第55話 二つの鬼が交わる夜

 夜のミカイン。灯り一つない街には静寂と暗闇が広がっていて、人は全く見当たらない。


 昼間のにぎわいからは想像できないほどの静けさ。建物は全てカーテンを閉め、一筋の光も残していなかった。


 そんな夜のミカインの街に、たった一人、出歩く姿があった。


 男の髪は血塗られたような赤。背中には闇を吸い込んだような黒の大剣を背負っていた。


「……本当に、誰もいないな」


 男の名前は、アルベール・ロマーノ。夜の闇をかき分けて、たった一人で街を練り歩いていた。


 明日開催される英雄闘技会に参加したいアルベールは、夜のミカインに出没するという殺人鬼の噂を聞きつけた。


 殺人鬼を倒し、この問題を解決すれば大会に出られるのではないかと考えた彼は、暗闇の中で目を光らせていた。


 カシクマたちに黙って外に出た彼は、10分ほど街を練り歩いていた。しかし、殺人鬼はおろか、人の一人も見つけることができなかった。


それにしても誰もいない。よほど人々が殺人鬼を恐れていると見える。アルベールはそう思い、ひたすらに殺人鬼を探して辺りを見回す。


 しかし、まったく見つかる様子もなかった。もしかしたら、ただの噂だったのかもしれない。アルベールの心の中に、少しだけ諦めのような感情が湧いてくる。


「……見当違いだったか」


 大人しく帰って休もうとした、その時だった。


「よう、今日の相手はお前か」


 アルベールに耳打ちをするように、誰かの声がする。アルベールは即座にヴァンパイアスレイヤーを引き抜き、背後に剣を振り下ろした。


「誰だ!?」


「おいおい、いきなり斬りかかってくるなんてひどいじゃねえかよ」


 剣は全く当たることなく、空を切って地面にぶつかる。その一歩向こうに、一人の紺髪の男がニヤリと笑いながら立っていた。


 年齢はアルベールより少し年上くらいだろうか。顎の無精ひげを触り、薄笑いを浮かべながら、アルベールのことを品定めするような目で見ている。


「お前が殺人鬼か」


「さあな。あいにく人間になんて呼ばれてるかなんて気にしたことないもんでさ」


「お前をここで始末する」


「手荒だねえ……俺としては面倒だから抵抗しないでもらえると助かるんだけどさ」


「問答無用だ!!」


 アルベールは再び剣を持ち上げ、目の前の男に袈裟斬けさぎりを仕掛ける。男は不気味に笑みを浮かべながらひらりと一閃を回避した。


「元気だ。若さってのは本当に羨ましいよ」


「無駄口を、叩くな!!」


 アルベールは続けて剣を振り回すが、殺人鬼はのらりくらりと剣戟けんげきを避ける。まるで霧を切っているような手ごたえのなさに、アルベールは舌打ちをした。


「おお、怖い怖い。今までに来た誰よりも、俺のことを本気で殺そうって目だよ。それとも何か、焦っているような」


「俺には力が必要なんだ。そのための糧となってもらう!!」


「そうかい……じゃ、申し訳ないけど、これで終わりでさ」


 殺人鬼が目を閉じ、ふうと息をつく。


 次の瞬間、殺人鬼の目がパッと開かれる。その瞳はさっきまでの黒から、充血したような赤色に変わっていた!


「なっ!?」


 斬りかかろうとしたその時、アルベールは自分の体が動かないことに気付く。まるで針金でも通ってしまったかのように、指先までピクリとも動くことはない。


「お前……その目は!!」


「ああ。俺は吸血鬼ヴァンパイアだ。動けないだろう? 魔眼まがんを使わせてもらったからさ。相手が悪かったね」


 一歩、一歩と殺人鬼がアルベールとの距離を詰める。その顔には余裕の色が見えていた。


「この程度で、俺を止められると、思うなあああああああ!!!」


 殺人鬼が、爪が長く伸びた手を振り上げた瞬間、アルベールは激しく声を上げ、剣でその腕を切り上げた。


 振り上げられていた殺人鬼の腕が、肩から地面にボトリと落ちる。一瞬の出来事に、殺人鬼は目を丸くして、アルベールを見つめた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」


 自力で魔眼による金縛りを解いたアルベールは、肩で激しく息をする。全力疾走をした後のように、額からは汗が流れる。


「お前……その剣はまさか!?」


「ヴァンパイアスレイヤーだ。あの日、お前ら吸血鬼に殺された親父が残した、吸血鬼をほふるための剣だ!」


 腕を抑えて距離を取った殺人鬼に、アルベールは剣の切っ先を向けた。殺人鬼の表情に、さきほどまでの余裕さは無くなっていた。


「はっ、こいつはビックリだ……まさか、最終日にアタリが来るとはさ」


「真祖は……俺の両親の命を奪った真祖の野郎は元気か!?」


 アルベールの言葉に、殺人鬼は血が滴る腕の根元を抑えながら、再びニヤリと笑った。


「ああ、元気だぜ……元気すぎるくらいさ。ここ数年でようやく本領を取り戻してきて、俺にもどんなもんなのかわからねえくらいにはさ……」


「そうか。もういい。お前が吸血鬼だとわかって、躊躇ちゅうちょはなくなった。もう一本の腕も斬り落としてやる」


 アルベールが再び殺人鬼に肉薄にくはくしようとしたその時。


「残念だけど……俺も手加減してやる理由がなくなった。面倒だけど、その剣もろとも、始末させてもらいたくてさ」


 殺人鬼が体に力を籠めると、腕の切断面から肉の塊が徐々にあふれ出し、腕が再生されていく。みるみるうちに元の腕が形成され、数秒後には長く伸びた爪までそっくり再現された腕が完成した。


「ちっ、再生できるのか……」


 吸血鬼は、これまでに吸った血液の量と質によって身体能力が上がり、人間の魔法のようなものを使えるようになることがある。


「悪いね。俺はこれでも結構、吸血鬼の中ではエリートな方でさ」


「そんな奴がなぜ斥候みたいなことをしている?」


「真祖の意志でさ。俺はもう、あのお方についていくって決めちまったからな」


 殺人鬼はグルグルと肩を回し、手のひらを開閉すると。


「じゃ、行くぜ!!」


 刹那、アルベールの目の前に殺人鬼が現れる。あまりの速度に、アルベールは対応することができない。


「何ッ!?」


「言っただろ、手加減してやる理由がなくなったってさ!!」


 アルベールは腹部に強い蹴りを食らう。回避する術もなく、アルベールはそのまま後方へ転がってしまう。


「どうした? まだ終わらせないぜ?」


 速い。さっきまでアルベールの目の前にいたはずの殺人鬼は、すでに背後に周りこんでいて、口を大きく開いてかみつこうとしてくる。白くとがった歯を見て、アルベールは背筋が凍り付くのを感じた。


「くっ!」


 転がりながらも、殺人鬼に噛まれないように素早く体をよじる。かろうじてその攻撃が当たることはなかった。


「へえ、避けるのか。今ならまだ、苦しまずに殺してやれたんだけどな」


 アルベールが起き上がった瞬間、再び殺人鬼が飛び込んでくる。今度は顔面に強烈な殴打を食らった。


「休んでる暇はないぜ?」


 数人に分身したかのように、吸血鬼は様々な方向からアルベールの方へ向かってきては殴打を続ける。まるで嵐の中にいるようだ。


アルベールは何もできず、ただ攻撃を食らい続けるのみだった。それに、一撃一撃が人間の力をはるかに凌駕りょうがしている。


「終わりだ!!!」


 アルベールがハッとしたその時、目の前に殺人鬼の爪が近づいてきているのが見えた。自分の視界が切り裂かれようとしている。


 躱そうにも、既に全身を激しく殴られているので体が動かない。自分の前が引っかかれようとしているのを、アルベールはスローモーションで見た。


「危ない!」


 その時のことだった。アルベールの体は何かに轢かれたように左へ動かされ、殺人鬼の爪から逃れることができた。


「……何者だ、お前?」


 殺人鬼がピタリと動きを止め、アルベールの方を見る。彼の体は、一人の男によって抱えられていた。


「僕はルカだ。アルベールの仲間だよ」


 その人物は、黒髪の少年、ルカ・ルミエールだった。

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