第二章 明星

01.湖畔の屋敷

 到着を報せる電光掲示板は、やはり聞いたことのない惑星名を繰り返していた。

 流れてくるアナウンスにも耳慣れない言語が混じっている。

 エイサによれば、それはこのあたりの銀河系独自の言語で、あまりにも辺境にあるためにどこからも侵略されず、比較的平和な環境で独自の文化が成熟した結果そのような言語が生まれたのだという。


 地図を見せてもらったが、ここが宇宙のどのあたりなのかもわからない。

 ワープ航法を連続で使う航路のため、このような辺境でも適切な便さえ選べば短時間で来られるのだと説明を受けたが、残念ながら難しい話がするすると頭に入る状態ではなかった。


 出発した惑星では深夜だったが、到着した惑星では昼間の時間帯らしく、恒星の光が惜しみなく地上を照らしている。

 着陸した場所は宇宙港と呼ぶにはあまりにも小さく、建物さえなく、むき出しの地面がそのまま発着場になっていた。

 先ほどまでフィオンたちがいたカルペディエム宇宙港とはまるで違う。

 あたりを見回しても、整備士が4、5人ほどいるだけだ。

 宇宙船はエイサとフィオンだけを降ろし、またすぐに次の惑星へ飛び立っていった。


 二人はそこから歩いて移動をした。

 敷地の門の横に座っていた男性が、のんびりと声をかけてくる。


「**、*****。*********〔おや、エイサ先生。お早いお帰りで〕」

 音の響きからして、さきほど宇宙船の中で聞いたのと同じこの惑星独自の言語だろうか。

 言葉がわからずに戸惑っていると、エイサが返事をした。

「****。************〔ただいま。ちょっと予定が変わったの〕」

 どうやら顔見知りのようだ。二人はそのまま話し続ける。

「**、*********? ***********〔おや、そちらのお嬢さんは? 先生もすみに置けないねえ〕」

「****、*********。**********〔やあねえ、そんなんじゃないわよ。ちょっと仕事の関係でね〕」


 エイサと男性がフィオンに視線を向ける。

 おそらく自分のことを話しているのだろうと思い、フィオンは男性に会釈をした。

 男性もにこにこと笑って会釈を返してくれる。

「******************************〔都会の星から来たお嬢さんはみんなおしゃれで可愛らしいねえ〕」

「**********、*************?〔そんなことを言ったら、奥さんと娘さんたちに怒られるわよ?〕」

「******、***〔それもそうか、ハハハ〕」


 会話の内容はわからないが、二人の口調から他愛もない世間話だろうと察しがつく。

 エイサの表情は、今までフィオンが見てきたものよりもよりもずいぶんリラックスしているようだった。

「*******。***〔そろそろ行くわ。またね〕」

「**、******〔おう、気をつけてな〕」

 見送るように男性が手を振ったので、フィオンはもう一度会釈をした。


   ◆ ◆ ◆


 宇宙港の敷地を離れながら、ふと、フィオンは自分の髪が見えていないか心配になった。

 帽子の具合をたしかめ、髪を包んでいるストールの具合をたしかめる。

「ここでは髪を出しても大丈夫よ。良くも悪くも田舎なの」

 エイサはフィオンがかぶっている中折れ帽をひょいと持ち上げ、自分の頭にかぶせた。


「もちろん、宇宙でもっとも有名な歌姫の名前くらいは聞いたことがあると思うわ。でも『どこか遠い星のアイドル』くらいの認識なのよね」

 フィオンは緊張を吐き出すようにふうっと深呼吸をした。

 この惑星の環境は、普段のフィオンの生活とはあまりにもかけ離れているが、ここなら誘拐される心配もファンが押しかける心配もなさそうだ。


 二人は長い一本道を歩いていった。

 エイサが旅行鞄のキャスターをごろごろ鳴らしながら運んでゆく。

 その隣を、フィオンはエイサの鞄を抱えて歩く。

 空には二つの衛星ほしが浮かんでいて、恒星の光を受けて白く透けているように見える。


 低木の林にさしかかると、透明な葉をもつ植物があった。枝という枝に色とりどりの実がなり、光を浴びて宝石のように輝いている。

 そのなかを、丸い胴体に透明な羽のついた生き物が飛び交う。


 林を抜けると一気に視界がひらけた。

 足元はやわらかい草地になり、一面の花畑に覆われている。

 フィオンは目を輝かせて走り出す。

 くるくると回り、髪に巻いていたストールがほどけ、中から彼女の青みを帯びた長い髪がこぼれ出す。その青が光を反射してきらきらと輝く。彼女の姿はまるで巨大な蝶が舞っているかのようだった。

「ふふ、気に入ってもらえてよかったわ」

 エイサが笑う。


 花畑の奥には大きな湖があった。

 水の中には星のように光る魚が泳いでいるのが見える。風はなく、波は穏やかだ。

 ――ああ、ここはなんて賑やかなのだろう。

 フィオンはそう思った。

 森から聞こえる鳥のさえずりが、吹き抜けてゆく風の音が、揺れる草花のささやきが、湖を跳ねる魚の水音が、まるで音楽のようだ。


 湖のほとりには大きな屋敷があった。

 三階建の造りで、白色のモルタルが塗られた壁に出窓がついている。そして、三階部分のバルコニーは湖の上へと大きくせり出していた。

「ようこそ、あたしの仕事場へ」

 そう言ってエイサが微笑む。

 フィオンは驚いた。

 どこへ向かっているのかと思えば、まさか彼自身の家に招待してもらえるとは。


「もともとは金持ちの別荘だったんだけどね、誰も使う人がいなくなったからって安く譲ってもらったの。いいところでしょ? 辺鄙なところだけど景色だけはいいの。……うん、そうね。景色を買ったようなものよ。本当はこんなかたちで招待するつもりではなかったのだけれど……」

 エイサが言い終わる前に、フィオンは慌ててシリウス・ペンを走らせる。

『ご迷惑をおかけして、ごめんなさい』

 彼は困ったように笑った。

「そういう意味ではなくて、そうね……宇宙でもっとも有名な歌姫を、せめてもう少しきちんとご招待できればよかったなと思うわ」


 緑青ろくしょう色の扉を開けると、奥まで廊下が続いていた。

 一階は、手前にキッチンとバスルームや洗面所などの水場、その奥にダイニングと客間が廊下を挟んで向い合せにあると説明された。

 二階は仕事場になっており、三階は空き部屋ばかりなのだという。

 エイサはフィオンを三階の部屋に案内した。

 廊下の奥にあるその部屋はとても日当たりのいい場所で、使っていないわりにはとても清潔に保たれている。


「あたしはまだやることがあるから、ゆっくり休んでいてね」

 そう言うと、エイサは部屋を出て行った。


   ◆ ◆ ◆


 案内された部屋は、ちょっとしたホテルの一室と同じくらいの広さがあった。

 内装はシンプルながら美しい印象を受ける。

 床には明るい色の木の板が敷き詰められ、その上に大きなラグマットが敷かれている。壁にはクラシカルな色調で植物が描かれ、部屋の中央にはティータイムにぴったりの可愛らしい丸テーブルがひとつ。


 壁には大きな鏡が埋め込まれ、その前は棚のようになっている。その造りから、身だしなみをするために造られた場所だとわかる。かつてはここで美しい娘たちが化粧をしていたのだろうか。

 鏡のそばやベッドサイドには蓄光石を荒く削り出した大きなランプがいくつも置いてあり、スイッチを入れたらほんわりと光が灯った。

 バスルームや洗面所、クローゼットまであり、至れり尽くせりだ。


 部屋の奥には大きな硝子がらすの扉があり、その向こうにバルコニーが見えた。

 そっと扉を開けてバルコニーへ出ると、爽やかな風がフィオンの髪を揺らす。真下には湖が広がっており、水面を渡ってきた風は少しひんやりしていた。


 フィオンは荷物の中から情報端末を取り出した。

 そして、一件のメッセージが届いていることに気付く。

 そこに書かれていた言葉を見て、フィオンは自分の目を疑った。

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