーズからそう言われ、フィオンは反射的に首を振った。
しかし、それでグリーズが納得するはずもない。
「少し聞かせてくれるだけでいいんだ。いくらカラスの声を持っていると言われても本当かどうかわからない。実際に聞かせてくれないと……」
たたみかけるように続けるグリーズを、エイサが止めた。
「それは酷ではないでしょうか、ミスター・グリーズ」
「……酷とおっしゃいますと?」
「彼女は、昨夜まで宇宙一の美声を持っていたのです。それなのに突然カラスの声になってしまった。それでは声を出すことに抵抗があって当然です。現に彼女は、自分の声を失ってしまったことを苦にして――」
そこで一度言葉を区切り、エイサは唇をかみしめる。
短いため息を吐くと、言葉を続けた。
「――気落ちしているのは、一目瞭然のはずです」
「…………」
フィオンは床を見つめて拳を固く握った。
星を覗き込んで湖に落ちたなどというフィオンの幼稚な嘘は、どうやらとっくに見抜かれていたらしい。
嘘をついてさえ彼の心を守ることさえできない無力さに、肩が震える。
グリーズはエイサに食い下がった。
「エトワール先生のおっしゃることもわかります。ですが、さすがに古い文献やお話を聞いただけで鵜呑みにすることはできません。なにしろ歌姫の声が出なくなったのです。せめてその彗星カラスの声を聞かないことには……。実際、こうして話しているあいだに一度もフィオンから声を聞いていないわけですし」
グリーズの言うことは正しい。少なくともフィオンはそう感じた。
彼はマネージャーだ。もし本当にフィオンの声が出ないのであれば一大事だ。数日後に控えているコンサートだって中止せざるを得ないだろう。
だから彼は、事実を確認するだけの理由がある。
この話が、手の込んだ作り話である可能性を疑わなくてはならない。それは同時に、エイサやユユや、あるいはフィオンも疑われ続けるということを意味している。
ガアァ。
ふいに響いた醜い声に、部屋の中がしんと静まり返った。
一番驚いたのは、おそらく声を出したフィオン自身だったに違いない。
しかし、一度声を出してしまえば、あとは同じことだった。
ガァ、ガァア、ガア……。
フィオンはみんなの視線が自分に向けられているのを感じた。
しかし、それはステージの上に立って注目を浴びているのとはまるで意味が違う。
やはりこの声を愛することはできない。
この先どんなに努力しても、馴染のないこの声では元のような美しい歌声を出すことは不可能だ。
不思議と涙は出なかった。
必ず声を取り戻すと決心したからだろうか。
ただ、自分の口からこんなに醜い声を聞かせることでエイサを失望させてしまったのではないだろうかと、そればかりが気になった。
「わかった、わかったフィー。もういいよ」
グリーズが慌てて止めた。
「すまなかった。状況はよくわかった。……ユユ博士もエトワール先生も、申し訳ありませんでした」
「いえ……。おわかりいただけたなら、結構です」
緊張を吐き出すように、エイサが言う。
ふいに、叫び声が上がった。
「あーっ! 今の音声、録音すればよかった!」
騒々しい声の発信源はユユだ。両手で頭を抱えるとぶんぶんと前後左右に振り回しながらわめき散らしている。5つの目が、せわしなくまばたきをくり返している。
「持ち帰れば素晴らしい研究資料になったのに! そもそも彗星カラスは数が激減していて研究自体が難しくなっているというのに、こんな絶好の機会を逃して僕は一体なにをしているんだ! もったいない! 実にもったいないことをした!」
あまりの様子にフィオンが唖然としていると、ユユがずいっと前に踏み出してきた。
「歌姫さん! 音声を録音……い、いや、録画! できれば録画でお願いします! ぜひとも録画させてください!」
ユユの両手がフィオンの手をがっしりと握って離さない。
「……ここまでくると本物ねぇ」
大げさにため息をついて、エイサが呟いた。
「いやはや、頼りになりそうですな」
グリーズも苦笑している。
さきほどまで刺々しかった室内の空気は、少しずつ緩んでいくようだった。
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