しそジュースを作る悪役令嬢


汗が肌をつたい、道路に落ちる。

落ちた汗は一瞬だけ自分の存在をアスファルトに刻み込み、

そして最初から何もなかったかのようにその姿を消した。

何もかもが乾く真夏日のことである。


「ごっつ暑いですわ……」

思わずひとりごちながら、

高貴なる悪役令嬢――ミホス・アンカディーノが街中を歩く。

白いワンピースと麦わら帽子、その衣装は幻想から抜け出してきたかのようである。

胸元には、現代日本――この世界から見て異世界の漢字と呼ばれる言語で、

「情け無用」と書かれていた。


ミホスの独り言に気を留める人間は誰もいない。

街を往く誰もが皆、刑場に連行される死刑囚のように俯いて歩いていた。

だが、彼らの行く先にギロチンは無い。

皆が皆、格子の一つもない、夏という牢獄に囚われて、

その中を彷徨いて回っているだけだ。

雲ひとつない抜けるような青空は無限ではなく、天井を意味する。

いつか来る終わりの時まで、夏は、どこまでも人を囚えて離さない。

太陽が嘲笑の代わりに陽光を地面に投げかける。


どこかで涼やかな風鈴の音が鳴った。

(ハァー……!!オフラインチンパンジーになりそうですわ!!!)

何一つとして状況を良くしない風鈴の音に、ミホスが心の中で叫ぶ。

聴覚が涼しさを感じ取ったところで、何の意味はないのだ。

求めるのは絵に描いたフルコースではなく、実食できるうまい棒だ。

ミホスはダラダラと汗を垂れ流しながら、黙々と歩き続ける。


自転車はパンクし、瞬間移動は免停を食らっているために、

ただ、ひたすらに歩くしか無かった。


自転車をホームセンターの修理に預けに行く途中である。

行きは徒歩だとしても、帰りは電車に乗れるというわけでもない。

電車に乗って帰ろうにも、ホームセンターから最寄り駅は微妙に距離があるために、

結局、何もかもを徒歩で行う必要がある。

憂鬱な夏であった。


「ざっしゃっ、ぶぇっす」

「っす」

ホームセンターエルフに自転車を預け、ミホスはようやく一息ついた。

ホームセンターはよくクーラーが効いていて、外と比べれば天国も同然である。

一生この涼しい空気に浸っていたいとも思える。

だが、いつかは別れの時が来る――覚悟を決めて、

ホームセンターを出て、灼熱の街を行かねばならない。

そして今日帰って終わりというわけにもいかない。

自転車の修理完了は翌日のことになるので、

明日以降にもう一度その身を太陽に投げ出さねばならない。

天気予報は今後一週間、晴れを示し、太陽の輝きに雲が嫉妬する気配は見えない。


(想像しただけで……泣きそうになりますわ!!

 もう、なんかキレるとかじゃなくて、純粋に辛いですわね)


ミホスが悪役令嬢であることに対して下された罰がこれであるというのならば、

あまりにも惨いことである。

悪役令嬢転生ものであるならば、

主人公はこの未来を回避するために全力を尽くすこととなるだろう。


だが、ミホスは生まれつきの悪役令嬢であり、

この肉体を誰かに明け渡す予定も無いために、粛々と運命を受け入れるのみである。


(憂鬱ですわ、2Lのコーラでも箱買いして……帰り道で死にたくなりますわね)

別れを惜しむかのように、ミホスはホームセンターの店内を物色する。

ミホスのお気に入りは、扇風機コーナーだ。

クーラーと違って、目に見えて何が起こっているのかわかりやすい部分が良い。

「ブェ~ッ~~~~~!!!」

周囲に誰もいないことを確認して、ミホスは回転する羽に言葉を投げかける。

言葉は空気と一緒にかき回されて、奇妙な音になった。


この瞬間が永遠に続けば良いのに。

ミホスは心の底からそう祈った。

そして、日が暮れるまでホームセンターに避難していようかと思ったが、

そんな退屈さに自分が耐えられるはずがないと思い直し、とうとう覚悟を決めた。


食品コーナーでジュースを買って、飲みながら家に帰ろう。

それがミホス・アンカディーノの取りうる限りの最善策であった。


そして、よく冷えたジュースコーナーに向かう途中、

ミホスはあるものを発見した。

それは運命の出会いという他になかっただろう。

人間は夏に蹂躙されるだけであるのか。

否、決してそれだけではない。


ミホスは覚悟をきめて、それを購入した。

それは夏という絶対なる運命に投げつけた手袋のようであった。


「というわけで、赤しそを買ってきましたわ」

クーラーをガンガンにかけた自宅で、ミホス・アンカディーノは独りごちる。

ミホスの足元では扇風機がぐるぐると景気よく回転している。

本に支配された部屋を離れ、ミホスは今キッチンにいる。

最もキッチンと呼べるほど独立した空間ではない、

玄関から本の海に向かう途中のちょっとした廊下に生えた毛、

それが獅子の宮殿レオパレスのキッチンだ。

もっとも、獅子の宮殿レオパレスに限った話でもない。

アパートなど大体そのようなものだ。


ミホスは狭い流し台にざるを置くと、その中に赤しそをぶち撒けた。

赤――というが、紫蘇しその名が示す通り、その色合いは紫に近い。


(緑々しい葉の匂いだけでなく、

 どことなく気品溢れる爽やかな香りがするような気がしますわね!!)


赤しその匂いを嗅ぎ、ミホスは心の中で感想を述べる。

獅子の宮殿レオパレスは壁が薄いので、うるさくすると怒られるのだ。


(まぁ、爽やかな香りって言いますが、こういうことは大体気のせいですわ。

 なんとなくしそにイメージに引きずられた錯覚ですわね。

 けどこういう錯覚は人生を楽しむのに有用なので、

 積極的に騙されていくことにしますわね)


緑々しい匂いが強く、実際にミホスが爽やかな匂いを香ったのかはわからない。

だが、本人が満足しているのだから、これで良いのである。


(今日はしそジュースを作っていきますわね。

 何故なら自家製ジュースを作るっていうのはワクワクするし、

 そのワクワクで味がどうであろうと美味しくなることに間違いないからですわ!

 工業製品だって自分でボタン押したらおそらく10倍は美味しくなりますわよ!)


ざるにぶち撒けた赤しそを水洗いし、

時折発見する茎をブチブチと千切ってはゴミ袋に放り込んでいく。

ミホス・アンカディーノはゴミ箱を使わない、ゴミ袋に直にぶち込む。

茎を外しながら、2L程の水を電磁プレートに掛けて沸騰させる。


(茎外すの死ぬほど面倒くさいですわ!!

 何よりスマホがいじれへんのが辛うてたまりませんわ。

 まぁ、楽しくは有りませんが美味しくなるための手間暇と考えて、

 自分を誤魔化しますわ。

 どんな人生を送ろうとも、自分を納得させるか、あるいはごまかせれば、

 それだけでハッピーになれますわ)


あらかた茎をちぎり終わると、良いタイミングで鍋が沸騰している。

ミホスは赤しそを全て、鍋に放り込み、蓋を閉じると――スマートフォンをいじる。


(赤しそを鍋に放り込んだら15分待機……

 その間に、私はツイッターを見ますわ。

 何故ならツイッターは愚者の流刑地やけれど……

 こういう暇つぶしには丁度ええから!!)


15分経って、再び蓋を開く。


「わぁ……!」

思わずミホスから感嘆の声が洩れる。


(お湯に赤しその色が溶け込んでいきますのね!!

 赤しそが原型を留めず、緑色ですわ!!

 そして、良いとも悪いともいえない匂いが漂ってきましたわ!!)


鍋の蓋を開いたミホスであったが、再びスマートフォンをいじり始める。

しそジュース作りに猛烈なスピードで飽きてしまったのか、否。


(粗熱が取れるまで待機ですわ……!!まるで人生みたいですわね!!

 大事な時に出来ることはほとんど待つことだけでっせ!!!)


というわけで粗熱が取れるまで、

ミホスは新たに見つけた絵師の過去イラストを漁って時間を潰した。


(粗熱が取れたら、ざるでこしますわ)


ミホスは巨大ボウルを流し台に置き、その上にざるを被せた。

鍋を傾け、赤しそごとぶち撒けていく。


(鍋が大きくて、バランスが取りづらいですわ。辛いですわ。

 帰りたいですわ、家ここですわ)

心の中でひたすらに不平を洩らすも、

ボウルの中の液体を見て、ミホスは再び「ほう」と感嘆の声を上げた。


(赤ワインのような深い紅色になりましたわね。

 えーっと、この次は赤しその葉をベラとかで押して、おお!!)


ミホスのテンションが上っていく。

ざるに残った赤しその葉をベラで押してやると、どこにそれを残していたのか、

緑色の葉から、鮮やかな赤い液体が滲み出る。


(不思議ですわ~)


赤しそから完全に色を絞り切ると、

ボウルに移した紅い液体を再び鍋に戻し、氷砂糖を入れて弱火にかけた。


(そしたらまた砂糖が溶けるまで待ちですわね。

 ちなみに、砂糖が溶けたら粗熱が取れるまで待ちますわ。

 もう、なんか鍋ごと冷蔵庫に突っ込みたくなりまんなぁ!!!)


怒りと共に、ミホスはツイッターをいじる。

特に何かはしない、ツイッターをするだけだ。

時間を潰すにはツイッターはちょうど良すぎるのだ。

だが、用心しなければツイッターに食い潰されるのは自身になるだろう。

ツイッターは諸刃の剣である。


(粗熱が取れたので、クエン酸を入れたいところですが、

 クエン酸が無いので、リンゴ酢を入れますわ。

 なんかこう、色鮮やかにする仕上げみたいですわね)


ミホスは棚からリンゴ酢を取り出し、

計量カップに量を測る中で重大な事実に気づく。


(レシピで見た量に若干どころではなく、足りてませんわね……

 ポッカレモンを混ぜますわ)


クエン酸はレモンの何かしららしい。

ならば、レモンで代用出来るだろう。とミホスは判断する。

細かいところは気にしないのだ。

リンゴ酢とポッカレモンの混合物を鍋に投入し、さらに待つ。


(ぼんやり待ってたらお玉が透けて見えるぐらいになりましたわね。

 まぁ、今初めてお玉を入れたので、

 実際色がいい感じになったのかはわかりませんわ)


ミホスはお玉でしそジュースを掬い、コップに入れると、それを更に水で割った。

何かしらで割ることが前提の飲み物であるらしいのだ。


(うん、甘いんだか甘くないんだかわからない微妙な味ですわね。

 まぁ不味くはないので悪くはないですわ、爽やかなのかもよくわかりませんわ)


しそジュースを飲みながら、ミホスは窓を開いた。

空は太陽の血がぶち撒けられたかの如くに赤い。

ようやく、日が暮れて夜が訪れようとしている。


太陽を飲むかのように、しそジュースを煽る。

鮮やかな赤色を飲み干して、ミホスは小さく息を吐いた。


(悪くはないですわ)


始まったばかりの夏に、ミホスはほんの小さな勝利を遂げた。

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