第7話
やがて数日後、痩せたスズメのような女の子から電話。
「ビデオ、どうだった」
「ああ。まあまあだね」
「それだけ?」
「あと、BGMがあると、よかったかも」
「映像がどうかって言ってるのよ」
「いや、映像と音楽は不可分だと思うよ」
「あたしの演技は?」
「ああ。静かな演技だったね」
「それだけ」
「まあ、いちおう」
いつものようにぷっつりと電話が切られた。
我ながら、もう少しうまい言い方はなかったものかと思ったが、正直に言ったんだからしょうがない。
そこへもういっぺん電話がかかってきた。
「言い忘れた。とにかくテープ返してちょうだい。学校へはいつ来るの?」
「今のところ予定はないな」
彼女は、俺の一学年上である。
こちらは美術、向こうは演劇専修だったので、授業はあまり──というかまるでカブっていなかったが、学校に行きさえすれば、なんとなく会うことが多かった。
そのころ俺は、翻訳会社でのアルバイトが忙しく、学校へはほとんど行っていなかった。
翻訳と言っても、何のことはない。
日本製のカーオーディオの取扱説明書が英語で記されたものを、日本語に、逆翻訳するのだ。
そうすることで、はじめに技術者が書いた日本語が「こなれる」というわけだった。
在宅でも出来る仕事だったのがありがたかったが、集中力を欠くと、とんでもないミスをする。
その中で、アルバイト先以外との連絡事項や、まして登校なんてものは、煩わしさ以外のなにものでもなく、とにかく、仕事を邪魔されることだけが迷惑だと感じた。
そんなわけなので、スズメのような女の子の電話も、俺が意識していた以上の時間が経過していたのかもしれない。
ある日また、電話を受けた。
「どうしても、返さないつもりなの?」
「え?」
「ビデオよ」
「ああ。忘れてた。ごめん。というか、学校に行ってないんだよ」
「取りに来いって言うわけ?」
このさい、それも迷惑な話だった。
「いや、それは……。今、取り込み中なんだ」
何にどう取り込み中かは、説明したくなかった。
「じゃあ、どうやって返してくれるのよ」
「ポストに入れておくよ。元通りに」
「やっぱり、取りに来いってことじゃない」
「うん。悪いけど」
電話はまた乱暴に切られた。
俺は二本のテープをまとめ、階段を降りてポストの中に入れておいた。
部屋に戻り、また仕事に没頭し始めた。
もうかなり暗くなってのことだ。
住んでいる材木屋の表の鉄扉が軋む音がした。
耳を澄ませた。
足音は聞こえなかったが、ポストのあたりでガサゴソする気配が伝わってきた。
もし万が一スズメが部屋に上がってきても居留守を決め込むことにして、俺はドアに備わった粗末なカンヌキ式の鍵を、そっとかけた。
階段を上がってくる気配はなく、ふたたび鉄扉が軋み、がしゃんと閉まる音がして、あたりはまた静かになった。
数分後、俺は階段を降り、ポストを開けてみた。
ビデオテープは消えていて、ノートの切れ端が二つに折られて収まっていた。
階段を昇りながら、読んだ。
ボールペンで乱暴に殴り書きされていた。
あなたは最低の男です。人として、最低です
その理由は、自分が一番よく判ると思います
胸に手を当てて、よく考えてみて下さい
スズメ
胸に手を当てたが、取り立てて何も思い浮かばなかった。
しかし俺の気持ちが凹んだのは事実で、書き物もはかどらなくなった。
冷蔵庫から冷えたクアーズを出して、飲んだ。
何本か飲むうち、柔らかくなった俺の頭は、あることに思い当たった。
スズメは俺から取り返したテープが、ともに五分間だけ再生されて、そこで巻き戻しもされもせず止まっているのを見て、何を思うだろうか──と。
もういっぺん、俺をなじるための手紙を置きに、ポストまでやってくるだろうか。
それともまた激烈な電話を寄越すだろうか。
なんだか可笑しくなり、俺は声を挙げて一人で笑った。
笑いが止まらなくなり、涙が出たくらいだ。
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