不味いカツ丼に対して無限の憎しみを向け令嬢

夏季休暇のために、故郷へと帰省する。

別に帰省したところで特別な何かがあるというわけではない、

家事をしなくて済むぐらいである。

財布のことを考えれば夏季バイトでも入れたほうがマシだが、

2ヶ月程度はダラダラしていたいので、魔導鈍行列車を乗り継いでいる。


二両編成のガラガラの車内。座る座席には不自由しない。

列車内は暇なので読書を行おうとするが、

やはり魂は魔導インターネットの重力に引きずり込まれる。

読書は情報の咀嚼に集中力を必要とするが、

魔導インターネットのおもしろコンテンツは、

集中しないでも見ることが出来てしまうからである。


魔導インターネットは許せぬ存在である。

限りある時間を無限のコンテンツで侵食し、何も残さぬ。

しかし、肉体はともかく精神の飢えは魔導インターネットを欲してやまぬ。

おお、愛憎溢れる魔導インターネットよ。


一時間半程、魔導インターネットを愛し、憎んでいると、魔導最寄り駅に到着する。

特に迎えはない、徒歩で実家へと向かう。

だが、ミホスにまっすぐに実家へ向かうつもりはなかった。


微笑む男がうどんを打つ朴訥なイラストの看板に目をやる。

ミホスが幼少期の頃より、その看板は掲げられていた。

そのうどん屋にミホスは入ったことはないし、

これからも入ることはないであろうと思っていた。


だが、一人で昼食を摂るぐらいには申し分のない金は財布に入っており、

夏季休暇生活では食費は極限まで抑えられる。

自分が子供の頃から、あるいは生まれる以前から存在するであろう

歴史深いうどん屋に入ってみようと思い立ったのである。


「いらっしゃいませー」

掃除が行き届いている小綺麗な店内。

視線を上にやれば魔導テレビは異世界甲子園の試合を流している。

一人だが、何一つとして遠慮すること無く四人掛けのテーブル席に座る。

時間は十一時を多少過ぎた開店直後、テーブルの半分ほどが埋まっている。

「ええですわ……」

ミホスは一人、ほくそ笑む。

悪くない、全く悪いことはない。期待できる。


メニューを見る。

1000フグ(通貨単位、1フグは日本円にして1円)

を超えない範囲のメニューがほとんどである。

安すぎはしないが、高いということもない。


「カツ丼セットにうどんを頼みますわ」

「はい」


蕎麦屋のカツ丼に外れはない。

うどん屋にも同じことは言えるだろう、おそらく。

それに折角だからがっつりと食べたいものである。


ダークエルフ留学生らしき青年に注文を告げ、

水を飲みながら魔導インターネットを見ている。

魔導ツイッターには、今日もとりとめのない情報が溢れていた。


「囀るなよ……フォロワー共が……」


とうとう本を開くことすら諦め、

連続する140文字以内の世界に身を投げだしていると、ことりと注文が置かれた。


「カツ丼セットのうどんです」

「おおきに」

笑顔で店員に礼を言うミホス、

だがその笑顔はカツ丼セットを見て凍りつくこととなる。


うどんの麺は幅が広く、

どちらかと言えばヌエゴエア共和国の伝統料理であるきしめんに近い。

一本だけ麺を啜ってみれば、やはり食感が違う。

というか、汁の味も普通のうどんとは違うように思える。

きしめんをうどんと称して提供されているような気がするが、

ミホスにはきしめんに対する知識がそれほどにあるわけではないので、

仮にそれがきしめんであったとして、それを確信するすべはない。


そして、問題はメインのカツ丼である。

まず、見た目からして卵がボロボロであった。

カツと卵の調和はそこにはない、

カツの周りに味のついた炒り卵が乗っているといるような有様である。


「なんやねん……これは……」

食感が悪い。ぼろぼろと崩れて口当たりが悪い。


そして、カツである。

まず、揚げたてではない。勿論、それが悪いとは言えない。

そもそも卵と一緒に煮込む以上、

揚げたてであることに決定的な優位性は生じない。


だが、口に運べば隠せぬほどのパサパサ感がある。

衣は口の中でボロボロと崩れ、味も余り染みてはいない。


スーパーマーケットの惣菜をそのまま、用いたかのような――

いや、スーパーのカツを用いても、自分で作ったらもうちょっと美味しい。


ミホスは信じられぬものを目の当たりにした、いや口当たりにしたのである。

不味いカツ丼が、この世にあったとは。


「あかんわ……カツと卵が調和せず、丼の上で家庭内別居状態……

 親子丼よりも人気である(個人調査)理由の、

 種族を超えた愛情がまるで感じられませんわ……

 じゃあ卵はソロでデビューできるかと言えば、

 最早ヒヨコにすらなれない憐れな風味を万全に醸し出し、

 カツに至っては、調理されたというか、

 油の中にパン粉纏って自殺したみたいな味わい……

 これはもうカツ丼ちゃう……負け丼やわ……」


カツ丼を食べて、ここまで不幸な気持ちになることがあるだろうか。

いや、外食でここまで不幸な気持ちになってもよいのだろうか。

自炊した方がよっぽど美味しいというのは、外食で許されて良いはずがない。


だが、店員に怒りをぶつけたところで、この悲しみは癒えぬ。

途中で食べるのを止めたところで、払った金は帰ってこない。

どうせ無駄になるなら、ゴミ箱ではなく自分の胃袋に捨てる。


ミホスは人生で最も悲しい食事をした。

食事という名の敗戦処理である。


「なんでやねん……なんでこんな目にあわんとあかんねん……」

涙は流れない、だが絶望だけはいくらでも口から溢れた。

カツ丼を食べ、うどんを食べ、水を飲む。

水が一番美味しい。


「ありがとうございましたー」

もたもたと完食し、ミホスは店を出る。

胃袋は満たされたが、心は飢えていた。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

叫び、走る。

憎い、憎い、憎い。

何故、このような目にあわねばならないのだ。


勢いのままに、心のままに、ミホスは走る。

実家に帰るのは後回しである、今すぐに行かなければならない場所がある。


「いらっしゃいませー」

「カツ丼の松頼みますわ」


異世界よりもたらされし、カツ丼チェーン店かつ屋。

不味いカツ丼への憎悪をぶつけるかのように、美味いカツ丼を食べるのだ。

胃袋の許容量を超えても、この憎しみは美味いカツ丼にぶつけるのだ。


ありえんだろ、不味いカツ丼って法律で禁止されるべき存在だろ。

怒りながら、食べろ、ミホス・アンカデーノ。


悪役令嬢がカツ丼に敗北して良いはずがないのだ。

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