07.共犯者

 カルペディエム宇宙港は多くの利用客であふれていた。


 エントランスは見上げるだけで首が痛くなりそうなほど高い吹き抜けになっていて、数えきれないほどのエレベーターが客を乗せて休みなく運び続けている。

 施設の規模としては中程度だが、乗り換えをするのに便利なこともあり、この宇宙港を利用する者は多い。


 様々な星からの利用客が集まってきているようで、エイサやフィオンのような二足歩行型の者もいれば、十本以上も足がある細長い者、透明で大きな体の者、羽根で飛びながら移動する者、泡が集まったような形の者、岩のような外見の者、金属のような光沢を持つ者など、千差万別の種族が行き交っている。

 この惑星にとっては深夜の時間帯だが、今まさに他の惑星から到着した宇宙船やそれに乗ってきた者たちにとっては、それも時差でしかないようだ。


 目がくらむような混雑の中を、エイサは足早に進んでゆく。

 フィオンも遅れまいと必死に歩くが、時折足がもつれそうになる。

「手を引いた方がいいかしら」

 エイサにそう言われ、フィオンは慌てて首を横に振った。

 ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上彼の手をわずらわせるわけにはいかない。

 そう、と呟いてエイサは差し出しかけていた手をまた降ろした。


 そのとき、フィオンは彼の手の甲にうっすらとうろこのような模様が入っていることに気付いた。それはうっすらと虹色に透けていて、とても綺麗だ。

 少しのあいだ、フィオンはその手から目を離せなくなった。

 何の気兼ねもなくエイサの手を取ることができていたなら、どんなに良かっただろうか。もし自分が彼に対して何の引け目も感じていなかったなら――。

 そう考えるだけ哀しくなり、フィオンはふいと視線を逸らした。


   ◆ ◆ ◆


 窓口に到着すると、エイサは慣れた様子で二人分のチケットを購入した。

 行き先はすでに決まっているようだ。


「フィー?」

 そう声をかけられて、フィオンは顔を上げた。

 窓口の近くに、顔見知りの女性が立っていることに気付く。フィオンが所属する事務所のスタッフだ。

 エイサもそれに気付き、会釈をする。どうやらここで落ち合う手筈てはずになっていたらしい。

 フィオンは小走りで彼女に駆け寄った。


「無事で本当に良かったわ」

 彼女はフィオンの顔を見て安心したように微笑み、背中に生えている4枚の羽根を嬉しそうに広げ、6本の腕でフィオンを抱きしめた。

 そして、脇に置かれていた大きな旅行鞄を渡す。

「あなたの荷物を持ってきたわ」


 声が出なくなってしまったことをどう伝えようかと悩んでいると、エイサが鞄を受け取ってスタッフに話しかけた。

「お忙しい中、わざわざありがとうございます」

「エトワール先生。このたびのご協力にはスタッフ一同深く感謝をしております。危険をかえりみずにフィオンを助けてくださったばかりか、保護まで引き受けてくださって、本当に――」


 それを遮るように、エイサが首を振った。

「本当にごめんなさい。搭乗時間までギリギリなの。また今度ゆっくりお話しさせてくださいね」

「……あら、失礼しました。どうかフィオンをよろしくお願いします」

「ええ。ミスター・グリーズにもよろしく。落ち着いたらこちらからも連絡します」


 手短に会話を切り上げたエイサは、フィオンを連れてそっとその場を離れた。

「大丈夫よ。落ち着いたらまたゆっくり話せばいいわ」

 エイサの言葉に、フィオンは少し迷ってから頷いた。

 彼はさっきからずっと早足で歩き続けている。時間がないというのはおそらく本当だろう。


 声を失ってしまった経緯を短時間で説明するのは難しいように思えた。中途半端な説明をすればかえってスタッフを心配させてしまう。

「まるで共犯者にでもなった気分ね」

 そう言ってエイサが少しだけ笑う。

 それにつられて、フィオンも表情を緩めた。


 目が回るほどたくさんの案内板がある中を、彼は迷うことなく進んでゆく。旅行鞄はエイサが引き受けてくれたので、フィオンは彼のビジネスバッグを抱えて歩く。

 キャスターの転がる重い音が、寄り添うように響いている。


 そのとき、黒い影がふわりと視界を横切った。

 とっさに視線で追うと、影はふわりと上昇して二人の頭上をゆっくり旋回した。かと思えば、からかうように急降下する。

 エイサが素早く前に出てフィオンをかばうと、影はふたたび上昇し、案内板の上にぴたりと止まった。

 それはまさに今からフィオンたちが向かおうとしている行き先が書かれた看板で、なにか不吉なことの始まりを暗示しているようだった。


「お前さァ、逃げてんじゃねーよ。大人しく捕まっとけよ、クソがァ」

 その声に、フィオンは背筋が凍った。

 案内板の上から彗星カラスの双眸そうぼうがじっと見下ろしている。

 その口が開かれたと思うと、次々と下品な言葉が飛び出した。


「あーあァ。あいつら失敗しやがってダセェなァ。小娘たった一人捕まえておくこともできねぇのかよ。図体ばかりでかくてどいつもこいつも愚図グズどもめ。せっかくこの俺様が手伝ってやったのに、無駄骨になっちまったじゃねぇかァ」

 カラスのくちばしから発せられるのは、間違いなくフィオンの声だ。

 強いめまいと吐き気にめまいがした。


「……どういうことなの?」

 エイサがフィオンと彗星カラスを交互に見る。

 カラスはわざと神経を逆なでするように耳障りな笑い声を立てた。

「そもそもお前は誰だァ? 俺様の獲物を横取りすんじゃねぇよ、クソ野郎がァ」


「あたしは彼女の連れよ。……さぁ、次はあなたの番。答えてちょうだい。あなたは彼女とどんな関係なの?」

 そう尋ねられ、彗星カラスはふふんとふんぞり返った。

「俺様はそいつと声を交換した熱い仲なんだぜ。その様子じゃァ何も聞かされてねぇんだな。一緒にいるわりに信用されてねぇんだなァ、お前よォ」

 フィオンの声が、容赦なくエイサをののしる。

 そのことに耐え切れず、フィオンは耳をふさぎ、その場にうずくまった。それでも、その声は容赦なく指のあいだをすり抜けて鼓膜を揺らす。


 しかし、エイサは顔色ひとつ変えることなく答える。

「あら残念ね。あなたの予想は大外れだわ。彼女はあたしのことを信じるって自分から言ってくれたのよ」

 フン、と彗星カラスは小馬鹿にしたように笑う。

「どうせうまいこと言いくるめたんだろ? そいつはとんだ阿呆のお人好しさァ。気安く声を交換しちまうし、お前のような悪い奴に騙されてホイホイついていくような阿呆だなァ」

「お生憎様あいにくさま。あたしは彼女を騙すつもりなんて微塵もないし、声については……」


 そう言いかけて、エイサは何かに気付いたようにフィオンを見た。

 何かを確かめるような、あるいは問いかけるような視線。

 しかし、次の瞬間にはもう、彼は彗星カラスのほうを向いていた。

「……何か、があったのでしょうね」


 そのまま彗星カラスを真っ直ぐに見据え、エイサは言葉を続けた。

「でも、話してくれないからといって信用されていないとは思わない。ただそれだけのことよ。おわかり?」


 エイサを相手にしては勝ち目がないと判断したのか、彗星カラスは矛先を変えた。

「おい小娘よォ。お前だって本当にそいつを信じていいのかァ? その小悪党は宇宙で一番有名な歌姫を利用したいだけだぜ。笑わせてくれるねぇ。歌えねぇお前にはもう価値なんてねぇのになァ」


 カラスの声が鼓膜を揺らすたびに、ひどいめまいがする。

 それでも、フィオンは震える足で立ち上がった。頭がくらくらして倒れそうになるが、どうにか床を踏みしめる。

 今ここで何もしなければ、後悔してしまう。

 フィオンは彗星カラスに向かって両手を差し出し、次に自分ののどを指した。

「ケッ、声を返してくれってか?」

「…………」

 フィオンはこくりと頷き、深々と頭を下げる。


 しかし、彗星カラスはふんと言い放った。

「嫌だね。お前のせいで俺様の取り分がパァになったんだぜ? お前をみつけるためにどれだけ窓をつついたと思ってやがる。おかげでくちばしの先が減っちまったじゃねぇかァ。これくらいのうまみがなきゃァ、やってらんねぇよ」


 フィオンは何度も同じ動作を繰り返してはカラスに頭を下げる。

 しかし、カラスはそれを見てせせら笑うばかりだった。

「そもそもお前、もう二度と歌いたくねぇんだろう? だから俺に声をくれたんだよなァ?」


 その言葉に、フィオンの動きがぴたりと止まる。

 虚言だとわかっていても、そうとは言い切れないわだかまりがフィオンの心の中にあった。

 これは罰なのだろうか。

 あのときに、歌うことができなかったから――。


「……そうだァ、いいことを思いついたぞ? これからは俺様がお前のかわりにこの声で儲けてやるよ。手始めにここで即興のコンサートでも開くかァ」

 カラスは機嫌良さそうに笑い、羽根を震わせて「あー、あーー」と声を立てた。

 その声に気付き、周囲の者たちが何事かとこちらを気にし始める。ざわめきに混じって「えっ、フィオン?」「フィオンちゃんの声だ!」という声まで聞こえてくる。

 フィオン・フィオナ・フェクタは宇宙でもっとも名高い歌姫だ。その彼女がこんな場所にいると知られたら、たちまち大衆が押しかけて大騒ぎになってしまうだろう。


「ここを離れましょう」

 エイサがそっとフィオンに声をかける。

「…………」

 フィオンはカラスをちらりと一瞥し、唇をきゅっと噛む。

「大丈夫よ、チャンスはまだある」

 その言葉を信じて、フィオンは頷いた。


 エイサに手を引かれ、人混みに紛れるようにその場を離れる。

 それでも、彗星カラスの嘲笑うような声が、いつまでも耳にこびりついていた。

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