第67話 砕かれた黒鎧

 ライオスたちと別れて数分。セシルは闘技場に到着した。


 赤い霧の柱は遠くで見るよりもはっきりと確認することができる。一本の柱のように見えたそれは、小さな粒子の一つ一つによって構成されているようだ。


 この中に、吸血鬼の真祖がいる。セシルはそれがどんな姿なのかを想像して、息をのんだ。


「おい、お前」


 その時、背後からセシルを呼ぶ声がした。


 振り返ると、赤髪の少年が鋭い目つきでセシルのことを見ている。背中には真っ黒な大剣が印象的だ。


「ここは危険だ。逃げろ」


「嫌。私はここに戦いに来たの!」


「……お前がか? やめたほうがいい」


 熱を込めて話すセシルに対し、赤髪の少年の言葉には熱がなかった。というよりは、表面に熱が出ないようにしている。セシルはなんとなく、そんな雰囲気を感じ取った。


「私はセシル。あなたは?」


「アルベール・ロマーノだ」


 冒険者の名前では聞いたことのない。強い冒険者であれば知っているはずなので、おそらく無名か、そもそも冒険者ではないのだろうとあたりをつけた。


「私はS級冒険者よ! あなたこそ、下がった方がいいわ!」


「いいや。俺には倒さないといけない相手がいる。お前こそ下がれ」


「それって、真祖のこと?」


 セシルの問いかけに、アルベールは表情をさらに暗くした。図星だったようだ。


「私もこの街の赤い霧を止めたいんだ。真祖と戦うなら、二人で行った方がいいよ」


「……あいつと同じことを言うんだな」


 セシルの一言に反応して、アルベールはボソリと呟いた。


 セシルにとって素性すじょうがわからないアルベールだが、セシルは彼の体から放たれているオーラを感じ取っていた。


 それは殺気と言えばいいのか、覚悟と形容するべきなのかはわからない。ただ、アルベールが纏うその空気は、何年もかかってしみついてきたような強い信念だ。セシルは肌感覚でそう理解した。


「あなたが一人で行くっていうなら、私はそのあとに勝手についていくわ。街の人を守るのが私の役目だから」


「……好きにしろ」


 アルベールは一人で闘技場の入口へと歩いていく。セシルは彼の強情さに少し不満を覚えながらも、あとに続いて場内に進む。


 闘技場の一般ゲートから中に入ると、中の明かりは消えており、暗い廊下が続いていた。嵐の前の静けさのようで、この先に真祖がいるとは思えないほどの静寂だ。


「それにしてもなんなのこの空気……?」


 闘技場に近づくにつれて、セシルはべったりとへばりつくような不思議な空気を感じる。まるで自分の魔力が吸い取られているようだ。酸素が薄くなっているようで、気分が悪い。


「真祖が発動した魔法の効果だ。あの霧は人間の身体能力と精神力を下げる。普通の人間なら衰弱して気を失うだろうな」


「ってことは、闘技場の人は!」


「気を失っているはずだ。ただ、奴は一般人相手に手出しはしない。まだお前の目的は果たすことができる」


 真祖の目的は、千人規模の人間の生き血。吸血鬼に吸わせるのは得策ではないと判断するのが妥当だ。セシルとアルベールは、息苦しさの中で前に進む。


「見て、光よ」


 観客席と廊下を繋ぐゲートから外の光がうっすらと漏れている。この先に行けば、真祖たちがいる会場だ。


 すぐに観客席に走り出そうとするセシルの手をアルベールが掴み、首を振った。


「待て。真祖がどんなものか見ておけ」


「そんなこと言ってたら人が……」


「お前の目標は人を救うことなんだろう。ここで焦れば本末転倒ほんまつてんとうだ」


 アルベールの忠告で冷静さを取り戻したセシルは首肯し、息を殺しながら小さくかがんで会場へと進む。


 観客席の塀に隠れ、二人は場内をのぞき込む。


 中心には赤い霧の柱が一本生えていて、その脇に真祖と冒険者が立っている。二人に向き合う形で、何人かの冒険者たちが立っている。


 耳を澄ますと、会場の声も聞こえてくる。


「どうした? もうかかってこないのか?」


 真祖が挑発するような言葉を吐く。しかし、当の冒険者たちはまったく動けずにいた。


 その原因は明白。すでに6人の冒険者たちが槍で串刺しにされているのだ。モズのはやにえのようになった冒険者たちの凄惨せいさんな死体を見て、残った冒険者たちはブルブルと体を震わせている。


「いちにいさん……残り10人か。お前たち、同じ人間なんだろう? 全員でかかってくれば俺に勝てるかもしれないぞ?」


 真祖は促すが、冒険者たちは動こうとしない。10人全員で挑んでも、真祖には勝てないと悟っているのだ。


「はあ……俺はあいにく、退屈が嫌いでね。お前らよりも数倍は生きているつもりだが、一秒でも退屈な時間があると腹が立つ。人間の世界でも言うだろ? 『胡蝶こちょうの夢』って。俺とて、命の長さに満足してるわけじゃない」


 真祖が語った、次の瞬間。


「だから、まずはお前が楽しませてみろ」


 冒険者たちの視線の先に、真祖はいなかった。彼は一瞬のうちに、黒鎧の男の背後に立っていたのだ。


「えっ……!?」


「ほらよ。まずは腕1本」


 黒鎧の男が視線を下げると、さっきまでつながっていたはずの右腕がなくなって、真祖の手に握られているのが見えた。


「あああああああああああああああ!!!」


 遅れてやってくる激痛。黒鎧の男は痛みに悶え、発狂するようにして叫んだ。鎧姿のまま地べたをのたうち回る。


 転がった衝撃で兜が取れて、中からボサボサの茶髪の男が姿を見せた。ところどころ歯が欠けていて、髭も剃っていないのか汚く、全体的にみすぼらしい印象を受ける。


「おっ、お前そんな顔してたのか。これはちょっと面白いかもしれないな」


「す、すいませんでしたッ!! 許してくださいッ!!」


 笑っている真祖に、黒鎧の男は土下座をした。必死の命乞いだ。


「どうした? 何を謝っている?」


「違うんですッ!! 俺は黒鎧のルークじゃないんだ!!」


「ほう?」


 涙をボロボロと流しながら、黒鎧の男は謝罪の言葉を述べた。真祖は笑みを浮かべながら話を聞く。


「俺は黒鎧のルークの噂を聞いて、クノッサスの街で冒険者として登録したんだ! だから俺を殺しても黒鎧のルークを殺したことにはならない! 逃がしてくれ!!」


 片方の腕がない状態で土下座をし、嗚咽するルーク。


「そうかそうか……それは残念だなあ。まさかそんなことがあったとは」


「そ、そうだろう!? 勘違いなんだ!! だから殺さないでくれ――」


「一つ、勘違いをしているようだな」


「え?」


 次の瞬間、土の中からタケノコが生えるようにして槍が三本付き出してきた。黒鎧の男は腹部を貫通して串刺しになった。


「なん……で?」


「俺はお前たちがランキングで1位の冒険者だから殺してるわけじゃない。ただ退屈だから時間をつぶしてるだけだ」


「そん……な」


 黒鎧の男は宙に浮いたそのままの状態でぐったりと絶命した。その光景を見て、セシルたちを含めた全員が恐怖した。


「さて、これからお前ら十人・・、順番に殺していくことにするぜ」


「十人だと!?」


 真祖の言葉に反応したのはルドルフだった。一気に焦った表情になって、真祖の方へ詰めよる。


「どういうことだ、ファシルス!? 数え間違っているぞ!! 私を除いて残りは9人だ!」


「いや、お前を含めて十人だよ。数も数えられないほど馬鹿じゃないさ」


 ルドルフはそれを聞き、激高して真祖に掴みかかる。


「ふざけるな! お前は私を殺さないと言ったはずだ!!」


「そんなこと言ったか? 悪いが、おもちゃの言うことをいちいち覚えていられるほど俺も暇じゃないんでね」


 ルドルフの手がファシルスから離れ、力なくだらりと垂れる。彼の表情は絶望一色に染まっていた。


「おっ、いいねえその表情。まだ少しは楽しめそうだ」


 闘技場一帯を、絶望的な空気が支配していた。

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