08.嘘の答え合わせ

 混雑から遠ざかり、エイサはフィオンを連れて手頃なエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが昇ってゆくにしたがって、少しずつ緊張がおさまってゆく。

 案内板の上にはまだ彗星カラスの姿があった。

 さきほどよりも人だかりができているようだが、観衆はカラスに気を取られ、フィオンに気付いた者はいないようだ。


 もしこのまま声が出なければ、宇宙でもっとも有名な歌姫はいずれひとびとから忘れ去られてしまうかもしれない。

 そんな考えがふと頭をよぎり、固く握ったフィオンの拳が震えた。

 ちらりとエイサに視線を向けるが、彼は彗星カラスと話してからずっと難しい顔で考え込んでいる。


 最上階は展望台とレストランになっている。二人はそのひとつ手前の階で降りた。

 エレベーターの扉が開くと、その先にいくつもの分岐が続いていた。それぞれの通路が、それぞれの宇宙船へと繋がっている。

 ライトグレーで統一された通路はどこか無機質に、二人を搭乗口へと導いていた。


 渡されたチケットには聞いたことのない銀河の名前が印刷されていた。

「かなり地方だけど、案外アクセスがいいの。とてもいいところよ」

 そう言われ、フィオンはあいまいに頷く。


 二人が乗る宇宙船の大きさは、地方の惑星にあるコンサート用のドームと同じくらいの大きさだった。大勢を乗せて宇宙を移動する乗り物としては小さい部類かもしれない。

 船内に乗り込むと、行き先を告げるアナウンスが20種類ほどの言語で流れていた。そのひとつひとつに注意深く耳を傾けるが、どれも聞いたことのない地名ばかりだ。


「ここだわ」

 エイサが示したのは、明らかに高級ランクのシートだった。

 二人分の席が並んでおり、その他の客席とのあいだには仕切りがある。小さいながら個室のようだ。


 何かの間違いではないかと思ったが、チケットを見るとたしかにその座席番号が書かれている。席に腰かけると、フィオンの体が半分ほど沈んだ。

 窓はないが、閉塞感を与えないように機体の壁にモニタが埋め込まれ、美しい風景が映し出されている。三十秒ほどで切り替わるそれらの景色はどれもこの惑星の観光名所のようだったが、フィオンは未だにそのどこへも行ったことがなかった。

 食事のメニューはどれを頼んでもチケット代に含まれていると説明された。何か注文するかと聞かれたが、とても食事をする気にはなれなかった。


 まもなく出発だという機内アナウンスが入る。

 ふいに、エイサが尋ねた。

「ねえ歌姫。……本当に、あたしと一緒に来てしまって良かったの?」

「……?」

 質問の意味がわからず、フィオンは注意深くエイサの表情をうかがう。


 どうやら彼は慎重に言葉を選んでいるようだった。今までよりも少しゆっくりめの口調で続ける。

「もしかしたら、あたしは悪者かもしれないわよ。あのカラスが言っていたように、あなたを利用するつもりだったらどうするの?」


 フィオンはシリウス・ペンを取り出した。

 答えることはすでに決まっている。

『それでも構いません』

 光の文字は、宇宙船の中でもしっかりと形を成した。

 その文字を確認し、エイサは小さくため息をついた。それは安堵だったのか、それとも呆れだったのか。彼からしてみれば警戒心の薄い小娘に見えたのかもしれない。


「……そう」

 濃いブラウンの瞳がよりいっそう影を増し、恒星の光が届かぬ宇宙の深淵を思わせる。

 彼が何を想っているのか、フィオンには読み取ることができなかった。

「もうひとつだけ聞かせて。……カラスに声を渡した経緯を教えてくれる?」

 その質問に、フィオンは肩を震わせた。

 エイサもそれに気付いたようだが、それでも彼は問いを重ねる。


「いつ、どのようにして声が入れ替わったの?」

「…………」

 フィオンは自分の手元を見つめた。

 シリウス・ペンがかすように淡く光っている。

 どうせこの話題は避けて通れない。ならば、早いうちに話してしまったほうがいい。

 ペンを空中に構え、ひとつひとつ状況を思い出しながら、少しずつ文字を書いてゆく。

『エトワールさんが私の部屋にいらっしゃった直後、部屋の外でコツコツという音がしました』

 そのような書き出しで、フィオンは思いつくままに説明を続けていった。


 窓の外を見たら、彗星カラスがいたこと。

 とても人に慣れている様子で、窓を開けたら部屋の中に入ってきたこと。

 カラスに話しかけていたら、のどに痛みが走ったこと。

 自分の口からカラスのような声が出て、カラスの口から自分の声が出たということ。

 そのままカラスは窓の外へ出ていってしまい、入れ違いのように誘拐犯がやってきたということ。


 白く浮かび上がる文字の羅列は、書いた端からゆっくり消えてゆく。

 エイサは手持ちの情報端末を広げ、フィオンの言葉をひとつひとつ丁寧に入力していった。マネージャーのグリーズに連絡するのかもしれない。

「彗星カラスって、さっきのアレよね」

 フィオンはこくりと頷いた。

「話しかけただけで声が入れ替わってしまったの?」

 確認するように、エイサが問う。

 その質問に、一瞬詰まる。

 そして慌てて頷いた。

 嘘はついていない。


 引き金となったのはおそらく言葉だ。

 ――あなたに私の声を上げることができたら。

 フィオンは彗星カラスにそう言ってしまった。あの言葉さえなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。


 本当はエイサだって、先ほどのカラスとの会話で察しがついているのではないだろうか。

 それでも、フィオンは自分から言い出すことができなかった。

 エイサは危険をかえりみずに誘拐犯から助け出してくれた。

 そんな彼に、気まぐれでカラスに声を渡してしまったなんて知られたら、見放されてしまうかもしれない。

 ――どうか、これ以上は何も聞かれませんように。

 そんな身勝手なことを祈る。


「……わかったわ。教えてくれてありがとう」

 エイサの声が聞こえた。

 それだけ言うと、彼はまた情報端末の画面に視線を向けてしまった。


 フィオンは呆気にとられる。

 彼はこの荒唐無稽な話を信じたというのだろうか。信じるにしても、フィオンがカラスに対して何を言ったのか気にならないのだろうか。

 尋ねたのはあくまでグリーズに報告するためで、もともとフィオンに対しては興味がなかったのかもしれない。あるいは、フィオンが真相を話していないことに気付いて見放したのかもしれない。


 考えれば考えるほど胸が締めつけられるように苦しくなり、気がつけばフィオンはシリウス・ペンを走らせていた。

『どうして、エトワールさんは私を助けてくださったんですか』

 エイサは情報端末を入力する手を止め、その文字を一瞥した。

 そして、「んー、」と小さく唸り、物憂げに頬杖をついた。


「どうしてだと思う?」

「…………」

 思いがけない返しにフィオンは困惑する。

 宇宙船が出発するというアナウンスが入り、安全ベルトで体を固定するようにと言われる。

 機体が振動し、外からエンジンの轟音が響く。

 やがて推進力による重圧がかかり、浮遊感が体を包んだ。


「実はねえ……」

 エンジンの音がひときわ大きくなり、エイサはただ静かに微笑んだフィオンを見つめていた。彼のブラウンの瞳は、いたずらっ子が笑っているようにも見えたし、深い悲しみを抱えているようにも見える。

 フィオンは彼から目が離せなくなる。

 ――この人は今、何を考えているのだろう。私に対してどんな思いを抱いているのだろう。

 宇宙船が惑星の重力を振り切り、大気圏を抜け出すと、ようやく機内に静けさが戻ってきた。


「結局のところ、あたしが一番早かったのよ」

 口の端を上げて、エイサが言った。

 その瞳には先ほどまでの雰囲気はなく、つんと澄ました表情になっていた。

「防犯カメラと聞き込みであなたの居場所は特定できたのだけど、警察が動くには時間がかかり過ぎた。それに、の意見もあったから充分な勝算はあったの」

 専門家、という言葉の意味するところが気になったものの、彼はそれ以上話す気がなさそうだった。


「さあ、話はこれでおしまい。少し休んだほうがいいわよ。酷い顔色をしてる」

 そう言って彼は自分が着ているスーツの上着を脱ぐと、そっとフィオンにかけた。ほのかに清涼なコロンの香りがした。

 そんなことをされてはそれ以上何かを聞くこともできず、フィオンは大人しく黙ったまま、考える。

 エイサから与えられた答えは、フィオンが欲しがっていたものとは違っていた。

 彼のことだから、おそらくを口にしたのだろう。

 だからといって、がっかりするのは間違っている。


 その理由には心当たりがある。

 おそらく彼はフィオンが隠し事をしていることに気付いている。だから彼も適当にはぐらかした答えしかくれないのだ。

 ――そもそも自分は、一体どんな答えを期待していたのだろう?

 胸に苦い思いが広がり、フィオンはさらに深く思考の中に沈んでいった。

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