04.誘拐犯たち

 床の上に降ろされたフィオンは、布を取り払われて咄嗟に顔をしかめた。

 部屋の明かりが、暗闇に慣れた目を強く刺激する。

 腕はロープで縛られ、錆びついたベッドの足に繋がれているようだ。


 彼女が連れて来られたのは、粗末なアパートの一室だった。

 ここがどこなのか、まったく見当がつかない。彼女を乗せたランド・モービルはずいぶん遠くまで走ったようにも思えたし、同じ場所をぐるぐる周っていただけのようにも思えた。


 誘拐犯は三人のようだ。いずれも大型の肉食獣のような印象を受ける体のつくりをしていた。フィオンのような二足歩行型というよりも、獣が後ろ足で立ち上がった姿を彷彿とさせる。

 彼らはギラギラとした目つきでフィオンを見下ろしていた。


「*******〔うまくいったな〕」

「**〔ああ〕」

「*************〔さて、身代金を要求してやるか〕」

「******〔いくらにする〕」

「***********〔最初に目玉の飛び出るような大金を吹っかけてやれ〕」

「***********〔あまりにも高額では交渉決裂になるかもしれないぞ〕」

「**************〔殺す、と言えば相手も交渉に応じるだろうよ〕」


 彼らは、フィオンにはわからない言葉で何かを話している。

 のどの奥から低い唸り声を上げるような発音だ。語学はある程度かじっているつもりだったが、彼らが何を話しているのかはまったくわからない。

 フィオンはただ部屋の片隅で震えることしかできなかった。


 ――このままどこかへ売られてしまうか、あるいは殺されてしまうかもしれない。

 そう思った途端、深い後悔に包まれる。

 カラスの声でもなんでもいいから、彼らが部屋に侵入してきたときに大声を出せばよかった。そうすれば、誰かが気付いてくれたかもしれないのに。

 こうなってしまったのは自分のせいだ。

 そんな考えばかりが頭を駆け巡る。


 獣人たちのうちの一人が、フィオンの顔を覗き込んだ。

「お前、歌姫か。フィオン・フィオナ・フェクタか?」

 文法がどこか怪しいうえに訛もきつかったが、彼の言葉はどうにか理解できる程度に宇宙公用語の形をなしていた。


「…………」

 一瞬だけ迷い、フィオンは頷くことにした。

 彼らの目当ては『歌姫のフィオン・フィオナ・フェクタ』だ。

 もし他人のふりをしたら「間違えて別人を連れてきてしまった」と思われるだろう。その場合、生きて解放される保証などない。


「お前、マネージャー、名前は何だ」

「…………」

 フィオンは答えようとして口を開きかけたが、またすぐに口を閉じてしまった。

 さきほど声を出さなかったことを後悔したばかりなのに、やはりどうしても自分の口からあの声が出ることだけは耐えられなかった。

 カラスの声を出す自分の姿を想像するだけで全身が震える。


「***************〔怖くて声が出せねぇんじゃないか〕」

「***。******〔ヘヘッ。カワイイねぇ〕」

 他の二人が、また何かを話している。

 言葉の意味はわからないが、その口調や態度からフィオンを嘲笑っていることは伝わってきた。

 どうやら彼らは、フィオンが怯えて声を出さないのだと思っているらしい。


「********〔ホテルに電話しろ〕」

 フィオンに質問をした獣人が、他の二人に何かを言った。おそらくこの獣人がリーダー格なのだろう。

 彼の言葉を聞き、二人が頷く。

 ホテル、という言葉がかろうじて聞き取れた。フィオンが宿泊していたホテルに接触をするつもりなのかもしれない。

 リーダー格の獣人ともう一人は部屋を出て行き、あとの一人が部屋に残る。


 残った獣人は見張り役なのか、椅子の上にどかりと座り込んでフィオンをじろりと睨みつけた。

 慌てて首をすくめてうつむくと、獣人は「フン」と鼻で笑ってテーブルの上に置かれているモニタの電源を入れた。

 モニタの中ではニュースが流れていた。

 アナウンサーが話す言葉は宇宙公用語で、フィオンにも理解することができる。


 フィオンの誘拐事件はまだ世間の知るところではないようで、アナウンサーは「東の星雲にある惑星で大地震が発生した」とか「北方の銀河で連続殺人事件が起きている」とか、「南の惑星群で伝染病が蔓延している」とか、そういったことを淡々と告げていた。

 気がつくと、フィオンはアナウンサーの言葉にじっと耳を傾けていた。


 ――ああ、早く行かないと。

 少しでも早く歌を収録して、全宇宙に向けて配信しないと。

 それからチャリティコンサートも開いて、ステージの上からも歌を届けないと。

 私の歌で慰められる人がいる。私の歌で安心できる人がいる。私の歌で元気づけられる人がいる。そのために私は歌いたい。

 それに、私が歌えばきっとの耳にも入るはず。精一杯の心を込めて歌うから、どうかあのひとに私の歌声を聞いてほしい。

 ああ、早く、歌わないと。


 頭のなかが歌うことでいっぱいになった次の瞬間、フィオンは自分の声が失われてしまったことを思い出し、絶望に打ちひしがれた。

 カラスの声ではだめだ。

 今まで人生をともにしてきた自分自身の声がどうしても必要だ。


 こうなることを知らなかったとはいえ、カラスに声を渡してしまったことをフィオンはひどく後悔した。

 もし私の声をあげられたら、あなたもお話ができるのにね、だなんて。

 なぜ安易にあんなことを言ってしまったのだろう。

 ふたたび歌うためには、ここから逃げて彗星カラスを捜しに行くしかない。


 フィオンは誘拐犯たちの様子をうかがった。

 彼らは部屋の中をせわしなく移動したり、ニュースで流れてくる情報をチェックしたり、なにかを話し合っていた。

 おそらく、身代金が目的なのだろう。

 もしフィオンの活躍を妬む誰かの差し金だとしたら、マネージャーの名前などとっくに知っているはずだし、フィオンをどこかへ売り飛ばすつもりならマネージャーの名前など必要ないはずだ。それに、最初から殺すつもりならとっくにホテルで殺されている。


 連絡用の情報端末はホテルに置いてきてしまった。

 隙を見て外部へ連絡するにしても、ここがどこかわからない以上、助けを求めるのは難しそうだ。獣人たちが全員外出するか眠ってしまえば隙はあるかもしれないが、そんなことがあるだろうか。


 それに、彼らはとても用意周到だった。

 念入りに下調べをし、人目につかず予想もつかぬようなルートでフィオンをさらい、逃走している。

 そのような相手の隙を突くのは難しいかもしれない。


 そのとき、獣人の一人がふとあたりをうかがうように見回した。

「**、*******〔おい、この音はなんだ〕」

 他の二人も何かに気付いた様子で部屋の中を落ち着きなく見回している。

「*****〔嫌な音だな〕」

「********〔頭がくらくらする〕」


 彼らは不快そうに顔をしかめ、やがてそわそわとし始めた。

 一人が耳をふさぎ、それを見て残りの二人も慌てて耳をふさぐ。フィオンは耳を澄ませてみるが、とくに気になるような音は聞こえない。獣人たちのうめき声は聞こえるので、耳に異変があったわけでもなさそうだ。


 とうとう、獣人の一人が音を立てて床へ倒れ込み、もう一人が崩れるような姿勢で椅子に寄りかかった。

 リーダー格の獣人は外へ出ようと扉へ向かったが、途中で力尽きたように壁を背にしてずるずると座り込んだ。


 いったい何が起きているのかわからず、フィオンは呆然とする。

そのとき、ふいにアパートの扉を叩く音が聞こえた。

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