第76話 復讐の先にあったもの

「馬鹿な……そんなことはありえない!」


 ファシルスは首だけになって、闘技場の地面で声を上げる。僕は彼の方へ歩いて近づいた。


「ひっ……! やめてくれ! 殺さないで!!」


 ファシルスは生首の状態でもまだ生きたいのか、顔を恐怖で満たしながらも、僕に向かって命乞いをする。


 僕は剣の切っ先をファシルスに向ける。うわずった声と共に、彼の目から一筋の涙が流れた。


「……それを決めるのは僕じゃない。だから、僕に言っても無駄だよ」


 僕はファシルスから視線を外し、闘技場の壁の方を見た。そこにはアルベールがいて、体を痛そうに抑えながらもこちらをじっと見つめていた。


「アルベール。ファシルスをどうするかは君が決めなよ。……決着をつけたいんだろ?」


 アルベールは首を縦に振り、体と大剣を引きずる。ファシルスの前に立って、ギロリと睨みつけた。


「ようやく落ち着いて話せるな……ファシルス」


「や、やめてくれ!! 頼む!!」


「早まるな。俺はお前と話がしたいんだ」


 アルベールはレイを地面に突き刺し、じっとファシルスを見つめる。


「お前はさっき……俺のことを忘れていたと言っていたな。それは本当か?」


「違う! お前のことはちゃんと覚えていた! お前の家族のことも、村の人々のことも……」


「……そうか。お前はそれを、どう思っているんだ」


「すまなかったと思っている! 俺は心を痛めていたんだ! お前に申し訳ないと思って!」


 ファシルスは必死に弁明をすると、涙をボロボロと流しはじめた。さっきまでとは打って変わったその態度に、アルベールはそれを見て少し驚いた様子だ。


「本当に……すまなかった……」


「そんな言葉が信じられるか! お前が今までやってきたことは許されることじゃない!!」


「お前の言う通りだ……俺がしてきたことは絶対に許されることではない……」


 生首の状態で額を地面に擦り付け、謝罪をする。あまりにも惨めなその姿に、僕たちは思わず唖然とした。


「俺は調子に乗っていた。自分以外ならばいくら傷ついてもいいと思っていたんだ! でもそれは間違っていた! 俺は今そのことに気付いたんだ!!」


 嗚咽しながら釈明するファシルス。その姿がアルベールにどう映っているのかはわからないが、彼はなんだか悔しそうな表情をして拳を握っている。


「もう二度とこんなことはしない! 人にもこれからは手出ししない! だから、命だけは見逃してくれ!!」


「……だったら、今までに殺されてきた人間はどうすればいい!? 俺の家族は、村のみんなのことはどうだ!?」


「すまない! 俺はどうすることもできない!」


 アルベールはただ怒りをぶつけるしかなかった。地団太を踏み、叫ぶ。それでも両親が帰ってくることもない。例えファシルスが死んでも。


 少し前のアルベールだったら、すぐにファシルスを切り捨てていただろう。しかし、今の彼は必死に葛藤し、自分の心に折り合いを付けようとしている。


 あまりにも見ていて辛かったが、ファシルスをどうするかは彼に任せている。僕は離れた場所で彼のことを見守るだけだ。


 しかし――その時、一瞬、ファシルスの口元が笑みになったような気がした。


 まさか!


「アルベール、離れて!」


 素早く忠告をするが、その時には既に遅かった。ファシルスは口を大きく開けてアルベールの方を見ている。彼の口の中から一本の赤い槍が生成されている!


「馬鹿が! どうせ俺はこのまま死ぬからなあ! せめてお前だけでも道連れにしてやるよ、アルベール!!」


 急いで走り出すが、離れているから間に合いそうにない! アルベールの心臓に向かって赤い槍が飛んでいくのを、僕は走りながら見ることとなった。


『アルベール様!』


 その時だ。地面に突き刺さっていたはずのレイが、僕にはひとりでに動き出したように見えた。槍とアルベールの対角線上に飛び込んだ一本の大剣は、主人を守るために槍を弾き返す。


「なっ!?」


 ファシルスが驚きの声を上げた。無理もない。剣がひとりでに動くなんてありえないからだ。しかし、現実にファシルスの赤い槍は地面に突き刺さり、アルベールは無傷で済んでいる。


 レイは宙に浮いた状態で切っ先をファシルスに向け、そのまま重力で落下していく。


「ま、待て!!」


 レイはそのままファシルスの顔面を貫く。実質的に、これでとどめが刺されたことになる。


「うぐわああああああああああ!! なぜだ!! なぜ剣が勝手に!?」


 ファシルスにはわからないだろうが、僕にはなんとなくわかるような気がした。あれだけアルベールの身を案じていたレイだ。彼を守ったって、何もおかしなことはない。


「くそっ、俺はここまでか……だが、真の血霧狂乱スタンピードはもう止められない! この地上を吸血鬼の楽園にするのは、俺以外の誰かがやってくれるだろうさ……フハハハハハ!!」


 ファシルスは最後まで意味深な発言をして、塵になって消えてしまった。気味の悪い笑い声が響いた後、闘技場には沈黙が広がった。


『アルベール様……最後にお守り出来て、よかった』


 僕にだけ聞こえるレイの声。次の瞬間、レイの刃の部分が真っ二つに割れて、まるで命が枯れるようにして地面に倒れた。


「ヴァンパイアスレイヤー!?」


 アルベールは急いでレイの元に駆け寄る。さっき彼を守るために槍を受けたのがよくなかったのだろう。ファシルスの最後の抵抗を受ければ、さすがの熾天使級セラフィムと言っても耐えられなかったようだ。


「嘘だろ……おい! ヴァンパイアスレイヤー!!」


 二つに別れてしまった大剣を手に取り、必死に声をかけるアルベール。僕が近づくと、彼は僕の服の裾を掴んできた。


「俺は……何をやってるんだ!!」


 アルベールは地面を拳で殴りはじめた。ファシルスに対しての憎悪ではない。一瞬の油断でレイを失ってしまった自分への激しい怒りだ。


「落ち着いてアルベール!」


「落ち着いてなんかいられるか!! 俺は……俺は!!」


 こんなに固い地面を殴っていたら、彼の手がボロボロになってしまう。僕はなんとか暴れる彼を押さえつける。


「まだ、メイカなら修理できるかもしれない! だからヤケにならないで!!」


 そこまで言ってようやく落ち着きを取り戻すが、彼の拳は震えている。


「ファシルスは死んだ……復讐は終わった。だというのに……結局、何が残った? 家族も、村の仲間たちも帰ってこない。ヴァンパイアスレイヤーも失った。俺はこれから、何を目標に生きていけばいいんだ?」


 その問いかけは、あまりにも悲痛なものだった。8年間を費やしてきた結果がこんなものになるなんて。彼は僕より辛い思いをしているだろうし、僕は彼の気持ちを理解しきれないかもしれない。


 ――でも、言うよ。レイに頼まれているから。


「アルベール、君はその力を誰かのために使ってあげるべきだよ」


「誰かのためにだと……?」


「うん。君はこれまで、復讐のために強くなった。だから、これからはもっと他の方法で力を使ってあげなよ」


「俺にそんなことする権利があると思うのか……? 俺は他人を遠ざけてきたんだ! お前のことを殺そうともしたんだぞ!」


 そう言えば、僕はカシクマの空間に閉じ込められたんだっけ。確かに彼がやってきたことは、よいことではなかった。


「権利とか、関係ないよ。大事なのは、僕も、君も、これからをどう生きていくかだ」


「でも、俺はお前の命を――」


「じゃあ、こうしよう。僕は最強の冒険者になる男だ、君じゃ僕のことを殺すことはできないよ」


 僕に迷惑をかけたいなら……そうだな。


 僕に迷惑をかけたいなら、異空間に閉じこめるだけじゃなくて、空間ごと消し去るくらいしてもらわないと。もっとも、それでも僕は戻ってくるけどね。


……ということにしておく。


 いつの間にか赤い霧は晴れ、三人だけの闘技場を光が照らしていた。

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