05.世界のすべて

 胸に刺すような痛みが走り、フィオンは激しく咳き込んだ。

 しゃがれた声が漏れ、慌てて口を塞ごうとしたが思うように体が動かない。

 容赦なく飛び出す咳が呼吸を妨げる。まるで肺が壊れてしまったかのようだ。


「……大丈夫?」

 震える声で尋ねられ、フィオンはゆっくりと目を開ける。

 最初に見えたのは、エイサの顔だった。 

 金色の髪からしたたり落ちる水滴が星の光をあびてきらきら輝き、とても綺麗だと思った。彼は今にも泣きだしそうな顔でフィオンを見つめていた。

 それだけで、フィオンの目にも涙がにじむ。

 頷こうとして、フィオンはまた激しく咳き込んだ。

 あまりの息苦しさに、思わず目を閉じる。

 それでも、エイサの声だけは優しく耳に届いた。

「落ち着いて。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて……」

 言われるがまま、少しずつ息を吸い、また吐き出す。

 肺の痛みは、刺すようなものから鈍いものへと変わっていった。


 彼の着ている水色のシャツが、濡れて肌に張りついている。湖に落ちたフィオンを彼が助けてくれたことは明らかだった。

 ――あまりにも愚かなことを、してしまった。

 みるみるうちに後悔があふれる。

 フィオンの命はエイサによって何度も救われてきた。

 それなのに、その救われたはずの命を軽々しく捨ててしまうところだった。

 フィオンの両目から涙がこぼれた。

 ぬぐってもぬぐっても涙があふれて止まらない。


「……苦しい?」

 エイサが心配そうに顔を覗き込む。

 フィオンは首を大きく横に振った。声を出せないことが、ひどくもどかしかった。

 身を起こそうと、腕を動かす。

 しかし、まだ力が入り切らず、くたりと横たわってしまう。

「無理しちゃダメよ」

 エイサが両腕で体を支えてくれる。

 フィオンにとって、彼は希望そのものだ。彼という存在がなければ、到底ここまで生きることはできなかった。

 ――そのことを、伝えたい。

 フィオンはそっとエイサの手に自分の手を重ねた。

 その大きさに、宇宙港で彼が手を差し出してくれたことを思い出す。


「……恐かったわね。もう大丈夫よ」

 エイサはフィオンを安心させるように頷いてくれた。

 また少し、彼の金色の髪から水滴がこぼれ落ちる。

 この作詞家に、何度も命を救われてきた。

 そして、まだ何ひとつ返せてはいない。

 せめてもう少し生きなくてはならない、こんな自分にも、まだできることはあるはずだ。

 フィオンは、自分自身に何度もそう言い聞かせる。


「あなたの声は、あたしが絶対に取り戻してみせる。この宇宙に存在するすべてのカラスの中からあの一羽を見つけ出してみせる。もしあの彗星カラスが宇宙の果てまで逃げるなら、あたしだって宇宙の果てまで追いかけてやるわ。歌姫、あたしを信じてくれる?」

 フィオンはエイサの瞳を見つめてゆっくり頷いた。

 全身の感覚が少しずつ戻ってきて、寒気に体が震える。

 それでも、彼に触れている部分だけは温かかった。その温もりは、フィオンがまだ生きているということを証明していた。


 それだけでもう、フィオンにとってエイサは世界のすべてだった。

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