03.図書室の変わり者

 エイサは、眉間にしわをよせて情報端末の画面を見つめていた。

 そこには先ほどまでやり取りをしていた相手とのメッセージ記録が残されている。画面に表示されているそれらの文字を、彼は確認するように目で追っていた。


【こんにちは、ユユ・シャク博士。学生時代に同じクラスだったエトワールです。お久しぶりね】

【エイサ・エトワール君か。今は作詞家としてずいぶん成功しているようじゃないか】

【覚えていてくれて嬉しいわ。博士のご活躍も耳にしています】

【どうだか。君みたいな著名人が、今さら僕なんかに何の用だい】

【突然のメッセージでお気を悪くされたらごめんなさい。どうしてもあなたの知識が必要なの。どうか力を貸してくれないかしら】


 そこまで読んで、エイサは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 ――ユユ・シャク。

 学生時代のクラスメイトであり、現在は研究者として活動を続けていると風の便りで聞いていた。

 当時からかなりの変わり者だったが、それは今でも変わっていないらしい。

 エイサは画面をスクロールさせ、先のメッセージを読む。


【……ふうん。誘拐犯は獣人なのか。それなら簡単だな】

【どうすればいいの?】

【彼らは他の種族と比べて格段に『耳』がいい。そこを逆に利用する】

【そういえば、通常よりも広い音域が聞こえるっていうわね】

【音声データを送るよ。それを最大音量で再生してやればいいさ】


 幅広い音域が聞こえるだなんてうらやましいと、以前は思っていた。

 だが、もしかしたら音が聞こえ過ぎるというのも案外不便なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、エイサはまた画面をスクロールする。


【無事に救出したわ!】

【それはよかった。おめでとう】

【誘拐されたひとも無事だったわ。あなたのおかげよ。本当にありがとう】

【ずいぶん早かったね。それに『救出した』って? 


 エイサは「うーん」と小さくうなった。

 研究者という職業柄だろうか、ユユは意外なところに気付く。

 いつも独りで図書室の隅に座っていた姿からは想像もつかない。


【その通りよ。あなたが教えてくれた方法ならあたしでも可能だと思ったの】

【てっきり警察に助言するためだと思って教えたんだけどなあ。獣人の運動神経が他の種とケタ違いなのは知っているだろう? ずいぶん危険な橋を渡るじゃないか】

【警察を待ってなんかいられなかったわ。少しでも早く助けてあげたかったの】

【ふうん。それじゃあ僕はこれで。報酬の振り込みを楽しみにしてるよ】

【わかってる。すぐに送るわ】


 そして、ユユはまた気まぐれに興味をなくす。

 なんともつかみどころのない相手だ。

 この会話が終わればもうユユと話すこともないだろうと、エイサはそう思っていた。おそらくユユのほうも同じだったに違いない。

 しかし、そうはならなかった。

 エイサはまた少し画面をスクロールする。


【ユユ・シャク博士。何度もごめんなさい。また相談したいことがあるの】

【君は本当に酷い奴だな。学生の頃は僕と話したことなんか一度もなかったくせに】

【……それは謝るわ。本当にごめんなさい】

【冗談だよ。そんなふうに謝られても困る。それで、今度は何の用?】


 その文面を読み、エイサは深くため息をついた。

 ユユに相談したのは、まさにわらをもつかむ思いだった。

 しかし、今はその藁をつかむしかない。


【……ふうん。それはかなりレアなケースだね】

【やっぱり難しいかしら。でも、あなたにしか頼れないわ】

【できないとは言っていないよ。それに、僕が引き受けないと『歌姫』が困るんじゃない?】

【ちょっと待って、どうしてそれを知っているの】


 思わずスクロールの手が止まる。

 この会話をしているときも複雑な気持ちになったが、こうして読み返してみてもやはり相手の得体の知れなさに胸がざわつく。


【そういううわさを聞いたのさ】

【噂?】

【『歌姫』の声を手に入れた彗星カラスがいるって】


 ふと、宇宙港での遭遇を思い出す。

 あの彗星カラスのことだ。歌姫の声を手に入れたと自慢げに言いふらす様子が容易に目に浮かぶ。それだけではなく、あのカラスを目撃した誰かが個人的に、あるいは公に情報を発信している可能性も考えられる。

 その状況を放置すれば、今後のフィオンの歌手活動にさしつかえる可能性だって出てくるだろう。

 しかし、エイサはこの頃から相手の態度にイライラし始めていた。


【ところで『歌姫』って誰? 可愛いの?】


 そのメッセージを読み返し、エイサはため息とともに顔を手で覆った。

 まさか、全宇宙で有名な歌姫のことも知らないだなんて。研究漬けもここまでくると度が過ぎている。

 そもそも、エイサはユユの連絡先を聞くために何人もの同級生に連絡を取るはめになったのだ。これではまるで隠居した者を相手にしているようではないか。


【……ええ。驚くほど可愛いわ】

【ふーん?】

【小柄でほっそりしていて、ちっちゃくてお人形さんみたい。おまけに性格もいいし、とても礼儀正しいわ】

【へえー】

【もちろん歌だってうまいの。とても美しい声なのよ。彼女が歌えば大気が揺れ、星がまたたき、空が七色に染まる。そうだわ、ライブの映像を送りましょうか】

【あ、いらないや】


 思わずメッセージ記録から目をそらし、エイサはやれやれと首を横に振った。

 宇宙で一番有名な歌姫を知らないユユもユユだが、自分も自分だ。

 このやり取りをしていたのは宇宙船の中だった。

 いくら顔には出さぬよう気をつけていたとはいえ、隣にフィオンが座っているというのに素知らぬ顔でこのやり取りをしていた自分が滑稽で仕方ない。

「……なにをやっているのかしらね、あたし」

 思わず天井を仰ぐ。

 これがぼやかずにはいられるものか。


 ユユからの会話記録はそこで止まっていた。

 そのあとにエイサが何度か書き込みをしているが、それに対する反応はない。

 データの更新を行ってみるが、やはり新しいメッセージは届いていないようだ。

 エイサは短い金髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。

 まさか、ここまで話しておいて興味を失ったなどとは考えたくないが、気まぐれなユユのことだ。どう思っているのかなどわからない。


 ふと、学生時代のことを思い出す。

 ユユが誰かと一緒にいる姿を見た記憶がない。

 いつも独りで図書室の最奥の薄暗い席に座り、分厚い『宇宙動物図鑑』を読んでいた。白かったはずの表紙はすっかりあめ色に変わり、それはユユの手垢のせいだと噂された。

 学校の生徒たちは誰もその図鑑を触りたがらなくなり、ついにはユユが卒業するときに学校が引き取りを要求した。

 しかしユユは答えたという。「いりません。すべて頭に入っているので」と。


 どれほど変わり者だったとしても、今フィオンを救うことができるのはユユの他に思い浮かばない。

 もしこのまま連絡がつかないようであれば、また次の手を考えなくては。


 そのとき、どこかから聞こえた水音がエイサの思考をさえぎった。

 ような、そんな音だった。

「……なにかしら」

 胸騒ぎを覚え、エイサは部屋を出る。

 自然と足が向かった先は、フィオンに貸している部屋だった。

 ノックをしてみるが、返事はない。

 そっと扉を開けてみると、部屋の中にフィオンの姿は見当たらなかった。


 バルコニーへ続く窓が大きく開き、カーテンが揺れている。

 不自然な場所へ椅子が出され、その隣にフィオンの靴が見えた。

 エイサはバルコニーへ走り出て水面を覗き込む。


 水中に、青い魚が見えた。

 その魚は夜の闇を溶かした水の中でも青い光を放っているように美しく、透き通ったひれが大きく揺らめいてふんわり広がっている。

 魚はぐんぐん水底へ沈んでゆく。

 逃げるように、遠ざかるように、あるいは別れを告げるように。

 それが魚などではないと気付いた瞬間、エイサは湖へ跳び込んだ。

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