第6話
その日のうちだったか、翌日だったか覚えていない。
俺のダイヤル式のクリーム色の電話が鳴り、出ると、痩せたスズメのような女の子からだった。
「最低ね!」といきなりきたもんだ。
「何が?」
「食べたでしょ、みかん!」と、激烈な調子だ。
「ああ」
「三個も!」
「食った」
「どういうこと? あれ、凄い高いみかんなのよ」
「ああ、そうなのか」
「実家から送ってきた、特別なやつなのよ。それを三個も食べて、皮は枕元に起きっぱなしで」
「喉が渇いてたんだよ」
「なら、水道があるでしょ。もう、最低!」
それだけ言うと、電話は切れた。
俺はしばし、握った受話器を眺めてたもんだ。
みかんなんてものは、段ボールかなんかにどっさり入っていて、コタツかなんかに入りながら好きなだけ食うものだと思っていたが。
酔い覚めの男が三個食ったことで激怒するような、そんなみかんって、あるのだろうか。
今もって、彼女の激怒は、謎だ。
ともかく、その日以降、俺から彼女に連絡することはなかったし、しばらく連絡も来なかった。
沈黙が破られたのは、一月も後だったろうか。
いや、沈黙を破るというのは、正確な言い方ではないな。
材木屋さんの工場の二階に住んでいた俺のポストは、階段を降りたところの軒下にあったわけだが、その中に二本のVHSテープと、ノートを引き破いた短い手紙が入っていたのだ。
手紙には、こんな風に書かれていた。
前にも話したと思うけど、映画監督志望の斎藤さんの作品です
観て下さい
スズメ
ビデオの背には、
「In the Dark」だったか「In the Hole」だったか、そういったタイトルと「Vol・1」「Vol・2」という文字がそれぞれ、油性マジックで書かれてあった。
俺はその《斎藤》という人物について聞いたことはなかった。
いや、あったのかも知れないが、とにかく、記憶にはなかった。
もしかするとだが、あの日、劇場の前で絡んできた《座長》のことかもしれない。
いずれにせよ、いそいそと観たくなるようなビデオではなかったので、ほうっておいた。
そこから、一週間目だったろうか。
いやあるいは、三日目だったかもしれない。
スズメのような女の子から、電話が来た。
「ビデオ、観た?」
「あ、悪い。まだ観てない」
「えー? なんで?」
「なんで、ということもなく」
「どういうこと?」
「いや、観るよ。これから観る」
電話はまた、向こうから乱暴に切られた。
いまにして、ささいなことを思うんだが、通話を終えてから手もとで終話ボタンを押す携帯電話に較べ、フック式の電話機の方が、無礼なやつがいる気がする。
そっと受話器を置くのではなく、指でフックを素早く押すような──そういう乱暴な切り方をするやつが、かつて、たまにいて、いやな気がしたものだ。
そういう、唐突な切り方だった。
スズメのことだ……通話料を《節約》していたのかもしれない。
で、俺は、ビデオデッキにVHSを差し込んだ。
いやはや──すごいものだった。
画像はアナログダビング特有の荒れが出ていて、まるで裏ビデオのようなタッチだ。
覚えている冒頭のシーンを、ちょっと描写してみよう。
どこのものともしれない平凡な河原に、我らがスズメが立ちつくしている。
黒い長袖Tに、ふんわりした黒いスカート──そこから、細い二本の脚が、これまた黒いストッキングに包まれて突きだしている。
脚は肩幅ほどに開かれていて、靴も黒い。
スズメは毛羽だったショートカットで、その頭はあくまで小さい。
カメラはスズメに近寄っていく。
もちろんドリーを使っているわけではなく、カメラマンは手持ちのカメラで石だらけの河原を歩み寄るわけだから、画像は上下にブレる。
スズメは腰のあたりでゆったりと両手を組んでいる。
カメラはそろりそろりと彼女の周りを回る──もちろんその時も、上下に揺れている。
やがて、スズメが空でも見上げるように、頭をもたげる。
カメラはその顔にズームインする。
半開きの口から、スズメのちょっと出っ歯ぎみの前歯がのぞく。
遠い目をしているスズメ──
俺はここまでで、Vol・1をデッキから取り出した。
ため息が出た。
Vol・2を、デッキに挿入した。
どこともしれない、トンネルの真ん中を歩いていくスズメ。
カメラは彼女の後ろ姿を追う。
トンネルは短いらしく、白い馬蹄形の出口に、スズメがシルエットで浮かぶ。
カメラは彼女を追っていく。
ちなみに、Vol・1、2ともに、無音である。
俺は、テープをデッキから取り出した。
で、用事を思い出したので、出掛けた
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