第121話 復讐の女神、復活!
「貴方だったのね――ブラッドフォード」
それは、音楽のようだった。
雲にぽっかりと空いた穴。口を開けたようなその空洞から、ハープの弦を弾いたような美しい声が聞こえてきたのだ。
同時に、雲に空いた穴から何かがゆっくりと降りてくるのが見える。その物体は重力に逆らって、ゆっくり、ゆっくりと落下してくる。
人だ。白い布を身に纏った一人の女性が、空からゆっくりと降りてきている。遠目に見ても、その女性は自ら光を放っているのではないかというほど美しいのがわかる。
あれが、復讐の女神リオノーラ。僕は彼女をただ呆然と見つめることしかできなかった。
数十秒ほどで着地したリオノーラは、両手を前に組み、魔王の方をじっと見つめた。
近くにいるとよりはっきりわかる。白くきめ細やかな肌。しんしんと降る粉雪のようにさらさらとした白銀の髪。髪の一本からつまさきまで、全てが寸分の狂いもなく美しい。
「久しぶりだな、リオノーラ」
「ええ。あなたは変わらないのね」
リオノーラは魔王を見ると、淑やかに笑みを浮かべた。ちょっとした動作なのに、一目見るだけで心を奪われてしまいそうだ。
――って、そんな場合じゃない! 女神の復活を阻止することが出来なかった!
魔王一人と戦うのにも苦戦しているというのに、状況はさらに悪くなってしまった。しかし、こちらも引き下がるわけにはいかない。僕は再び剣の切っ先を魔王に向けた。
「貴様、まだやるつもりなのか?」
「当たり前だ! 2対1でも関係ない! 僕はお前たちを倒す!」
「……何か勘違いしているな」
ドクリと心臓が跳ねあがった。何か間違った? 僕が?
焦っているのを悟られないようにするのに必死な僕に、魔王は淡々と続けた。
「2人ではない。余はリオノーラの愛を受け止める」
「愛を受け止める……?」
「リオノーラを着こなすということだ」
何を言っているか理解が出来ずにいると、リオノーラが歩き出し、魔王の横に立った。二人は向き合う。
「リオノーラ、言いたいことはわかるな?」
「ええ。何も言わなくていいわ」
次の瞬間。リオノーラは魔王の背後に立ち、後ろから彼のことを抱きしめた。脈略のないことに、僕は思わず「え?」と声を漏らしてしまう。
「ブラッドフォード。私は貴方の全てを愛してあげる。その強さも、弱さも、好きも、嫌いも、表も、裏も、真実も、偽りも――全部全部全部全部全部全部――愛してあげる」
二人の体から突風のようなオーラが放たれる。一体何が起こっているんだ。リオノーラが言葉を重ねれば重ねるほど、その勢いは増していく。僕は思わず身構えた。
リオノーラの体が魔王の背中に吸い込まれていく。彼女の体は溶けるように形を変え、魔王の体に密着していく。
そして数秒後。その場からリオノーラは消え、残ったのは鎧を着た魔王だった。
「なんだアレ……?」
彼が身に纏っているのは、リオノーラの髪色とそっくりの、白銀の鎧。さっきまで彼女の肢体だったものが、頑強な鎧に変わっている。
あれがリオノーラの『愛』を受け止めるということ。つまり――魔王は復讐の女神を『装備』してしまったのだ。
『ルカさん、アレは……』
「うん。アレはもう……」
リーシャの言いたいことは理解できた。アレは神器を超えている。神器を創り出した女神を装備してしまったのだから――。
「そんなことしてどうするつもりだ……?」
「この世界をリオノーラにくれてやる。人間どもに虐げられてきた魔族たちの理想郷を創り出すのだ」
「人間が魔族を?」
「そうだ。エリカが創り出した人間は、あまりにも醜い。強者は弱者をいたぶり、支配する。他者を見下し、差別する。お前もわかるであろう?」
否定できなかった。人間は時に醜い。裏切ることもあるし、他人を貶めることもある。それは僕も身を以って体験したことだ。
「余はこの世界を合理的にする。この世界から争いをなくし、人間どもを服従させるのだ」
そう言うと、魔王は手のひらに剣を生成する。さっきまでの黒い剣とはまるで違う。今度は神器級だ――!
「そのために、まずは貴様から葬ってやろう!!」
魔王が肉薄し、剣を横に振るう。いち早く危険な空気を察した僕は、間一髪のところで頭を下げて回避した。
『……アア、アアアアア、ア』
その時だった。か細い少女の声が僕の耳に入ってきた。振り絞るようなその声は、剣から聞こえてきたものだ。
そうか、魔王が持っているのも神器だから、僕でも声が聞こえるんだ。でも、なんだか様子がおかしい。苦しそうなのだ。
「お前、その剣――」
「ん? ああ、いい一撃だろう? 余が『服従』させているからな」
「は……?」
耳を疑った。神器を服従させているだと?
「簡単な話だ。最も効果的に戦うには、武器の全力を引き出す必要がある。ただ、神器もリオノーラの分け御霊のようなもの……意志があるのが邪魔だ。だから、『服従』させている」
その時、僕の中で何かが切れるような感覚があった。同時に、怒りがふつふつとこみあげてくる。
「ふざけるな……神器にだって心があるんだ! それを押さえつけるなんて!」
『ルカさん! 落ち着いて!』
リーシャの声が聞こえたような気がしたが、知ったこっちゃなかった。何が合理的だ。結局自分が都合のいいように操っているだけじゃないか。
僕は全身を駆け巡る感情に身を任せ、一気に走り出した。剣を振り上げ、魔王に斬りかかる!
「ぬるい。心だと? そんな幻想を懐いているから貴様は弱いのだ!!」
世界がスローモーションに見えた。魔王の剣筋が、僕の首を捉えている。しまった、間合いを詰めすぎた。
一瞬の間のことだったが、すぐに脳が理解した。僕は死ぬのだ。もう避けることも出来ない。あと1秒もしない間に、剣が首を撥ねるのだ。
ああ、リーシャの言うことを聞いておけば。後悔したがもう遅い。僕は流れに身を任せた。
『ルカさん!』
その時だった。リーシャの声が響く。同時に、ガキン、という高い金属音が鳴り響いた。
「え――?」
生きている。でも、魔王の攻撃は確実に当たるはずだった。だったらなんで――?
手元を見やる。そこで気が付いた。僕が持っている剣が折れているということに。
『駄目じゃないですかルカさん……あと少しで死んじゃうところでしたよ」
リーシャのかすれた声。全身の血の気が退いていく。今まで悟られまいと隠していた僕の呼吸の乱れは、過呼吸となって噴出する。
「リーシャァァァァァァァァ!!!!」
折れた剣を握り締めて、僕は野生の動物のように吠えた。
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