06.あなたを信じます

 エイサはフィオンに向き直り、手短に状況を説明した。

「犯人たちはじきに逮捕されるわ。監視カメラにも映っているし、マンティスアイ・カメラの映像も証拠として提出するから言い逃れもできない。警察への対応はすべてミスター・グリーズがしてくれているわ」


 窓の外ではめまぐるしいほど景色が流れている。

 事務所のスタッフの運転よりもずいぶん速く感じるが、今はそのスピードが恐怖心を置き去りにしてくれているようでありがたかった。

 情報端末を手早く操作しながら、エイサは話を続ける。


「あのあたりって街中が監視カメラだらけなのね。ミスター・グリーズはそれを知っていてあのホテルにしたみたいだけど、まさか犯人が壁伝いにくるとは盲点だったでしょうね」

「…………」

 フィオンは頷いた。

 いくら獣人の身体能力が高いとはいえ、誰も建物の7階から連れ去られるだなんて思わなかったはずだ。


「……それから、これはあくまで可能性の話だけど、彼らには仲間がいるかもしれない」

 それを聞き、フィオンはきゅっと手を握りしめた。

 あの三人の他にも共犯者がいる可能性は想像がつくが、いざ言葉にされると不安がつのる。

「警察に保護してもらうという手もあるけれど、かえって目立つでしょうね。……彼らの犯行はとても手際が良かった。もしがあれば、あなたを守り切れるとは限らない」


 状況を想像するかのように、エイサは目を伏せる。

 その意見にはフィオンも同意だった。本来あのホテルは警備もしっかりしているし、誰がどの部屋に宿泊しているかなど、それこそ、わかるはずがない。


 フィオンが考え込んでいると、ドゥドゥが陽気に声をはずませた。

「そんなわけで、いっそのことエイサ先生がフィオンさんを安全な場所へさらってしまおうと思ったわけですよ」

「ちょっとドゥドゥ、誤解を招く表現はやめてちょうだい」

「先生がおっしゃると冗談に聞こえないかと思いまして。僭越ながら代弁させていただきました、エヘヘ」

「言ってくれるわねえ」


 こほんと咳払いをして、エイサは気を取り直すようにフィオンを見た。

「……というわけよ。もちろんあなたのマネージャーのミスター・グリーズには許可を取っている。わかったかしら、お姫様?」

 フィオンはしっかりと頷き、まっすぐにエイサを見つめた。

 さまざまな事情があるとはいえ、エイサが危険な場所へ乗り込んで助けてくれたことには変わらない。

 そして、今もなお助けようとしてくれている。


 ――感謝の気持ちを伝えたい。

 それなのに、声を出すことさえままならない。

 もどかしい状況をどうすることもできず、フィオンはそっとのどに触れた。

 それに気付いたのか、エイサが尋ねる。

「歌姫、あなたさっきから一言もしゃべらないのね。もしかして、のどを傷めたの?」

「…………」

 フィオンは身振り手振りで説明をしようと試みた。

 とはいえ、あまりにも複雑な状況をどう伝えればよいのかわからない。


「まさかあいつら、あなたに何かしたの?」

 その問いに、フィオンは慌てて首を横に振った。

 彼がすぐ助け出してくれたため、奇跡的にかすり傷ひとつない。

「……それなら、もしかして精神的な……」

 そこまで言いかけて、エイサはひどく深刻そうな顔で口をつぐんだ。


 見かねたのか、ドゥドゥが助け船を出す。

「シリウス・ペンを貸して差し上げてはどうです? ほら、こないだ試供品でもらったやつがあったでしょ」

「そうね。いいアイディアだわ」

 エイサはシートに置いてあった鞄を開け、その中からペンを一本取り出す。

 胴体部分が透明な素材で作られていて、指先でペンをくるりと回転させるとペン全体が白い光を帯びた。


「いいこと? よく見ているのよ」

 お手本を示すように、エイサが空中にペンを走らせる。

 それに合わせてペン先から白い光がふわりと空中に浮かぶ。

 その光は一本の線になり、さらに文字となり、空中に留まった。

 美しい形のその文字をフィオンはどこかで見たことがあるような気がしたが、思い出すことはできなかった。きっと遠くの惑星の言語なのだろう。


 光の文字は数秒その場に残り、やがて蜃気楼のようにすっと消えていった。

「声が出るまで持ってなさい」

 ペンを受け取り、フィオンはお辞儀をした。


 ためしに最初の一文字を書いてみると、ペン先から光が出て、そのまま空中にとどまった。不思議な感覚に驚きながらも、事実を正確に伝えようとペンを走らせる。

 フィオンが手を動かすたび、また一文字、スカイ・モービルの中に光の文字が増えてゆく。

 その様子を、エイサはただ静かに見つめていた。


 最初の一文を書き上げてみれば、それはあまりにも味気のない文章だった。

『彗星カラスに、声を渡してしまいました』

 それを読んで、エイサが顔をしかめる。

「……どういう意味?」


 どのように説明しようかと考えていると、運転席からドゥドゥが尋ねた。

「先生、フィオンさんはなんて書いたんです?」

「彗星カラスに声を渡してしまいました、ですって」

「なぞなぞかな」

「わざわざなぞなぞにする意味なんてないでしょ」

「そりゃそうですが……ん、ちょっと待った」


 ドゥドゥは鼻先をひくひくと動かした。

 それに合せて長いひげが揺れる。

「言われてみれば、たしかにフィオンさんから少しだけカラスのにおいがします」

「あら、本当?」


 最初から順を追って話さなくては。

 そう思い、フィオンはペンを握り直す。

 しかし、エイサがそれを止めた。

「長い話になりそうね。詳しくはあとで聞かせて」

 窓の外に視線を向けると、カルペディエム宇宙港うちゅうこうが見えた。


 たくさんの直方体を複雑に組み合わせたようなその建物は、宇宙にむかって高くそびえ、暗闇の中でぼんやりと光っていた。

 壁からは幾筋もの光がまっすぐ宇宙へ伸びていて、着陸しようとしている宇宙船を誘導している。大きさも形状もさまざまな宇宙船が、その光に導かれるように宇宙港の周囲へ集まり、あるいは次の目的地へむかって飛び立とうとしていた。


「今から私と一緒に宇宙船へ乗って欲しいの。信用してくれていいわ。なんならミスター・グリーズに確認をとってみる? もっとも、あまり時間はないのだけれど」

 エイサの瞳が、たしかめるようにフィオンを見つめる。

 フィオンは迷うことなくペンを走らせた。

『あなたを信じます』


「いい子ね」

 そう言って頷くと、エイサは自分の首に巻いていたストールを取り、それを大きく広げてフィオンの頭へ被せた。

 その意図に気付き、フィオンも素早く髪をまとめてストールの中に包み隠す。


 青みを帯びたフィオンの髪色はとても珍しく、遠くからでもよく目立つ。ましてやこれから向かう場所は大勢が集まる宇宙港だ。

 宇宙で最も有名な歌姫がいると知られれば、たちまち群衆が押し寄せるだろう。

 フィオンが髪をまとめ終えると、エイサが仕上げにその上から中折れ帽を被せた。

 露わになったエイサの金髪が星のように綺麗で、フィオンは思わず見とれる。


 スカイ・モービルを降りると、ドゥドゥが手を振った。

「またお会いしましょう」

 感謝を込めて、フィオンはぺこりとお辞儀をした。

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