夜中にコンビニのとんこつラーメンを食べる令嬢

その部屋は本が支配していた。

押入れに押し込めていたはずの本は部屋中に溢れ、床一面を覆い尽くしている。

僅かに確保された歩くスペースは、

魔導ノートパソコンが置かれたデスク、そして物置に続くのみである。

押入れの中に敷かれた布団は、

本を解放し、人間が収納されることを肯定することを示していた。

これがミホス・アンカディーノが一人で暮らす家である。


時刻は深夜3時、ミホスの白く細い指が魔導キーボードを叩いていた。

白鳥が、盤上を舞うかのような繊細な動きであった。

そのタイピングに迷いはない、

レポートを書いているのでも、小説を書いているのでもない。

タイピングゲームを行っている。

文字を入力した分だけ、寿司を食べるタイピングゲームである。

特に面白いわけではない、だが強烈な中毒性があった。

強くなるのが楽しい、スコアが増えるのが楽しい、早くクリア出来るのが楽しい、

ゲーム性がシンプルになるほどに、そのようなプリミティブな喜びを刺激される。


流れ続ける川のような、淀みないタイピングであった。

尽きることのない魔法の泉であるとか、永遠の命を持つ少年であるとか、

そのような、終わりのないものによく似ていた。


くう。

奇妙な音がして、ミホスの手が一瞬止まった。

それはミホスの腹から世界に放たれた声であった。

腹の音が鳴ったのである。


「あー、あかんすわ……胃に穴が空いてますわ」

タイピングゲームを切り上げ、ミホスは財布を探す。

魔導スマートフォンはすぐ近くにある、

魔導スマートフォンは魔導ノートパソコンと併用して、

魔導スマホゲーを周回しながら、魔導ツイッターを見たりすることがあるため、

常に自分の手の届く範囲に置いてある。


だが財布というものは、家で使うことがない。

家で使わないので、注意を払わない。

外出から戻ってきて、適当なところに財布を置く。

財布の定位置などはないので、本当に適当なところに置く。

目に付く場所ならば良い。鞄に入れっぱなしならば、それも良い。

たまに死角に置いてしまうのである。


すぐ近くにあるのに、まったく視界に入らない。

何故か、布団や毛布に包まっている。

大量の本の下敷きになっている。

そんなことが半年に一度ほどある。


定位置に置くなり、鞄に入れっぱなしにすれば良いだけのことである。

財布を探す度に、改善案を思う。

しかし、いざ財布を見つけてしまうと、ころっと忘れてしまう。


ミホスは悪役令嬢である。

改善は行わないのだ、悪なので。


「おっ、ありましたわ、ありましたわ」

財布は魔導ノートパソコンの裏側に置かれていた。

何故、このようなことが起こるのか、何故横ではなく裏に置かれているのか。

ミホスにはわからない、わからないが――何故か、そのようなことは起こる。

起こるのでしょうがない。

人間にはどうしようもない不思議が、世界には存在する。


「ほな、行きまひょ」

玄関のドアを開け放つ。

夜の闇は月の光では照らしきれないほどに深い。

だが、街の明かりは月を嘲笑うかのように、下品な光で夜を照らしている。

闇の死骸を食らうために、玄関灯に虫が集っていた。


(真夜中の空腹は……こう、お腹に穴が空いたみたいですわ。

 自分の中のあらゆるものが溢れだして、世界にぶちまけられるような感触。

 何かを食べても、食べても、満たされないのではないかという憂慮。

 そして、私はこう思う)


ミホスは腹の肉をぷにと摘んだ。

(どれだけ食べても太らない気がする)


もちろん、そんなわけがない。

朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、食べれば太るのである。

だが、深夜の空腹感は摂取カロリーに対して、大幅に上回るように思える。

空腹感が摂取カロリーを上回るのだから、当然カロリーはゼロにある。

そんなわけがないが、そう思えるということが大事なのである。

栄養が欲しくて食事をするのではない、食べたいから食事をするのであるのだから。


「……さて、ラーメンいきましょうか」

夜食は、麺類に限るという奇妙な信仰のようなものがある。

と言っても、パスタでは駄目だ。冷やし中華やざるそばもよろしくない。

スープのある温かい麺料理、ラーメンかうどんが良い。

夜の食事は噛む回数を増やしたくない、飲むように食べたいのだ。


そして、今の気分はラーメンである。

それも、醤油でも味噌でも塩でもない。とんこつだ。

理由はシンプルである。

まだ、家にはインスタントラーメンの在庫がある。

だが、インスタントラーメンのとんこつ味は違うのだ。

スープの味に不満はない。

だが、麺が違う。

決して美味しくないわけではない、

だがとんこつラーメンととんこつ味のラーメンは違う。

食べたいのはとんこつラーメンなのである。


「とんこつラーメンは……細うないとあかんのですわ……」

とんこつラーメンに用いられる麺は細い。細いと食感が違う。

その食感の違いが重要なのである。


考えながらミホスが歩いていると、夜の中に一際輝くものを見つける。

24時間休み無く営業するコンビニエンスストアである。

当然、この時間でも関係なく客に対する門戸は開かれている。


「いらっしゃいませー」

来たばかりであろう飲料製品の陳列を行っていた店員のテンションは低い。

もしも昼にこの挨拶の声を聞けば、それだけでクレームを入れたくなる。

だが、深夜は店員にやる気もなく、客にも当然やる気はない。

そのような雰囲気が良いのだ。


「とんこつラーメンと……これや」

店員の長居すんじゃねーぞ、という視線を感じながら、

淀みなくミホスは商品をかごに収めていく。

「レジお願いしますわ、あ、レジ袋はいらへんわ」

入店からレジに行くまで、2分もかかってはいないだろう。

そして業務用レンジでとんこつラーメンが温まるまで2分弱。

5分もかからぬ内に、ミホスはコンビニを退店したのである。


「……さて、いただきましょうかね」

割り箸を割ったミホスは、しかし家に戻ったわけではなく、コンビニの前にいた。

コンビニ前で食べる料理は、なんとも言えない背徳感がある。

夜のピクニック気分だ。


「あー、豚野郎の匂いがしますわ」

とんこつラーメンの蓋を開ける。

とんこつラーメンの匂いは特に強い。

豚がそのままスープの中に溶け込んだように思える。


具材はきくらげ、チャーシューだけのシンプルな構成である。

麺は細い。

基本はこれだけで良い。

ミホスはとんこつラーメンの紅生姜に対しては否定的であった。


そして、ここからが本番である。

ミホスが購入したものはとんこつラーメンだけではない。

70gのメンマ、そして2個入りの味玉である。

それをとんこつラーメンの上にぶちまけた。


そして、麺を啜る。

不思議と、細麺と言うだけで健康に良いように思える。

太麺よりも細麺の方が良い。

太麺は口内を優しく撫ぜるが、細麺の刺激はより強い。


そしてきくらげを噛む。

夜食はあまり噛みたくないと思っていた。

だが、きくらげの食感は噛む喜びを夜であろうと取り戻させる。


味玉は2個。

親の仇のように黙々と食べる。

冷静に考えるとラーメンに完全に調和するようなものでもない。

無くても良いようなものである。

それでも、ミホスは食べる。

いらないと思いながらも、次も味玉を食べるだろう。


メンマ70g。

とんこつラーメンの上にぶちまけられたメンマは、

具材というよりも麺の一種である。

コンビニのとんこつラーメンには当然替え玉がない。大盛りにも出来ない。

だから、メンマをひたすらに食べる。

別にメンマにとんこつの味が沁みるわけではない、

だが、メンマの優しい味はとんこつの味を邪魔しない。

それで良い、それで良いのだ。


チャーシュー。

思えば、ラーメンのチャーシューを増やそうと思うことがない。

チャーシューはいくら増やしても、

肉をガッツリと食べたいという欲求には応えられない。

薄いのである。

だからこそ、チャーシューは肉ではない。

チャーシューをチャーシューとして受け止め、それ以上に期待はしない。

メンマの底に沈んだチャーシューの味を噛みしめる。

もう一枚食べたい、だが食べない。

チャーシューはそれで良い。


「ごちそうさまでした……」

充足感に包まれ、ゴミをコンビニに捨て、帰路につく。


「あー、しかし、アレですわね……」

(とんこつラーメンはやっぱ替え玉食べたいわ……)

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