朝定食を食べに深夜家を飛び出したけど普通に時間外なので牛丼を食べて帰った悪役令嬢

「インターネットが人間を堕落させるのか、

 それとも堕落した人間だからインターネットから離れられないのか、

 そんなことを考えてしまうほどに今日は、徹夜でネットの海を彷徨いましたわ。

 今日はっていうか、今日はとっくに過ぎ去って、もう明日が今日ですわね。

 この調子だと輝く未来が実際に訪れても認識できまへんでぇ!!!!」


異様なハイテンションでミホス・アンカディーノが独りごちる

ミホス・アンカディーノは世間一般でいう悪役令嬢だ。

今日も誰かが必死に生きたかった一日をちり紙のように放り捨てて、

その意識をインターネットに溶かし落とす。


「思い出はいつも綺麗ですわ、汚いものすら美しく見せるほどに。

 心のなかに築かれた思い出という名の楽園は、一生触れられない不可侵であるからこそ、

 いつか手の届く未来の数億倍も価値があるものになってしまうんですわね。

 そして、この私ですらも逃れられへん……全く、厭ですわね」


今日のミホスはツイッターを行いたい気持ちをぐっと堪えて、

動画サイトで動画を見ていた。

クソみたいなアプリ広告を、コメント付きで見るのだ。

ピンを引っこ抜いておっさんを助けるパズル、IQが異常な増減を繰り返すパズル、

遊んでいるだけで金が得られるアプリに、任天堂に訴えられそうなゲーム。

右から左へと流れていく文字列は、まるでミホスの心を代弁するようである。

自分の感情すら他人に委ねてしまいたい時がある、

そういう時にコメントが右から左に流れる動画サイトは役に立つ。


クソみたいなアプリ広告を見ている内に、

ミホスの興味は脱毛のクソ広告や借金返済のクソ広告に移り、

水が上流から下流に流れるがごとくにミホスはクソ広告のハシゴを始めていた。


小学生男子は何故、うんこやおしっこが好きなのだろう。

もしかしたら人間という生命体は、

本能的にしょうもないものに引かれるのかもしれない。

本来ならば5秒でスキップするようなクソ広告はミホスはフル尺で味わう。

自分の感情は、右から左に流れるコメントに定義される。


自分が望んだ感情に合わせてコメントを求めていたのが、

コメントに合わせて自分の感情を動かそうとしているような気分にすらなる。

同じようなコメントが一斉に流れると、奇妙な統一感を感じて気分が良い。

面白さは人それぞれだが、酷さに関しては大体の人間が共有することが出来る。


そんな心地よさに浸っている間、クソ広告動画を味わい尽くしてしまった。

だが、今更押入れに敷いた布団に潜り込もうという気分にはならない。

眠気すら忘れるほどに、動画を見る欲求のようなものが心を支配していた。


完全に流れに乗ったミホスは、

小学生時代に見たアニメの映像を雑に組み合わせたMAD動画を漁り始める。

アニメそのものに感じる懐かしさは思い出に手を伸ばす行為だが、

雑さを楽しむのは今の楽しみだ。

ある程度分別がついた大学生だからこそ、雑さを存分に味わい尽くすことが出来る。


そもそも小学生時代に見ていたアニメはそんなに面白くなかったのではないか、

そんな根本的な疑問を抱きつつ、そこから10年程前のボーカロイド曲を漁る。

もはや、ミホスは思い出をひたすらに貪る郷愁の怪物と化していた。


16時に開始した動画漁りは10時間にも及び、

とうとう空が何重にも重ね着した夜のベールを一枚だけ脱ぎ捨て始めた頃であった。

そこで、ようやくミホスは冒頭の台詞を独りごちた。


心臓は早鐘を打ち、じんわりと己の熱を主張した。

口は世界そのものを笑うかのように吊り上がる。

脳はぐつぐつと煮えたぎって、数多の雑多な思考を泡として浮き上がらせる。


「アハハハハハハハ!!!!!思い出だけじゃお腹空きますわ!!!!!」

心底愉快そうにミホス・アンカディーノは笑う。

人間は眠っている間に、自身の脳に蓄積された情報を整理するのだという。

外部からの余分な情報を遮断し、処理にだけ集中するのだ。

起きながら処理するには、

五感から得られる情報はあまりにも多く、そして脳はあまりにも小さい。


眠らずにいると処理しきれなかった情報はバグを発生させる。

無理矢理に感情を喚起させるのだ。

奇妙な高揚感が、ミホスの中にあった。


眠らずにいると、時に感情は変な方向を向く。

ちゃんと眠ったほうが良い。

だが、大学生は多少寝なくても大丈夫であるし、

最悪の場合、午前の講義をサボって寝るという手段が取れるので睡眠を甘く見る。


奇妙な高揚感に突き動かされるように、

ミホスはレディース用の作務衣を纏い、玄関の扉を開いた。


「牛丼屋の朝食が食べたいですわ!!!」


牛丼屋で最強のメニューは何か。

ミホスはその問いに、ただ一言朝食と答える。

それも牛丼朝食でも無ければ、牛皿をメインとした朝食でもない。

鮭である。

牛丼屋で食うべきは牛肉ではなく、焼き鮭朝食である。


まず、大学生の自炊において焼き魚は微妙な存在であるのだ。

食べられない程の高級品ではないが、肉よりは高い。

調理できないほど面倒なわけではないが、肉のほうが楽である。

そして気合を入れて、魚を食おうとするならば、

閉店間際に半額の刺身を引っ掴んだほうが良いのだ。


故に、牛丼屋の鮭朝食である。

熱々ご飯、わかめたっぷりの味噌汁、かけて嬉しい生卵、まろやかなポテトサラダ。

そして味が濃いめで皮まで美味い焼き鮭。


もしも、それでも足りぬというのならば――牛小鉢を加える。

牛小鉢のついた朝食に鮭を加えるのではなく、鮭朝食に牛小鉢を加える。

そこが重要なポイントである。


何故ならば、鮭朝食に牛小鉢を加えた時の方がトータルで安くなるからである。

故に、牛丼屋で食うべきは鮭朝食である。牛が食いたければ鮭朝食に牛小鉢だ。


「フフ……たまには異世界ファンタジーの悪役令嬢っぽい能力を発揮したりますわ」

ミホス・アンカディーノは親指の腹に歯で切り傷を作る。

指紋の中心部に膨れ上がるように生じたのは丸い血の珠だ。


「イ・ケタ=ラ・イ・クーデ……!!」

ミホスは血の珠が浮かぶ親指を下に向け、宙に大きな円を描く。

まるで空気というキャンパスに血の絵の具が塗られたかのように、

ミホスの血液は宙に浮かんでいた。


「ドナ=イ=ヤーネン……!!ハッキ!リ・セーヤ!」

ミホスの呪文と共に徐々に広がっていく、赤い円。

やがて、円の大きさがミホスの身長と同じほどになるのを見て、ミホスは叫んだ。


「いざ行かん!!牛丼屋!!」

ミホスの言葉とともに、赤い円の向かい側に牛丼屋が浮かび上がる。

それを見るや否や、ミホスは円に飛び込み――そして、

その姿は牛丼屋の前にあった。


瞬間移動の秘儀である、ただし万能というわけではない。

移動位置まで休まずに走った程度の体力を消耗する。

故に、長距離の移動には役に立たないし、微妙な距離なら自転車のほうが良い。


「オゲッ……オホッ……オゴ……ハァ……ハァ……」

荒ぶる息を必死で抑え、ミホスは大きく息を吸い込み、そして吐いた。

しばらくすれば、呼吸も落ち着いてくる。

普段運動を行っていないとはいえ、ミホスは二十歳である。

結構元気なのだ。


「ブハァ……では、鮭朝食食べたりますわ」

手動ドアを開き、入り口に近いカウンター席を選ぶ。

この時間だからか、客は誰もいない。

別に客がいて何かを思うことはないが、

それでも店内が自分1人だとどこか嬉しい。


「お冷やどうぞ」

「どうも」


店員から茶色のコップを受け取った後、ミホスはタッチパネルを手に取る。

定食の項目を選び、鮭朝食を選ぶ――それだけで、鮭が食えるというのに。


(な……鮭朝食がありませんわ……どないなっとんねん……いや……まさか!!)


時間は朝4時を少し過ぎた頃、ミホス基準ならば余裕で朝である。

しかし、牛丼屋サイドとしては、朝ではなく深夜の範疇なのではないか。

ミホスはスマートフォンを取り出し、牛丼屋の情報を検索する。

朝食の提供は――5時からであった。


(あっ、がああああああああああああ!!!!!やらかしましたわ!!!!)


瞬間移動を使わなければ、程よいタイミングで朝食にありつけたかもしれない。

ミホスは心のなかでは叫び、実体は少しだけ俯いた。

いっそ、店を出て時間を潰してから再入店しようか――そのような考えが浮かぶ。

だがミホスは飲食店で席についてしまうと、そのようなことが出来ない人間である。

いっそ、目の前にお冷が無ければ、

勇気を振り絞って、こっそりと出ることが出来たかもしれない。

だが、店員に自分の存在が認知されているとわかると、

とてもじゃないがそのようなことは出来ない。

悪役令嬢だって、人の目は気になるのだ。


(あかんわ……くそう……しゃあないですわ……

 朝食と違って缶ジュース1本ぐらい高いけど、勉強料と思って……うぎゃー!!)

ミホスは心の中で悲鳴を上げる。

しかし酒が呑める年齢なので、表面上は平静を装う。


(あらへんねやけど鮭定食!!なんでやねん!?)


定食の項目に表示されるのは牛皿定食のみ。

そこに鮮やかなる色で存在感を主張する鮭定食の姿はない。

果たして、何故なのだろうか。


もしかしたら鮭定食は終了して朝食までメニューから消えたのかもしれないし、

ミホスが単に見るべき項目を間違えたのかもしれない。

あるいは、鮭定食の姿を見過ごしてしまったのかもしれない。


いずれにせよ、ミホスが鮭定食の姿を捉えることが出来なかったのは確かだ。


(あかんって!!なんで鮭無いねん!!)

激しく動揺するミホス、だがそれで店員を呼ぶようなことはしない。


(でも、ここで店員呼んだら鮭がめっちゃ食いたい人みたいになりますわァ!!)

悪役令嬢だって、人の目は気になるのだ。

店員に早朝熊と名付けられることを恐れ、

ミホスはタッチパネルを操作し、牛丼の項目を選び、シンプルな牛丼を選択する。

鮭が食べたかっただけで、別に牛丼が嫌いなわけではない。

いや、せっかく牛丼屋に来たのだから牛丼を食べなければ。

そうやって、ミホスは自分を納得させようとする。

人生を上手く生きるコツは、どれだけ自分を騙せるかだ。


(大盛り……いや)


ミホスは大盛りを選びかけた手を止めた。

今までの人生、なるべく多くの量を食べるようにしてきた。

だが、いい加減に自分の胃袋を信じるべきときなのかもしれない。


ミホスの細く白い人差し指が、ミニサイズを押す。

そして、味噌汁と玉子を付ける。


(ミニサイズでも結構満足できるんかもしれへんわ)


そして、ミホスはお冷を口に含む。

コップは茶色で、元の液体の色はわからない。

果たしてこれは水なのか、それとも薄い麦茶なのか、判断に困る。

水といえば水の薄さであるが、ほんのりと麦茶の匂いがする気がする。

お冷と言ったからには水なのだろうか、しかしお冷というには麦茶寄りだ。


1分も悩まぬ間に、牛丼と味噌汁、生卵のセットが提供される。

時空を歪めたのではないかと疑ってしまうほどに、早い。

早くて悪いということはないが、全く不思議である。


だが、不思議がっている暇も無い。

ミホスは合掌し、心の中でいただきますを唱えた。


そうした後、ミホスは生卵を割り、箸で原型を留めなくなるまでかき混ぜる。

そして、醤油をほんの少しだけ垂らした。

牛丼の味を邪魔しないどころか、そもそも存在を主張することすら危うい量である。

隠し味というよりは、ミホスの祈りである。

この醤油で、美味しくなれ。


そして、牛丼を食べる前に、味噌汁のわかめを食べる。

どんぶりに向かったら、味噌汁に逃げず、

ひたすらにかきこむ――それがミホスの流儀である。


わかめとの逢瀬を楽しむならば、今か――あるいは牛丼を食べ終わった後である。

汁は呑まず、ミホスはわかめだけをひたすらに食べた。


そして、ミホスは生卵をかけ、紅生姜を盛ると、何も言わずどんぶりを持ち上げた。

ひたすらに牛丼を食うのだ。それが一番美味しい食べ方であると思っている。

そして、味の染みた薄切りの肉は、ミホスの選択を邪魔しない。


(米、かってーですわ!!食えないということの程はないし、

 炊き方をミスったわけでもないけど、一粒だけ変な滝具合の米!!)


ほんの一粒だけ、微妙に硬い米が混ざっている。

それでもミホスは手を止めない。


(紅生姜……私もかけてますけど、存在意義が謎ですわ!!

 ガリの箸休め感は最近わかるようになりましたけど……なんやこいつ!!)


紅生姜と肉、そして米を同時に口に押し込みながら、

ひたすらにミホスは牛丼を食う。


(生卵も冷静に考えると、そこまで牛丼の美味しさに寄与してる気がせぇへんわ!

 これ、ほんまは味噌汁に入れるもんだったりするんちゃいますの!?)


冷静に考えると玉子というものは、そこまでありがたがって注文するものか。

そもそもの前提を疑いながら、それでもミホスはひたすらに牛丼を食う。


「……ハァ!」

ミホスは息を吐き、米一粒も残さぬどんぶりをテーブルに戻した。

そして、味噌汁をすすり、水だか麦茶だかわからぬお冷を飲む。


(……やっぱり、鮭気分でしたわね)


手が届かないからこそ、思い出は美しい。

そして、注文できなかったからこそ、鮭は余計に食べたくなる。


腹は満たされつつも、心は満たされぬミホスであった。

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